第15話 過去 十三 再会

 次の日の朝。

 

 スクッと立ち上がり、明継あきつぐは、上着を羽織ると、カフスを占める。

 大股オオマタで玄関の方に向かい、大声で紅に「行って参ります。」と述る。


 こうが、鞄を持って、「いってらっしゃい。」と云うと、の侭外に出て行く。

 内側から鍵が閉まる音がして、明継は見送った。



 外気に触れて朝になったのだと実感した。

 通りに人も少なく、仕事へ行く人の足取りは、早かった。


「はぁぁ……。」


 大きく吐く息は、思いのほか白かった。

 冬は冷たい。空は高く澄んでいる。

 明継は歩くが、心の中が軋む音がする。


「紅が居なくなるより、増しましだな……。」


 其の言葉には、偽りがなかった。

 明継は、先日紅の姿が無くなっただけで、あれ程我を忘れるとは予想外だった。

 紅が居なくなって、自分一人になったら……と考えたが、現実とは結び付かない。一番嫌な結論だった。



 大きな溜息を吐く。

 佐波さわ様が前に、『自分はどうしたいのか』と聞かれた時自分の事は考えていない事に気が付いた。


「本当、紅を手放す事は、出来ないのかもしれない……。」


 明継は、強く頬を叩く。


 彼自身のために、何時かは独立する日が来る。

 忘れる為に、歩みを早める明継。



 洋館は、化け物屋敷に見え、罅割ヒビワれた大地は、人間味を失わせる気がした。


「よう。久しぶり。」


 懐かしい声。

 肩に手を当てられて、其方の方を振り向くと、黒髪の男性が立っていた。


「あぁ……。久しぶり……。」


 明継は、顔を見詰めながら、驚いた様子で男に云った。


 男は、照れくさそうに笑い返して来る。

 男の名は、林 修一はやし しゅういち。故郷を同じくする青年であり友人であった。だが、同郷では、大人になれば話をするほど親しくもなく、其れが、此の天都てんとで再開し話し掛けて来たのだ。


「此処で何しているの。」


 修一は、明継を意味深そうに見ている。


「い否……。何でもない……。」


 返答にもならない言葉を、返す明継。


「今は、宮廷で働いているのだろう。凄いね。」


「何で其の様な事、知っている……。」


 イブカしい眼差しと、低い声で威嚇する明継に、修一は受け流す。


「故郷では有名な話だよ。あっ、もしかして、故郷に帰ってない。」


「あぁ……。私はそんなに噂のネタに上がっているのか……。」


「本当だって……。誉れになっている。」


 修一は、幼少期の笑顔の侭であった。

 親しくはなかったがあかる明継の心に落ち着きを感じる。


「どうした。元気がないぞ……。」


 本来、幼少期は親しくても、久しぶりの友人に、気に掛けられるのは、嬉しい物があった。


「否……。何でもないよ……。」


「そうか。何か悩みが、あったら相談してくれよ。」


 平然としている修一に、少しホダサレタ気分になる。久しぶりな優しい言葉に、心の安らぎを得る明継は、故郷を少し思い出していた。


 其れは、自分の幼少期が活動写真のように、怒涛の如く流れる。

 至って不快ではなく、懐かしさが其処にはあった。都会で過去を知っている者を持つ事がどれだけ心強いか、今更ながら|安堵する。


「田舎に帰ろうかな……。」


 自然と出た明継の、他者に向けられた弱音は、自分でも驚くほどに滅入っていた事が伺えた。


 平常心では、其の様な話は、もっての外である。

 今の明継に取っては、修一が唯一の人間である気がしてならない。


「へぇ……。」


 返す言葉を捜すでもなく、修一は頷く。


「或る人を守りながら、生きて行くのって辛いなぁと思ってさ……。」


「へぇ。所帯を持っているんだ。」


 明継は自分の耳を疑った。

 聞き間違いではないと、即座に判断し、吃ってしまう。


「い、い否。違うよ。」


 必死で否定する明継。

 狼狽ロウバイするのが珍しそうに、修一は明継の動作を見詰めた。確かに、故郷では考えられない動揺ぶりであった。


「大丈夫だって……。俺、口堅いし。田舎に近々、帰るから迷惑掛けないし……。」


「否。本当に違うんだって……。」


「でも、恋仲だろ。」


 完全に止まってしまった明継。


「仕方ないなぁ……。今度、ソイツの顔見せろよ。良いな……。と云う訳で、下町の飲み屋にでも行こう。……其うだ、直ぐ行こう。今夜、行こう。」


「だから、違うし。無理だって……。」


 明継はホトホト困り果てて、頭に手を当てた。明継は今までの頭の中の瘍が、取れる気がした。


 昔の知り合いとの出会いが、此処まで心の安らぎを与えるとは思わなかった。どれだけ、休まらない日々を過ごしてたか分かった。


「じゃぁ。遊びに行くのは、もし駄目だったら、ソイツを部屋から出さなければ良い。」


 修一は、田舎っぽさの或る、すきっ歯を見せる。微笑みが零れる明継。


「家には呼べないよ。紅が困る。だったら、飲み屋に行こう。今日だね。解ったよ。」


 明継は上着のかくしから、名刺を取り出して、修一に手渡した。

 物珍しそうに眺めてから、着物の袂に押し込む。


 明継は、懐かしさの或る修一と、話がしたかった。今迄に相談できる相手を渇望していた明継にとって、修一の出現は天からの恵みの様に感じられた。


「仕事終わるの何時頃だ。」


「夕月頃かな。」


「門の真ん前で待っててやる。逃げるなよ。」


 其の後、道端で数分の談義が続き、修一が手を振って去るのを眺めながら、軽い足取り職場に向かった。


 仕事以外に、紅が家に来てから誰かと外出した事がないので、新鮮な心持ちで歩ける。

 瓦斯灯ガストウが、洋風な建物に良く合っている。


 歩みを進めると、珍客が立っていた。

 修一と話していた場所から、数メートルしか離れていない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る