第4話 消せない記憶

六角(むすみ)






 再び弟子と落ち合うまでの三時間、俺は目星をつけていた古本屋を回って過ごした。

 石と煉瓦で作られた商業街には、客を呼び込む威勢のいい声が飛び交う。道脇で三味線を弾く者がいるかと思えば、あちらでは大道芸人が鳩を宙に飛ばしていた。様々な民族衣装の姿も見かけ、改めて帝國の広大さを感じる。おかげで軍服姿でも自然に溶け込めた。

 俺は(不覚にも)帝都の観光を満喫した後、時間を確認すると、待ち合わせ場所の中央公園にたどり着く。

 ちょうどそこでは、広場の大時計が正午を告げる鐘を鳴らしていた。ボーン、という荘厳な音が辺り一帯に響いている。


 その時だった。


 人間離れした俺の目が、人混みの中に――真紅の衣の姿を捉えたのは。

 ぞわり、と体中の毛が逆立つ。幼き夜の記憶が急速に戻ってくる。

 再び響き渡るは大時計、その鐘の音は繰り返される。


 ボォォォン


 ボォォォォォォン


 ボォォォォォォンォォォン......。


 だが、紅い人影はすぐ雑踏に紛れてしまった。

 ドッと一斉に、喧騒が耳に戻ってくる。抑えていた息を吐き出すと俺は、強いて深呼吸をした。

 だが無論警戒は怠らず、瞬時に感覚を研ぎ澄ませる。次いで意識を拡張し、念のため周囲から華流の"気”を探ると、それは意外にも近くに感じられた。しかもどうやら、彼女は今まさに......力を使おうとしている?

 否、華流はいったい何をしているのだ? 

 一瞬最悪の可能性が頭をよぎり、俺はパニックに陥りそうになる。だがよくよく探ってみると、彼女から危険な感情は伝わって来なかった。

 公園内を見回してみると、弟子の姿は意外と近くに見つかった。華流は公園の隅の方で草むらの中にしゃがみ込んでおり、その周囲には幾人かの地元の子供たちが群がっている。彼女が手にした花のつぼみ――おそらくはシロツメクサ――を掲げて見せると、子どもたちは目を輝かせた。華流はそっと両目を閉じると、シロツメクサに二本指をかざす。子どもたちが見守る中、それはゆっくりと膨らんでいき――


「......おい、おいおいおい! 華流!」


 即座に俺は彼女の元に詰め寄ると、その手からシロツメクサをむしり取った。ビクッと身体を震わせ目を開けた華流が、俺の姿を認めるや否や怒ったような表情を浮かべる。

 その反応が、俺の怒りを更に助長した。

 背後に子供たちの抗議の声を受けつつ、俺は華流の腕を強引に掴むと、そのまま近くの路地裏まで彼女を引っ張っていった。


「え、ちょ先生、なんてことするの!?」華流が喚く。「あの子たち、みんな楽しみに――」

「いい加減にしろ!」


 路地裏の壁に弟子を押し倒し、俺は自制しつつも声を荒らげた。今まで見せたことのないその怒気に、華流も思わず口をつぐむ。

 だが、声を上げるのは俺の流儀ではない。俺は少し間を開けると、幾分か声を落として続けた。


「もし誰かが帝國に通報していたら、どうなっていたと思う?」


 彼の声は、凍てつくような深海よりも冷たかった。


「大昔のことだ。この帝國を含めて、大陸全土で大規模な『神狩り』があった。知らないだろう? 俺の祖先が皆、無実の人間も含めて大勢が虐殺された。だからこそ、いま生きている『告げ人』は俺一人なんだ」


 これぞ『司守』の掟が存在する理由だった。いくら『司守』が神の力を持っていても、殺されれば死ぬ。

 華流の目に、うっすらと涙が溜まる。だが俺はあえて言葉を重ねた。


「人間を信じるな、と言いたいわけじゃない。友好的な人間だって勿論いる、例えば茶屋の店主には毎年世話になっているしな。だがこれだけは覚えておけ。俺たちは『人間』から見ればどうしようもなく異質な存在だ。この身に宿る力は、手品なんかじゃない、彼らにとっては"恐ろしい”ものなんだ。そうと分かっている以上、自分の行動には常に注意しろ。さもないと――俺の説教だけじゃ済まないことになる」

「は......はい。分かり、ました......」


 華流は唇を震わせながら、そう答えた。

 俺は彼女から身体を離すと、無造作に衣嚢からハンカチを差し出す。華流はこわごわそれを受け取ると、慎重に目尻を拭った。

 これが、俺に出来る唯一の慰め方だった。

 だめだ、だめだ......俺。

 孤独と憂鬱の海に心が沈んでゆく。

 どうしようもないくらいに、俺は愚かで不器用で......。


「先生?」


 その時。華流がためらいがちに、おずおずと小さな紙袋を差し出してきた。


「......これ、さっき先生のために買ったんだけれど......、良かったら」

「?」


 袋を受け取り、中の小箱を開こうとしてから、礼を言い忘れたことに気付く。


「......ありがとう」


 そう言い添えつつ、小箱を開いた。

 中に入っていたのは、小ぶりのブローチだった。

 白銀の丸い金属プレートには帝國シンボルの椿紋が刻まれ、その溝には紅いガラスが流し込んである。ひと目で、心の籠もった贈り物だと分かった。


「その、先生の軍服に似合うかな、と思って......」


 華流はそう、おずおずと説明する。俺はじっとブローチに視線を落とした。路地裏に真上から差し込む日光に、紅いガラス細工が煌めく。


「――厳密に言えば、俺は桜神だ」


 そう告げた途端、華流はビクッと肩を震わせた。どうやら言われる前から気にしていたらしい。


「あ、いやそんなつもりじゃ......その、ごめんなさい」


 しどろもどろに弁解しようとする彼女を制すると、俺は弟子の頭にポンと片手を載せた。


「でも、気に入った。ありがとう」

「ぇ?」


 俺は徽章の隣に、そっとそのブローチを嵌めてみた。両手を広げると、その新たな出で立ちを弟子に見せてみる。


「どうだろう、俺に似合うかな?」


 突然の展開に、華流はしばらくの間まごついたように口をパクパクさせていた。

 だが、しばらくして。


「――うん、とっても似合ってる」


 そう、笑顔で俺に言ってくれたのだった。

 そして同時に、俺の心も救われたような気がした。


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