【9】急転

 八月十二日、朝。


 渋谷駅は二〇三九年になろうとも、通勤・通学に使う乗客で溢れかえっていた。いくらテクノロジーが進化し、リモートワークが進み、少子高齢化により労働人口が減少しようと東京は東京であり、最も人の多い都市というトロフィーは譲られることが無かった。


 だが変化したものも存在する。テロ対策などは、その顕著なもののひとつだ。


 一時期は海外から皮肉交じりの称賛を受け取る程度には為されていなかったテロ対策だが、今では過去の話。AIを搭載し、身体が1%以上映っていればほぼ確実に痴漢から化学テロまで見分けられる新型監視カメラは列車内にくまなく配置され、マイクロ総鎮装コンプも射角を十分とれる場所に多数備え付けられ、その他駅構内のボット巡回・消火装置の配置徹底・有料ロッカーに汎用センサーを設置するなど、多数の取り組みが行われている。

 その偏執的とさえ言える防止策の数々は、ネットの片隅で『田舎の実家で暮らすより駅でホームレスをする方が安全』とまで言われるほどであった。


 余談だが、新型監視カメラの設置によって痴漢は冤罪含めて減少の一途であり、そのため女性専用車両はその役目を終えてほとんど消えていった。

 しかし、代わりに『トレスメ=トレイン・スメル』、つまりは列車内での臭い問題が取り沙汰され始めるようになっていた。なお『トレスメ』の被害者を名乗るのは主に若い女性であり、加害者とされるのは中年の男性であることが多い。


 結局、人が多数集まれば故意・過失に関わらず互いに衝突し合い、何某かの問題は起きるということである。


 そして今。とびきりの大問題が、この08:22発の列車にて起ころうとしていた。


 ━━


 まあ、それはそれとして。


「よし、行くぞ……! 」

「次こそ勝ぁーつ!!! 」


 鵐目とハバキの二人は、テーブルに置いたチェス盤を挟んで向かい合っていた。

 言うまでもなく、彼らはチェスを始めようとしている。隣にはチェスクロックも置いてある本格仕様だ。


 クロックのスイッチに手を掛けているサヤが、両者を確認し、合図を準備する。


 クロックに刻まれた持ち時間は、


「それじゃ、よーい……スタート! 」


 サヤの合図と同時に、先手の鵐目から猛スピードで駒を動かし、クロックを叩き続ける。二人は器用に片手でキャスリングなどしつつ、タイムロスを減らす為にもう片方の手は常にクロックの上にかざしている。


「うおおおおおおおおおおお!!! 」

「ぬおおおおおおおおおおお!!! 」


 鬼気迫る表情でスピードチェスを指し続ける二人。


(すごい……何をやっているのかさっぱり分からない……! )


 スタート役のサヤは、唖然としながら見守るしかなかった。


 三秒後。


 ━━「チェック! 」「チェック! 」「チェック! 」「チェック! 」「チェック! 」━━


 気がつけばもう終盤戦で駒数も少なくなり、互いに「チェック」をひっきりなしに叫び続けるフェーズになった。


 そして。


「チ、チェック! 」

「チェックメイト! 」


 ハバキのナイトとルークが鵐目のキングを詰ませ、ついに決着がついた。


「ッッッしゃあ勝ち越しィィィッッッ!!! 」

「ああああああああクソぉぉおおおああああ!!! 」


 全力でガッツポーズを決めるハバキと、全力で転げ回って悔しがる鵐目。

 勝敗の合計はハバキが十六勝・十五敗、鵐目が十五勝・十六敗である。


「そォらちゃっちゃと『Kyklops:2キュクロプス・ツー』買いに行ってこんかい自腹でよォォォ!!! 」

「クッソォォォ覚えてろォォォォォォ!!! うわーん!!!」

「ウッヒャッヒャッヒャッヒャ!!! 」


 玄関から敗走する鵐目の背に指を指しながら、ハバキは地獄のような笑い声を上げていた。


(すごい……ほとんどキャラ崩壊起こしてる……! )


 もし今後チェスをすることがあっても、彼らとは絶対賭けをしないようにしよう……と、心に誓うサヤであった。


「ヒャッヒャッヒャ……あー、楽しかった! こんなに笑ったのは何年振りだろう! 」


 目元を拭いながら、ハバキは言う。『チェス盤その他諸々は、空中に浮かび上がりながら片付けられていた』。


「めちゃくちゃ白熱してたもんね! 速すぎて私には何が何やらだったけど……。ところで『Kyklops:2キュクロプス・ツー』ってなに? 」

「最新のVRゴーグル。めーっちゃくちゃ性能が良い。今ならなんと、重さと触感を再現できる周辺機器『Ultima Globeウルティマグローブ』もセットで二十万」

「たっか!? 」

「これでも個別に買うより三割安くなってんだぜ? ちなみに、俺が負けてたら三十五万の最新マザーボード買わされてた」


 自慢げに語るハバキに対し、桁が桁ゆえにあわあわしながら頭を抱えるサヤ。


「予算!! おうち用の!! 予算が!! 敷金礼金!!! 」

「大丈夫だって、最近色んな異外者イレギュラー 捕まえて貯金めっちゃあるし! 鵐目も一応自腹切ってるから……」


 ハバキはそう言ってサヤを宥める。

 実際、今の彼らはかなり羽振りが良かった。ハバキがこの一週間で捕まえた異外者イレギュラー は、


悪雨樋ガーゴイル

陽賛華サンフラワー

捻捩ツィスト

事後通告アフターショック

嫉妬憐憫エンヴィ・レンヴィ

Unbelieve!アンビリーヴ!

溶界メルティモンド

原告論者プリンシプル


 以上、合計八人。彼は捕まえて睦月 如月に売り払った。それによって得た金額は二百万円にのぼる。


 一週間で、この大金。そりゃ羽目も外すというものだ。


 しかし睦月も最初の方は景気よく五十万円ほどで買ってくれたが、後半の方では「引退間近の刑事に払える金額じゃねぇ……というか、多すぎねぇか……? 」とぼやきながら値切ってきた。ハバキとしても彼という質屋を失いたくないので、とりあえず四十万ほどを無期限のツケにすることで双方合意している。


(実際、なーんか多いんだよな。異外者イレギュラーが瀕死に陥った人間から低確率で生まれるのは周知の事実だが、それにしたってアラハバキの出現以前と以後では数が違いすぎる。俺より以前に異外者イレギュラーは生まれていたのは確実だが、どうして今の今までバレなかったんだ……? )


 ハバキは考えるが、真実を知るには情報が足りない。つまりこの思考に意味は無い。ということで、刹那で棄却した。


 さて一方で鵐目の主な収益はデイトレード、つまりはFXである。ハバキの稼ぎが軌道に乗ってきたため、調子に乗って始めたものだ。収益は日によって激しく増減し、今日は七万の赤字で済んだ。

 ちなみに、今までのホテル暮らしを支えていた彼の一千万を超える貯金をこの前八割ほど吹き飛ばしている。


「FXやめろよお前! あんなんただのハイテク丁半博打じゃねえか! 」

「ごめんなさい……マジごめん……うぅ……」

「謝りながらレバレッジ二十倍にしてんじゃねえよ張っ倒すぞ!!! 」


 こんなこともあったが、その後一発当てて五百万は取り返した。

 こういうところでギリギリ面目を保って生きてきたのが鵐目という生き物である。


「お金がたくさんあるのは良いけど、こういうのってあぶく銭じゃん! キチンと管理しないと絶対あとあと足りなくなるからね!? 」

「いや全くその通りで! 家計の管理をしてくれるサヤには頭が上がらねぇや! ハハハ……」

「ハハハじゃないよぉ! すぐ稼げるからって、二人とも湯水のように使うんだから……」


 サヤの方では、金策の代わりに家計の管理を任されていた。初めは家計簿ソフトに四苦八苦していたが、ハバキに手取り足取り教えられ、今では立派に管理できている。


 五日ほど前の話。


「━━んで、この関数をグラフに適用すれば、こうやって資産推移が分かるわけさ」

「はぇ~……ハバキくんよく知ってるね! 」

「元々つけてたから。ビジネスの真似事やってたもんで」

「へー……。なんか、私がやる必要感じなくなってきちゃったな。ハバキくんの方が上手に出来そうで……」

「大事なのは上手に出来るかどうかじゃなく、『俺たちの稼ぎをサヤが管理する』っていう所だぜ。俺は正直性に合わないし、仮に鵐目が管理したら、アイツは絶対にいくらかちょろまかすし。サヤは信用できるんだ。もっと自信を持っていいんじゃないか? 」

「……そうかな? 」

「そうだとも」

「ん……ありがと。頑張ってみる……! 」

「その意気だ! サヤなら、何も問題は無いさね」


 とまあこんな風に惚気のろけつつ、スマートテーブルをフル活用して収支を計算し、シートに帳簿をつけ、ハバキと鵐目に一定量の金を渡していた。


 そして今のサヤには家計簿に加え、同じく重要な任務がもうひとつある。拠点━━マイホームの確保だ。


「それで、家探しの首尾はどうだい? 」

「あんまり。色々と見てきたんだけど、やっぱり三人で暮らせる広さとなると何処も家賃が高くて……あと信用の問題もあって。そこは、私にはどうにも出来ない感じかな……」


 表向きには『志が同じ三人のワナビがシェアハウスを探している』ということにしてある。傍から見て一番破綻が少ないため選んだ理由だが、その代わり社会的信用が限りなく低くなってしまった。


「ま、東京だもんなぁ。俺の『活動』も鵐目の金策も、定期収入とは言い難い不安定さだし。信用問題は……鵐目にどうにかさせよう。偽造書類山ほど作らせて、もう少し信用できる体裁にする。『専門学校に通う予定のいとこ二人と、せっかくだから一緒に暮らすことにした親戚のAIデザイナー』……みたいなね」

「困ったときの鵐目さんだね! そしたら、もうちょっと郊外の方で探してみる? 」

「そうだね━━あ、郊外で思い出した。闇医者レオンの雑居ビル、ワンチャンあそこ住めないかな? 」

「分かった、調べとく! 」


 というわけで今日のタスクが決まり、サヤはスマートテーブルに向かった。椅子に座って、不動産屋のサイトやストリートビューを駆使して家探しを始める。


「さて……」


 ハバキはスマホを取り出し、昨日から使っていたタブをスマートテーブルに向けてスワイプする。テーブルの一部分が起動してタブが映し出されたので、リモコン画面に変わったスマホを操作して立体表示にする。そのままベッドで頬杖をつきながら、適当にニュースやSNSをチェックし始めた。


「相も変わらず、トレンドは『アラハバキ』と『異外者イレギュラー 』が過半数だな。憂慮する奴、盲信する奴、バカみたいなアンチとバカみたいな擁護する奴に、逆張りして適当ほざく奴。これぞSNS、不安とヘイトの廃棄場だ。サヤ、SNSが何の略か知ってるかい? 」


 向かいに透けて見えるサヤへ声をかけるハバキ。


「ソーシャルネットワークサービス」

「『Suckママのおっぱい Nipple,しゃぶってろ、 Son of クソ a bitch野郎』さ」

「うーわ、酷い……」


 そんな軽口を叩きながら、ニュースを観ていると。


「お……うん!? なんだこれ……」


 速報の文字と共に、赤地に白の文章がタブの上に流れてきた。


『速報 山の手線車両内にて銃乱射、死傷者不明』


 クリックすると三行ほど内容の薄いニュース本文が表示され、その簡素さからたった今急ごしらえで書き上げたものだと分かった。

 SNSのトピックには、ショッキングなシーンであることを自動で注意書きされている、乗客が撮ったものであろう動画が投稿され、拡散されていた。


『なになになになにヤバイヤバイヤバイヤバイって!!! 銃!? 銃だよね!? なんでここで━━』


 たった五秒の動画はたくさんの悲鳴と、困惑と、血液と、銃声で満ちていた。


 そして動画の最後には……見慣れたフードとピアスの少年が、拳銃を握って立っていた。


「━━ッ! ちょっと行ってくるッ! 」

「う、うん! 鵐目さんにも連絡しとく! 」


 ハバキは衣装の入ったリュックを持ち、全速力でベランダから飛び出した後『急上昇』。雲の上でサッとローブを羽織り仮面をつけると、『件の列車まで急降下していった』。


 ━━


 ほんの少し巻き戻り、列車が走り出した直後。

 人が溢れる一号車にて、誰にも気づかれずひとりの男が追加された。まるで『床から生える』ように、ぬるりと立ち上がる。


「……ん? あれ? なに……? 」


 乗客はあまり事態を飲み込めなかったが、少なくとも『これはおかしい』という緊張が張り詰める。さっきまで喋っていた女子高生は黙り込み、スマホをいじっていたサラリーマンたちは顔を上げた。

 冬弥は集まる視線を意にも介さず、ゆっくりとイヤホンをつける。そしてポケットのスマホから、彼が密かに愛するアニメ━━『轢殺紳士スカルくん』のオープニングテーマを選択した。三十年以上前の深夜アニメだ。サブカルチャーに興味が無い冬弥だが、なぜかこれだけは彼の琴線に触れたのだった。


 曲が始まるまでのロード時間で、彼は運転席の窓に近づき、懐に手を入れる。


 そして。


「スタート」


 曲が始まり、発砲。


 運転席に血しぶきが上がる。


「━━え、え? 」


 乗客が一人、撃たれる。


 その瞬間、マイクロ総鎮装コンプが起動し冬弥を蜂の巣にしようとゴム弾を浴びせかけようとする。


 だが『ゴム弾が銃口から飛び出してくることは無かった』。


「キャアアアア!!! 」「マズイマズイマズイって!!! 」「誰か!! 誰か助けて!!! 」


 次々と撃たれる乗客。


「……てれれてれてれてれれれ~……♪」


 ハミングしながら、冬弥は両手に持った拳銃の引き金を引き続ける。影胞子カゲホウシから譲られた二丁の拳銃は、改造されてフルオートで発射可能になっていた。その秒間発射レートは千二百発。


 然るにこれを冬弥が持った場合、ことと同義である。


「助けてッッッ!! 誰か助けてよぉーッ!! 」

「……魔法の一万馬力、ブケパロス~……♪」


 父母の名前を叫びながら、女子高生は死んだ。

 胸に抱えて庇った子どもごと、母親が死んだ。


「……轢いて潰して犯して~……♪」


 たまの休みで遊園地に行く予定だった父子は死んだ。

 彼女の誕生日プレゼントを持っていた若者は死んだ。


「……蹴って叩いて慰めて〜……♪」


 一号車の乗客は全て死んだ。

 二号車の乗客は半分死んだ。


「ひ、非常ボタン! 押さなきゃ! 押して止めなきゃ!! 」


 そのとき、三号車にまで届いたパニックで事態に気づき、非常用停止ボタンに手を伸ばす女性客がいた。

 しかし、その手を『謎の檻が突然伸びて、串刺しにする』。


「ギャアアアアア!? 」

「ごめんね〜、電車止めるのはやめてね〜? 」


 若い女性━━檻苑オリオンの場にそぐわない抜けた声が、悲鳴の中に掻き消えていく。


 …………。


「……これがボクの、愛なんだ~……チャンチャン♪」


 ━━そして、誰も居なくなった。


 立っているのは冬弥と、檻苑オリオンと、運転席にいる影胞子カゲホウシだけ。

 あとは全員……誇張抜きに、全ての乗客が床に転がっていた。


 イヤホンを外すと、運転席から『影』を介して上体だけを現し影胞子カゲホウシが背後から話しかける。下に隙間なく広がる血液を見て一瞬顔をしかめたが、それを冬弥に見られることは無かった。


「こちらの調整は終わった。これで列車は止まらず、我々は走る鉄の箱に収容されたわけだ」

「こっちも見ての通りだ。足の踏み場も無ェ血の海だ、きっと涙を流して喜ぶぜ」

「では、待つだけだな」

「ああ」


 二人の会話が終わり影胞子カゲホウシは身体を引っ込め、冬弥は血のしみ込んだ座席に身体を預けた。


 鉄の臭いが鼻腔を満たす。足元に転がった男の死体が、電車に揺られてゴロンと見開いた目を向けてくる。朝日に照らされたその目に光が戻ることは、今後一切有り得ない。またもや電車が揺れて、今度は老人の干からびた腕が冬弥の靴にかぶさった。邪魔くさかったので、すぐ蹴り飛ばした。

 冬弥は目を閉じて、じりじりと背中を焦がす朝日だけを感じることにした。まぶたの裏には何も映らず、響く音は電車の駆動音のみ。なんだか頭がぼうっとするが、きっと疲れているんだろう。


 とにかく……この今だけは、静粛だった。

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