第32話 事の顛末
奇跡的に二人共、何とか助かったが――這這の呈とは雅に此の事である。
俺達は暫く様子を見た後、細心の注意を払って隠れ庵の場所迄、戻ってみた。しかし、其処には――『隠れ庵』は無かった。あの不思議な箱庭の様な景色が今はもう見られない。
まるで、そんな場所なぞ初めから無かったかの様である。あれは幻だったのか? 先程迄の出来事は全て夢ではなかったのかと――そんな風に思わされる。
「フジタ警部補……我々ハ、夢ヲ見テイタノデスカネ……」
「こんな戦場以上に危ない夢なぞ無いでしょう……有るとすれば、悪夢ですな……」
そうだな――之は紛れも無い現実、そして俺が見たのは本物の『オリエントの不死尼僧』だったのかも知れないな。
俺たちは暫し、呆然として嘗ての隠れ庵の跡を見つめていたが、もう直に夕暮れが迫る為、急いて下山を始めた。途中に見つけた小さな沢の有る開けた場所で一夜を明かし、翌日の昼過ぎ頃に村に帰還出来た。村でも山崩れの音が聞こえていたので、大騒ぎとなっており、俺達は随分と心配を掛けていた様である。捜索隊の人集めに尽力してくれた多古警部補と、呼びかけに応じて近隣の村々から集まってくれた若衆達に御礼を伝う。
多古警部補は、自分は大いに働いたと吹聴しており、矢鱈と得意になっているのが癪に障るが仕方が無い。
取敢えず滋賀県警への報告には、俺達が追っていた容疑者は山崩れに巻き込まれて死亡したと伝えた。又、遺体の回収捜索は困難であると思われ、更なる崩落の危険性も考えられる為、暫くは山内への立ち入り禁止処置を敷き、山狩りも等も行わない事に決定した。
署長殿は、其れ等の面倒な業務を何か勘違いして調子付いている多古警部補に、全て押し付けていた。
川路大警視にも取り急ぎ、電報にて被疑者死亡とだけ通知はしたが、報告書には何と書けばよいのだろう。藤田は大警視には真実を伝えるが、内容が内容だけに報告書を作成しても、直ぐに破棄されるだろうとの見解だ。
俺も、そう思う。実際に関わり合った身であるが、全ての理解が追い付かない。
エルとアンリには何て説明をしよう……真実を告げれば、此の役立たずがと罵倒されるのは確実だな――よし、黙っていよう。白、本人からは何百年も生きているなんて明言は聴けなかった訳だし――白の存在も人魚の肝の秘薬の事も一切、秘密にしておこう。
渡邉信之助は矢張り普通の人間であり、十年間も山で修行して尋常ならざる体術を身に付けた。其の修行仲間であり、同じく尋常ならざる体術の持ち主――取敢えず、名前は藤田の提案を拝借して、『小太郎』とする。小太郎が仲間である渡邉信之助の遺体を盗み出して、埋葬していた。俺達は小太郎を追い詰めたが、奴は山崩れに巻き込まれて死亡した。
うん、大体こんな感じで嘘付こう。
東京迄の帰路――俺達は何度か今回の件について話し合ったが、矢張り結論は出なかった。物的証拠は何一つ無いので、常識的に考えれば、事の全てが推察の域を出る筈も無いのである。
先ず、薩英戦争や禁門の変より以前の合戦、相模の乱波集団の瓦解、風魔小太郎、伊藤一刀斎等の人物が生存していた時期は凡そ二百五十~六十年前。白が其の当時、大人だったなら更に足す事、十五~二十年。人魚の肝の秘薬を使い、若々しい年増だったとすれば更に足す事、数十年……三百年位は生きている? 若しくは其れ以上に生きているのか?
まあ、此の計算も唯の推測に過ぎない。当人からの言質は取れていないのだから。
だから、俺が勝手に纏めた此の話は唯の空想なのである。そう、唯の子供じみた妄想なのである……。
遥か昔――日乃本で人魚という生き物が捕れて、其の肉を食した者達は長生きとなった。肝で作った薬を塗ると怪我も直ぐに治ったが、分量を間違えると己でも制御出来ない力が付いたり、物狂いになる事も有ったので、扱いには注意していた。
やがて長く生き過ぎて周りから気味悪がられたので、其の一団は日乃本全国を放浪する事とした。
訪れた土地では長寿や病調伏に利くと云い、自作の御札を売って生計を立てており、時には件の薬を使う事も有っただろう。
だが、長寿と云えども寿命が有る。寿命前でも首を刎ねれば死ぬという。だから、数十年~数百年単位で首領は替わっていった。
次代継承に至っては、薬の管理及びに自らの名前に『白』の字を入れるか、又は其の侭、『白』と名乗る決まりがあった。
ある時代、一団の内で喧嘩別れが起きたのか、戦乱のさなか首を刎ねられ死んだのか、『白』の名を持つ首領が一人きりとなる。
其の『白』が一人旅の道中、山の中で迷った挙句に大きな窪地に滑落してしまう。
其処は他領から落ち延びた乱波の一団が作った隠れ庵であった。嘗ては二十人程が暮らしていたと云うが、今は最期の末裔である年老いた母子二人だけが暮らしていた。
崖は高く、不老長寿ではあるが剛力を持たぬ自分では自力脱出は叶わぬと悟り、此の場所に其の侭、入定する決意をした。
やがて、母子も亡くなり『白』が此の隠れ庵の主となる。以来、一人きりで長い年月を過ごしていた。長寿ゆえに途方も無く長い年月を、たった一人きりで……。
幾星霜が過ぎた時、一人の男が現れた。一度は追い返すも、数年後に再び現れた。酷い傷を負い、今にも事切れそうな有様で。
『白』は男に同情し、件の薬を大量に使った。結果、男は剛力の物狂いと為りはててしまう。
責任を感じた『白』は生涯、男の面倒を見る事にした。しかし、物狂いだが男は優しく、働き者で暴力を振るう事等も無かった。
二人で楽しい時を十年過ごした。一人の寂しさから解放されて幸せだった。
されど、其処は物狂いの悲しさか、男は突然に狂いだした。己が敵を探して隠れ庵から飛び出してしまった。『白』は嘆いたが又、一人に戻っただけだと諦めた。
男は都で蛮行を働き、一年後に再び隠れ庵に舞い戻った。『白』は喜んだが、同時に不安も感じる。何故なら都には、優秀な捕り方が居るのが常であるから。
『白』は、いざという時の事を考えて男と決め事を交わす。
而して『白』が案じた通り、追手が遣って来た。追手は強く、剛力の男でも敵わない。
其処で一計を巡らし、覚悟を決めた。
追手の情けに付込み、仕掛けを動かす。嘗て、乱波衆が拵えた大仕掛けを。
次に追手の虚を突いて距離を置くと、兼ねてからの取決め通りに事を実行する。
己が首を男に刎ねさせた。
そして、男にも自ら首を刎ねる様に云い聞かせていた。男は躊躇いなく其れを熟した。
そして、二人を引き裂かせぬ様に、思い出の地を汚されぬ様に、乱波衆の大仕掛けを使い、隠れ庵ごと現し世から隠してしまった。
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