第26話 隠れ庵
明くる日の早朝、俺達は未だ薄暗い内に出立をする。多古警部補も二日酔いの様相で見送りをしているが正直、鬱陶しい。
「うっぷ……ふ、藤田警部補殿、ベラミー殿。お、御気負付けて、うえっぷ……」
此奴、直属の部下だったらブン殴ってやる処だ。藤田警部補には多古警部補の存在は、見えていない事になっている様だな。
昨晩、地元の若衆に画いてもらった簡単な地図と長めの縄、三日分の食料を背嚢に詰め込んだが重さは其れ程でもない。銃帯は腰に巻いて左右二丁掛けにした。雨の心配も無さそうなので、雨具に蓑は持たず漆笠だけにする。
山に分け入ると初めの内は妙に穏やかであり、之から待ち受ける事への警戒心を薄れさせる様である。簡単な地図だが、かなり正確であった為に目的地には難無く辿り着いたが、此の急勾配や急斜面は並みの人間には厳しいであろうが、俺と藤田の体力と運動能力の前には、さして問題では無かった。でも、此処から先は地図が無いので困難するかと思いきや、嬉しい誤算が有った。何と『隠れ庵』迄の明確な道標が付いていたのである。
急斜面を登っていると途中、彼方此方に差し込まれた杭や人の手で掘られたと思われる足掛け穴、古びた縄の残骸等が点々と有る。恐らく十数年前に渡邉信之助が使用した物であろう。
「話通りに奴さん、此処を登る為に相当時間を掛たんだろうな。幾月も費やして……」
「御蔭デ我々モ、登リ易クテ助カリマスネ」
之ならば、予定より早く隠れ庵に到達出来そうである。山に分け入り数時間、幾つもの難所を越えて、漸く少し開けた場所に出たので其処で昼食を摂ることにした。
「ほら、見て下さい」
藤田が目敏く、地面に落ちている何かを見つけた。其れは前にも見た、食い散らかされた木の実の欠片だった。小動物が食べた物では無い、明らかに人間の歯型が見られる。
「――矢張リ、奴ハ来テイマスネ。十数年前ヨリ俊敏ニ……」
「ええ、でも先ずは飯にしましょう」
昼飯の御結びを食べながら考える。具は酢漬けの魚か……いや、そうじゃない。
何時もならブツの競争相手には、そろそろ消えて頂く処だが相手は藤田警部補だ。確実に勝てる自信は無い――と云うか、下手すりゃ殺られる。
例えば三人掛かりで襲ったとしたら? 刀を持っていない時に後ろから……。
――いやいや、無理だ。殺気を当てた時点で襲い掛かって来るだろうし、銃を使っても簡単に躱される。何より、奴が刀を自身の側から手放す事なぞは粗、無いだろう。其れに、例え素手でも奴の体術は凄まじいからな――練武場で締め落とされた者を何人も見ているし……。
エルとアンリじゃあ、藤田には絶対に勝てない。
百年以上生きている怪物、『人造人間』の俺が怖気付くなんて……此の国の『侍』って奴は何て厄介なんだ。
笹川巡査に聴いた話では、先の戊辰や西南戦争で腕の立つ侍達の多くが死んでしまったとの事だが、未だ藤田の様な強者も幾らか残っているのだな。此の国に来たのが今の時代で、本当に良かった。もし、二十年ばかり早くに来ていたら――藤田の様な猛者がゴロゴロ居たかと思うと背筋が凍る。
仕方が無い、例え『人魚の肉』が見つかったとしても、其の場の状況に合わせて臨機応変に対応しよう。藤田と事を構えるなんて、悪手にも程がある。奴とは仲良くしとこう。
よし、そうと決まれば今は隠れ庵に居るかも知れない、八百比丘尼と渡邉信之助に集中だ。『オリエントの不死尼僧』を求めて来た今回の仕事――果たして何を見る事になるのかな。
方針が決まった処で何だか気も休まり、甘い物が欲しくなったので干し林檎でも食べ様かなと思っていたら、藤田から声が掛る。
「そうだ、ベラミー殿は『八百比丘尼』の伝説を知っていますか?」
「ハイ、以前ササガワ巡査カラ、話ヲ聴イタ事ガアリマスヨ」
俺は以前、笹川巡査から聴いた八百比丘尼の話を掻い摘んで説明した。すると、藤田は少し考えこんでから、こう云った。
「そうですよね……私の知っている話も大体同じ内容でした。しかし、此の間聴いた話では――ほら、若狭に入る前に最後に泊まった旅籠で、其処の主人から聴いた話と林田家の女中から聴いた話では一寸、違うのですよ」
地方や書き手によって、多少の差異はあるとの事らしいがと云いおいて――彼の語った内容は衝撃的であった。いや、寧ろ此方の話の方が真実っぽく聴こえた。
時は平安時代の中期頃、今から千年程前の事。日乃本の方々に奇妙な一団が出現していた。其の一団の首領は白髪の老婆で尼僧であったという。其の老婆曰く、
もう生きるのが辛くなったで、吾の生国、若狭の領主に残りの二百年の寿命を与えた。
なので吾は、もうじき死ぬ。死ぬ前に八百年掛けて培った、吾の霊験あらたかな護符を皆にも分けてやろうと思う。此の護符が有れば病調伏に効果覿面、吾程とはいかぬが長生きも出来る等と云って、怪しげな御札を高額で売って、荒稼ぎをしていた。
そして此の奇妙な一団は江戸時代の初め頃迄、全国各地で見られているが、時代時代によって首領が尼僧という以外は見た目がマチマチであるという。とある時代では剃髪した大女、とある時代では小柄な老婆、とある時代では禿の童女等と、明らかに同一人物とは思われない。
「つまり、『八百比丘尼』とは千年以上前から有る、詐欺の手口と云う事ですね。『人魚』伝説の本場、此処若狭では子供時分には我々が知っていた様な八百比丘尼の話を聴かせ――大きく成るにつれて、今の話を人生教訓の様に教えるのが一般的みたいですな。昨日の女中も笑いながら云っていましたよ。若狭には、どんなに時代を遡っても、二百年以上も長生きした領主様は居やしませんとね」
うわ~そうだ! 俺は何を失念していたんだ‼
こうゆうオカルトじみた詐欺の手法は世界中に幾らでも有るじゃねぇか。実際、其の手の山師共にも何回も会っているし……。
渡邉信之助という奇異な存在を前にして一寸、思慮に欠けていたな。とは云え、奴が普通の人間とは到底思えない。十分、俺(達)の調査対象で有る事には違いないが――自信無くなって来たな……。
取敢えず、此の国に『人魚』が存在すると仮定して考えてみよう。八百比丘尼が現れたのが千年程前で――其処から約八百年引いたら、残りは大体二百年位……。
西暦二世紀か三世紀頃じゃねぇかよ! 未だ此の国に仏教伝来してない時期だろ‼
何が尼僧だ――いや、仏教伝来してから入門したのか……何にしても人魚という生物がいたとしても、千六百~千七百年前に捕れたのを最後に、以降は真面な捕獲記録は無いのか?
いや、そもそも此の計算自体もおかしいか? 八百比丘尼については少し調べたが、文献によって出現時期や死亡時期に隔たりが有り過ぎる。
あ~、考えが纏まらん!
――取敢えず今は、隠れ庵に辿り着く事に集中だな……。
道中、藤田と色々話したが、矢張り彼も考えが纏まらない様である。
「まあ、『隠れ庵』に着けば解る事も有るでしょう。百聞は一見に如かずですよ」
其の通りだな、何が出て来るかは着いてからの御愉しみって訳だ。
其れにしても険しい山道だ。普通の人間なら絶対遭難しているぞ。しかし、十数年前の渡邉信之助が残してくれた遺物や、極最近に付けられた足跡や折れた草木等の御蔭で迷う事無く、着実に目的地に進めている。
随分深くに入り込んだな。もう、山なのか谷なのか密林なのか良く解らない。雅に人跡未踏の地と呼ぶに相応しい景観である。白樺の木が群生する場所を抜けると、急に景色が開け――其処は大きな窪地であった。
だが、唯の窪地では無かった。まるで巨大なスコップで地面を刳り貫いたかの様な場所に小さな建物と畑等が有る。遠目で見ると、丸っこい植木鉢に作られた箱庭みたいな感じだ。
何だ此処は――此の異様な風景は……。
俺達は絶句する。だがしかし、遂に秘境『隠れ庵』辿り着いた様である。
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