第2話 北方帝國

 漆黒の蒸気機関車が煙を吹きつつ、駅の歩廊に滑り込んでくる。吹き付ける突風につややかな黒髪を巻き上げられ、華流は小さく声を上げた。


「んっ! すごい風!」

「そう言えば、お前にとってはこれが初めての鉄道旅だな。なら思う存分楽しむといい」

「うん」


 平日ゆえか乗客は少なく、俺たちは誰もいないボックス席に身を落ち着けた。

 ボーッ!と蒸気の音を響かせ、汽車は走り出す。俺はさっそく道中買った弁当を頬張ったが、華流はひたすら流れゆく景色に目を奪われていた。


 そんな弟子の様子を見ていると――不意に、一抹の寂しさがこみ上げてくる。


 華流は今まで、ほとんど外の世界に出たことがない。

 もしそれが、彼女が『司守』の少女である故ならば、まだ良かっただろう。

 だが華流は、俺とは違い『人間』なのであった。

 汽車に揺られつつ、弟子との出会いを思い起こす。

 それは昔『告げ人』の仕事で北方帝國を訪れた時のこと。帝都郊外の貧民街を通り掛かった際に、薄暗い路地裏にて、幼き華流が俺を呼び止めたのだ。

 食べ物をせがんできた彼女の目は、未だに覚えている。

 方や異邦人の俺、方や捨て子だった華流。

 だが彼女と出会った刹那、俺は華流の内に『告げ人』に通ずる才能――"気”を感じ取ったのだ。

 その瞬間、俺は彼女を養子にすると決めた。華流を見出した時、迷いは無かった。


「――先生、どうしたの? 何だか暗い顔をして」


 いつの間にか振り返った華流の声に、俺はハッとする。その無垢な表情を見返していると、本当にあの日の選択は正しかったのだろうか、という疑念が今さらながら湧き上がってきた。

 華流はおそらく、あの日のことなどもう覚えてはいない。俺もあえて話さないようにしてきた。


 もし俺と出会わなければ、華流は今頃何をしていたのだろう? 

 案外、それなりの幸せを掴んでいたかもしれなかった。


 今の華流にとっては、俺こそが最大の『鎖』なのである。


「......何でもない。さあ、冷めないうちに早く弁当を食べなさい」

「ふーん?」


 釈然としない面持ちのまま、華流はおもむろに弁当を開く。俺は軍服の衣嚢から、こっそりと汽車の切符を取り出した。

 "北方帝國行き”という文字が印刷してあった。

 つまりこの旅は、華流にとっての里帰りなのでもある。


「――うわ先生、見て! 何これ凄い!」


 弟子の興奮した声に振り向くと、ちょうど列車が海に出たところだった。


「え、この汽車って海を渡るの!?」

「あぁ、目的地は大陸向かいの帝國だからな。ここら辺の海域は浅いから、大陸間に鉄道が何本か通っている。人呼んで"大洋鉄道”だな」

「へ〜!」


 見渡す限り紺碧の海を眺め、華流は声を上げた。此処から先は半日ほど海の上である。

 俺にとっては見慣れた景色なので、軍帽を目深に被ると俺は目を瞑った。


□ □ □ □


 汽車での旅はあっという間に過ぎ、師弟はついに帝都の駅に降り立った。

『――北方帝國、北方帝國。ここは帝都・椿京です』アナウンスが構内に響いている。


「うっ!? さ、寒い……」


 歩廊に降りると同時に、華流がそう言うと両腕で身体を抱えた。


「まぁ大陸最北端の国だ。それに今は冬だからな」俺は適当に相槌を打つ。

「......もしかして先生、それも見越して軍服の上衣を着て来たの?」

「さぁな」


 今朝の仕返しのつもりで、俺は皮肉に笑って見せる。


「いやー、旅行として最高のスタートだね……」華流はぼやいた。

「おい待て、これは旅行じゃないぞ」

「似たようなもんでしょ?」

「勝手に言っていろ。それより、ほら――ようこそ帝都・椿京へ」


 改札を抜けた先の駅前には、祖国と比べ物にならない規模の大通りが広がっていた。

 レトロな黑煉瓦の建物が所狭しと立ち並び、ガヤガヤと騒がしい通り沿いでは、夕闇が迫る中にガス灯が瞬く。様々な国から来た多種多様な人種が、あちこちの路地を行き交っていた。ここ、多民族国家の北方帝國では彼らの文化が入り混じり、独自の異国情緒を醸し出している。

 俺は馬車を呼び止めると、弟子の手を引いて乗り込んだ。御者に宿の名前を告げると、二人してクッションに沈み込む。

 馬車はカタカタと揺れながら、夕暮れの帝都を駆け始めた。


「――あっ見て、あれ何?」


 馬車がひときわ大きな通りを横切った際、華流が俺の袖を引っ張ると尋ねた。馬車の窓からは、街の中心に聳える要塞のような建物が見える。


「あそこか? あれは皇居だ」

「コーキョ? それって、皇帝さんのお家?」

「まぁそんなとこだ。もっとも昔、帝國が今よりずっと弱小だった時代には砦の一つに過ぎなかったがな。今じゃ内装はすっかり様変わりして『椿花宮』なんて呼ばれている。外装が砦のままなのは、軍事国家の帝國らしいな」

「この帝都って、どこ行っても椿だらけだね」

「まぁ帝國のシンボルだからな。ちなみに、俺たちの国のシンボルは――」

「桜!」

「その通り」



「それで、今回の旅の目的地は?」


 一息ついて、華流が尋ねてきた。

 俺は御者がこちらに意識を向けていないのを確認すると、弟子の耳元に小さく囁く。


「皇帝の私有地にある、椿の広大な保護公園だ」

「......ついでに通行手形とかは?」

「持っていない」

「ふーん」


 華流は特に追求もせず、それきり会話は途絶えた。俺はふと、馬車を雇う必要も無かったかと考え直す。

 華流もいることだ。帝都を歩いて回るのも良かったかもしれない。


□ □ □ □


 馬車もあっという間に宿へ着き、俺たちは荷物を抱えてチェックインした。

 受付嬢からは欺瞞の目で見られた――何せ俺は一人分で予約していたのだ。華流についてはとりあえず、年の離れた妹と言っておいた。


「それで“開花”の仕事は今夜なの?」


 部屋に上がってすぐ、ベッドにポスンと飛び込んだ華流が尋ねる。


「いや、それは明日にする予定だな」


 俺は脱いだブーツを揃えると、カーテンを閉めながら答えた。旅行カバンから取り出した神具の小箱を、質素なテーブルに丁寧に並べる。

 だが俺の返答に華流は、意表を突かれたような顔をした。


「え? じゃあ明日は、いったい何をして過ごすつもりなの?」

「特に決めてないな。俺としては、久しぶりにゆっくりしたい」


 部屋にベッドは一つしかなかったので、俺は安楽椅子に腰掛ける。


「じゃあ、え、えと......」


 すると華流は、何故だか急にモジモジし出すと、両の指の腹を合わせて俺に言った。


「私その、明日......か、観光に行きたいな……?」

「観光?」


 ――冗談じゃない、という思いが先ず頭に浮かんだ。

 司守の間には、古来より受け継がれる掟がある。

 それは『出来る限り人の世と交わってはならない』というものだった。

 司守とは無私の存在。ゆえに我々は常に、自然の摂理に則って働かねばならない。寄り道はナシ、ましてや旅先で観光など論外......。


「先生......?」


 ――と、俺も思っていた。


 しかし華流の、期待と不安の入り混じったような表情を見ていると、どういう訳だか断ることは出来なかった。


 それに、そもそも彼女は『人間』ではないか。


 しかも遊び盛りの歳に関わらず、司守の掟を押し付けるのは正しいことなのだろうか?

 いくら俺でも、少しは弟子の好きにさせてやりたかった。

 しばらくして俺がうなずくと、華流はパァッと顔を輝かせる。それで俺も、自分の決断が正しかったと分かった。


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