【7】影胞子(カゲホウシ)と檻苑(オリオン)

 時は少し遡り、ハバキ達が闇医者レオンの元へ向かっている最中。


 彼らのいる場所とはまた別の東京郊外、その裏路地のひとつ、更にその奥の錆びたマンホール。

 ビル窓から漏れるLEDのおぼろげな光が差す中、その蓋がゆっくりと開かれ、タトゥーまみれの男が這いずり出てくる。


「あぁ、クソ……」


 八坂谷 冬弥は毒づきながら、出来るだけ静かに、ゆっくりと、マンホールの蓋を閉めた。


 東京に住むアウトローは、皆一度はマンホールを通じて下水道を通ったことがある。

 警察もそれを知らないわけでは無いし定期的に捜査もしているが、それでも電波の通じない、メンテナンスの不都合により監視網にも粗がある、何より裏社会にのみ流通している『ハザードマップ』のお陰で、彼らは警察とドローン・ボットから辛くも生き延びることが出来るのだ。

 無論、冬弥も何度となく助けられている。


(昔、マップを覚えられないオレの為に、オヤジと一緒に地下道を探検したな……懐かしい)


 冬弥は走りながら、先のアラハバキとの戦闘を回想する。


(ハナからこうなる予感はしていた。飛び道具特化のオレの能力と、飛び道具を無効化できるアイツの能力。相性最悪なんてもんじゃない。だからこその不意討ち、連続射撃、手榴弾だったんだが……)


 戦闘の結果のみを見れば、引き分け。

 あるいは傷を負わせた分、冬弥の勝ちとさえ言えるかもしれない。


 しかし後の状況まで含めれば、『傷こそ負ったものの、武器を何も失っていない』アラハバキと『中途半端なダメージを与えただけで主要な攻撃手段は品切れ、全てを注ぎ込んでも目標を果たせなかった』冬弥。


 これのどちらが有利か判断出来ないほど、冬弥も馬鹿では無かった。


(手札は全部使い切った。補充するアテは何も無い。さて、どうする? 八坂谷 冬弥。無い頭を捻って考えろ……! )


 彼は走る。辛うじて用意出来た、たったひとつのセーフハウスに向かって。


 フードを目深に被ることでさほど効果もない監視カメラ対策をしながら、いくつかの通りを走り抜け、住宅街に入り、まだブルーシートを被った建築中の家の前まで到着した。

 あまり詳しい事情は知らないが、建築途中のまま半ば棄てられたこの家が、彼のセーフハウスだった。


 ブルーシートをくぐり、開かない玄関の代わりに庭へ向かう。庭の端に四つ植わった茂みのうち、奥から二番目の根元を手で掘る。


「ハァ……ハァ……」


 出てきたのは、紙袋に包まれた拳銃。弾丸は薬室チェンバーに一発だけ入っている。


(弾が一発あれば済むっていうのは、中々便利な能力だな。実包の保管は面倒だから……)


 これが、彼に残された唯一の武器となった。


 そのとき。


「や。お邪魔」


 彼の真後ろ━━庭に面した網戸の向こう、闇に閉ざされたリビング━━から、鷹揚な男の声がした。


「━━ッ!? 」


 冬弥の脳は驚きながら、しかし彼の腕は驚くほど冷静に声のする方へ向けられ、彼の指先は脳の命令を待つまでもなく反射的に引き金を引いていた。


 ……だが、『何も起きなかった』。


「いきなりの射撃とは、随分な歓迎じゃないか。全く、親の顔が見てみたい」


 男はひとつも調子を乱さずに言う。

 先程の出来事は正確に言えば……冬弥が拳銃の引き金を引き、撃針ファイアリングピンが弾底の雷汞を叩き、銃弾が発射されるまでは確実に起きていた。


 そこから先が、


 見えるはずの発射炎は『見えなかった』。

 放たれたはずの銃弾は『消えた』。

 来るはずの銃声は『鳴らなかった』。


 死ぬはずの男は━━『死ななかった』。


「……異外者イレギュラーが、何の用だ」


 こちらの動揺を必死に隠し、冬弥は言い放つ。

 しかし男は、それを鼻で笑った。


「中で話そう。上がりたまえ」


 男はそう言い残して、闇の中に消えた。仕方がないので冬弥も彼の後に続き、リビングに土足で入る。


 彼がリビングに足を踏み入れた瞬間、網戸が閉じられる。(二人いるのかッ!? )と銃を構えようとするが、その間隙に強烈な閃光が差し込む。


「うぐっ……!? 」「きゃっ!」

「海外製のハンディライトだ。出力は絞っているが、直に見ると目を潰すぞ」


 男はそう言いつつ、ライトの先端に何かを取り付けた。どうやら光を拡散させるアタッチメントのようで、彼が天井に吊るすと、リビングはまるで電気が通ったかのように明るくなった。


「それ付ける時は事前に言ってって毎回言ってるじゃ〜ん! ビビるからやめてよね〜! 」

やかましい」


 先程の悲鳴もそうだったが、もう一人の仲間は若い女のようだった。こんな裏に相応しくない、キャピキャピとした黄色い声。異常だ。


 そして、少しして目が慣れた冬弥は、はっきりとこの二人の姿を確認した。


 男の方は重そうな黒いコートで、身長が天井につきそうなほど高い。年齢は四十代だろうか。頭部はスキンヘッドで、左側頭部に傷んだフルーツのような灰色の傷が残っている。しかしそれよりも、その射すくめるような鋭い眼光と黒縁の眼鏡は精悍な顔付きと相まって、非常に厳格で聡明な雰囲気を漂わせていた。


 一方、女子の方は見るからに『ゆるふわ』といった感じで、もこもこでオーバーサイズな上着とベレー帽が印象的だった。ショートボブの髪色や丸い瞳も含め、全体的にピンクと桃色の中間色で統一されていて、いわゆる『センスの良い女子』といった感じだ。しかし動きはゆったりとしていて、まるで緊張感が無い。なんだか顔までのほほんとしているように見える。


 ハゲ男は微動だにせず中央で立っている。ゆるふわ女子は隅の方で体育座りしてゆらゆらしている。


 そして、庭を背に立つ冬弥に対して、男は口を開いた。


「まずは名乗らせて貰おう。ワタシは『影胞子カゲホウシ』。そして、そこに居る女性は『檻苑オリオン』。御推察通り、異外者イレギュラーだ。どちらもね」

「どもで〜す」


 女子━━檻苑オリオンは手をヒラヒラさせて挨拶した。本当に緊張感が無い。

 彼女を無視しながら、男━━影胞子カゲホウシは話を続ける。


「ワタシ達の目的は『アラハバキの抹殺』だ。少なくとも、我々の雇い主はそれを望んでいる」

「じゃさっさと行ってこいよ。わざわざオレんトコまで来たのはどういうわけだ? 笑いに来たのか? 」

「『ヘッドハント』だ。一々そんな下卑た真似をしにこのワタシが足を運ぶわけが無いだろう、これだから学歴の無い奴は━━」


 そこまで罵倒を言いかけたところで、影胞子カゲホウシはわざとらしく口を噤んだ。


 そして、ゆっくりと、嫌味たっぷりにひと言。


「失礼」

「……チッ」


 ここに来てやっと、彼の眼差しに汚物を見るときのソレが加わっていることに冬弥は気づいた。


「東京鉄血組組長名代を名乗るキミ。キミのその能力は、アラハバキに対しては相性最悪であるが、それ以外の銃弾を防げない相手には滅法強い。特に射程が素晴らしい。空高くからあれだけの人数相手に頭を狙って撃てるなら、もはやキミに撃ち抜けぬ物など無いんだろう。まぁ……防げる相手なら、常内者ノーマルズと差程変わらんようだが」


 どうも、影胞子カゲホウシという男は下賎な人間が心の底から嫌いらしい。

 ヘッドハントに来る奴の態度じゃ無ェだろ、と、冬弥は思った。


「それでも、キミの評価はかなり高い。是非とも我々と共に来ないか? 札付きの異外者イレギュラーが身を隠すには、現時点で最適な選択だと考える」

「福利厚生も充実してるよ〜? お給料は米ドルだけど」


 檻苑オリオンが合いの手を入れる。


 冬弥はひとつため息をついて、彼らの目的が勧誘だと分かった瞬間から即時に決定していたことを伝えた。


「……断る、と言ったら? 」

「ふむ。理由わけを聞こう」


 落ち着き払ってこちらを見下す影胞子カゲホウシに近づき、真正面に立って下から睨めつける。


「確かに、アイツの抹殺という点でオレたちの目的は同じかもしれん。だがな……『お前に誘われる』っていうのが気に食わん。そのゴミを見る目がムカつくんだよ。オレが欲しいってんならそのハゲ頭を下げろ。地べたに擦り付けてこの下水臭ぇ靴の裏を舐め始めてから、初めてオレたちは対等なんだよ」


 ちょうど影胞子カゲホウシがライトを背にして立っているせいで余計に威圧感を覚えるが、それでも冬弥は物怖じせず睨む。

 そして、十秒ほどだろうか。やがて影胞子カゲホウシは眉ひとつ動かさず、口だけを動かした。


「……陳述は、以上かね? 」

「ああ」


 グシュッ。


「愚図め」


 そのとき、『冬弥は踏み締める床の反発が一瞬で消え去ったことに気づいた』。


「ぐぉっ……!? 」

「ワタシの通り名を聞いた時点で『影に関する能力』だと想定し、逃れておけば良かったのだ。学の無い奴は発想も貧困だな。だが安心したまえ、頭の先まで沈もうが窒息して死ぬことは無い」


 まるで底無し沼に落とされたように、足が動かず、身体はどんどん沈んでいく。

 足元をよく見ると、影胞子カゲホウシの大きな影が、夜の闇より何倍も濃い黒色に変化しているのが分かった。


「大変だね〜冬弥くん! でも意外と中は快適だよ〜? あと、食べかけのトッポ見つけたら食べていいからね〜」

檻苑オリオン貴様、また勝手にゴミを捨てたのか!? この恥知らずが! 」


 冬弥は、『影に沈んでいた』。


(コイツ……恐らく能力は『自分の影に触れた物をしまい込む』的なモンか!? 消えた銃弾のカラクリはコレか……クソがッ! )


『影』に触れそうになった拳銃を左手に移して、苦し紛れに二人へ一発ずつ『発砲』する。


「クソ……ッタレ……ッ!! 」

「銃口の中も『影』なのだよ」


 しかし、またしても『不発に終わった』。


「じゃあ、これなら……ッ」


 冬弥は力を振り絞って、銃口をライトへ向ける。


(これなら銃の中も影にならないッ! これでライトを壊せば━━)

「『影』は部屋全体に広がり、キミは瞬く間に闇の中へ消えるだろうな」


 影胞子カゲホウシはそう言って、冬弥へ覆い被さるように上体を傾けた。

 その瞬間、『影』が冬弥を呑み込む速度は一段と増し、一瞬で肩まで沈み込んでしまった。


「ありゃ、一発逆転ならずか〜。ま、人生ってそんなもんだから気に病まないことにゃ〜」


 緊張感の欠片もない戯言を吐きながら、檻苑オリオンは冬弥を見つめていた。冬弥は到底文章に出来ないような罵詈雑言・差別用語のオンパレードを彼女に聞かせてやるつもりだったが、そうしようと思った時には既に鼻まで『影』に浸かっていた。


「キミもヤクザの端くれなら、闇の世界にもすぐ慣れることだろう……」

「……、……ッ! 」


 もはや目元まで沈んでしまった冬弥を片足で踏みつけながら、影胞子カゲホウシは語りかける。


「尤も━━ほんの少し、くら過ぎるかもしれんがね」


 そして、冬弥は頭の先まで『影』の底。底すら見えない深淵まで、深く深く沈んでいった。


 トプン。

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