【8】暗中模索・自己回顧・一念発起

(……何も、見えん……)


闇の中、冬弥は在った。


(……感覚が、何も無い……)


浮いているわけでも無いが、沈んでいるわけでも無い。

空から落ちているわけでも無いが、地面に寝そべっているわけでも無い。


ただ、闇の中に存在しているだけだった。


(……木南キミナの兄貴に撃たれた時も、こんな感じだった……)


彼はあの夜のことを思い出す。


壊れた事務所、オヤジの蒸発、警察からの逃亡。

一夜明けて集まってみれば、年老いた幹部連中は全員逮捕。残ったのは冬弥のようなオヤジに養われていた若い衆と、数年前に入ってからその経営センスにより一瞬でオヤジの右腕と化していた、木南だけだった。


あのマンションの一室に集まった冬弥たちは、今後の方針を考えていた。と言っても、そういう難しいことは木南しか考えておらず、大多数の若者はただ現状に絶望していただけだったが。


(今思えば……木南はただ羨ましがられたかっただけだったんだろうな。バカをバカにしながら自分の能力を振るい、バカに褒めそやされたかったんだろう。国立の大学を出た奴がわざわざ極道になる理由なんて、そのくらいしか思いつかん)


隙あらば自分の経歴をひけらかしていた木南だが、あの夜においてはそうする余裕が無いほど焦っていた。

幹部が全て捕まり爆散してしまった東京鉄血組。多額の上納金を収めていた組が突然解散したとあっては、本部は残った者にケジメを取らせるしかない。そして残留した者のうち最も地位が高いのは木南であり、それゆえに彼のスマホには非通知の着信が一分ごとに掛けられていた。


彼は言った。


「冬弥……お前確か、オヤジの助けになりたいってずっと言ってたよな? それに、新参者の俺がオヤジに気に入られてるのにムカついてたのも知ってるぞ……。だから冬弥、


そして、冬弥が就いた最初の役職は『組長名代』となった。一大出世も良いところだ。


冬弥は言った。


「……ありがとよ、木南の兄貴。アンタがそんなに器の広い人間だとは思わなかった。名代っていうのは……オヤジの代わりに組を運営する、っていう事で良いんだな? 」

「あ、ああ! そうだ! お前は組長の代わりで、今は俺より偉い! 偉いから、お前が全ての責任を取るんだ! お前がだ! お前が━━」


そして、冬弥は懐のナイフを取り出し、隣にいた泣き虫の辰樹タツキに突き刺した。


「オーケー。じゃ、まずはケジメつけようや。腑抜け共」


そして、冬弥は殺戮を開始した。

そして、冬弥は三人殺した。全員見知った顔だった。

そして、冬弥は木南に撃たれた。

そして、冬弥は死んだ。


━━はずだった。


「…………あぁ、これが…………」

「冬弥!? なぜ生きて━━」


そして、冬弥は木南の持っていた拳銃を奪った。


そして、冬弥は一人撃ち殺した。

そして、冬弥は二人撃ち殺した。

そして、冬弥は三人撃ち殺した。

そして、冬弥は四人撃ち殺した。


そして。そして。そして。


「クソつまんねぇな。やっぱ」


━━冬弥は、復讐の道を歩み始めたのだ。


(……まぁ、その結果がこのザマなんだが)


しかしいくら格好つけて過去を語ったところで、自分があのハゲの『影』に捕らわれてしまったことには変わらない。


(オレはまた無意味に虚勢を張って、死んだ。昔からずっとそうだ。意固地になって、感情に振り回されて、取り返しのつかない失敗をする。何度も何度も繰り返してるのに全然学習出来てねェな、オレ……)


物心ついた時からその性分は変わらなかった。

幼少期の思い出は特別教室……つまりは健全な学童から隔離された、孤独な一室でのものしかない。


(このクソみたいな性格は誰からのモノなんだ? オレを取り巻く環境のせいか? 顔も知らん父親か? 行方の分からん母親か? それとも……ただなのか?)


彼は子供が嫌いだった。彼を愛さなかったからだ。

彼は大人が嫌いだった。彼を愛さなかったからだ。


(頭のどこかじゃ分かっている。素直に他人を受け入れて、年上の言うこと聞いていれば、万事上手くいくって。でも出来ない。だって虚勢を張るのを辞めたら、後に残るのはバカで、力も無くて、他人に怯えて膝を抱えるしかない臆病なガキだけだから……)


そんな廃棄物のような少年に、わざわざ手を差し伸べてくれたのが射水 吾朗イミズ ゴロウ……オヤジという極道だった。


彼によって、冬弥は笑い方を、泣き方を、家族という存在を知ることができた。

彼のせいで、冬弥は暴力の味を、タトゥーの威を、金の力を知ってしまった。


彼を産んだのは母だったが、彼を作ったのは紛れもなくオヤジだった。


だが、そんなオヤジは居なくなってしまった。


(オヤジ……会いてぇよぉオヤジぃ……! 助けてくれよぉ……! )


頭のどこかで「ここが闇の中で良かった」などと思いながら、両の目頭を押さえる。


そのとき、微かに首元に何かが当たった。


「……この、感触は……? 」


飛んで行かないよう、慎重に両手で包み込む。


粘土のような、ツルツルした消しゴムのような触り心地のソレは、過去に一度だけオヤジに見せてもらったことがある物だった。


(C4爆弾……!? )


C4。型落ちの軍用可塑性プラスチック爆薬である。


大きさとしてはそれこそ消しゴム程度。仮に爆発しても、コンクリートブロックを一二個吹き飛ばす程度だろう。

なぜ彼がそんな物を偶然持っているのか? 武器庫を漁ったとき、他の爆弾に紛れたのだろうか? これだけ小さいのだ、十分にあり得る。首元に当たったのも、服の内側にある隠しポケットから出てきたからだろう。偶然にしては少し出来過ぎかもしれないが。

しかし今は、理由なぞどうだっていい。


(もしかしたら、コイツを爆破させた勢いで脱出できるかもしれない……! )


だが残念なことに、彼が持っていたのはC4ただそれのみであった。本来必要になる起爆装置が無いのだ。


(クソ、これじゃ何の意味も無いッ!)


また絶望の淵に立たされる冬弥。一瞬不貞腐れてやろうかという思いがよぎったが、それよりも爽快感と焦燥感の合わさったような、なにか途方もなく大きな気持ちに推されていた。


一度点いた希望の灯火は、そう簡単に消えはしないのだ。


(……そうだ、銃だ! 確か起爆装置っていうのは、小さい爆弾を爆発させた衝撃を使う……みたいなことをオヤジが言っていた。だったら、実包の中にある火薬を使えば……ッ! )


彼は必死で手探って近くを漂っていた拳銃を拾い、スライドを引いて銃弾を取り出す。銃弾の先についている弾頭を指で外し、中の火薬が飛び散らないよう、すぐにちぎったC4を詰める。もう一度スライドを引いて、薬室チェンバーにC4弾を装填する。


そして引き金に指をかけたところで、冬弥の動きは突然止まってしまった。鳴り響く音楽が停止したかのように、自然と漏れ出ていた笑みが引いていく。


(待てよ……弾頭を外して、C4を詰め込むまでは良い。だがそれで爆発するのか? 爆発したとして、銃は壊れないか? 壊れないとして、それでパワーは足りるのか? そもそも、ここは吹き飛べば出られるような場所なのか? 果ての無い世界である可能性だって十分ある。これは……? )


彼の周りがそうであるように、暗い不安が冬弥を包み込もうとする。

今になって、冬弥はこの無限世界に大きな恐れを抱き始めた。


(……恐い……! )


どこにも行けない。何も成せない。

暗闇を照らす明かりも無い。


ここには、何も無かった。

冬弥の人生にも、何も無かった。


だが。


(そうだ……オレにはあるじゃねェか、『無限に撃てる』っていうこのチカラがッ! 撃つのが銃弾じゃ無かろうが知ったことかッ! チカラの範囲内にあるかなんて知ったことかッ! オレのチカラだ、オレがッ! パワーが足りないってんなら銃がブッ壊れるまで撃ち続けてやるッ!例え果てが無かろうと、オレは絶ッ対に諦めねェッ!!! )


冬弥は銃を構え、意気地なしの己を鼓舞するために叫ぶ。


「ウオオオオオオオオッ!!! オヤジィィィィィィッッッ!!! 」


そして、彼は引き金を引いた。


━━


「さて、身柄も回収したことだ。『教会』に帰るぞ、檻苑オリオン

「え、徒歩? やだ〜! オジサンの能力でワープさせてよ〜! 」

「中に居る彼に遭遇して、蜂の巣にされたくはないだろう。一々文句を言うな、鬱陶しい……」


地べたに座って駄々を捏ねていた檻苑オリオンだが、ふと自分が微細な振動を感じていることに気づいた。


「あれ? 地震? 」

「……違う」


影胞子カゲホウシの目線の先には、自分の影。


今、それは


「備えろ」


爆発音。そして衝撃。


「ウオオオオアアアアアッ!!! 」

「きゃっ!? 」


影胞子カゲホウシの影から、先ほど捕まえたはずの冬弥が飛び出す。勢いそのまま、檻苑オリオンの横を掠めて壁に激突した。彼の身体からは硝煙の香りと共に、肉の焦げた臭いもしている。


「……酷い傷だな。何らかの爆発物を利用して、吹き飛ばされて帰って来た、といった所か? 初めてだよ、そんな馬鹿をしでかした人間は」

「ハァ、ハァ……」


ボロボロの風体で、荒く呼吸する冬弥。よろよろと立ち上がると、影胞子カゲホウシの前に立ちキッと睨み付ける。


そして彼は、持っていた金属片━━拳銃は壊れ尽くして、グリップ以外無くなっていた━━を投げ捨てて。


「……何のつもりだ? 」


土下座した。


「さっきは……済まなかった」

「何が? 」

「ハァ、アンタに……生意気、言ったこと……」


困惑する影胞子カゲホウシ。気まずい沈黙が部屋中に満ちる。


「……いや、謝罪されても困る」

「うっせぇ!!! 黙って受け入れろ!!! 」


頭を地面につけたまま、怒鳴りつけて謝罪の受容を強制させる冬弥。

どう考えても、謝罪する側の態度では無い。


「オレは……舐められたら終わりだと考えてた。だがそれは違うと気づいた。具体的に表現するのは、バカだから難しい。とにかくそれは間違ってる。そう思った」

「ふむ」

「オレは……反省した! 多分、恐らく! だから影胞子カゲホウシ、アンタには━━あークソ! なんて言えば良いのか分からん! とにかく━━オレの仇討ちに手を貸して欲しい! 」


汗を流しながら、額を床につけたまま声を張り上げる冬弥。

どうしたものかと戸惑いつつも檻苑オリオンは声をかけようとしたが、しかし影胞子カゲホウシの無言の視線によって制止された。


「報酬は、オレに出来るなら何でもやる! 金なら内蔵売ってでも用意する! だからオヤジの仇を討たせてくれ! これはオレの全てなんだ! オヤジはオレの人生そのものなんだ! 頼む! お願いします! どうか━━」

「待ちたまえ」


影胞子カゲホウシの鋭い声に、冬弥は言葉を切って恐る恐る顔を上げた。

案の定、仁王のような形相をしたスキンヘッドの男が目の前に立っていた。


だがその顔に困惑と怒りの色はあれど、前に見せた汚物を見るような嫌悪感は消えているような気がした。


「……稚拙な謝罪の上に、身勝手な願いまでしおって。自分勝手にも程がある」

「……………」

「キミはきっと、こうやって人様に頭を下げるのも初めてなんだろう? もしそうなら納得の手際だし、そうで無かったなら想像を絶する要領の悪さに閉口せざるを得んな」

「……すみません……」


いつの間にか敬語になっていた冬弥は、そう言って縮こまる。なんだか小学校の頃を思い出した。


あの頃は、まだ見捨てられていなかった気がする。


「……ワタシは、元々大学で教鞭を執っていたんだが。昨今の学生どもと言えば、口を開けばタイパがどうの、コスパがどうの、講義がつまらんだの課題が面倒だの、とにかく目上の人間を舐め腐ったような奴らばかりだった」


遠い目をしながら、影胞子カゲホウシは言う。


「だから、まあ……そうやって素直になることが出来たキミは、もしワタシの生徒だったなら、懇意にするのもやぶさかでは無かっただろうな」

「……? 」


きょとんとした顔で聞いていると、影胞子カゲホウシは冬弥の肩を持って起こしてやった。

彼の肩のホコリを払いながら、影胞子カゲホウシは言った。


「手を貸そう、組長名代殿。キミが我々『ピース』の仲間入りをするかは保留として、アラハバキの抹殺に関しては対等な協力関係を築こうじゃないか」


影胞子カゲホウシはそう言って、冬弥の前に右手を差し出した。

対する冬弥は、握手どころか現状への理解すら追いついていなかった。それもそのはず、彼は「謝罪とは降伏の証である」と思い込んでいたタイプの人間だったので、まさか謝罪することで拓ける未来が本当に存在するとは(いくらか打算していたものの)夢にも思わなかったのである。


「……わ、わぁ……」

「気の抜けた返事だな」

「いや、まさかこんなに上手くいくとは思ってなかったので……」


彼の言葉に、影胞子カゲホウシは初めての笑みを見せながら答える。


「キミより先を生きる者としてのアドバイスだが、『素直な若者』というのは年上にえらく気に入られやすいのだよ。跳ねっ返りが改心した場合なんか、特にな。あと敬語は止めたまえ、対等だと言っただろう」

「わ、分かった。今後ともよろしく頼む」

「ああ」


そうして、冬弥は影胞子カゲホウシの手を取った。


次に冬弥は、檻苑オリオンの方へ向き直る。


「アンタは……どうするんだ? 」

「え? あたし? い〜よぉ、協力する〜」

「軽いな……!? 」


こっちは二つ返事だった。

呆気なさに驚く冬弥へ、影胞子カゲホウシが話しかける。


「彼女はそういう人間だよ。実家が裕福で甘やかされて育ったから、物事に真剣に取り組んだ経験が無いのさ。ワタシが最も嫌悪する人種だ」

「相変わらずオジサンは酷いにゃあ〜! までも、異外者イレギュラーの中じゃ結構強い能力持ちらしいから、あたし。役には立つよ〜」

「お、おう……」


初めて対峙した時から彼女が全く態度を変えていないことにある種の尊敬を覚えながらも、同時にその真剣味の無さに若干苛立ち始める冬弥であった。


ひと段落着いたところで、影胞子カゲホウシが問いかける。


「で、これからどうするつもりかね? 」

「もう一度、アラハバキとやり合う。だが今度は奇襲じゃない。キチンと計画を立てて、使えるモノは全て使って、三対一で、アイツを殺す。知恵とチカラを貸してくれ、影胞子」

「良いだろう。ちょうど用意していたプランがある。きっとキミも気に入るだろう」


決意を込めた表情で頷く冬弥。そんな彼の肩を、檻苑オリオンは指でツンツンする。


「……あたしは? 」

「え。じゃあ……チカラを貸して欲しい」

「知恵は? 」

「…………」

「知恵は~!? 」


冬弥にダル絡みする檻苑オリオンを無視して、影胞子カゲホウシはこの家のリビングと和室を仕切る扉を開いた。

無論電気の通っていない家なので、開いた先は闇である。


「来たまえ。我々の拠点……『教会』への直通ゲートだ。まずはそこで、身体を休めるといい……」


影胞子カゲホウシはそう言うと、『影』に入るよう二人を催促した。

躊躇う冬弥の手を引いて、檻苑オリオンが足を踏み入れる。二人が中に入った後、影胞子カゲホウシは天井に吊り下げていたライトを外す。


パチン、と電源が切られる。


後には、闇以外に何も残らなかった。

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