第7話 過去 五 ふたりの時間

 寝具の上に横になっている明継あきつぐに、こうが扉をノックする事なく、勢い良く入って来た。

 何時イツもと違う様子に、明継は寝ぼけ眼を薄っすらと開く。

 昨日、急いで用事をしたが、家に着いたのは、丑三ウシミつ時を大幅に越えてしまい、真っ暗な部屋へ帰って来た。の時間では、クルマが動いているはずもなく徒歩で帰って来て、少し疲れている所為セイもあるが、昼を既に周っている。


「先生……。もう昼ですよ。」


 紅は明継の近くにより、其して、手を引っ張った。状態を持ち上げて壁に寄り掛かると、紅は側に腰を下ろした。


「昨日は遅かったのですか。」


 明継は髪をきながら、紅を見た。どうやら、明継の帰りを待っていたようで、目が少し赤い。


「ええ。少しだけ……。紅は昨日、しっかりと寝ましたか……。」


 カスれた声の明継。紅は心配して顔を歪めた。


「大丈夫です。」


 若さに当てられたように明継は、欠伸する。


「どうしました……。何時イツもなら、紅が私の寝ている時に、寝室に入って来る事はないですよね。」


 明継の寝室は、西洋の調度品が沢山ある。

 紅の部屋は日本製の畳やらがある。皇院おういんの別邸でも、日本式であったタメ、明継と同居し始めた時に、ベッドで寝る事を極端に嫌がり、直ぐに畳職人を呼び寄せた次第だ。

 煉瓦造りレンガヅクリの建物に日本式の家が紅の部屋に出来たのである。


 起きたばかりの所為か、血の気のない顔で笑う明継。クスクスと上品に笑う紅。


「どうしたのですか。先生。」


「否。西洋化しようとする日本の中で、紅はナイフとホークを宮廷では使っていたのに、此方コチラに来てから極端に嫌がったなと思って……。」


 又、昔の事を言い始めたと思って、紅は恨めしそうにした。紅はもう子供ではないと、言い訳をする。


「宮廷では仕方なく使っていました。外交で英国大使との食事も考えられていましたし……。先生が居る場合は、西洋式で練習するよう命ぜられていたのですよ。」


「確かに、打って付けの練習相手ですよね。私は……。」


 余計、笑う明継に、紅は膨れっ面を赤らめた。

 此の頃、明継は紅との思い出を良く思い出していた。今までの事を懐かしんでいるのか、ふんぎりを付けようとしているのかは、本人にも分からなかった。


「私は、日本の文化が好きです。今まで以上にれが分かりました。でも、其れだけでは駄目ですよね。」


何故ナゼです。」


「好きだけでは、分からなくなるのです。他国の文化に触れると、分からなくなるのです。」


 明継は返答なく、紅の頭を撫でた。だが、子供扱いをされていると、紅は彼の手を払い除けた。

 子供でもなく、大人でもない発育途中の紅の表情は、明継を驚かせた。何時の間にかこんなに大きくなったのだろう。自分が見ていない内に……。と少し寂しくなった。


「そうですか……。では、の話をする為に私を起したのですね。」


 明継が決め付けると、紅は必死になって其れを表情だけで否定した。有らぬ誤解を受けている時の紅は、小動物のような動きでとても愛らしかった。


「違います。違います。鍵の話についてですよ。」


 ブルブルと顔を左右に振った。可愛らしいと思い見詰めてしまう明継。


「先生は、何の意図があって此れを渡したのですか。」


 手の平には、昨日渡された黒い鍵を明継の顔の前に出した。真剣な紅の眼差しで、明継の表情が引き締まった。笑ってする会話ではないと判断したからだ。


「昨日の言葉の通りです。」


「しかし……。先生は……。」


「良いですか、此の三年間君は外に出た事がないのですよ。君ぐらいの年齢なら外で遊びたいでしょう。」


「私はもう子供ではありません。」


 紅が息咳き入って、言葉を強めた。しかし、明継の反応は、子供の戯れ言ザレゴトとしか受け止めなかった。


「同級生と一緒に学ぶ事も多い。私以外とはロクに話もしていないでしょう。其れでは、世界が狭まってしまいます。」


「確かに、先生と過した三年間は誰とも接触していませんが、宮廷に居る時だって隔離されていた様なもの。オオヤケに公表されていない子供達は大勢いて、第一皇院だいいちおういんになれる可能性のある子供達は大切に扱われましたけど、私みたいな者は爪弾き者で誰も相手にはしてくれませんでした。」


 昔のウミシボり出すように、紅は呶鳴ドナった。其れでも、細々しい声である。

 年齢から云っても紅が一番皇院になれる可能性が高いのでは……と疑問は浮んだが、紅を興奮させたくなくて、押し黙った。


「すまない。変な事を思い出させて……。」


 今何を云っても火に油だと思い、明継は素直に頭を下げた。年上の先生が、自分に謝罪を入れていると紅は分かり、慌てて止めさせようとした。


「先生……。やめてください。」


 紅の冷静さを戻させようと行動したので、直ぐに起き上がった。


「紅……。君を追い出そうとして、鍵を預けたのではないよ。外に慣れさせるためだからね。」


 半分は納得していない顔で紅は、頷いた。


「私は今の生活が一番良いと思います。今の生活を壊したくありません。」


 紅の言葉の裏には、慣れる必要はないとある。

 其れでも、明継は紅を元の生活に戻してやりたくて、半ば強引に理由を付けた。


木蓮もくれんの花を見に行きましょう。今週を逃がすと散ってしまいますよ。」


 理解が出来ず、瞬きをする紅。


「人にばれないように変装して……。其れなら、一緒に紅も行くでしょう。」


 今の生活を壊す気はないと云う所を、強調した。

 もしも、紅が外の世界に興味を持てば、自然と自立心が付いて来るだろうと明継は考えていたのだ。


「木蓮ですか。」


 大きく明継は頷いた。其の頃には大分眠気も醒め、着替えをしようと伸びをする。

 衣服を脱ぎ放ち、何時もの洋服に袖を通す。髪も串を入れ、男前が出来上がる。紅は其れを横目で見ながら、まだ暖かい寝間着を畳んで角に置いた。





 無言で明継の後ろを付いて来る紅。首を動かさず、目線だけが左右に揺れている。


「先生。本当に大丈夫なのでしょうか。」


 今更イマサラながら不安がる紅に、明継が肩を押した。コートを着た明継は、平然と街を歩いている。人の流れがないタメか楽に歩いている。

 しかし、背の高い美情夫ビジョウフが歩いているだけでも人目に付く。其れも着物を身に付けているならまだしも、紅、共にまだ一般に珍しい洋服を纏っている。


「大丈夫……。ビクビクしている方が余計、怪しまれるよ。」


 明継は度胸が座っているのか動じない。だが、変に気を取られている所為か、歩きはギコチナイ。

 三年ぶりに太陽の下に出た紅は、表情も堅く、皮膚は月光石のように艶めかしい。


 外出を拒んで同じ会話を何度も繰り返して、攻防戦を繰り広げたが、紅は先生と一緒なら……と納得し、今に至っている。


 事実は、自分が駄々ダダねて明継に白い目で見られるのが嫌だったのだ。


 紅は、明継が自分を捨てると怖がっていた。


 其れでも、紅は最終的に明継の言葉に従った。明継は、自分のタメを思って鍵を預けたのだと……、決して追い出す為ではないと考え様と努力していた。

 其の裏の、明継の考えている紅の独立を気付きながら考えないようにしている。


 少し歩くと、広めの公園に出た。鬱蒼と茂る木々は、明継の家からは見る事が出来ない。

 日は高く、池も所為セイか心地よい風が吹く。


「こんなに、外は気持良かったのですね……。」


 紅は呟く。明継は頷く。


「先生。木蓮の木は何処ドコですか。」


「池の辺ぐらいかな…。」


 明継の指先が、遠くの方を指す。拓けている。樹木が景色を作り出している。

 舗装されていない散歩道を二人で歩く。日差しは優しく、春を告げていた。


「此の全体が桜の木なのだよ。木蓮が咲き終った頃には、桜が咲くね。」


 枯れ果てているかに見えて、桜は蕾を付けていた。


「此の木全てがですか。スゴいですね。では、桜が咲いた頃にもう一度参りましょう。」


 辺りを見回しながら紅が感心すると、目の前に木蓮の白い花が見え始めた。紅はタマらず、走り寄る。


 色の薄い空で白い花が、心に残る。せ返る香りもホノかに香る。


「わぁ。綺麗ですね。こんなに匂いがするなんて……。」


 植物辞典などで知識はあっても、まじかに見るのは、初めての紅には一つ一つが新鮮だった。

 近所の木蓮が咲いたと、一輪一輪明継に報告していた紅にとって、鮮やかな白は印象に濃い。


「近くで見ると、やはり綺麗ですね。」


 何度も何度も繰り返す言葉。花に夢中になり、身を隠しているとは忘れている紅。


 平日ユエに人通りも少なく、木蓮に足を止めて見る日本人はいなかった。其れが余計、無邪気な紅の愛くるしい姿を強めた。


「気に入りましたか。」


 言葉は届いているのか、否か。でも、紅の表情も明るく、答えは言葉に発しなくても、決まっていた。

 家に閉じコモりっきりの紅の新しい出発は出来た。少なからず、明継にはそう感じられた。


 れで紅の自信と社会への興味は身に付き、遅い青春は向かえられると安心した。幼少期を自分が食い潰してしまった事に、自責の念がある。

 明継には、ウレしい光景だった。


「先生、先生。木蓮の花は今が一番サカりらしいです。」


 花の下で手を振っている紅。

 木製のベンチに腰を掛けてから、手を振った明継。


 池の辺は色々な樹木が植えられていた。植林である。其れ故に手入れされているので、風景は美しく、日光を乱反射した。水辺が言葉をむほど美しい。



 明継は昔の事を思い出す。

 紅はまだ十歳になり立ての頃、明継は其の容貌の美しさに、恐ろしくなった事を記憶している。今では普通の子供であるが、アヤしさは憂いの時現れた。


「先生、先生。」


 嬉しそうな姿は、何処ドコにでもいる十四の少年だった。


 佐波さわとの会話で、明継は自分の意志の弱さに気付いた。其して、今でも此の生活を壊したくないと思っている自分がいる。

 其の反面、紅を開放して上げたいと思っている気持もある。

 紅は、明継の側にいたいと云う。まだ迷っている自分がいる。


「でも、其れは紅が決める事だから……。私は多くの選択肢を紅に教えてあげよう。佐波さわ様も悪いようにはしないとおっしゃったし……。」


 独り言を呟く。淡水の香りが頬に伝う。

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