#23 「魔法少女を、やりませんか?」

「──お怪我はありませんか?」


そこを初めて訪れたのは、中学三年生の三月。

四月から通う高校を下見した帰り、ためだった。


「……ありません」

「それなら良かったですっ! それじゃあ、このあたし──”ヴィエルジュプラム”が怪物はちゃちゃっと浄化しちゃいますねっ!」


《魔法少女コンセプトカフェ》と銘打たれた店。

その中の一点、”魔法少女”という言葉に惹かれたのは確かだ。

それでも、わざわざコンセプトカフェという現実世界に根ざした場所へ足を踏み入れたのは、ある意味では決別のためだったのだ。

ここにいる”魔法少女”は、間違いなく現実に根ざしていて、画面の奥にいる理想とは乖離したものなのだろうという直感があった。


新生活を始める自分が周りと歩調を合わせられるようにするため、理想を現実で殴りつけてヒビを付け、もう”魔法少女”とはお別れできるように、と。


「──大好き、トキメキ、今、光となれっ! ”プラム・ファンタジア”!」


”高校生男子・真白遥”として訪れた日、目の当たりにした浄化と銘打たれた給仕は、遥を驚かせはしたけれど、引き止めるほどのものではなかった。

確かに展開された魔法陣に、怪物を模したオムライス。プラムと名乗った少女の仕草含めて、没入感は決して低くはなかったが、それは到底画面の向こう側に届くものでもなくて。


ともすれば、遥の想像通り。

一度、”魔法少女”に対して幻滅でもしてみたかったのなら、十分だった。

幼少期に手を取られてから十年と少し胸の中で燻っていたものに蓋をするように、遥が机上のオムライスへとスプーンを突き刺した時だった。


「うわっ!?」


──パリン、と。


破砕音、悲鳴。そして一瞬、半透明な欠片が遥の指を掠めた。

原型を保ったままのオムライス、動作は宙で止まったまま、指先から血が滲む。


「お、お怪我はありませんかっ!?」


傍目に捉えた割れたグラス、跳ねるパッションピンクの髪。

そして、慌てたような悲鳴が聞こえて、ようやく遥の指先はジンジンと痛みだした。



◆ ◆ ◆



「……え、えーっと、だ、大好き、トキメキ、今、光と……っ」

「……あの、大丈夫です。絆創膏ぐらい、自分で巻けますから」


絆創膏を手にオロオロと狼狽えるプラムから絆創膏を奪うと、遥はそれを指先にきつく巻き付けた。

プラムがグラスを割ってから十分ほど。マキと名乗った責任者らしい女性に、プラムもろとも遥はロッカールームに連れてこられていた。


「……こら、杏。お客様に謝るのが先でしょ」

「で、でもっ、おまじないをかけた方が痛みを和らぐかなーって」

「今はコンセプトとか関係ないから、普段のままでいて。……あの、本当に申し訳ありませんでした」


慌てたような様子のプラム──杏と呼ばれた少女とは正反対、マキは至って冷静に頭を下げた。

とはいえども、そこまでの痛みじゃない。ほんの少し、指先を切ったぐらいなのだから。


「本当に、そこまで痛くありませんから。その……頭、上げてください」

「……ほ、本当に大丈夫っ、なんですか?」


マキが何か発するよりも先に聞いてきたのは杏だった。

多分、先程までのも彼女なりの不安の表現方法だったのだろう。実際、その声音は焦りからか震えていれど、真剣なものだ。


「……はい、一応は」


視線の先で絆創膏が巻き付いた指先が、きゅっと丸まった。

多少の気まずさが勝って、俯いたまま誤魔化すように。


「あの、マキさん、今ちょっと良いですか?」

「ん、すぐ行くわ、ちょっと待ってて。……申し訳ありませんでした。私は一度席を外しますので、何かありましたらまた声をかけてください」


外でまた何かあったのだろうか。

忙しなくマキが出ていって、ともすれば、ロッカールームに残ったのは遥と杏だけ。

帰るからと一声かけるにも、先ほどまでの慌てた様子を見ている上に杏は少し変わった相手に映ったから、話しかけづらい。


沈黙が部屋に垂れ込める。

ただただ身を丸めながら、いい加減に帰ろうと決意を固めて、遥が口を開こうとした時だった。


「あのっ! ”魔法少女”で誰が一番好きですかっ!?」


一瞬、何を聞かれたのか遥にはわからなかった。

あまりにもこの場には似つかわしくない会話、ズレた質問。

そんなものを口にする杏はもっと浮いていると思った。


「っ」


それでも、そんな質問をされるのは初めてだったから。

きっと、ずっと欲してたものだったから。

だんまりで塞いでいた唇はいとも簡単に震えて、その名を口にした。


「……ピュア、フリューゲル」

「おお、キラピュア派っ!? それもフリューゲル……っ! あたしも大好きなのっ!」


急に杏が距離を詰めてくる。

態度も別物、一応客である遥に接しているとは思えないほどに、近い距離感、弾んだ声音。


明らかに奇妙な状況なのに、不思議と会話を打ち切る気にも、その場から離れる気にもならなかった。

むしろ、どこか鼓動が早まって、頬が紅潮して。何度も杏の口から紡がれるその名前が──遥の好きな”ピュアフリューゲル”が誰かに呼ばれていること。


「どういうところが好きなのっ!? やっぱり、いつも澄ましてて格好いいところ?」

「……それも好きですけど、もっと泥臭いところとか……」

「ああ、第39話、初めてフリューゲルが羽ばたいたシーンだね? あたし、あそこは感動したなあ……倒れたままでも、絶対に顔だけは上を向いてて、気丈さが……」


自分が口にできなかった分まで真っ直ぐな”好き”が次々と放たれていくこと。

それは、長い間胸でせき止められていたもので。いつの間にか杏の敬語は取れていたけれど、そんなものは関係ない。こみ上げるままに”好き”をぶつけ合う。


「……つまるところ、フリューゲルは格好いい。やっぱり、その一言に尽きると思うんです」


最終的に熱っぽい言葉で締めつつも口が乾いたがために、マキが置いていった机上の水に口をつけて、ふと遥は気が付いた。

体の火照り、今日この場で冷まそうと思っていた”魔法少女”への熱が、ドクドクと強く脈を打つ心臓に押し出されて、体中を駆け巡っていることに。


「……あ」


本当にいけなかったのか。

きっと、杏は周りに歩調を合わせて生きようとしていない。

ただ、あるべきまま、彼女にとっては普段通り生きているに過ぎない──そんな気がした。


「今日も来たんだ、遥くん、新生活始まって大変だったんじゃないの?」

「一応ここ、学校に近いので問題ありません。それよりも、この間の13話、敵の目的は何だと思いますか? やっぱり、世界の進歩を妨げること……?」

「うーん、意外と大逸れたことをしようとしているとも限らないと思うよ。ほら、ただ家族を取り戻したいだけ、とか。そういう時もあったし」


高校一年生の四月下旬。新生活が始まってもなお、遥は足しげく《ヴィエルジュ》に通っていた。

別にプラムに──”魔法少女”に会うためじゃない。ただ、同じく”魔法少女”が好きな相手と──杏と、お茶会がしたかったからだ。


「……だからね。あ、そうだ。マキさんに渡すように言われてたものがあって、ちょっと待ってて!」


学校終わりの時間には大体ここは空いていて。長時間、杏と話すことができる。

実際、今日も客は遥しかいなくて。そんな中で、急に彼女は席を立ち、ロッカールームに戻ったかと思うと、何やら取ってきたらしい紙を、勢いよく机上に広げた。


「……魔法少女を、やってみませんか?」


時給は1350円、まかない、交通費、衣装支給。

それは紛れもなく、ヴィエルジュの求人広告だった。


「……これ、”魔法少女”──給仕を僕がするってことですか?」

「そうっ! 遥くんが”魔法少女”になるのっ!」

「つまり、女装をしろと?」

「衣装は結構自由だけど、基本はそうなるかな。でも、あたし遥くんなら大丈夫だと思うよっ!」


女の子らしい顔をしている、というのは昔から言われてきたことだ。

けれど、それとこれとではワケが違う。もっと根本的なところから。


「……僕、少女じゃないですけど」

「じゃなくてもだよっ! いつでもハートっ! 大事なのは魔法少女を愛する心──芯でしょ?」


有無を言わせぬ口調で杏は迫ってくる。

こうなってしまった彼女を振り払うのが難しいことを遥は知っていた。


「……一応、考えておきます」


やっとのことで、社交辞令に塗れた言葉を、そうとだけ返答しておいた。



◆ ◆ ◆



「……もう、行かない方がいいのかな」


まだ混乱している中で、ベッドの上に身を投げだして、ぽつりと遥は呟いた。

どう、なのだろう。”魔法少女”をすることって。

常識的に考えたら、普通じゃないことに決まっている。

女装して、コンセプトカフェでバイト……恥ずかしさだってあるし、何より囚われすぎている。


「大体、いつまでも魔法少女って……」


もう高校生だ。確かに楽しかったかもしれない。話していて、心が躍ったかもしれない。

だけれど、割り切らなきゃいけないことはある。身分を、相応なものを”好き”になって──幼馴染だって、周囲の人間だって、そうやって成長していった。


『遥は、変わらないね?』


そうやって合わせていくのがきっと、上手く世渡りしていく方法なのに……。


「魔法少女、って……」


確かに楽しかった。

”好き”なことを語り合う時間は、ずっと溜め込んでいたものを出して、言葉にして、互いに”好き”を交わす時間は。それが出来ないのだと思うと、何かが込み上げてきた。


「……魔法少女、が」


切ろうとしても、どうしても切り捨てられないもの。

手を差し伸べられたその日から、ずっと忘れられないまま抱えていたもの。

いくら歩調を合わせるために、足を前に出したって、その場に縛り付けようとする枷みたいな……そんなものだったろうか。


「……だい、すきだ」


違う、嫌だ。それをきっぱり、切り捨ててしまうことが。

歩調は遅いかもしれない、けれど、それは縛り付けられているからじゃない。

ずっと、抱えているから。胸の中で大事に抱えているから、少し歩みが遅いだけだ。


それぐらい、受け入れて欲しい。

大っぴらに好きだって、言わせて欲しい。


そんな感情を、無理くり飲み下したものを吐き出せる場所。


それならば、心当たりは一つしか無かった。



◆ ◆ ◆



「……コルセット、ちょいキツイです」

「そう? りょーかい、少し緩めるね?」


ウィッグのセット一つ、衣装の留め具一つ、ヒールに足を合わせるのすら、二時間ほど。

長い時間がかかった。とてもじゃないけど、二次元の”魔法少女”みたいに一瞬じゃ変身できない。

もっと、ずっと泥臭い作業だ。


それでも、そう望んだから。

決してここではと決めたから。


「髪よし、杖よしっ、衣装よしっ! 行ってらっしゃい!遥くん……じゃなかったね、今は」


杏に背中を押されて、ロッカールームからホールへ。

足がスースーする、お腹の辺りが少しキツイ、ヒールを履いた足は多少もたついている。


「──お、お怪我は、ございませんか?」


ステッキ片手に”魔法少女”として。

初めての給仕だ、緊張するし、恥ずかしさも拭えない。そんな状態だから噛んでしまった。

それでも──この姿でなら”魔法少女”が好きなままでも許されるから。


たった一つ、好きなことを好きだと大っぴらに語れるここを──《ヴィエルジュ・ピリオド》を居場所にするために。そのために決めたことだ。


せめて、胸を張れ。

反芻した杏のアドバイス、遥は決まり文句を口にした。



「お相手は、ボク──”ヴィエルジュブラン”が務めさせていただきます」

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