第27話 白
手前から見て、奥の方に質素な小屋が何件か建っており、水田が二反に畑が三反、小さな竹林と花畑も有る。ぐるりを取り囲む様に植わった木々には、白い花が沢山咲いている。
手前には溜池かな? いや、水路の様な細い小川が流れており、余り勢いの無い小さな滝が流れる滝壺になっていた。
何だろう、此の不思議な空間は……最初に感じた通り、遠目から観ると本当に箱庭の様である。
「如何ヤラ、目的地ニ着イタ様デスネ……」
「ええ、行きますか」
近付くにつれて実物の大きさを感じるも、矢張り色々な物がコンパクトに纏まっている。
俺達は一番傾斜の低い、滝壺近くから降りていく。水路の様な小川は大人なら跨いで通れる狭さで、滝壺の反対側は地下水路となっている様だ。側には物干し竿と手桶が有るが洗濯物は干されていない。今の処、人の姿は見えないので奥の小屋を目指して歩を進めるが、足取りは慎重となる。本当に此処には『八百比丘尼』が居るのだろうか?
普段の俺達からは考えられぬ程、歩みが遅くなっている。御互いに辺りをくまなく観察しながら警戒をする。左端の小屋は炭焼き小屋の様だな、僅かに煙が上がっている。他にも一つ窯が有るが、陶器でも作っているのか? 其の隣の小屋は物置の様な感じで、中央に建つのが母屋かな。右端の小屋は何だろう――あっ、機織り機が見えた。其の隣は戸が閉まっていて解らないな。
此処には確かに自給自足をしながら人が住んでいる。生活の匂いがする。一体誰が? 何時から住んでいる? こんな僻地に尼僧が一人で住み着いている等とは、常識では考えられない。例えワルキューレの様な屈強な女だとしても、人は何時しか老いる。老いた人間が一人で畑を耕しながら、夏は暑く冬は寒い窪地の庵で生きていく事は不可能である。ならば数名の家族で生活しているかだ。其れならば納得出来るか? いや、矢張り何かが不自然だ……。
小鳥のさえずり、水のせせらぎ、水田には青々とした稲穂が風にそよぎ、田畑には幾つもの作物が実る。一見すると長閑な風景の筈なのだが……何故だか気がザワ付く……。
「どうゆう事だ? 今は梅雨時だぞ……」
藤田が何かに気付いた様だ。如何したのか訊ねると、ぐるりを囲む木々に沢山咲いている白い花が、おかしいのだと云う。
「あの白い花は椿です。だが、椿が咲く時期は今では無い……あれは冬の寒い時期に咲いて、春には散っている花なのです……」
云われて俺も、ハッとした。確かにあの花は俺が日本に着いた直ぐ頃に、吉平が居間に飾ってくれた花と同じ物の様である。赤いのと白いのが有ったな――たしか枯れると花が根本からポトリと落ちる、あの花か。
確か其の時、吉平はこう云っていたな。そろそろ時期が終わるから、次に拝めるのは寒くなってからですねと。
でも、花なんて似た様な形の物が幾らでも有るし――あれは椿とは別の種類の花では無いのかな? 我々が唯、単に知らないだけで――若しくは、一般的には未だ見つかっていない新種とか? 俺の推察を伝えるも、藤田は今一つ承服しかねる感じである。
「私も花には詳しくないですが――確かに、其れが尤もな答えか……いや、しかし………」
藤田曰く、此の国の武人にとって椿は縁起の悪い花であると云う。花の枯れ落ちる様が、首を落とされる姿と重なるからとの事だ。なので、嫌うからこそ見間違えぬと……。
季節外れの花が狂い咲く――そう思うと、此の隠れ庵の異様さが際立って来るな。
俺の感じた不自然さや、気のザワ付きも……あながち間違いでは無いのかも知れない。
カタン……。
御互い瞬時に背嚢を脱ぎ捨てて構える‼
中央の小屋から戸の開く音が聞こえた。
空気が張り詰める――藤田は腰を落として居合抜きの体制……俺は二丁撃ちの体制……。
戸板がゆっくりと開け放たれる。
「あら?」、そう云って出て来たのは若い女であった。禿に切り揃えた可愛らしい顔立ちの娘で、歳の頃は十五~十六位か――そして何より、あの藤色の着物は尼僧か⁉
「おやおや、こんな辺鄙な所に御客人とは珍しい。山で迷われましたか?」
若々しい声音の割には、落ち着いた語り口調だ。見た目以上に歳を取っているのかな?
「嫌ですよ……尼なぞ相手に、そう構えんで下さいませ。山奥に住んでいるからと云って物の怪の類なぞじゃあ、御座いません。捕って喰らったりは致しませんよぉ」
其の言葉に従い、俺達は武器から手を放して居住まいを正す。
「それにしても丁度良う御座いました。今し方、野良仕事を終えて汗を拭いていた処でしたので――普段なら着る物なぞ余り気にいたしませんが、こんな素敵な殿方達に小汚い恰好を見られなくて……。あらまぁ、しゃんとされると御二人共、随分と上背が有ります事で。おや、其方は唐人の方でいらっしゃいますの? 黒い二重羽織とは――伴天連様で御座いますか?」
今の処、敵意や害意は感じられない。だがしかし、此の全身が粟立つ感覚は何なのだ。
「無粋な真似をして申し訳ありません、非礼を御詫び致します。我々は道に迷ったのではありません。人を探して此処迄、やって参りました」
「――人を……」
「はい、私は東京警視局警部補、藤田五郎と申します。どうか捜査に協力を御願い出来ませんか?」
「アメリカ合衆国、ワシントンD・C首都警察警部、ジェイムス・ベラミー、ト申シマス。是非、捜査二御協力ヲ」
若い尼僧は口に手を当てた侭、暫し何かを考え込んでいる。そして、口を開くと我々に幾つかの質問をして来た。
「申し訳ありません。
冗談で云っている訳では無い様だ、本当に知らぬのだろう。俺達は大雑把に説明をするが、彼女の理解能力は思いの外、高いので助かった。
「はあ、成程。つまり藤田様は江戸の同心様で――べらみい様は、あめりけ国から参勤なされた同心様なので御座いすね」
徳川幕府が倒れ、明治新政府が樹立。現在日乃本の国は欧米各国のテコ入れにて、急速な近代化を推し進めている事等も、すんなりと理解してくれた。
「はあ、そうですか……十年程前に合戦らしき音が山々に木霊していたけれども、妾は若狭領内で起きた小競合いと思っていました。永らく続いた今の治世にも、終の時が参りましたか。又、大きな争いが起きたので御座いますね――又、大勢が亡くなられたので御座いますね。そして多くの骸の上に、新たな時代が参ったので御座いますか……」
「失礼ですが、貴女は何時から此処に住まわれているのですか。親御様は? 御歳は?」
流石は藤田。いきなり核心付いて来た。
「親はずぅと前に、亡くなりました。後、女に歳を聴くのは野暮で御座いますよぉ……」
軽くいなされたか。しかし、之で引く訳にはいかない。今度は俺が、未だ彼女の名前を聴いてない事に気付いたので、其処から話を掘り下げていこう。
「之は名乗り遅れてしまい、申し訳御座いません。
ハク、はく、しろ? 『白』という字か? 聴いてみると、そうだと云う。
「妾は尼僧ですので、
以前、笹川巡査に聴かされた話が甦る。
俺も自分で幾つか読んだ八百比丘尼の本でも、確かに娘の名前は其々違っていたが、『白』という字が入るのは共通していた。
他にも共通するのは、白椿と白樺を全国に植樹して廻ったというのがあったな。
そうだ! 今、気付いたが此の窪地の上には、白樺が群生している林が有ったじゃないか。
周りの木々には椿――白い椿……。
白樺の林――ぐるりに咲く白椿………。
俺の頭の中では、思考がグルグルと廻る。
先ず最初は何だった? エルとアンリの馬鹿げた思い付きで極東の日本国へ渡航。
人魚――人魚の肉を喰らい、死ねなくなった不老長寿の少女を求めて……。
人魚の肉を探す最中、八百比丘尼伝説を知り――そして渡邉信之助という、異常体力を持つ者と出逢う……。
甦った死体、日本国大統領の暗殺、其の犯人一味の一人、物の怪を追って若狭の国へ行き、山窩達の禁忌の地、隠れ庵に向かう。
人魚――人魚の肉――八百比丘尼伝説――渡邉信之助――異常体力――若狭――隠れ庵――偶然と必然が折り重なって繋がる。未だ確定では無いが、眼の前の女が追い求めたていた人物なのか?
――『オリエントの不死尼僧』……。
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