第14話 過去 十二 手紙

 しばしの間、下男を呆然と見送ってから部屋のドアを慌てて閉る。

 突然の事に、何が何だか分からない明継あきつぐに、こうが心配そうに後ろに付いた。


「先生……。大丈夫ですか。」


「はい……。紅は部屋に居て下さい。」


 ドアの隙間を開けてノゾいている紅を、放置する訳にもいかず、夜が深けて一気に部屋が暗くなり、洋灯ヨウトウの灯かりなしには、家具が何処にあるかも分からない。

 しかし、明るくすると、隣の建物から動きが丸解りだ。


蝋燭ろうそくは、ありましたか……。」


 明継が一寸イッスンも見えない暗闇で、話した。暗くなると本能的に声が大きくなる。


「ええ。有りました。先生、ランプ付けてくれますか。」


 紅も感覚が掴めないのか、扉に何かをぶつけた音がする。


 かくしから、燐寸マッチを取り出すと、明かりが煌煌コウコウと灯った。


 紅の側に行くと、床に散らばった蝋燭ろうそくを、必死に拾っている紅の姿が、明るみに出る。罰が悪そうに、紅は、はにんだ。


「大丈夫かい。」


 明継がうと、紅は小さくウナズいた。

 ランプと蝋燭の火で、部屋が明るくなる。


「書斎で食べましょう。」


 紅は、冷えた飯を盆に乗せて運ぶ。



 従者ジュウシャから預かった文を広げ、内容に目を通した。盗み見るように、明継の側から紅が覗き込む。


 文の内容は以下の通りである。


 挨拶事アイサツゴトの長い文があり、一枚目は先程の内容。


 二枚目は

 本日、正式に通達があり、佐波さわ次代皇じだいおうになるべく、成人セイジンが行なわれるとの事。


 日時は二週間後。


 正式に儀式が終り次第、礼を申し上げたいと端正タンセイで、優雅な文字が墨で書かれてある。


 追伸として、前の件は、惜しく思っているとだけ書かれてあった。


 遠回しな言い方に翻弄ホンロウされながら、要約すると其うなる。


「すまないが……。どう思う。」


 王室の事は正確には知らない明継は、紅に答えを求めると、彼は云い辛そうに話し始めた。


「十五歳になると大人の仲間として、儀式を行なうのです。行事の内容は、王族の一部しか知りませんから、私も分からないですが、佐波さわ様の場合、おうを継ぐ者として祖先に報告をすると聞いています。」


「要するに、王位継承の内定を受ける様な物か……。あれ。十五歳って、云ったよね……。確か、佐波様は紅と同じ十四歳だったよね。」


「はい。同い年です。確かに可笑しいですね。十五歳が成人の儀です。」


 此の時代の日本人には誕生日の概念がなく、元旦を迎えた時に、一斉に歳を取ると云う物だった。

 うなると、現在十四歳の佐波は、来年の一月になるまでは、成人の儀が行われないはずである。


「其れに、十五歳になるまでは、オオヤケに公表出来ない決まりが……。皇子おうじが産まれた年は国民の間で覚えている者も多いはず。代々続いていた儀式がたがえるのは国民も怒るはずですし……。好皇派国民こうおうはコクミンも黙ってないでしょう……。其の上、儀式まで二週間しかないのも、可笑しいです。今は二月。発表後、直ぐ執り行われるのも、可笑しいです。」


 古くから伝わる行事を、壊してまでも佐波を十四で次代皇じきおうとしようとしている利点がなかった。


 日本の国民性からって、君主大事の意志からは外れるし、伝統を損なうのを一番嫌うはずである。宮廷が其れを進んでやるのは腑に落ちない。


皇院家オウインケが又、何か絡んでいるのかい。」


「いいえ。其れは考えられないです……。例え、計画しても実行は、おうの判断ですし……。其れに、皇が一人で行事を早められるとも、思えません。成人の儀式は、第一後継者を決める重要な役目であり、幼少名を捨てる意味があります。大事な行事を、皇が破る訳にはいきません。」


 佐波の文を、もう一度目を通す。


「でも、此れで佐波様と会えなくなりましたね。」


 事実上、佐波様付き英国人教師に引継ぎが終ったら、明継の立場はどうなるのだろう。

 内向きの仕事をやっておいて正解だったと思った。もう、明継と紅の事実を知る者はいない。


「えぇ……。佐波様と完全に切り離されました。次代皇じだいおうにと決ったのです。うしたら、完全に下々とは隔離されます。一流の者が選ばれ、おうとなるべく英才教育を受けるのです。家臣も宮廷も様変わりします。例え、先生でも今迄イママデのように合わせてもらえないでしょう。」


 完全に、佐波様との繋がりが絶たれた。佐波様が、唯一の理解者であったのに、明継は此れで全てが白紙に戻った気になる。


れで、宮廷に戻る手立ても、無くなりましたね。」


 紅が、明継の目を、真っ直ぐ見て云う。


 茶色の瞳が、炎に映し出されてらぐ。嬉しそうに見えたのは明継だけだっただろうか。


「そんな……。佐波様が皇子おうじになれば、紅の事もみ消してくださいますよ……。」


「佐波様が皇になるには、今皇こんおう御崩御ゴセイギョなさらなければ駄目です。でも、御健在ゴケンザイで、まだ若いです。佐波様が次代皇子じだいおうじを継いでも、今皇が死ぬまでには、私達は老い過ぎますよ……。今皇と、佐波様の力を使っても、三年間の失踪の後に戻るとなると、名文が必要です。皇院家オウインケと、家臣達を納得させるだけの理由が……。」


「では、平穏に、紅が宮廷に戻る事は出来ないのかい。」


「多分……。元から無理だったのです。皇院おういんを抜け出したら戻れない事は、覚悟の上でしたから……。」


「完全に紅が王宮に戻る手立ては、絶たれたと云いたいの。」


「其うです。」


 紅は微笑む。もしかしたら、妖艶ヨウエンと呼んだ方が当てはまるかもしれない。


 薄暗い所為か、余計、不気味に思えた明継。

 紅の感情に、驚きを隠せなかった。


「紅……、冷静だな……。」


「えぇ……。」


 紅は、表情も作らず、書斎から出て、佐波の文を破り捨て、煙管キセルの灰皿に入れ、火を付ける。

 煌煌と製鉄の炎の様な緋色ヒイロが目に焼き付いて離れない。


 薄暗い紅の肌は、近づけば近づくほど鋭敏エイビンな色合いを、醸し出していた。其れを、不安そうに明継が見守っている。

 紅の様子が可笑しいと、始めて感じとった。


 冷め切って、味気ない飯後、明継が台所に行って、食器を片付けて、戻ってきた。


 紅は、顔の血の気を取り戻した。

 他部屋は、依然イゼン、暗い部屋の侭だったが、二人は寄り添っていた。


 不便ではあったが、洋灯を付ける理由にはなかった。

 沈黙は次第に明継の心を、ムシバんで行った。



 第一に問題は、せつと云う自称新聞記者。彼女がどれだけ諜報チョウホウを入手しているか。其して、何が目的か。

 第二に、佐波の成人の儀が早まったのは何故か。

 第三に、光の正体と人影が、誰かである。せつか、紅を狙う誰か、皇院家おういんけの手の内の者かもしれない。


 明継は核心していた。全ては、一本の糸で繋がっていると……。して、誰かが裏で引いていると……。

 しかし、明継が其れを探す手立てはなく。


「先生……。」


 紅の声であった。


「あぁ。どうした。」


 明継の書斎は仕事に使う為、雨戸があり、扉を閉めれば密室になる。光は漏れる事はない。


 明るく、安心して仕事が出来る環境であった。


「先生は、何をお考えですか。」


 身をヒルガエして、書斎の扉に寄り掛かる。


 仕事をする為だけの部屋は、色彩のない、とても味気ない空間だった。

 今は、心を憂鬱キウツにした。


 自分の置かれている立場も気になる明継。

 の侭では、紅を養いながら、匿いきれないと踏んだ。


 だが、紅を宮廷に帰す望みも絶たれた今、相談する相手もいず、一人で頭を抱えていた。


「身分が変わってしまっては、佐波ように、合いに行けなくなる……。」


 悩み続けていると、暗闇クラヤミに飲み込まれそうなので、思いっきり頭を振る。


「色々とね……。三年間もあったのに、何もしていないと思って……。」


「私には、楽しい思い出だけです。先生が食べる食事を作って、帰りを待ってる。花が好きだと云えば、何の花かも解らない花を買ってきたり……。」


 長椅子ナガイスに座りながら、紅に手招きした。

 紅は足早アシバヤに、隣に腰掛けた。


「今なら解りますよ。一番好きなのは木蓮の花です。」


「正解です。私の夢の象徴の花です。」


「紅の夢。」


 紅は微笑んだ。


「はい。私にも夢があるんです。先生と居て、皇院おういんクライを捨ててでも、やりたい事です。」


「聞かせてくれるかい。」


 紅は、真剣な面持ちで、考え込んでいる。寒いのか肌をサスった。


 明継は、達磨ダルマストーブに火を点した。石炭が赤々と火を付ける。


「毛布に、くるまりなさい。」


 紅の肩に防寒用の毛布を掛けた。


 明継が、長椅子に再度、腰掛けると、紅がり寄って来た。毛布の端を引っ張り、明継の背中に掛け様とする。


「先生も寒いでしょう。」


 明継は、紅の腰を抱き締めるように、引き寄せた。毛布の端を背に羽織り、紅にぴたりと寄りう。


「夢とは。」


「先生と一緒に倫敦に行きたいです。」


 腕を紅の肩に回し、髪の毛をでた。


「二人で倫敦ですか。」


「行きたいです。御話オハナシイタダいた列車や、活動写真やら、全ての物が見たいです。」


 夜は深まる。

 明継と紅は自室に帰らなかった。

 二人で話題を決めず、思い立った事を、徒然ツレズレなる侭に話した。

 石炭が会話の途中で、炎にはぜる音と一緒に寄り添っていた。

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