第3話 揺れる思い

 その後すぐに、俺は自分の決断が間違いだったと分かった。

 なぜかと言うと、その日の夕食はご機嫌な華流の要望により『帝都で一番美味しいすき焼の店』に連れて行かされたからだ。

 流石は帝都名物といったところで大変美味だったが、同じく流石は帝都名物といった所で大変に高かった。ついでにこの旅の予備費の約半分は、この店で消えた。

 だが弟子の嬉しそうな顔を見るにつけ、どうにも怒る気にはなれないのだった。



 その晩のこと。

 翌日に備えて早々に明かりを落としたものの、俺はなかなか寝付けずにいた。当たり前である、押し付けられた安楽椅子で満足いく睡眠が取れる筈がない。部屋は一人用で、ベッドは既に華流に占拠されていたのだ。

 仕方なく俺は、外の空気を吸いに部屋を出た。


 その宿屋には中庭があり、宿泊客が自由に利用できるようになっていた。深夜なのもあり、俺が来たときは誰もいなかったが。

 軍服の上衣を懐手に羽織ると、俺は和風な造りの庭園をぶらついた。隅でチョロチョロと流れる遣水の音が、もの寂しげに響いていた。

 やがて雲の間から粉雪が降り出す。しかしそれは肩に積もることもなく、虚しく宙に消えていった。

 寒さは感じない、人間ではないのだから。だが、心に広がるこの哀しみは何だろう?


 あぁそうか。これは――孤独だ、子供の頃から決して癒えることのない。


 何一つ見えない夜空を見上げていると、ふと一筋の涙が頬を伝った。白く凍った息が闇に掻き消え、思わずそれに自分の姿が重なって見えた。

 今は亡き師の顔が思い浮かぶ。次いで頭をよぎったのは、自分の弟子の姿だった。

 幼くして師を失った俺は、本当は未だ『告げ人』の修行を完了していない。だから弟子を導く自信がない。

 俺自身、まだ未熟な身なのだ。

 華流は俺のことを、本音ではどう思っているのだろう? 今までつらい思いをさせてきたことは承知だ。

 しかし司守の仕事は、決して人目に触れてはならない。我々は苦しくても、どれほど孤独でも世を偲んで生きねばならない。

 そもそもが報われない仕事。弟子への対応にそう言い訳をする自分には、もう嫌気が差していた。


「......俺だって、出来ることならもっと自由に生きたい」


 でも許されない。


 背後で木の戸が開く音がすると、聞き馴染みのある足音が近寄ってきた。


「先生......やっぱりここにいた」


 半分寝ぼけ眼の華流が、そう言うと俺に寄り添ってきた。旅館の白い浴衣姿が、中庭の闇に浮かび上がる。


「......華流、どうしてここが分かった?」

「えぇ......? だから、わたし......先生の"気”を、追いかけて来たの......」

「そうか」


 ほわぁ、と大きなあくびをする弟子の背に手を回すと、俺は冷える中庭から彼女を中に連れ戻した。

 そう、彼女はすでに『司守』としての才能の片鱗を見せ始めている。それは彼女に大きな力を与えるとともに......最大の鎖にもなりうるのだった。


 俺は彼女を、いったいどう扱えばいいのだろう?


「......先生は、さ?」無言の俺に何かを感じ取ったのか、半分夢の中の華流が舌足らずな声で言った。「......もしかしたら、私の勉強できるスピードが、遅いって考えてるのかもしれないし......別にそれを先生は、心配してないのかも、しれないけれど......」


「けれど?」俺は先を促す。


「うん、それでね......。でも私は、結局『人間』なの。......不老不死の先生と違って、いつかは死ぬ......んだよ? だから私......その.....................うぅん、やっぱり何でもない」

「そうか」


 俺には、そうとしか答えられなかった。

 そのまま華流は俺の胸に寄りかかると、しばらくして静かな寝息を立て始めた。その安らかな少女の寝顔が、俺には遥か遠くの存在のように思われた。

 心に積もってゆく孤独は、中庭に降り続ける粉雪のように、今や捉えどころの無いものとなっていた。

 

□ □ □ □


 夢を、見ていた。

 思い出すのは幼心。遠い昔、師に連れられて初めて帝國を訪れた時のこと。

 あの日も確か、満点の星月夜であった。冬の開花を間近に控え、大きく膨らんだ椿のつぼみを覚えている。

 師は言った、逃げろと。

 まだ幼かった俺はあの夜、完全に無力だった。

 ひるがえる真紅の衣、闇に煌めく金属。次々に枯れゆく椿の木々を、ただ見ている事しか出来なかった。

 あの夜、俺は......俺は............僕は――。

  



「おはよう先生、出発の準備は良い?」


 少女の声に夢から目覚めると、先に起き出した華流が俺の頬を突付いていた。


「......起きて三秒後の相手に言う言葉じゃないだろ」


 時計を見ると、まだ朝の六時だ。二日連続で早起きだなんて、華流にしては珍しい。

 ひとまず彼女を追い払うと、俺は『正装』に着替えた。


「ねぇ、別に軍服着ていく必要は無いんじゃない?」華流が口を挟んだ。


 昨夜、中庭で彼女が見せた素振りは一切残っていない。完全にいつもの華流であった。


「いいか? これは旅行じゃない......少なくとも俺にとってはな」


 なので俺も、いつもの態度に戻す。


「そもそも俺は、旅には軍服しか持ってきてないしな」

「はーい。っていうか、どうして軍服が『正装』なのよ?」

「何だって?」

「いや別に。ただちょっと不思議に思っただけ」


 俺たちは宿を出ると、早朝の道沿いに歩き出した。まだ人通りも少ない帝都の街には、若干の冷気が漂っている。


「――大昔のことだ」俺はそう言うと、華流の質問に答えた。「史上初の『告げ人』とされる司守が、俺たちの祖国を訪れた際、当時の国王に謁見して爵位を授かった。以来『告げ人』は代々、桜乃島の守護神を担っている。この軍服は、その当時の出来事に敬意を表した装いなんだよ」


 俺は話しつつ、軍服の袖を広げた。身につけた装備品が眩しい朝日に煌めく。


「当時の装束は流石に残っていないけれどな。しかしこれ、この桜の階級章だけは『告げ人』の間で代々受け継がれている」


 俺の胸に輝くプレートに、華流はじっと視線を注いだ。


「......私もいつか、それを着けられる日が来る?」

「まぁ、俺としてはそう願っている」


 商業地区にたどり着くと、既にいくつかの喫茶店が開いていた。

 そのひとつに入ろうとした時、背後でふと華流がつぶやく。


「でもその話ってさ......少なくとも最初期の司守たちは、完全に人目を忍んでた訳でも無いってことだよね?」

「......そう、かもな」俺は静かに答えた。


 そんなふうに考えたことは、一度も無かった。大昔のおとぎ話だと、ただそうとだけ思っていた。


「先生だって、もっと自由に生きても良いと思うけどな?」


 その言葉に、俺は答えなかった。答えることが出来なかった。

 喫茶店で軽く朝食を摂った後、師弟はさっそく繁華街に繰り出してゆく。歩いている内に遠くの商業地区から、開店を知らせるベルの音が次々に響いてきた。

 帝都・椿京の中心には行政地区が集中しているが、それを取り囲むようにして大陸屈指の商業地区が広がっている。二人が石造りのアーケード街に差し掛かる頃には、大通りにも賑わいが戻ってきていた。


「しばらく別行動が良いか?」


 俺が尋ねると、華流はコクリとうなずく。彼女は先程から、あちこちを振り返っては忙しない。昨夜、帝都の地図をじっくり読み込んでいたので、現地に来た興奮を抑えられないのだろう。


「良いか、知らない奴には付いて行くんじゃないぞ?」

「分かってるってば」

「常に時間を確認すること」

「うんうん」

「それと何か困ったことがあったら――」

「"気”で俺を呼べ、でしょ?」

「よく分かってるじゃないか」


 集合時間と落ち合い場所を確認すると、華流は急にソワソワし始める。俺は大きなため息を漏らしたものの、しぶしぶ彼女に幾らか小遣いをやったところ、華流はあっという間に人混みの中へと飛び込んで行った。

 思わずやれやれと肩をすくめる。年頃の少女とは、かくも現金なものなのか。そう心中で歎息したが、ひとまず俺も自分の好きに歩き出した。


 道を行き交うにぎやかな人々の声が、妙に新鮮に聞こえる。

 思えば今まで数多くの国々を訪れたものの、今のように街を歩いたことは一度も無かった。常に頭を占めていたのは『告げ人』の仕事のことだけ。俺一人の肩には常に、大きな責任が懸かっているのだ。

 ......しかし、それでも。

 "先生だって、もっと自由に生きても良いと思うけどな?"


「ありがとな、華流」


 ふと気がつくと、心の声が零れ出していた。


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