第6話 過去 四 謁見

 明継あきつぐは宮廷に人力車を走らせた。

 木製の車輪から、ゴム製のれになってから振動や騒音が大幅に削減され、心地よい走りになって、文明が開けて来た事を余計に実感した。


 町中を走らせるにつれ電線の入り乱れている様を、目の当たりにするとやはり西洋被セイヨウカブれした日本人の姿が目に浮かんだ。


 今の日本は流されるだけで中身がないと明継は思った。電線が明継の考えている思想の象徴でもあった。其して、今の組織体系も……。


 クルマに揺られながら明継は宮廷の中庭に奥付けしてもらった。

 玄関から入るのではなく中庭なら俥を走らせて参内しても人目に付く事はない。

 小銭を俥の主に握らせると、言葉なく走り去って行った。


 中庭とっても視界は悪く、紅と良く此処ココ日向ヒナタで横になったりした記憶がある。

 其の上、皇院おういんであるこうの寝床の別邸、直ぐ近くにある。

 地理的にも小ぢんまりとしていて、人の気配が全くない。二人は此処を良く好んだ。


 中庭と目と鼻の先に鴨の狩猟場所があり、だだっ広い野と、木々、池を作っている。

 莫大な財産を必要とする為、上流階級の娯楽として、扱われている。其の上、鴨を呼び寄せるタメ静寂さを保たねばならない。故に静かにならざるを得なく、人通りも疎らである。


 其処ソコを抜けると、皇の子孫の寝殿があり、個室の様な感じになっている。其の上、雨除けの廊下が辺りに張り巡らされていて、一種の迷路にも間違えるほどである。


 昔は良く道に迷ったが、今では慣れて明継は何処ドコに自分が位置しているのか理解出来た。

 

 一つの建物の前に立った。


「お呼びで……。」


 言葉少なに、明継が戸を開けた。

 蝋燭ロウソクの灯かりで薄ぼやけている部屋の中に、少年は座っていた。



「皇の第一御子息、佐波さわ様の命であるなら……。」


 明継は謙って申し上げた。

 皇の子孫は成人してから、正式な名前を受けるので、佐波さわは幼児期の名前である。


「皮肉は良い。伊藤殿に聞きたい事がある。」


 正式な面会であるなら、顔を隠して対応するが、明継の場合は私用が多いので、其れがない。


 佐波はどんな時も人相が分かる様な近距離には、席を共にしなかった。故に、明継ですら佐波の顔を良く知らない。


 佐波は御年十四になられる。紅と同じ年齢である。庶民的には十八で成人なのが、宮廷では十五歳になるまで成人として認められず、子供として扱われる。

 正式な表舞台に立たれるのは十五歳になってからで、其れまでは顔や年齢は国民に一切知らされずにいる。


 神秘的な効果を高めるタメと防犯状そうなるらしい。


 佐波が産まれた日は、朝早くから祝砲が鳴り響き、町中で祝いの席が持たれたらしい。町中がお祭り騒ぎで、大変だったらしい。


 の佐波が、成人に近い年齢になるにつれ、其の美貌は日に日に勝ると、顔を見た家臣は口を揃えた。


 明継は一度も見た事がない佐波のおぼろげな輪郭を見た。

 小さな佐波の口が動く。


紅隆御時宮こうりゅうおんときのみやに関する事だ……。」


 明継は顔を強張らせた。全身が巌のように微動打にしない。


「心配するな。私はお前等の事は、誰にもシャベってはいない。」


 佐波の言葉が余計明継を強張らせた。


「今更ながら、紅に……。何か御用ですか……。」


 喉を潰して明継が云う。

 次の言葉次第では、喧嘩伍ケンカゴしになりそうな怪しさがあった。


「顔を見たいとまではいかん。写真などはないのか。久しぶりに顔が見たいのだ。紅も十四になるであろう。風貌も様変サマガわりしたのではないのか。」


 頷くに頷けず、明継が返答に困っていると、佐波は続けた。


「紅が皇院を捨ててから、三年は経つであろう。先刻までは騒ぎが大きかったが、今では諦めに近い。今頃は一心地ヒトゴコチと思うと、懐かしくなって顔が見たくなった。」


 明継は、佐波の見えない表情をノゾイた。

 高い身分にいる紅を連れて行ったのは、三年前。もっと自由に周りが見えるように、宮廷から人知れず連れ出したのである。

 紅が望んだとえ、誘拐罪で追われる身になってしまった明継。


 紅の失踪は役職や軍人の噂の的になり、神隠しだのと一気に広まった。


 完全な報道管制の遮断により、宮廷以外では、其の話は漏れなかったようで、噂をする者は大変な処罰を受けさせられた。の上、皇院については、余り宮廷内でも知る者は少なく、下女は知識の貧しさから蚊帳の外であった。


 時間と共に、紅の名前は聞かれなくなる。

 日夜、脂汗をいていた明継。急に辞職したら余計怪しまれると思い出務を続けていた。だが、心配を余所に時折、紅の話を臣下に聞かれたぐらいであった。


 実情は下記の通りである。


 次期皇も皇院の紅も宮廷内では、顔を識別出来る者は少なく十三歳の内向きな披露をする事により、人相を覚えるらしい。庶民は十五歳の公式な御披露目オヒロメで、次期皇を知るのである。


 防犯場の問題もあるがどうやらそうう風趣の為、代々続いてきた事なので表向きは紅達も同じ事をしているらしい。


「気を付けられよ。未だに捜査は続いているらしいぞ。」


 佐波は、唯一紅を明継が連れ出したのを知っていた。

 紅が事前に、明継の家に失踪すると告げていたタメか皇に対する忠義心かどちらにせよ、紅が失踪してから明継が呼ばれ紅宛ての手紙を渡された。

 其れからは、紅と佐波の手紙の遣り取りが伺えた。だが佐波は誰かに話すでもなく、二人を見守っていたのである。



 明継が云いづらそうに口を開いた。


「申し上げにくいのですが、私は紅を元の生活の戻してやりたいと思っているのです。」


 明継は慎重に言葉を選んだ。

 ずっと考えていたが、其れが一番紅に取って良い事ではないのか……と明継は考えていた。だが、佐波の表情からって、驚きでしかなかった。


「何を云う。紅は犬猫ではない。可愛いからと云って連れて帰り、要らなくなったからと云って捨てて良いはずはない。」


 押し潰した声で呶鳴り付けた。

 佐波の大きな瞳が、闇の中で明継を睨んでいる。

 の目は憎しみが溢れていた。佐波は、明継が玩具に飽きて撃ち捨て様としていると感じている。


「誰も捨てるなどとは……。」


 明継は結果的に其のように捉えられるとは思っていたが、言葉に出されると流石に傷付いた。

 佐波は睨みを利かせたママ、明継の次言葉の判断を待った。


「三年間の生活でこうは私の家から一歩も外に出ていません。視野を広げる意味で連れて帰りました。これでは自由でない。日夜、人の視線を気にし気付かれないようにしています。宮廷での生活と同じ……れ以下です。」



 紅が明継の部屋で窓際に立ちはするが、露台ろだいに出た事は今まで一回もない。

 もし、人の目に留まれば噂が管下の者の耳に入るかもしれない。

 明継との生活を守るタメ紅は身を潜めながら、生きてきた。其れが余計明継の紅に対する不憫さを募らせた。


「紅の為か……。なら気持ちは分かるが……。紅本人の考えはないのか。」


「確認は取っていません。しかし、薄々は感づいている様です。」


 其して、言葉を詰らせた。

 微妙な沈黙。

 明継は決意の表れに似た目付きだった。


 佐波は溜息を吐く。

 明継がママではいけないと、苦肉の策であるのだろうと考えた。


「其れなら、紅を三年前に連れ出さなければ良かったのでは……。聞かなかった事にしてくれ……。」


 佐波は無駄な事を話したと撃ち捨てた。

 過去の事は無駄でしかない。其の上、二人の事情を知りながら、黙っていた佐波にも負い目があった。


「もし、紅を宮廷に戻すなら伊藤殿が罪をおう。」


「其れは仕方のない事……。自分の我侭ワガママの為に紅をこれ以上、部屋の中だけに住まわせるのは可哀想です。」


 突然の言葉に驚きを隠せない様子の佐波に、追い討ちを掛ける。


「今まで考えていた事です……。しかし誰に相談出来る問題でもなく一人で悩んでいただけで……。」


 一人で追い詰められて、熟考した案なので、極端な事しか考え付かないと佐波は分析した。しかし、言葉にせず、佐波は無言で聞いていた。


「私は明け方、人目に付かないように、紅を自分の家へ連れ出してしまった……。己の身が可愛かった故に、今まで、紅を部屋に監禁していた様なもの……。罰せられても、文句は云えない。其れでも、彼のこれからの将来を考えると……。」


 又、言葉を詰らせた。決意は揺れている。


 (三年前に戻れるなら戻りたい)と心中で思った。

 そうすれば、紅を連れ出さず、倫敦ろんどんに帰って、二人とも違った場所で幸せに暮せたかもしれない。だが、今は後の祭りでしかない。

 明継自身紅の未来を奪い、皇院と云う明るい地位も捨てさせてしまった。


 もしも、紅が宮廷に帰れたとしても、下々と生活した差別と偏見の中、窮屈な生活を強いられるかもしれない。良くて、幼い時誘拐されてヒナびていると同情されるであろう。

 どっちにしろ、佐波にも近づけず落第のレッテルを貼られるだろう。でも自由を奪うよりはましだと明継は考えている。


「お願いです。佐波様。どうか紅を……。戻ってこられたなら、貴方様アナタサマだけが便りです。」


 明継は悲痛に叫んだ。


ヨシミナイガシろにする気はないが…。私だけの力で守り切れるかは、分からない。」


 血筋の面からも、第一子である佐波さわが皇になるのは確定済みだ。現在、位に就いている佐波の父が紅を皇院の血族から外せば宮廷にも居られず、天都てんとから追い出される。


「紅の事は考えておくが戻って来てからは、伊藤殿について守り切れない……。其処ソコは心得ておけ。」


 佐波は語尾を強調した。


 明継は首を縦に振った。其して肩の荷が下りたように安堵の表情になった。

 元から明継は紅の身を心配しているのであって、自分の事はどうでも良いと考えていた。


「佐波様。」


 後ろの方で声がする。

 扉の向こうで待女が今し方現れたらしく声を掛けて来た。


「其れでは……。」


 明継は頭を垂れると下がる。

 障子を開けると中廊下に出た。扉を引くと驚いた顔の下女が現れた。


 緊急に呼び出された明継は異例の客人だった。

 

 下女は呆然としてしまい、ドアの前に仁王立ちになったママだった。其して、明継が女に目配せすると慌てて横に寄る。横目で見ながら、明継は歩みを進めた。次の用事を済ませるタメに急いだ。


 紅に今日は遅くなると伝えたが、深夜を過ぎれば帰路に付けるのだ。だが、紅に云ったのならどんなに遅くても寝ずに待っている。少し前に実際にそんな事があった。


 以上に、明継が工作して二人だけの生活が終りに近づけ様としている。少しでも長く紅の側にいようと思っていたのだ。気持としては今のママが理想だが、自分本意な状態で紅を苦しめるのは嫌だった。


 夕方を過ぎてから、下働きの者や貴族は帰宅に着いている。使われていない廊下には、電燈デントウすら付いていない。殺風景な洋館にはだだっ広い分、異様さが漂った。

 

 臆する事なく明継は背筋をシャンとして前を見据えて歩いた。

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