チュッ♡と治癒する異世界冒険譚! パーティ追放されたらメガネっ子優等生なヒーラーと旅立つことになったんだけど、この人誰?

冬寂ましろ

* * * * * *

 何を言われたのか、とっさにはわからなかった。キスミの司祭らしい低く通る声が、私の耳に突き刺さる。


 「もう一度言う。アスリー・クローデシア。お前をこのパーティから追放する」


 すがるように宿屋の一室に集まったみんなを見渡す。黒魔導士のアゼリア姉さんは私から目をそらした。チビのムムカはつまらなさそうに手を頭の後ろに組んだ。そして、ベットの端に腰かけた白魔導士の彼女も……。私はたまらず声を上げた。


 「どういうことだよ! フィオルナ!」


 何か言いかけた彼女を制して、キスミが声を上げる。


 「アスリー。お前は女のくせに、でかくて、がさつで、ぼさぼさ髪で、大飯喰らいの大酒飲みで……」

 「おい! しょうがないだろ。そういう性分なんだし。それでもパーティの盾役は、ちゃんとやってるじゃないか」

 「確かに良くはやっている」

 「なら……」

 「フィオルナ様は身分をお隠しになっているが、世界に冠たる魔導国家、ネイザード王国の姫君だ。お前のような魔法も使えぬ粗野な者が、フィオルナ様のそばにいてはいけないのだ」

 「は? はああ? 何言って……」


 私はフィオルナのほうへ振り向き、あわてて訴える。


 「なあ、フィオルナ。なんか言ってくれよ。ガキの頃からいっしょに遊んだ仲だろ? なんで、こんな……」


 ゆるく波打つ金髪をはらりと揺らし、フィオルナは私へ諭すように話しかけた。


 「私達は逃げ出した勇者を探す旅に出ています。アスリー、それはわかりますね?」

 「ああ、わかっているさ。じゃなきゃ、こんな大陸の端まで来ないよ」

 「他国も同じく勇者の行方を捜しています。後れを取ってはなりません。勇者と会い、説得し、その行いを私達が支えるべきなのです」

 「そりゃ、そうだけどよ……」


 それが名誉であることもわかっているし、絶対的な地位になることもわかっている。


 「これから船でアルシュラムへ向かいますが、私はその地で正体を明かすつもりです」

 「そんなことしたら他国の刺客に狙われるだろ! 魔族だって……」

 「かまいません。そのほうが勇者に振り向いてもらえます」


 フィオルナは静かに微笑む。でも、目には強い光を宿していた。

 キスミが咳払いすると私に事実を伝えた。


 「お前は魔法も使えぬ使用人の娘でしかないのだ。姫様の隣にいることなど……」

 「そんなこと言ったらアゼリア姉さんはどうなんだよ!」

 「あれでも古い伯爵家の娘だ」

 「ちょっとキスミ。あれって何よ」


 つっかかるアゼリア姉さんを私は遮って声を荒げる。


 「なら、ムムカはどうなんだよ! こんなチビ……」

 「チビでも俺は、月皇教会が認定した勇者見習いなんだぜ」


 こいつ……。鼻で笑いやがって。頬をつねってやろうとしたら、ムムカがその手をつかんだ。


 「あきらめたほうがいいんだよ、アスリーの姉ちゃん」

 「なんでだよ」

 「だって、ずっと健気にお姫さんを守ってたじゃないか。危険にさらしたら助けちゃうだろ?」

 「当たり前だ。守るのは当然……」

 「それじゃまずいんだよ。お姫さんは自分から餌になるって言ってんだから」


 私の腕から力が抜ける。床を見つめたまま、私は言葉を吐き出す。


 「なあ、フィオルナ。それでいいのかよ? がさつなのは直すよ。もっと剣の修行もする。なんでもする。だから……」


 キスミが少し重たい革袋を私に差し出した。


 「餞別だ。ネイザード王国へ帰るにはじゅうぶんだろう」


 私は別れを告げられた恋人へしがみつくように、フィオルナにたずねた。


 「本当に、これでいいのか?」

 「ここでお別れです。アスリー・クローデシア」


◇◆◇


 港町の酒場というものはいつも荒れている。荷運びで鍛えた腕っぷしの強い奴らが、夜の酒場で強い酒をあおる。何も起きないはずがない。

 「なんだとこら」と男同士で剣呑に怒鳴りあったり、何かが割れる音が酒場に響きあう。私はそんな騒々しい一角で、火酒を何杯もあおって腐っていた。


 そりゃ酒飲んでいびきかいて寝てるときもあったさ。でも、オーガに襲われたときは、ちゃんと助けたじゃないか。フィオルナだって……。


 「ああ、もう! クソがっ!」


 手にしたカップを床に叩きつけようと振り上げたときだった。酒場の入口で男に囲まれている女が目に入った。


 「なあ、姉ちゃん。ひとりなんだろ? 酒でもいっしょに飲もうや」

 「ええと。どうしたらいいんでしょうか?」


 どうするもなにも、早く逃げろよ……。

 その女は長い黒髪を大きな三つ編みに束ねて、丸いメガネをかけていた。濃青色の仕立てのいい服を着ている。まるで学校にいた優等生のお嬢さんじゃないか。

 つまり、場違いだ。


 「どうしたらって……。なら、股をおっぴろげて踊ってくれよ」


 男たちが発情したトロールみたいな下卑た笑い声をあげる。

 もう。こっちはひとり静かに、感傷に浸りたいのに。

 私はよっこいせと立ち上がる。止せばいいのに優等生は、まだ男たちと話している。


 「それはかなり恥ずかしいと思うのですが……」

 「俺達はな、そんな恥ずかしい姿を見たいんだよ。だいぶご無沙汰なんだ」

 「何がご無沙汰なんです?」

 「そりゃ……」


 卑猥なことを言いかけた男の頭を、私はわしっとつかむ。


 「わりい。そいつ、私の妹なんだ」


 男が振り返ろうとしたが、私は力を込めてそれを許さない。


 「なんだてめえ! 手え離せ! ぶっ殺すぞ!」

 「ああ、悪かった」


 手を緩める。振り返って私を見た男が、呆けたように言う。


 「でけえ……」


 うるさいな。これでも気にしてんだぞ。

 私は声をわざと低くして凄ませる。


 「妹のとんちきを姉が謝っているんだ。わかるだろ?」


 男たちがあいまいな表情を浮かべてお互いを見ると、ぶつくさ言いながら店から出ていった。

 残された女と目が合う。彼女はうれしそうに私へお礼を言った。


 「ありがとうございます。ちょっとびっくりしちゃいました」

 「なんで、こんなとこ来たんだよ?」

 「それは……。かわいい人に会いたくて、ですね」

 「嘘つけ。なら娼館に行けよ。ここにはむさい男ばっかりだ」

 「では……。あれが食べたかったから……かな」


 彼女が指差した店の奥では、鉄の網に挟まれた魚たちがじゅうじゅうと炭火に焼かれていた。


◇◆◇


 出来立ての料理がたくさん並んだテーブルの向こうで、彼女は焼けた魚をうれしそうにほおばっていた。


 「んーっ! これはすごいですね。皮がパリっとして、噛んだらじゅわっとします! 口から幸せがあふれそうです!」

 「気に入ったようで良かった。他の奴らは嫌がるけど、私はこれと酒があれば生きていけるぐらいで……」

 「ふふん。さっきまでいじけてた顔がかわいくなりましたね」

 「なんだいそりゃ」


 さっきから、この女は……。どうにも調子が狂う。何かを見透かされているような……。

 火酒を口にしながら、私はたずねた。


 「あんた名前は?」

 「ネルラって言います。こう見えても治癒士なんです」

 「なら、お仲間はどうした? ぶっ壊れた奴をポーション代わりに治癒するのが、お前ら治癒士の仕事だろ?」

 「えへへ。ひとりで来ちゃいました」

 「こんな大陸の端っこにか?」

 「そうなんです。大冒険でした。トリフィドがうねうねをたくさん向けてきたときは死ぬかと思いましたし、ゴブリンの集落を横切らないといけないときなんて……」


 わくわくと語るのを止めて、彼女はぽつりと言う。


 「顔、元に戻りましたね」

 「……わりいな。こっちもひとりになっちまってさ」

 「もしかしてパーティから追い出された、とか?」

 「そんなとこ」

 「そうでしたか……。んー。それなら……」


 まるで優等生の友達が答えを教えてくれるように、ネルラは言った。


 「考えるしかない、かな」


 考える? 何を……。何を言ってんだ?


 「追い出された理由ならわかってんだ。他の奴らと身分が違うって言われたんだよ」

 「おかしいです。もうパーティが作られたときから、それはわかっていたことですよね?」

 「そりゃそうだけど……」

 「他には?」

 「私が餌として志願したメンバーを助けてしまうのが良くないって……」

 「それもおかしいです。あなたはまだパーティに必要なはずです。何しろ、ここでお別れする理由が見つからない」

 「じゃ、なんだよ」

 「考えてみてください。長い間いっしょにいた仲間たちから別れたいと言われたんです。きっと何か事情があるはずです」

 「どうだろうな。案外、嫌われただけかもしれないし……」


 手にしていたカップを見つめる。強い酒が薄暗いランプを映して揺れていた。


 「たとえば何か大きなことを解決するために、アスリーに頼れず自分でなんとかするしかないな、って思われていたらどうです?」

 「水臭いことを言うな、助けさせろと、私は言うよ」

 「そうですよね。アスリーはいつもそう言うんです。だから助けてって言えなくて、離れるしかなくて……」


 ん? あれ。私の名前。こいつに教えたっけか?


 「なあ。どっかで会ったか?」


 ネルラの微笑みに影が宿る。


 「さあて。どうでしょうね……」


◇◆◇


 この女は……。酒を飲んだら寝るタイプの酔っ払いだったのか。

 こういう酒場の上は夜のお姉さん達の仕事場になっている。酒場の主人に金貨を投げたときのニヤニヤ顔は腹立たしかったが、このまま放置するわけにもいかず、ひとまず部屋を借りて泊まることにした。

 私はむにゃむにゃ言うネルラをかついで小さな部屋へ入った。そのまま部屋の真ん中にある白いベッドへ彼女を放り投げる。


 「ふぎゃ!」


 尻尾を踏まれた猫のような声を出した本人に、あまりそう思わずに謝る。


 「ごめんな。起こしたか」


 ネルラがパンパンと布団を叩く。


 「いっしょのベッドで寝たらいいと思います」

 「はあ? 狭いだろ」

 「ははーん。さては襲われるとでも思ってます?」

 「バカ言え。お前なんかひとひねりで……」

 「違う意味で、ですが」

 「……何言ってんだ、お前」

 「ふふっ。アスリーったら顔が真っ赤です。安心して大丈夫ですよ。私には魅了も何も、魔法は使えないですし。たったひとつをのぞいて、ですが」

 「なんだよ、それは」

 「治癒魔法」

 「ああ、そういうことか。自分で自分を治癒をしながら、ここまでやってきたのか」

 「それが、その……。私の魔法は自分を対象にできなくて」

 「どういうことだよ」

 「キス、するんです」

 「はあぁ?」


 私の驚きを無視するように、彼女は天井を見つめながら話し出す。


 「キスした相手に神の祝福を授ける、という魔法なんです。あらゆる怪我を治癒し、身体能力の向上もさせるらしくて」

 「試したのか?」

 「子供のころにひとりだけ。それ以来、この魔法は使っていません」

 「かわいそうな奴め。純潔を守っているつもりかよ」

 「ふふん。そう言うなら、やってみます?」


 私はベッドに体を投げ出した。ぼふんとベットがたわむ。


 「何にもしなくていい」


 それを聞くと、ネルラは小さく体を丸めた。


 「アスリーならそう言うと思ってました」


◇◆◇


 私とネルラは港の朝市に来ていた。私はネイザード王国に戻るしかなかったから旅支度を整えたかったし、ネルラのほうも装備を揃えたいと言っていた。それなら朝市に行くのがいちばんだ。

 潮風に人々の喧騒がそよいでいる。物売りの露店を見ながら、私は隣にいるネルラに声をかけた。


 「なあ、心配だから、途中まで……って、おい」

 「串焼き! 魚と……これは貝かな。口の中がじゅんとしちゃいますね」

 「食うか?」

 「いいんですか? やっぱりアスリーはやさしいな」


 なんだよ、そりゃ。私は照れ隠しに串焼きを10本まとめておばちゃんから買う。革袋から金貨を一枚取り出して渡すと、びっくりしたおばちゃんが何か言い出した。面倒になって釣り銭はいらないことを告げてやった。


 「アスリーは、おおざっぱすぎませんか? 金貨一枚で店ごと買えますよ?」

 「いいんだよ。あぶく銭なんだし。ほれ、一本食え」

 「はむっ」

 「おい、自分の手で串を持てよ」

 「んんーっ。香ばしいです。昨日のもおいしかったですが、こうして歩きながら食べるのもいいですね」


 そういや、ここの店先を抜けると海が見れたはずだよな……。


 「あっちで海を見ながら食うか?」

 「いいんですか? なんかそれって幸せですね」


 ふふ。ずいぶん安い幸せだな……。

 私達は人々の流れから外れて、狭い路地裏に入る。おだやかな潮の香に包まれると、道の先に青い輝きが見えてきた。


 あ……、あれ?

 手にしていた串焼きが道に転がっていく。もったいない……。そう思いながら私は倒れ込んだ。

 ネルラの声が聞こえた。聞こえてはいるけれど、はっきりとわからない。

 まあ、いいか。私も少し幸せになれたし……。

 暗闇に飲み込まれるように意識が遠のいていく。


 ふと気がつくと、カップが唇に押し当てられていた。カップを傾けられるので、私は仕方なく口を開く。冷たい水が口の中を満たしていく。

 私は軒先の壁に背中をつけて座らされていた。ああ、そうか。この体をネルラが引きずってきたのだろう。重かっただろうな……。


 「全部飲んでください。よくなりますから」


 耳元ではっきりとそう聞こえた。言われるままにそうした。

 ごくりと飲むたびに、視界も感覚も少しずつはっきりしてきた。

 

 「ネルラ……何が……いったい……」

 「呪いです。たぶんこれかな」


 ネルラが私の胸元から革袋を取り出す。中にある金貨を一枚取ると、彼女はそれを光にかざして調べ始めた。


 「ああ、やっぱり。手が込んでますね。金貨に呪いを付与するなんて」

 「なに……? どういうこと……」

 「金貨を使うと少しずつ具合が悪くなるんです。これ全部使ったら、アスリーは死んでました」


 死……? なんで……。

 不思議な顔をしたままの私に、彼女はいたずらっ子のように微笑んだ。


 「さあて。犯人は誰でしょう?」


 私は気合で体を起こす。立膝をつきながら声を漏らす。


 「姫は私の幼馴染なんだぞ……」

 「考えましょうよ、アスリー。考えるべきなんです」


 考える? どうして姫が私を殺すんだ。そんなの……。


 「考えたくもない」

 「それでも考えるべきです。どうしてこうなったのか」

 「嫌だよ。私は頭の出来が良くないんだ」

 「ああ、でも。もう答えが来ましたね」


 空を切る音がした。反射的に体が動く。背中の大剣をつかむと、盾のようにして飛んできたナイフを弾き返す。転がるそのナイフに、私は見覚えがあった。


 「アゼリア姉さん!」


 少し先の軒先に、その姿が見えた。ナイフを手にして構えている。まぶしい日差しが、海辺には似合わない彼女の黒い姿を照らし出す。


 「呪い除けの聖水を飲ましたな。なぜ、わかった?」


 ナイフを投げつけた。狙いは私ではない。大剣をふるい、すぐにネルラをかばった。


 「何をしている、アゼリア。早く仕留めるんだ」


 その声に振り返る。道の向こう側にキスミの姿が見えた。私は思わず叫ぶ。


 「おい、私達は仲間だっただろ! なんでこんなことをするんだよ!」


 キスミは答えない。苦虫を噛み潰したようなその顔は、じりじりと日差しにあぶられているままだった。


 「答えられませんよね。月皇教会の異端審問官様。もう気が付かれているのでしょう?」


 ネルラの声を聴くと、キスミは焦ったように叫んだ。


 「止むを得ん! アゼリア、魔力限定解放。せん滅する」

 「ふたりとも、ですか?」

 「仕方あるまい」


 それはまずい。挟まれている。狭い路地の両方から、ふたりがじりじりと私たちに近づく。私は小声でネルラに言う。


 「私の首に後ろから手を回せ」

 「こうですか?」

 「ああ、そうやって首元の服をつかんでおけ。絶対に手を離すなよ」


 力が湧き上がるように、心の中で強く念じる。呪いのせいで体は本調子ではない。

 でも……やるしかない。

 私は大きく獣のように叫んだ。大剣を空にかがげて振り回す。


 「砕けろっっ!」


 目の前の家に、悪いと思いながら大剣を振り下ろす。すさまじい音を立てて屋根と壁が吹き飛んだ。飛び散る破片を気にせず、その中へと走り出す。隣の家もまた力任せに大剣で粉砕する。埃が舞い上がり、腕で目を守りながらガレキの中を走り抜ける。このまま朝市に出て、人ごみにまぎれて逃げれば……。


 「後ろから来ます!」


 ネルラの叫びで、私はあわてて振り返った。黒い鎌のような刃が、埃で煙る向こうから飛んでくる。大剣で払おうとするが、刃はすり抜け、腕をかすめて去っていく。


 「暗殺者が使う攻撃魔法かよ」


 血がにじむ腕をそのままにして、私は大剣を床に刺し、防御の姿勢を取る。物理攻撃が通らない相手には魔法を使う。そのセオリーが私に使われている。この大剣には魔法防御能力はない。そういうのはアゼリア姉さんがやってくれていた。

 また魔法の刃が飛んできた。切先が私を襲う。

 腕、足、脇……。体中が傷だらけになる。

 痛い。とても痛い。でも、我慢するしかない。

 そうしなければ後ろにいるネルラが……。


 「アスリー。もういいです。私が時間を稼ぐので、あなたは……」

 「うるさい。黙って私に守られてろ!」


 そのとき澄んだ声が聞こえた。


 「どういうことですか、キスミ」


 煙が晴れていく。

 キスミの横にフィオルナがいるのが見えた。


 「姫様。事情は後ほど」

 「なりません。いますぐこの状況を聞かせなさい」

 「ですが……」


 良かった。フィオルナはあいつらの仲間じゃなさそうだ。私はフィオルナへ届くように声を張り上げる。


 「フィオルナ、助かったよ! なあ、どういうことだ? こいつら頭にウジでも沸いたのか? お前からも言ってやれよ……」


 ふっと後ろが軽くなった。ガレキを踏みながら、ネルラがフィオルナへと近づいていく。しげしげと間近でフィオルナの顔を見ながら、ネルラは言う。


 「ああ、やっと会えましたね。偽物のお姫様」


 フィオルナの顔がぴくりとする。

 ネルラは何かを含むように笑うと、メガネを外した。


 三つ編みがほどけていく。幾筋もの光がネルラを包み込む。しばらくして光がぱっと消えた。

 そこにいたのはネルラではなかった。

 その姿は……。

 フィオルナそっくりだった。


 「まったくあなたたちは魔法の天才ですね。こんな容姿変換の呪物まで作れるんですから。うっかりかけて私が偽物にされてしまいました」


 キスミが震えた声を出す。


 「妃殿下……。やはり、この町に……」

 「ここまで私に似ている人を探すのは、月皇教会でも大変だったでしょう。私も苦労したんです。監禁されていた王宮から抜け出すなんて、それはもう大変でした」

 「魔法がひとつしか使えない姫では、ネイザード王国の沽券にかかわります。仕方がなかったのです」

 「そう……なんですか? 勇者を先に見つけて殺そうとしているから、あなたたちはこうしたのかなって思ってました」


 私は驚いて声を上げた。


 「どういうことだよ!」


 フィオルナの姿をしたネルラが、混乱している私に向かって歩いてくる。


 「いいですか? 月皇教会にとって勇者は厄介者なんです。魔族が怖いから魔除けを教会から買う。死後は美しい月に行けるからと、みんなを魔族との戦いへ駆り立てる。魔族が人々を苦しませているから、みんな教会に帰依しています。勇者が魔王を倒したら、そんな構造を壊してしまいます」


 よくわからない。でも……。そうかもしれない。


 「勇者を殺すには勇者捜索パーティを隠れ蓑にするのが手っ取り早いです。でも姫は治癒魔法を使う。勇者と組むと殺せなくなる。だから姫とよく似た者にすり替えた。監禁している本物の姫をアスリーが見つけてしまうと大事になるから、パーティに加えて遠ざけるしかなかった。でも、この企みがすべてバレてしまう可能性が出てきた。なぜなら……」


 満面の笑みで、ネルラは言った。


 「私がここに来たから」


 な……。じゃ酒場に来たのは……私と会うため?


 キスミが汗をにじませながら、一歩後ろに下がる。


 「妃殿下、妄言が過ぎます」

 「あわてたあなたたちは、アスリーをパーティから追い出し、旅の途中で死ぬよう呪われた金貨を渡した。これならパーティを送り出したネイザード王家にも言い訳はできますし、アスリー自身にも疑われずに死んでもらえます。すごいです。きっと劇場で演じてたら拍手喝采のお話でしたね」


 キスミが私達を見据えたまま、横にいるフィオルナへ言う。


 「ここはお下がりを」

 「下がる? この私が?」


 フィオルナは右手をまっすぐ私達へかざした。とたんに白い光がうごめく丸い魔法陣が、その先に浮かび上がった。


 「私もバカではありません。キスミたちがアスリーを野垂れ死にさせようとしていたのはわかっていました」

 「姫様。ここで手を汚されては……」

 「キスミ。自分が何者かはもう……わかっています」


 かざした右手に力を込める。とたんに魔法陣が幾重にも広がる。


 「この町ごと吹き飛ばしてしまえば、私の正体なんて誰も気にしなくなるでしょう」


 魔法陣が膨張する。低くうなる音が体を揺さぶる。周囲の光を集め、暗い影を周りにまき散らす。光が暗転し、暗闇が膨張する。


 「楽しかったですよ。アスリー」


 まずい、まずい! これ無理!

 私は頭を必死に回転させる。何か……何か……。


 「何か助かる方法はないのかよっ!」


 ふいにネルラの手が頬に触れた。そのまま顔を彼女のほうへと向けさせられる。

 唇が温かい。

 キスされている? え、キスだ。これ、キスだ!

 目の前でネルラが目を閉じ、私の唇を吸っている。小さな舌先が私の唇に割り込まれる。そのまま迎えるように口を開くと、私はネルラを舌で感じた。


 甘い味がした。ハチミツのようだった。お互いの舌を絡め合うと、それがより強く感じられた。


 私、どうなっているんだ。これがネルラの治癒魔法なのか……。力がみなぎるどころじゃないぞ……。

 唇がそっと離れていく。フィオルナの姿をしたネルラは、目を潤まして恥ずかしそうに言った。


 「がんばって、アスリー」


 私は力強く答えた。


 「任せろ! 負ける気がしねえ!」


 私達を見て、フィオルナが怒り狂う。


 「死になさい、アスリー! そして、本物の私!」


 赤い稲妻が走る禍々しい漆黒が、轟音とともに放たれる。


 「来いっっ!」


 目の前に黒くて巨大な塊が迫る。

 ぶん殴る。

 まるで鉄の塊を殴りつけたようだった。


 「しゃらくせえぇぇぇぇ!」


 拳が折れるのもかまわず、力を込めてそのまま振りぬいた。


 飛んだ。飛んでいく。黒い塊が青空へ吸い込まれていく。

 そして、すさまじい爆発を起こした。空の半分に赤い稲妻と黒い粒がたくさん散っていく。


 キスミは呆然とその光景を見上げていた。


 「魔法を腕力だけで弾いたのか……」


 治癒のためにまたキスを始めた私達を、フィオルナがにらみつけた。


 「化け物が……いちゃいちゃと……」


 がっくりとフィオルナは膝をついた。キスミはその細い腕をつかむと、立たせようとする。


 「人払いの陣もつきかけています。ここは退きましょう、姫様」

 「ふふ、まだ姫扱いですか」

 「当たり前です。バレたら死ぬときはいっしょですから」

 「それでもまだ!」


 すばやく手を私達へ向けた。魔法陣がじわりと浮かび上がる。


 「止めときなよ」


 その手をつかんだのは、ムムカだった。


 「もう魔力切れしてるだろ?」


 フィオルナの魔法陣が力なく消えた。キスミとアゼリアの肩を借りると、彼女はよろよろと立ち上がった。


 「先に勇者を見つけたほうが勝ちです、アスリー」

 「もうおしまいか? こっちはまだピンピンしてんぞ!」


 ムムカが私とフィオルナの間に割り込んだ。


 「生き急ぐなよ。どうせまた会えるさ」


 生意気にもそう言うと、ムムカは去っていくフィオルナ達の後を追った。


 私は散らばるガレキの上に、どてんと寝っ転がった。


 「疲れた……」


 ネルラが私をのぞきこむ。メガネをかけ、最初に出会ったときの姿に戻っていた。


 「どうした?」


 私のそばに座り込むと、ネルラは寂しそうに言う。


 「幼い頃、アスリーに一度だけキスしたんです。そのせいでアスリーはこんなにたくましくなって……。だから、本当はこんなこと、したくはなかったんです」

 「ごちゃごちゃ言うな。私が助けてやる」

 「もう。アスリーがそう言うから私は……」

 「そばにいてくれ。私が何とかしてやっから」


 ネルラは髪をかき上げながら、私にそっとキスをした。


 「なんだ? 傷は回復してるぞ?」

 「ふふん。わからないんですね」

 「何がだよ?」

 「これは別の意味だってことです」


◇◆◇


 宿屋の片隅で、私たちは旅支度をしていた。背負える布のかばんに保存食やいろいろな道具を詰め込む。


 「なあ、ネルラ。結局、勇者を捕まえに行くのかよ」

 「私の身を証してくれるのは、王宮で一度会った勇者しかいませんから」


 手を止めて、荷物をじっと見つめた。


 「いままで守ってやれなくてごめんな。こんなことになってたなんて知らなくて……」

 「アスリー?」

 「なんだよ」

 「アスリーはずっとかわいいままです」


 苦笑いしながら、私はかばんの紐をぎゅっと締めた。


 「なんだよ、そりゃ……」

 「いっしょに行きましょう! ダンジョンの最奥に、忘れられた神殿に、それに月まで!」

 「ふふ。連れてってやるよ。どこまでもな」


 私達は宿屋の扉を開けて、明るい朝日の中へと踏み出した。


 私とネルラが勇者を追いかけ、いろいろな国を巡り、暗躍する魔族と戦い、フィオルナ達を出し抜き、そして本当に月まで行くことになったのは、また別のお話……。


<了>

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