第30話 人魚の肝

 相変わらず恐ろしい威力だ……。胸の辺りから少量の出血が有るものの、致命傷では無い様だな――胸骨の真ん中辺りを突いて飛ばしたのか。

 後々の尋問の為、あの時と同様に殺さずに手加減はしているが加減して之か――本気で打ち込んだ時の威力は想像もしたくないな……。

 白が再び駆け寄り介抱するが、あの様子では暫く起き上がれないだろう。しかし、未だ武器を握りしめているのは見上げた根性だ。


「藤田様、もう勝負は付きました。なので後生で御座います――どうか、信之助の手当てをするのを御許し下さいませんか……」


 藤田は無言で頷く。白は此方も見て、同意を伺っている様なので、俺も無言で頷いた。

 白は信之助を楽な姿勢に座り直させると、一瞬躊躇う様な仕草をしたが、直ぐに何かを決意した貌になって立ち上がると、母屋の横の小屋へ駆け込んだ。俺は藤田と目配せをして、小窓から中の様子を、そっと伺う。


 成程――此処は質素ながらも、礼拝堂なのか。尼僧と名乗るだけあって、必須の場所だな。小さな礼拝堂の奥には簡素ながらも祭壇が有る。その中央に鎮座している石仏の様な物を横に動かし始めた。相当重たいのか、ズリズリと少しずつ必死になって動かしている。

 そうか! あの下に、人魚の肝の秘薬が隠して有るに違い無い。ゴソゴソと何かをしているが、後ろ向きなので良くは解らないが、秘密の何かを取り出したのは間違い無いだろう。

 其の何かを袖にしまうと、今度は急いで母屋に駆け込む。箪笥から晒と鋏を取り出すと、表に出て来て、手当てを始めた。

 俺は藤田には気付かれぬ様に、特におかしな真似はしていなかったとの呈で頷く。


「う、うあぁ……痛ぇ~、痛ぇ~よぉ~……」

男ノ子おのこでしょう、我慢なさい……」


 胸の傷に塗り込んでいる、あの軟膏が人魚の肝の秘薬か……凝視する俺に白は申し訳なさそうに答えた。


「之は『人魚の肝』の秘薬では御座いません、唯のガマの油です。あの秘薬は既に、此の子に全て使ってしまいました」


 何だって⁉ 俺はガクリと肩を落としそうになったが、そんな無様は晒せない。努めて冷静を装う。じゃあ、さっきの意味深な行為は何だったんだよ! 

 まあ、良いか……渡邉信之助と白が居れば如何とでもなるだろう。


「さて、手当てが終わったら話の続きを伺いたいのですが、宜しいかな」


 晒を巻き終えると、白は藤田を睨み付けて不満気に云う。


「先程の御約束では、この子に手荒な真似はせぬと仰られたのに――あれは嘘で御座いましたか……」

「だから手加減はしたでしょう、手足も付いている。一寸、胸に傷は付きましたが――其れに彼は直ぐに人を縊り殺そうとするのでね、今も薙刀で襲われたばかりですし……こうでもせんと、真面に話も出来ぬでしょう」


 云われて白は、ぎりりと歯噛みする。相変わらず、口八丁手八丁だな。

 白は諦めた様に眼を閉じて、溜息を付く。


「それで――何を御聴きになりたいと……」

「渡邉信之助には数々の殺人への嫌疑が掛っています。だが、我々の調べでは彼は徳川家への忠義は厚いものの、普段の人柄は温厚であり、人に好かれる男だった様です。剣術や武術よりも勉学の方が得意で頭が良く、物狂いなぞでは無かったそうだ。昔を知る者達は彼が怪力をもって、人を縊り殺す等とは想像も付かぬと、誰もが口を揃えて証言している。そんな彼、渡邉信之助が此の様に変わり果てたのは何故か――戦場で何が有ったのか――其れを知る為に我々は此処に来たのです。白殿、貴女なら其の答えを知っている筈です。どうか、彼に殺された者達の無念を晴らす為にも我々の捜査に協力して頂きたい」


 藤田が一通り話し終えると、白は余りの痛みにメメソ泣いている信之助の頭を抱き寄せて、物憂げな貌で語り始めた。





 信之助が初めて此の隠れ庵に来たのは、今から十四年前――未だ元服前の童子で御座いました……。

 身体中傷だらけで、縄を伝ってやっとこさっとこ降りてまいりましてね。妾の姿を見つけると、飛び跳ねて喜んでいましたよ。


【遂に御目に掛かれました、八百比丘尼様。ほ、本当に居られたのですね!】


 先にも申しました通り、妾はも生きては御座いません。信之助にもそう、云い聴かせたのですが中々、信じようとせず往生いたしましたが――そうこうしている内に信之助が倒れ込んでしまいましてねぇ。未だ童子の身体で無理をしたのでしょう、幾つもの傷口から少しずつ、そして多くの血が失われていた様で御座いました。此の侭では直に息絶えるのは明白――仏心ですかねぇ……つい、信之助に秘薬を使ってしまいました。

 翌日には、すっかり回復致しまして、其れは驚いていましたよ。


【白尼様、有難う御座います。此の御恩は生涯忘れませぬ】


 此の秘薬は妾が仏門に帰依したおりに、師より譲り受けた大事な物――人に知られてはいけない、絶対の秘事であります。其れに妾は既に入定の身です。此処を出たら全て忘れる様に、誰にも語らぬ様に、二度と此処を訪れてはならぬ様にと、口を酸っぱくして説いたのですが……まあ、嘆いても詮無き事……この子は当時、童子で御座いましたからねぇ。

 そして、信之助が再び此処を訪れたのが十一年前。前の時とは違い、鎧武者姿で傷だらけで、今にも事切れそうな有り様でした。


【――白、尼様……。斯様な有り、様で、も、申し訳あり、ま、せぬ……】


 途切れ途切れの言葉でありましたから、全ては聴き取れぬも、合戦が起きて信之助の軍は負けたとゆう事は解りました。


【ま、未だだ! 未だ終わらぬぞ……。は、白尼、様、ご、後生で、御座い、ます。あ、あの秘薬を、も、もう、い、一度………】


 本来ならば、放って於いても良かったのです。戦となれば勝つ者が居れば、負ける者が居る。其れが摂理なので御座いますから。

 でも――何故で御座いましょうかねぇ……この子に情が移ってしまいました。酷い傷でしたので、残りの秘薬は先程申した通り、全て使い切ってしまいました。

 三日も立つと傷も全て塞がり、信之助は眼を覚ましました。あれ程の深手を負いながら僅か数日で治癒してしまうとは、改めて秘薬の効能に驚かされましたが――その代償は、哀れなものとなりました。

 師より聴かされた話によると、『人魚の肝』の秘薬は時に猛毒にもなる。傷を治す効能は驚嘆すべきも、余り多く塗り込めば己で抑えの効かぬ金剛力が身についたり、又は道理の通じぬ物狂いへと変じてしまう事も有るのだと……。


 御承知の通り、この子は両方の毒気に当たり、剛力の物狂いと為り果てました。もう里には帰せませぬ……此の隠れ庵で生涯、妾と共に暮らして行く他は御座いません……。

 でも、この子――信之助は優しい子でしたよ。騒がしい事は侭有りましたが、一緒に暮らしている内に妾に手を挙げる事なぞは、一度たりとて御座いませんでした。

 畑仕事に、水汲み、薪拾い、力仕事は何でもやってくれました。特に薪拾いは有難かった。此の鍋底大地の壁面からは炭石が、たんと採れるのですが、あれは焚いた時の匂いが少々きつう御座いましてね……難儀しておりましたが、信之助が外から薪を沢山採ってきてくれる御蔭で、大変助かりましたよ。


 この子と暮らした十年余りの時は、本当に楽しゅう御座いました。でも、楽しい時には必ず終わりが参ります。あの日がそうで御座いました。

 一年程前のあの日――其れ迄、穏やかに過ごしていた信之助が突然に何の前触れも無く、狂いだしたので御座います。

 何時もの様に畑仕事を終えたので、妾が御茶の支度をしていると信之助がぼぅとして立ち竦んだ侭、突然に叫びだしたのです。


【未だだー‼ 未だ終わらぬぞー‼】


 何事かと思い、慌てて家から飛び出して駆け寄ると、信之助は不思議そうな貌で妾を見て、こう云いました。


【――あ、あれ? は、白尼様?……】


 信之助は物狂いになりてより、妾の事は『』と呼んでおりました。其れが初めて逢った時の様に『』と云ったのです。

 もしや、昔の記憶が蘇ったかと思い、色々問いただすも記憶は曖昧な侭でした。取敢えず家に連れて帰り休ませましたが、何かブツブツと独り言を云い続けておりました。

 信之助は甘い物が好きでしてね、何か食べさせれば落ち着くと思いまして――丁度裏手の桑の実が良い具合に熟れておりましたので、幾つか捥いで家に帰って来た時には――其の僅かな内に、既に此の隠れ庵から出て行ってしまった後で御座いました。

 物狂いとは突然に何かを思い出し、行動をとる事が侭有るとは聴いていましたが、雅にあれがそうだったのでしょう。信之助は敵を探して、飛び出したので御座いましょうかね……。




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