【2】合法的人身売買のススメ

 そして深夜、東京某所。

 地図で言えばかなり端の方にある、寂れた商店街。誰もいないそこの十字路で、電柱の陰に壮年の男がひとり立っていた。


 ふと腕時計を見れば『02:59:55』を示しており、つまりは約束の時間まであと五秒である。最低でも三十分は待ってやるつもりだが、正直期待はしていない。所詮は犯罪者、こういう小さな約束事すら守れないような奴だからそうなってしまうのだ━━などと、考えていると。


「貴方が『睦月 如月ムツキ キサラギ』か? 」

「ッ!? 」


 黒いローブに白い仮面を着けたアラハバキが、突然十字路の中央に現れた。


「あ、あぁ……そうだ」


 一瞬、時刻の確認で目を離しただけである。

 その僅かな間隙で姿を見せたアラハバキは、風が吹いているにも関わらず、『ローブがたなびくことは無かった』。


「いやぁ、遅れて済まない! 待たせただろうか? 」


 アラハバキはこちらを確認すると、朗らかな調子で喋りながら向かってくる。


「気にすんな……俺も今来たところだ」

「そう。では、こんな道端ではあるが、早速話をしようか」


 そう言うとアラハバキはコンコン、と、近くの店の壁を叩く。その直上には、もはやお馴染みとなった監視カメラがあった。


「監視されていた方が、安心感が有るのだろう? 私にはとんと理解出来ないが━━」


 不敵な笑みをこぼしながら、アラハバキは相手の思惑を言外に確認した。


『監視カメラ程度では、なんの牽制にもならんぞ』と。


さて。大方予想はついているだろうが、此方の要求は『犯罪者の換金』だ。日夜東京の平和を守っている私だが、活動資金が赤字になり始めてね。所謂『収益化』が必要だと判断した。そこで、現役の刑事で在りながら私に声を掛けてくる、貴方に会いに来た訳だ。貴方のパイプを利用して、捕らえた犯罪者を金に出来るんじゃないか、と」


 両手を合わせながら、アラハバキは睦月の顔を覗き込む。


「返答を聞かせてくれないか? 肯定か、否定か」


 その仮面にくり抜かれた黒い穴は、声とは裏腹に無感情の極みであった。

 睦月はひとつ息を吐いて、肯定を返す。


「━━いいぜ。犯罪者を捕まえたら適当な場所に軟禁して、その位置情報を取引する。レートはどうする? 」


 アラハバキは覗き込むのを止め、半歩引いた。


「驚いたな。トントン拍子に話が進むじゃないか? てっきり私を見下して、グダグダと文句を言いながら契約する事になるかと思っていたのに」

「俺の正義に言い訳はつけてある。変に気を巡らせんじゃねぇよ」


 しかしアラハバキは、『』。


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 そして、ひと言。


「娘が二人、犯罪に巻き込まれて死んだ」

「……ッ!? 」


 心の底からゾッとした目で彼を見る睦月。


「当たってしまったかい? いや、そんなつもりは無かった! 済まない、謝罪しよう」

「……何故分かった? 」

「そりゃ、勘だよ」


 へらへらと、うそぶくアラハバキ。しかし睦月が敵意を込めた顔を向けてきた為、仕方なく根拠を提示する。


「貴方の所作、表情、年齢その他……合計八の状況証拠から発想した。一番は貴方の偽名━━『睦月 如月』だな。娘の誕生月なんだろう? 」


 正解だった。


「気色悪い……ッ! 観察力がどうこうってんじゃねぇ、! どんなカラクリなのかは知らんが、二度とその調子で俺について詮索するなよッ! 」


 男はすごい怒った。


 ……こんな書き方をすると「小学生みたいな文を書くな」と怒り出す読者諸兄も居るかもしれないが、悲しいかな、アラハバキはこういう稚拙な表現のような感覚でしか感じることが出来なかったのだ。

 これもひとえに、ハバキの共感能力の乏しさによるものである。

 ひらにご容赦願いたい。


(うわー、めっちゃキレるじゃんコイツ)


 ほら、目の前で怒鳴られてもこの他人事っぷり。


「ああ、二度と詮索しない。重ねて済まなかった」


 アラハバキは両手を上げて、口だけの謝罪を済ませた。

 声色だけは本当に申し訳なさそうだが、彼の中に罪悪感は塵一つも無い。


「閑話休題、話を戻そう。取引方法は先程貴方が言った通り、軟禁場所の情報を交換するやり方で良いだろう。支払いは現金で頼む。ネット送金だと、万一疑われた時に隠しようが無い。場所や状態を示す暗号も、後で決めておこう」


 空気を切り替えて、テキパキと物事を進めていく。


「最後に、金額のレートについてなんだが……」

「こっちはただの古臭い刑事だ、いいとこ五十万が限度だぞ」

「構わない。寧ろ、全て言い値でも良い。売らさせて頂く立場なのだからね」

「……従順だな、不気味な程に。お前がいいなら、それでいいだろう。態度が変わらんうちに聞くが、俺の方からお前に依頼をするのはセーフか? 」

「というと? 」

「俺んとこで抱えてるヤマの幾つかに、異外者イレギュラー絡みと思しきものがある。犯人は特定できていないが、この先お前ら特有のチカラのせいで逮捕できない場合、お前に話を持ち掛ける可能性があるってことだ」


 その言葉を聞くなり、アラハバキは二つ返事で快諾する。


「お安い御用さ! 是非とも手伝わせて欲しい! 私のチカラが社会の改善に繋がるならば、願ってもない事だ! 」


 白々しい。

 しかし、そんな薄っぺらな言葉さえも信じる必要があるのが、今の睦月の立場だった。


「……その言葉、信じるぜ」

「ああ、信じてくれ。私はそういう存在だ」


 その言葉に、睦月はいつかしていた彼の演説を思い出す。


 アラハバキ。

 全ての『たったひとり』の味方。

 あらゆる事象のカウンターウェイト。


 この場合、彼はどういう立場なのだろう? 『異外者イレギュラーによる犯罪の横行』という事象に対するカウンターウェイトか、もしくは……。


(この俺の味方、か……)


 失った二人娘の顔を思い浮かべる。

 気立ての良い、真面目ではつらつとした咲希。

 少し卑屈なところはあるが、弱い者の前に立てる勇気があった亜希。

 妻も早くに失い、しかし男手一人でなんとか育てていた。


 そんな二人も、放火魔の犯行に巻き込まれて死んだ。

 開校記念日で偶然家に居た二人は、そのまま炎に抱かれて死んだ。

 お揃いがいいと言われて買ったピンクのランドセルも、咲希が頑張って育てていたミニトマトも、亜希が描いてくれた自分の似顔絵も、毎日みんなで挨拶していた妻の写真も、全部燃えた。


(俺は、ひとりになった)


 彼は、ひとりだった。


「……刑事さん」


 そのとき、アラハバキが睦月に呼びかけた。


「私は、あなたの味方ですよ」


 その声色は、とてもやさしかった。


「━━そうかい」


 男は、一瞬漏れて出てしまいそうだった笑みを噛み殺して、そう言った。


 ━━


 とある夏の深夜。

 昼間の熱気も未だ充満し、人々の間を制汗剤の匂いと共に隙間なく埋め尽くしている東京では、今日も今日とて犯罪が跋扈していた。


「よし今だ! 運べ運べ運べ!!! 」


 見窄らしい服装の男たちが、割れたガラスを踏みながら大小様々な宝石や貴金属のアクセサリーを袋に詰め込んでいく。運の悪いことに、店に備え付けられている総鎮装コンプは不調を発しており、明日の朝一番にその点検と取り替えをする予定であった。


 一心不乱に宝石を集める男たちの後ろに、見知った黒いローブが現れる。


「やぁ。精が出るじゃないか」

「ゲェッ、『怪人アラハバキ』ッ!? 」


 アラハバキが手振りひとつすると、『強盗犯たちは見えない力で床に押さえつけられた』。


「今どき貴金属店に強盗とは……。どうせ盗品を売る伝手も無いだろうに。文字通りの、豚に真珠って所かな」

「うっせぇよタコッ! センセェ、出番ですぜーッ! 」


 例え床を舐めることになっても強盗犯たちはどこか余裕そうで、その理由はアラハバキの背後に現れた謎の小太りの中年男性だと考えられた。


「お初にお目にかかる、怪人殿ッ! 我が名は『造壁達人ウォールマスター』ッ! そして我が能力名は『悠久不滅の万城壁ザ・バベル』ッ! 喰らえぃッ!!! 」


 彼がよく分からない動作をしながら地面に拳を叩きつけると、『アラハバキは一瞬で灰色の四角の中に取り込まれた』。


「フハハハハッ! どうだこのチカラは、流石の怪人とて━━」


 だが、それだけである。


「『歯が立たない』? 残念、いとも容易く立つんだな」


 アラハバキの声が中からしたと思うと、『彼の腕が壁をいとも容易く突き破り、造壁達人ウォールマスターの首根っこを引っ掴んだ』。


「たかだかコンクリートの壁一枚で、本気で私を無力化出来ると思ってたのか? 散々ニュースで私が暴れ回る映像が流されているのに? それはちょっと、私を低く見過ぎじゃないか? 」


 そのまま壁の支えを壊すように腕を振り回し、最後は落ちてきた天井に勢いよく男を叩きつけた。


「グゥゥゥ……」

「犯罪者の低知能化が著しいな。日本の未来を憂いたくなるよ」


 こうして、一分も経たずに貴金属強盗は全て無力化された。どうせ近辺の監視カメラが一部始終を確認しているはずなので、放っておけば全員連行されるだろう。造壁達人ウォールマスターの方は、適当に捕縛して例の刑事に売り渡すか……などと、考えていると。


「流石の活躍ですね、アラハバキさん」


 一人の若者が、スマホを片手に声を掛けてきた。


「あぁ、森川さん! お疲れ様です! 」


 森川とは、平日新聞に勤める若き記者である。

『BWTJ襲撃事件』の折、アラハバキの演説についての記事を世界で最も速く届けることに成功した人間だ。その縁もあって彼はアラハバキに関する記事を専門に書くようになり、その為本人とも仲が良い。


 二人は衆目から逃れるため、現場から少し離れた公園の、花壇の縁に座り込んだ。造壁達人ウォールマスターはアラハバキの足置きと化している。


「仕事は順調ですか? 」


 森川から手渡されたペットボトルの水にストローを挿しながら(仮面を外せない為、こういう形でしか水分補給できないのだ)、アラハバキは聞く。

 森川は少し顔を曇らせつつ答えた。


「う〜ん……、順調というと、ちょっと違うというか。アラハバキさんの記事を書く度に、日本中からバッシングが来るわけですし……」

「あらまぁ。この前の記事を拝見しましたが、かなり慎重に中立性を保とうとしているのが良く分かる、良い記事でしたよ」


 実際、森川の記事は新人が書いたにしてはかなりよく出来たものだった。取材や裏付けも丁寧にされているし、他の記事に比べて独自性も確保されている。


「ダメなんですよ、『中立』じゃ。世間の空気に迎合できないなら、それはただの逆張りなんです。読者が欲しいのは『正確な情報とニュートラルな考察』ではなく、『自分の思考を勝手に肯定してくれる、大音量のスピーチ』ですよ。質でも量でもなく、それの纏う『属性』が大事なんです。アラハバキに同調する文章を一行書いたら、それを前置きにして断罪する文章を十行は書かないと」

「自ら望んで迎合主義ポピュリズムを遂行させる大衆ですか。酷い話ですね」


 だが、いくら記事の出来が良かろうがコンセプトそのものが許されない場合、買われるのは記事ではなくヘイトなのだ。雑多なアカウントがリプライ欄を燃やし尽くし、記事を引用して晒し上げていく。まるで蝗害のように暴れ回った後、次なる炎上に向かって集団移動する。


「……いつからこんなに、世間は息苦しくなったんだろうなあ……」


 元号が令和となってから━━特に、『先端技術恐怖戦争テックフォビアウォー』の起こった二〇三四年から先は━━SNSでの日常茶飯事であった。


 そのとき、二人の頭上から声がした。


「あ、どうも……こんばんは。アラハバキさんですか? 」


 二人が喋っているところに、目深くフードを被った謎の少年が口を挟んできた。

 無礼な奴だが、強火のファンか何かだと考えたアラハバキは、立ち上がって彼に近づいていく。


「ん? ええ、まあ。見た通りに」

「じゃ死ね」


 パァン。


「━━ヘェー……」

「悪いね。拳銃の接射は一度経験してるんだ」


 アラハバキの腹に当てられた拳銃を引き戻すと、『弾丸が彼に当たる直前で静止していた』。


「な……な、な……ッ! 」


 突然の事態に、森川は声も出せずたじろぐしかない。

 そんな彼に対して、アラハバキは低くハッキリとした声で告げる。


「森川さん、逃げた方が良い。出来るだけ身を低くして、迅速に」


 その言葉で我を取り戻した森川は、中腰になって急ぎその場から走り去ろうとした。


「余所見すんじゃねェ!!! 」


 森川の方に顔を向けていたアラハバキに対して、少年は首筋にポケットナイフを当てがって怒鳴る。

 その刃が引かれる刹那、アラハバキは『ナイフの刀身を掴み、握り潰した』。


「ならもう少し見る気を起こさせてみろッ!」


 ひしゃげたナイフを放り捨てながら、アラハバキは『周囲の草木やゴミなどを浮かばせ、臨戦態勢をとる』。


 月も隠れる曇天の下。

 二丁の拳銃を構える少年の視界には、そこに収まり切らないほどの『弾』が、射出の瞬間を待っていた。

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