第28話 綻び

 俺が様々な考えを巡らせているのと同様に藤田も又、思案顔で考え込んでいたが、意を決した様に本題を訊ねた。もう、回りくどい事は止める腹積もりだ。


「率直に御尋ねします。渡邉信之助、此方に居ますね……」


 場の空気が静まり返り、沈黙が続く。実際は其れ程に長い時間は経っていないのだろうが、まるで刻が止まった様な感覚だ。


「……はい、確かに信之助は居りますよ。訪れて来たのは二十日程前で御座いますかねぇ」


 意外にも、あっさりと認めたな。こうなったら俺も率直に聴いてやる! 貴女は『八百比丘尼』なのですか? と訊ねたら、白はケラケラと笑いながら否定した。


「嫌で御座いますよぉ、幾ら若狭に住む隠遁者の尼僧とは云え、妾は八百年も生きては居りません」


 俺の読みは外れたか? いや、未だ渡邉信之助の事が有る。奴の尋常ならざる異常体力について訊ね様としたら、藤田が先に問うた。


「では、渡邉信之助は人魚の肉を食ったのか?」

「あの子は人魚の肉なぞ、喰ろうておりません。唯、で作ったと伝わる秘薬を塗っただけで御座います。傷に良う、効きまして……」


『人魚の肝』――之も笹川巡査に聴いた話だ。西行法師の反魂の術で土人形に使った呪物だったけな。あれ? 甦った土人形は確か、人の記憶は無く、直ぐに死んだんじゃなかったか?

 其れはさておき、薬は何も内服して効く物だけじゃ無い。塗薬だって、傷口から成分が体内に染み込こんで身体を修復する。人魚の肝は傷に対する効果が強いのか?


「――白殿でしたかな。取敢えず、渡邉信之助の身柄を引き渡して下さい。其れと、貴女にも御同道願います」

「信之助を御存じならば、御分りでしょう。あの子は物狂いで御座いますよ、例え御白洲に引き出したとしても、真面な話は出来ぬでしょう。出来れば御慈悲を……其れに、妾も此処から離れる事は適いません。女の身で、此の鍋底大地からは出られませんから……」

「ん? 雅か貴女は遭難しているのですか? 貴女程、小柄な方なら私が背負って斜面を登りますが……」

「妾、之でも尼僧で御座いますよ。男体に触れるのは戒律に反しますから、どうぞ御容赦下さいませ。其れに妾は既に入定の身で御座いますから……」


 何処の世界にも宗教を盾にした問答合戦は有るな。『入定』とは、主に僧侶等が俗世を離れて人の寄り付かぬ洞や山小屋に籠って死ぬ迄、其処で過ごす事らしい。しかし、入定だろうが何だろうが、此の白と云う女は簀巻きにしてでも連れて帰らねばならない。人魚の肝とやらは間違い無く『博士』の復活に必要となる物だろう。

 人魚の秘事の一端を知る此の女は、放っては於けない。でも此の侭では埒が明きそうもないな、強硬策に出るか――藤田に視線を送ると、軽く首を振る。もう少し様子を見るつもりか。


「質問を変えましょう、貴女は何時から此処に住んでいる? 以前には誰が居た? 此の隠れ庵は一人で拵えられるモノでは無い」


 確かに此の規模は、人間一人で作ったとは考え難い。出来たとしても五年~十年は掛かるだろう。すると、彼女との歳が合わない――見た目通りの年齢ならば……。


「妾が此処に時には、二人しか居りませんでした。母と息子――と云っても、二人共かなりの高齢で御座いましたので、直に亡くなられてしまいました。我々が死んだ後は、此処に有る物は全て好きに使えと仰って下さいましたので、今は妾が此の隠れ庵の主となって御座います」

「ソノ母子トハ、何者デスカ?」

「彼等の言では昔、相模の国から落ち延びた乱波の末裔と仰られておりました。初めは二十人程が暮らしており、小屋も今より多く有ったそうですが、時が経つにつれて一人減り、二人減り、あの母子を最後に一族は絶えた様で御座います。ほら、其の端に御墓が……」


 白の指さす方向には小さな花畑が有る。良く見ると其処には、質素な石積が三十~四十個程は並んでいた。

 此の隠れ庵の先住民の乱波とは、確か忍者しのびのものと同義語だったな。

『忍者』――此の国の裏仕事に関わる傭兵団だとの事だが、近年では殆どの団が解散したと云う。成程、そんな物騒な連中が住んでいたとなれば、山窩達にとって禁忌の地と呼ばれたのも頷ける。


「――成程、確かに辻褄の合う話ですね」


 藤田の云う通りだ、矢張り『オリエントの不死尼僧』なぞは初めから存在しなかったのか。俺の勘は当てにならんな、奇妙な一致も偶然の代物か。

 雅か正体が滑落して上に登れなくなったので其の侭、此処に住み着いた間抜けな尼僧だったとは……。

 あの女、見た目は若いが三十路越えかも知れないな。日本人の年齢は本当に見当が付かない。仕方が無い、せめて渡邉信之助の身柄だけは押さえておこう。血や皮膚の一部が手に入れば、奴らの実験に大いに役立つだろう。なんせ『人魚の肝』の薬効で超常的な力が付いたとなれば今後の研究も、かなり進展するに違いない。

 後は人魚の肝の秘薬だが、少しだけでも分けて貰わないとな。金ならゴマンと用意出来るが、隠者相手に金銭的な交渉は難しいな――金の代わりに白が欲しがる物は何だろう? こんな質素な生活を受け入れられる精神面から考えうるに、そもそも物欲が有るのかな……。

 俺の諦めとは裏腹に、藤田の表情は未だ何かを探っている様だ。勿論、御互い目的が違うので、何を考えているのかは解らないが。


「色々と御答え頂き、有難う御座います。未だ訊きたい事は有りますが後程に……しかし之だけは今、正直に御答え下さい。さすれば、渡邉信之助に手荒な真似は致しません」

「はい、有難う御座います。何なりと」


 白は笑顔で藤田の提案を受けた。


「御訊きします。貴女が此の窪地――隠れ庵に住まわれ始めたのはからですか?」


 白は即答でからと答えた。矢張り此の女、三十路越えだったか。

 藤田は其の答えを聴くと、突然刀を抜き放った。

 何だ? どうゆうつもりだ⁉

 眼にも止まらぬ速さで、切先を突き付けられた白は動けずにいる。


「貴様は妖魔か――其れとも物の怪か?」

「――ほほ……仮にも僧に向かって、その様な戯言を仰るとは、無礼にも程が有りますよ」


 白は貌を顰めて抗議するも、藤田は続けざまに畳み掛ける。


「貴女の言葉には不自然な点が多々、有りましてね――まるで人外の者の話に聞こえるのですよ」

「如何云った点が……」

「では問おう。貴女は隣に居るベラミー殿を見て『唐人』と云ったな。唐人とは本来、志那大陸――今の清国人の事だが、総じて全ての外国人という意味合も持つ。しかし、昨今では物解らずへの俗称、つまり悪口として使われる事も多い。『異国人』ならいざ知らず、尼僧である貴女が使う言葉としては少々、下品過ぎないか? 其れとも、貴女が俗世に居た頃には唐人という言葉が未だ、悪口として使われる事は少なかったとでも?」


 唐人て、悪口にも使うんだ。多分言葉が通じないから物解らずか――成程、上手いな。なら俺、何遍か揶揄われていたな。此の問い掛け対して白は口を噤んでいる。


「……」

「答えて貰えませんか――まあ良い、次に問おう。矢張りベラミー殿を見て『伴天連』と云ったな。成程、黒い二重廻しや洋袴は確かに西洋坊主の法衣に見えなくもないが――昨今の異人達の間では此の様な黒づくめの装いは極普通だ。近頃では日乃本の民だって着ている程に、黒い二重廻しなぞは一般的な羽織になっている」


 確かに一昔前は坊主以外だと、黒一色の装いは余り無かったかな? でも最近の欧米諸国では誰でも着ている。黒い二重廻しも此の国の一部の洒落者はチラホラ着ているよな――十字架でもブラ下げていなければ、普通は僧侶と思わない筈だ。此の問い掛けに関しても白は何も答えない。


「……」

「之も答えては貰えませぬか――まあ、今の二つの問いは然程重要では無い。田舎者であるから知らぬと云われれば其れ迄だからな――しかし、最後の問いには絶対に答えて貰おう。貴女自身と渡邉信之助の身の為に……」


 質問と云うよりは粗、脅迫だな。此の脅し文句には白もクッと、歯噛みをしている。


「では問おう。貴女はに合戦らしき音を聴いたと云ったな――相違無いか……」


 白は貌を引きつらせて呟いた。


「――ええ、相違御座いません。其れが何か?」

「百姓一揆や祭りの喧噪等とは、思わなかったのか?」

「其れらと合戦では、規模がちがいましょう。もそと、騒がしい響きでしたので……」


 藤田の問い質しから又、俺の憶測も広がり始めた。最後の問いの意図は何だ……?


「其の通り、合戦の響きは一種独特な音色だ。全員が具足を着込み――刀、槍、弓矢、鉄砲を使い殺しあう。悲鳴、怒号、馬の嘶き――時に激しく時に静かに……あれは実際の合戦を見聞きした者でなければ解らぬ。其れを此の山奥に響いた木霊で聴いて、合戦の音だと気付いたとは之、如何に?」


「……ん?」

「エッ?」


「恐らく時期と場所から考えて、鳥羽伏見から敗走した小濱藩の撤退戦の時でしょうな――其れだと、矢張りおかしい。貴女がに此の隠れ庵に入定したなら、其れ以前には何処で合戦の音を聞いた? 黒船来航によって幕末の動乱が始まり、最初に大掛かりな合戦が起きたのは京都の禁門の変――今からの事だ。其れ以前には此の日乃本では約、一度たりとも合戦なぞ起きてはいないのだよ‼」


「⁉」

「……アッ‼」


「幾ら何でも、京での合戦の音が此処迄は響くまい――改めて問おう。貴女は十年前の合戦以前に何時、何処で、何年前に何の合戦を見聞きしたのかな?」






 


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