第一章:怪人跋扈編

【1】グッチのバッグと同価値のモノ

 ━━異外者イレギュラー


 決死の状況においてその因果を拒絶し、超常的な現象を操作する力を得た者。

 死を反転させ、そのエネルギーを操る者。


 しかし一般には、単に『警察にも太刀打ち出来ない、傍迷惑な超能力者』と言った意味合いでしか使われない単語である。


 この単語の初出は『BWTJ汚職暴露事件』、通称『怪人事件』を皮切りとした多くの超能力者による犯罪行為を受けた警察庁が出した報告書第一号によるものである。そのレポートには八名の異外者イレギュラーからの調書も書かれており、上にある定義はそれを元に(多少詩的に過ぎるが)考え出されたものと思われる。


 この報告書では異外者イレギュラーの定義の他、彼らが生還した後に身体能力の異常な発達が見られたことも記されている。曰く、『筋量こそ常識の範囲内だが筋繊維の密度が常人の数百倍であり、故に見た目は中肉中背でも、トップアスリートにも並ぶほどの身体能力・耐久力を持ち合わせている』らしい。

 また、八名全員が『覚醒後一週間以内に、これまで経験したことの無いような全身の筋肉痛があった』と話しており、先の事実と併せると、異外者イレギュラーと成った者は『身体を丸ごと、より強靭に作り替えられる』という仮説が成立する。筋肉の具体的な変貌やそのプロセス、筋肉痛以外の健康問題などは、目下研究中とのこと。


 ……ところで、気づいただろうか。


『警察にも太刀打ち出来ない、傍迷惑な超能力者』が、なぜ八名も聴取を受けているのか?


 単純な話。

 からである。


 ━━


 八月一日。朝。

 曇天の中、粗悪なサウナのような夏の暑さを全身に感じながら、適当な席を見つけて座る。


「うん。やっぱ良い景色だな」

「だね」


 二人は今、とあるカフェに来ていた。

 高層ビルのバルコニーにある為、全席がカフェテラスのようだ。眼下には流れる車や人、あるいは建物の隙間を縫って行進する宅配ドローンの群れなどの交通網をよく見下ろすことが出来る。


 目的は特にない。普段の『活動』の息抜きである。


「都会の喧騒からは離れつつ、それでいて人の動きを眺めることが出来る。理想的だ。そのうちタワマンでも借りて、こういう立地で暮らしたいね」


 ハバキはそう言いながら席に座った。コンビニのワンコインシャツは少し前にやめて、今はちゃんとユニクロで買った服を着ている。サヤも同様だが、キャップやピアスなどのアクセサリをよく付けていて、どちらかと言えば彼女の方が凝ったコーデをしていた。


「夢がおっきいね━━ハバキくんどれ頼む? 」

「どれどれ……オイ、モーニングセットで二千円超えてるぞ!? コーヒーとサンドイッチひと切れで!? ぼったくりカフェか!? 」


 テーブルに備え付けられたタブレットのメニューを見るなり、ハバキは目を丸くして驚く。対するサヤは、そんなハバキを見てきょとんとしている。


「大体そんなもんじゃない? 」

「マジかよ、東京プライスだな……。埼玉だったら、同じ内容で三割は安いぜ。まぁ、それはそれとして頼むけど」

「鵐目さんからいっぱい貰ってたもんね、ハバキくん」

「人の金で食うメシが一番うめぇや! 」


 笑いながら、ハバキはメニューをタップして注文しようとする。しかしちょうどよく店員クラークボットが来たので、呼び止めて注文を伝えることにした。


「私はモーニングセット。コーヒーはマンデリンで」

「ブルーマウンテンのSサイズ、デカフェ。あとリブサンドイッチと、チーズリゾット。ティラミスも」


 ボットは無言で一礼し、タイヤを転がしてカウンターに戻る。ウエストコート風の衣装といい、店の雰囲気に合っていて品のあるボットだ。


「ハバキくん、カフェイン苦手なの? 」


 サヤは先程の注文で、デカフェカフェイン抜きコーヒーを頼んだことについて聞いた。


「腹下しちゃうんだよね。そういうサヤちゃんはブラックで飲むんだ。マンデリンって相当苦い銘柄じゃなかった? 」

「あー……うん。気つけによく飲んでたから……。もう立派なカフェイン中毒なのですよ、アハハ」


 自虐風に笑うサヤ。

 そんな彼女を見て、ハバキは少し真面目な顔で話す。


「良くないぜ、そういうのは。しばらくは、低カフェインの緑茶なんかを飲むといい。一度に抜くと離脱症状が酷いから」


 頼んでしまったものは仕方ないから、今日のコーヒーはこれで最後にしよう、とも付け加えた。


「もう前みたいに、自分を痛めつけてまで頑張る必要は無いのだからね」


 ハバキは優しく、諭すように言う。


「ん……」


 やさしい。

 とても、とてもとてもやさしい。


 そのうちにコーヒーが運ばれてきたので、サヤはブラックで、ハバキは砂糖だけを多めに入れて飲み始めた。


「話、変わるんだけどさ。最近どう? 『あっち』の方は」


 今日最後にする予定のコーヒーを味わいながら、サヤは聞く。


「『仕事』自体は順調! 火事から人を助けたり、自殺しようとする奴を止めたり。そしてなんといっても、異外者イレギュラーの逮捕に協力したり! 順調に社会へ影響を与え続けているよ。ネットの方じゃ、アラハバキの肯定派と否定派に二極化して、日夜レスバトルが繰り広げられてる。街を歩けば歓声と罵声が一度に飛んでくる始末さ」


『怪人アラハバキ』が現れてから数週間が経っているが、彼に触発された異外者イレギュラーたちが突発的に事件を引き起こすことが少なからずあった。しかしその度にアラハバキは空の彼方から飛んで来て、あっという間に無力化し、警察に引き渡す。

 今のところ、全ての異外者イレギュラーがそうやって逮捕されていた。

「自分の尻拭いをしているだけだ」という意見ももちろんあるが、それはそれとして、彼に命を救われた人間を中心にアラハバキ肯定派が生まれ始めているのも確かである。


 しかし、ここにひとつ問題点がある。


 金にならないのだ。


「金策の方は……まあ、とりあえず聞いてくれ」


 というわけで、ハバキたちは日頃からなんとかアラハバキの活動で利潤を生み出そうと四苦八苦しているのだが、その成果はあまり芳しくなかった。


「俺が考えてたのは三つだ。一つ目は『動画配信』。だいぶ難航してる。速攻でアカウントがBANされるからね。ま、分かっちゃいたけど。二つ目は『用心棒』。こっちも同じく。昨今の情勢的に欲しがる奴は相当数いると踏んでたんだけど、ナシのつぶて。金持ち連中は得体の知れない怪人より、それに壊されたボットの方を信じるんだと。アルを見習って欲しいね」


 コーヒーを片手にハバキは喋る。


「そして三つ目、『人身売買』。こっちで捕まえた犯罪者を監禁し、その位置情報を情報屋に売りつけるのさ。今なら異外者イレギュラーが続々出てきてるから、奴らを捕まえればかなりの値になるだろう」


 いかがか? という意味でサヤを指さす。


「三つ目はなんだか非現実的なプランだね。一番難しそう」


 少し考えたあとで、サヤはそう答えた。


「って思うじゃん? 実は昨日見つかったんだよ」


 ハバキはそう言って、スマホの画面をサヤに見せる。もちろん、監視カメラに映り込まない角度で。


 画面には、一通のメールが映っていた。


「現役の刑事で、俺を異外者イレギュラー逮捕の道具にしたいらしい。手先になるのは癪だが、まあ一番進展があったからな。乗ってやることにした。今日の夜に会う予定」


 ちなみに。

 どうしてメールアドレスが知られているのかと言えば、彼が事件を解決する度に「何かあったら連絡したまえ」と一々被害者に教えているからで、更に言えば、被害者の一人がSNSで大々的に広めたからである(なお、彼のアカウントは七時間後に凍結された)。

 このメールの送り主である刑事が知っていても、何もおかしくはない。


 そんな彼のメール内容は、このようなものだった。


『私は警察庁に勤める者だ。多くの異外者を捕まえている君と話がしたい。今後の異外者による犯罪対策についてだ。今晩会えないだろうか。返答の気があるならば、こちらまで』


 文末には、匿名性の高いことで有名な『Ghost666』というメッセージアプリのチャットルーム招待コードが書かれている。

 また、文面と共に顔写真と警察手帳を撮った写真も送られてきていた。手帳の名前は黒塗り加工されているが、アカウント名は『睦月 如月ムツキ キサラギ』とある。


「……おとり捜査の可能性は? 」

俺に手錠を掛けるのは不可能だよ。人海戦術も厳しいだろう。何より今、ソレを強行するメリットが無い。故に端から考慮する必要も無い。向こうもそれは分かっているだろうし、書いてあることは全て本心だと思うよ」


 言われてみたら確かにそうだ、と、サヤは手をポンと叩いた。


「それに奴さんの言う通り、異外者イレギュラーへのカウンターとして現在最も有効な戦力は俺だからな。金で買えるなら、安いもんだろう。言い値で吹っかけてやる、ぐふふ……」

「また悪い顔してる━━じゃあ、お金の問題はもうすぐ解決するんだね」

「イエス。あとは、手頃な異外者イレギュラーが継続的に現れてくれるかどうかだな」


 ここで一度、会話は途切れる。ボットがちょうどリブサンドとチーズリゾットを運んで来たので、ハバキは早速食べ始めた。

 サヤはコーヒーを飲みながら、彼の食べる様を見ていた。なんとなく見入ってしまうのは、彼がとても上手に食べ進めるからだろう。食べるスピードはとんでもなく速いのに、リブサンドのソースなどをこぼすことは一切無い。

 意外と育ちが良いのだろうか?


「金が手に入ったら、サヤは何をしたい? 」


 やがて粗方食べ終えたハバキは、会話を再開した。


「うーん……。やっぱり家、かな。小さくてもいいから、腰を落ち着けられる場所が欲しいかも。ホテル暮らしも慣れてきたけど、まだフワフワしてる感じがして、現実感に乏しいというか」

「ああ、確かに。そしたら、戸籍も一緒に作ってしまおうか」

「え!? そんな簡単に出来るの!? 」

「顔写真と、その他色々があれば。そして今は役所の手続きが全てオンライン化されていて、俺たちには鵐目とメアリーが居るからね。手続きはつつがなく終わるだろうよ。ホント、あの二人には頭が上がらないわな」


 それはすごい、と、手を合わせて喜びそうになるサヤだったが、ふとある考えが思い浮かんだ。


「……もし『佐間宇 サヤ』としての戸籍が出来上がったら、私はもう戻れないんだね」


 彼女には『██ ██』としての十六年分の活動記録が、ネットにも記憶にも残っている。しかしそれは、正式に『佐間宇 サヤ』となった日に断絶するのだ。そう考えると、なんだか少し寂しい気持ちになる。


 しかし、ハバキはけろっとした顔で言った。


「いや? 別に元に戻ろうと思えば、いくらでも出来るよ」


 ……なんだか微妙に話が噛み合ってない気がしたので、サヤは自分の意図を説明する。


「んーと、そういう外から見た話じゃなくて……自分の心持ちの話というか。自分の戸籍を捨てるのって、結構勇気が要るものじゃない? それまでの人生を捨てるってことなんだから」


 沈黙。


 そして、ハバキの笑顔。


「なんで? 」

「え……」


 自分の意図が、伝わっていない……?


「サヤはさ、ひと月前何してたか覚えてる? 」

「え、うん。いつも通り勉強してたけど……」

「だろ? 俺も自分が何をしていたか、ちゃんと覚えてる。これから戸籍を変えたとして、この記憶は残り続けるだろう。あ、風化するのとは別としてね。そうやって自然に消えることを除けば、パッといきなり消えることは無いわけだ」


 身振り手振りを混じえながら、ハバキは諭すように話す。


「記憶が残っていれば、人生は連続しているってことになる。名前を変えようが、国籍を変えようが、性別を変えようが、生きた時間が連なっているなら同じ人生を生きているってことになるんじゃないか? 」


 確かにそう言われればそうだと思える。しかしそれではどうにも腑に落ちない。

 例えばSNSのアカウント。親のつけていた成長記録まで含めれば、自分の人生は全てインターネット上にアップロードされている。戸籍を変えれば、それも途絶える。


 他人が観測しなければ、自分の人生は存在しないも同然ではないのか?


「でも……今まで作ってきた人間関係とか、そういうのは無くなっちゃうんじゃない? 」

「それも消えないと思うよ? 鵐目のコードがあるから映像越しは無理だけど、直に会えばお互いちゃんと覚えているはずさ」


 ここに来て、サヤはハバキの思考をやっと理解した。


 彼は『他人に見られた自分』を全く考慮に入れていないのだ。彼は『自分が見る自分』『他人を見た自分』だけで、自己の存在を定義している。


 平たく言うならば。

 彼は主観視点のみで生きている、唯我論者だったのだ。


「……多分さ。サヤは別の何かに重きを置きすぎてたんだよ。SNSのアカウントとか、学籍とか。『SNS上でのサヤ』と繋がる誰か、あるいは『生徒の一人としてのサヤ』と繋がる誰かを、とりあえず友人としてカウントしているんじゃないか? 」


 彼の言葉に、自分の常識が壊されていくのを感じる。

 

「それは……友だちじゃないの……? 」


 愕然とするサヤに対して、ハバキは一呼吸おいて、言った。


「君のストレスに気づいた友だちが、一人でも居た? 」


 ━━居なかった。


 …………。


「サヤが悲しむ必要は無いよ。結局みんな、他人との関わり合いから自分に都合のいい部分だけ抜き出して、消費してるのさ。自分のキャリアを飾り立てる商品としてしか見てない。グッチのバッグを欲しがるように、『清らかな友情』とやらを欲しがってるだけだ」


 彼はそれに続けて「気色の悪い話だね」と、吐き捨てるように独り言をこぼした。


「そっか。ずっと独りだったんだ、私。何となく、そんな気はしてたけど」

「……でも、今は違うだろ? 俺がいて、鵐目がいて、あと一応メアリーもいる。俺たちは真の意味で友人であり、一蓮托生の仲間だよ。これだけは、掛け値なしで保証できる」

「ハバキくん……」


 そして、幾許いくばくかの沈黙。


「……ごめんね! なんかすげー重い話しちまったわ! 要は『人生の主役はいつも自分』ってだけのことだから、面倒だった部分は忘れて構わんよ」


 笑いながら、照れ隠しにコーヒーを一気飲みする。


「ウ━━ごほっ、ごほっ……」


 普通にむせた。


「大丈夫? 」

「うん、平気……うぇっほ……」


 サヤがハンカチを差し出す。一応自分でも持ってきていたが、ハバキは敢えてサヤのを借りた。


「『重い話』なんて、そんなことないよ。その……嬉しい、とはまた違うけど、ハバキくんが私のことをおもんぱかってくれたのは伝わったから」

「ありがとう。優しいね、サヤは」


 そうやって、ハバキはサヤに笑いかける。


「サヤ━━」

「なに? ハバキくん」


 ハバキは彼女に掛けようとした言葉を『思考』した。


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 そして、やめた。


「……いや、なんでもないよ」

「ん……」


 二人の間を、生温い風がそよいでいく。


 ━━第一章:『怪人跋扈編』。

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