第20話 若狭へ

 暫く出張に出ると伝えると、吉平は乾パンに燻製肉等の日持ちのする食材を幾つか作り始めた。本当に器用な男で助かる。

 仁平も之に負けじと、俺の長靴をピカピカに磨き上げた。


「何時も以上に磨きを掛けておきやした。之で何処に出ても格好が付きまさぁ」


 出発は明後日だよと伝えると、照れ隠しに「出立の際は更に磨き上げるつもりでさぁ」と息巻いた。本当に可愛い奴だ。


「てやんでい! 慌てんぼうの、べらんめぇがぁ‼ 旦那の話をキチンと聞きやがれぇ」


 父親の吉平は呆れ顔で云い放つ。


「後は舶来品扱う店に行って、飴と干し果物とチィズでも買い揃えておきやすよ。腹薬や熱冷ましなんかも、旦那の御国の物の方が宜しいでしょうかね? 其れと最新の地図と替えの下着と……」


 料理だけではなく、細々とした処にも気が回る優秀な使用人を持てた事は行幸である。


「お父、近江の方の地図なら書棚に有らぁな」

「いやぁ……今日、買い出しに行った時によぉ――読本屋に新しい地図が出たって張り紙が有りやがったんだよ」

「えぇ~、又かよぉ……。一体ぇ、幾度地図が改まんだい? まるで役者絵並みに次々と新しいのが出てきやがるなぁ」

「そうさなぁ、徳川様の幕府にしても明治の新政府にしても御役人のやる事ぁ、何時だって滅茶苦茶だからなぁ」


 革命から十年経ったとはいえ、各地で散発的な戦いが起こっていた此の国では未だ解決していない事も多く――特に区画整備に於いては各地の有力者達の縄張り争いからか遅々として進まぬ所も有る様で、何度も地図が書き換えられているという状態が続いているのだ。之から俺が向かう滋賀県という土地も何度も地名や境界線が変わっているというが、若狭という名は残っているようだ。

 永遠の命を持つという、尼僧と人魚の伝説が生まれた土地か……さてさて、鬼が出るか蛇が出るか――チョイと面白くなってきたな。


「そういやぁ、旦那! 確かパーシバルさんも商用で近江の方に行ってるそうですぜ。ひょっとしたら、向こうで会えるかもしれやせんね」


 おっと⁉ 奴等も、もう動いていたのか――。

 嫌だなあ……本来の目的とはいえ、向こうで鉢合わせして何時もの如く、大騒動になるのは何としても避けたいぜ。なんせ、今回は藤田警部補という化物じみた男が居るからな。

 仮に藤田に怪しまれたりして最悪、闘う様な事になれば奴等じゃあ、十中八九殺られちまうだろう。俺だって勝てるか如何かは分からない。あの男の戦闘力は、以前に殺り合ってきた共と比べても、間違い無く上位に位置する強さだ。そうならない様に願いたいが、念の為に銃は二丁と他の武器も持って行こう。









「はあ、はあ、や、やったぞ! お、俺は、やったぞ‼ はは、ははははは‼」


 走る――疾る――町中を――街道を――獣道を。 




「大久保だ、うん、維新の――あ、あれ? なんだっけ? 敵? さ、薩肝……」  


 立ち止まる――物思う――考える。




「あ、あれ? 父上ぇ……お、伯父上ぇ……み、皆ぁー! ど、何処だー‼」


 叫ぶ――呼びかける――誰に? 何処に?




「あ、あれ、あれ? こ、此処、何処だっけ? お、俺はアレで、何だっけ?」


 分らない――判らない――解らない。




「わ、若狭に――若狭……お、お白ぅ~、お白ぅ~!――逢いたいよぅ~……」


 帰りたい――戻りたい――あの場所へ……。





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