第31話 二輪の椿が落つる時

「そして、一年余りの間――方々を彷徨い、東京で蛮行を重ねた後に、二十日程前に再び此の隠れ庵に戻って来たと……そう云う事ですね……」


 白は信之助を胸に抱いた侭、頷いた。


「この子が御引き立てになれば――下される御裁きは死罪で御座いますかね?」

「恐らく……」


 おいおい、頼むよ藤田警部補! 白を煽る様な物言いは止めてくれ。

 今の話で渡邉信之助の重要度は更に一段階上がった。何にしても速く、奴等と繋ぎを付けなくては――外国人の特権と金の力を最大限に使って、渡邉信之助の保護に乗り出さないと、川路と藤田に殺されちまう。

 しかし、力尽くでの解決策は既に無い。先程の藤田の戦いを観るに、俺(達)が勝てる見込みは更に一段階下がったしな……何だよ斬鉄って! あんな常識外れな伝説級の業を使うなんて冗談じゃないよ‼ これじゃあ、前に聞いた土壁越しに敵を貫いただの、銃弾切り割いただのの話も真実味を帯びて来ちゃったよ……。

 おまけに、あの尋常じゃない一本突きの威力は手加減して『化物』ぶっ飛ばしちゃうし――もし奴の本気の一撃喰らったら、流石の人造人間でも殺られちまうわ‼

 兎に角、穏便に場を取り繕わないと……一先ず、白に語り掛けておこう。


「ハク殿。貴女モ『人魚ノ肝』ノ秘薬ヲ、使ッタ事ガ有ルノデスカ? 其レデ、歳ヲ取ラナイノデスカ?」

「確かに、渡邉信之助の若々しさは異常だ。まるで元服したての――つまり、秘薬を使った時から歳を取っていない様に思える。彼は既に二十六~七にはなる筈だろう」

「ええ、妾も昔に秘薬を使わせて頂いた事が御座います。信之助が若々しい侭なのは、確かに其れの影響なのでしょうね」

「人魚伝説か――俄かには信じられぬが……」


 藤田は困惑した表情で頭を搔いている。自分で、ある程度予測しておいても、未だ半信半疑の様である。まあ普通ならば、そうなるだろう。だが、俺(達)には信じられる話なのである。多分、白は俺(達)より年上かも知れないぞ……よし、此の勢いで訊きたい事は聴いてしまおう。


「ハク殿。宜シケレバ、貴女ノ過去ヲ御聞カセ願イマセンカ?」


 さあ、如何出る! 俺の唐突な質問に以外にも白は拒否する事も無く、何処か怪しげな微笑を薄っすらと浮かべて語り始めた。




 妾が此の世に生まれ出でて幾星霜。幾つもの時代が御座いました、幾つもの争いが御座いました。そして、浮世に疲れ果て仏門に帰依し――旅の最中、此の隠れ庵に滑り落ちて――其の侭、入定する事を決意して今に至っている次第で御座います。




 えっ? 其れだけ? 今の話は既に解っているので、何年前に何時の時代に生まれたとか、そうゆう事を聴きたいのだと詰め寄ると、白は揶揄う様に云った。


「妾も以前『人魚の肝』の秘薬を使った身です。なので、信之助程ではありませぬが、少し呆けておりまして――昔の事は、よう覚えておりませぬ。申し訳御座いません」


 ――やられた……でも、之は確信犯だな。次の一手は如何するかと思案していたら、不意に白が立ち上がり強い口調で云い放った。


「藤田様、べらみい様! 如何あっても、信之助を江戸へ御引き立てするつもりで御座いますか?」

「此の国の法に乗っ取りな……」

「解り申した。でも、妾は御遠慮させて頂きます」

「そうゆう訳には行きません、貴女にも参考人として出頭願います」


 何だ? あれ程、信之助を庇っていたのに急に掌返しとは……此の発言には藤田も貌を顰めて訝しんでいる。何か仕掛けるつもりか……。


「先から申しております様に、妾は既に入定の身で御座います。ずうと此処に居りますゆえ、信之助が何をしたかは存じませぬ。ゆえに御引き立てになるなら、信之助だけにして頂きとう御座います。話を御聴きになりたいとゆうならば、此の場で申開き致しますゆえ、どうぞ良しなに」

「渡邉信之助を、しょっ引く事に異論は無いと?」

「ええ、御随意に」


 本当に渡邉信之助を見捨てるつもりか? しかし、白だけ此処に留まられても都合が悪い。なので、新憲法により貴女の勝手な言分は通りませんと伝えるも、自分は浮世の理の埒外に居ると言い張り続けている。


「――でも、妾には如何でもいい事。そう、妾には拘りの無い事。時代が如何様に替わろうとも、俗世が如何様に移ろおうとも、妾は此処で此の侭で御座いますから。又、次の時代が参ろうとも……更に次の時代が参ろうとも……」


 取り付く島も無いな――話は平行線だ。藤田もイライラしている様だが、流石に此の男も女性には手を出しかねている。


「埒が明かんな――一旦、渡邉信之助の身柄だけでも拘束しますか。貴女の対応は後日に改めて行うとしましょう」


 此の場は一旦、其れで良しとするか。俺と藤田が先程、放り出した背嚢の中から縄を取り出していると、後ろから白が薄笑いしながら、こう云った。


「良かった、何とか時が稼げました……」


 ギョッとして振り向くと、今の今迄、痛みに震えていた渡邉信之助が短くなった薙刀を再び片手に構えて立ち上がった。其の貌は獲物を狙う獣の様に俺達を威嚇している。

 矢張り何か仕掛けていたか。渡邉信之助の体力の回復を待っていたとはな……んん? あの状態から何で傷がもう治っている――あっ‼

 俺の表情から察する様に白が答えた。


「御免あそばせ……妾も呆けている様でしたので、『人魚の肝』の秘薬が未だ残っているのを忘れておりました。でも、今塗り込んだ分で本当の終いで御座います」


 クソったれ~、此の女狐め‼ 完全にしてやられた………。


「姑息な真似を……だが、其れが如何した」


 藤田は渡邉信之助の復活等は、まるで意に介していない。先の攻撃で倒せぬのならば、次は其れを上回る攻撃で叩きのめせば良いと云う呈である。本当に此の男――強さの底が見えない。


「何か、勘違いをなされている様ですね。幾ら信之助の傷が治った処で、藤田様には敵う筈も御座いませぬ……」


「?」

「如何云う事だ?」


「藤田様の腕前は伊藤様にも匹敵するでしょう。いかな信之助の剛力とは云え、敵わぬのは明白で御座いますから」

「伊藤……雅か、伊藤一刀斎とでも云うつもりか?」


 イトウ? 俺の部下の伊東じゃ無いよな?

 白は藤田の問いには答えず、不敵な笑みを浮かべた後に叫んだ。



「御二人共、速く此処から御逃げなさい! 此の隠れ庵は直に‼」


 何を云っているのだ?


「先程、を開きました。相模の乱波衆が拵えた大仕掛け――もうじき此処は、地獄の毒気に満たされます。そして、獄炎にて爆ぜるので御座いますから」


 そう云われて、俺達は鼻を効かせる。確かに鼻腔の奥に微かな異臭が――之は――瓦斯ガス

 雅か、あの石仏が蓋? 其の下に穴があって、其の穴が気化瓦斯の噴出口? 此の隠れ庵の地下には瓦斯溜まりが有るのか? 

 そう云えば、さっきの白の昔語りの中で、此の鍋底大地の壁面からはがたんと採れると云っていたな――炭石って、石炭の事か?



 ――窪地、石炭、気化瓦斯…………不味い! 此の隠れ庵はだ‼



 日本国には瓦斯田が多いと聞いてはいたが、よりにもよって此の場所がそうだとは――此の隠れ庵の不思議な地形は、過去に大規模な瓦斯爆発が起きて、抉れた跡だったのか。

 藤田も理解した様で、共に後ろに飛び退いて母屋から距離を取る。引き攣った貌の俺達とは対照的に白は笑顔で語りかける。


「其の慌て様、如何やら風草生水かぜくそうず(瓦斯の古語)の事は御存じの様ですね。ほれ、あすこの炭焼き窯……中には小さな種火が御座います。其れで十分――いずれ此の鍋底大地に風草生水が満たされれば、其の種火が獄炎へと転じるので御座います」


 畜生! 乱波だか河童だか知らねぇが、とんでもない仕掛け造りやがって‼

 確かに瓦斯は空気より軽い。今は未だ此の窪地の上空に溜まっているだろうが、いずれは下に降りて来る。

 ――風は南西より微風……。

 どれ位の勢いで気化瓦斯が噴出しているのか――現在どれ位の瓦斯が充満しているのか――もしかして今、此の瞬間に爆発するかも知れない……如何する?   

 狼狽する俺達を余所に白は笑顔で渡邉信之助に向き直り、既に決まっていた合図の様に手首を水平にして己が首を、叩く――。






 渡邉信之助は、うんと頷き、手にした薙刀で躊躇う事無く――



 まるで、椿の花がポトリと枯れ落ちるかの様に白の首が落ちていく……。

其の首を空中で、そっと受け止めると、渡邉信之助は大事そうに胸に抱いた。



 次の瞬間、之も決まっていたかの様に自分の項に刃を当てて躊躇う事無く、自らの首を――


 二輪の椿の花が枯れ落ちるが如く――二人の命も消え落ちた……。







 何だ、何だ之? 俺は一体、何を見ている? 何が起きたのだ⁉

 突然すぎる衝撃の出来事に一瞬、理解が追い付かなかった。


 ――嗚呼、そうか。もはや之迄と悟った二人は心中を選んだのだな……俺達と同じく、首を落とされれば不老長寿は終わるのか……。

 何とも云えぬ結末だが、こうなっては仕方がない。俺はせめて二人の遺体を回収しようかと足を踏み出した其の瞬間、炭焼き小屋の周りにパチパチッと、小さな火花が出現した。


「無理だ! 退くぞ‼」


 藤田の言葉にハッとして、事態の緊急性を思い出した。俺達は反転し、来た道に一目散に駆け出す。急いで崖をよじ登り、頂上に辿り着いたと同時に大爆発が起こった。



 ‼‼‼



 ドゴォン‼ と耳をつんざく大轟音――大気が揺れる。

 爆風で俺達は白樺の林の中迄、吹き飛ばされた。痛い……身体中、彼方此方打ち付けちまった。藤田は無事かと辺りを探していたら、「大丈夫ですか」と向こうから声を掛けて来た。奴も彼方此方打ち付けたみたいだが、如何やら無事の様である。

 安心したのも束の間、今度は地割れが起きた。不味い、山崩れが来る! 俺達は急いで逃げる、勘を頼りに安全地帯を目指して……。

 大地を揺るがす轟音と共に、大きな地滑りが始まる。今迄有った崖が、木々が、次々と崩れ落ちていく。


 逃げる――逃げる――唯、ひたすらに逃げる。





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