第18話 共同捜査


 時計の針は既に、十時を過ぎていた。

 笹川巡査は疲れ果てた様子で、軽い寝息を立てながらソファに横たわっている。俺も本国向けの書類が漸くに一通り片付け終って、深い溜息を一つ吐いた処である。

 気が付くと部屋の中は、随分と煙草の煙が充満していた。少し換気をしようかと思ったが、眠っている笹川巡査が寒がるといけないので外に出て一服する事にした。

 煙草の箱を手に取ると、「あれ?」と思った。もう数本しか入っていないのである。

 今日は自分でも気付かぬ内に、吸い過ぎた様だな。既に二箱目を開けて、之で三箱目なのであるが。こんな時間では何処の店も開いてないし――仕方がない、朝方になる迄は節約して吸うか。

 俺は中庭に出て一息吐いていると、其処に藤田警部補もやって来た。流石の彼も御疲れ気味の様子である。「御疲レ様デス」と声を掛けると「どうも……」と力なく敬礼を翳してきた。

 何となく会話の糸口が見つからないので無言の侭、二人並んで煙草を吹かしていると根元近く迄、煙草を吸っている俺に気付いた様で、「ひょっとしたら、煙草が切れかかっているのですか?」と聞いてきた。

 彼が、こんな些細な事に気を回すなんて珍しいと思いながらも、此の話に乗ってみた。


「如何ニモ今日ハ、急ナ事務仕事バカリガ続イタ所為デ、ウッカリ煙草ヲ吸イ過ギテシマッタ様デスナ」


 そう告げると、「だったら、外に買いに行きましょう。自分も、そろそろ切れかかっているので、買い足しに行こうと思っていた処なのでね」と云い出した。しかし、こんな時刻では何処の店も開いてないでしょうと云ったら、「今日は特別でしょう」と云って、玄関に向かい歩き始めた。

 ――そうだった、俺は夕刻に見た町の喧騒を思い出した。庁舎の玄関を出て、少し歩き出しただけで、其処はまるで御祭の夜の様な賑わいであった。彼方此方に並ぶ出店には絶えず人々が集まり、其処彼処で酒を呑んでは、誰も彼もが大騒ぎである。


「大体の店が出揃っています。ほら、あそこに煙草屋も有りますね」


 俺達は用心の為に、一寸多めに煙草を五箱ずつ買った。いざという時の買い置きだ。そして御互いに少し、小腹も空いてきた頃だったので、序に飯を食っていく事にした。    

 隣が蕎麦の屋台だったので、其処に決めて俺は月見蕎麦、藤田は狐蕎麦を註文した。蕎麦を手繰っていると、屋台に居た他の客達はやたらと警察官である藤田に興味を抱いている。と云うよりも、今回の事件の事を聴きたがっているのが在り在りと窺える。何とか話を聞き出そうと、色々と世間話を装って口を挟んで来るのだが、藤田の無愛想の前には皆、早々と退散する破目となった。


 庁舎への帰路、藤田は「ベラミー殿は卵をとじずに、最期に黄身を啜るのですね。あれは通の食べ方ですよ」と結構、如何でもいい話をしてきた。意外だな、彼がこんな他愛もない会話をするとは――きっと、疲れている所為も有るのだろが、こんな機会も滅多に無いので、彼との交流を深める為に俺も、他愛のない話を被せて見る事にした。

 饂飩と蕎麦では何方が好きかとの下らない質問にも断然、蕎麦であると力強く答えた。しかし其処は流石に藤田である。「饂飩は馬子の食い物だ」と、理不尽で辛辣な意見を述べていた。拘りが強いのか冗談にも厳しい男である。

 そんな下らない話を道々語りながら庁舎に辿り着くと、御互い仕事が一段落した事もあり、暇潰しも兼ねて俺達は再び中庭で話し始めた。初めの内は冗談めいた事柄だったが、其の内に今回の事件の内容となっていったのは自然な流れであろう。


「結局、奴等ノ背後ニハ、大掛リナ団体ハ居ナカッタノデスカ?」

「個々で動いた跳ねっ返り共ですよ。特に強大な団体の存在は浮かび上がりませんな」


 主犯格の島田一良、長肆秀を始め、残りの四人も大層な国粋論を述べてはいるものの、一時の感情に奔って行動したと思われ、特に後の事は考えていなかったとの見解である。

 革命の波に乗り損ねた連中が何かをしたいと思えば、テロリズムに落ち着くのも各国共通の事であるな。若者の心理は何時でも思慮深さに欠けた単純なモノなのである。

 こんな醒めた考えに至るとは、俺も随分と歳を取ったのかな――明らかに取り過ぎだな、俺の場合は。あの二人の様に唯、『博士』の復活の為だけに、何か一つの事だけに――普通の人間の倍の時間を使って迄も情熱を保ち続けるなんて、とても出来そうにない。

 不老長寿――初めの内は面白かったが、何だか最近よく解らなくなってきたな。

 少し思考がズレてしまった――いけない、いけない。今は自分の置かれた役割をシッカリと、こなさなければ……。日本警察臨時指導教官、アメリカ合衆国ワシントンD・C首都警察警部、ジェイムス・ベラミーとして事に当たらなければならないのだ。


「何か、心配事でも御有りですか?」


 不意の藤田警部補からの質問に一瞬、ドキリとした。何故そんな事を聞くのかと尋ねたら、今回の事件以外で何か悩み事が有る様な風に見えたのでと答えた。俺は即座に、そんな事は有りませんと返したのだが――此の男、本当に鋭い。彼に下手な嘘は付けないな。


「まあ、其れならば宜しいのですが……」

「ソ、其レヨリ奴等ハ如何、裁カレルノデショウネ。雅カ、切腹トカ?」


 俺は焦って、会話を逸らした。


「ん~……一応、裁判には懸けられるでしょうが、直ぐに死刑執行となるでしょうな」


 看守達の私刑のも付いてか……英雄気取りの蛮行のツケは苦い結末になるだろうな。俺は二本目の煙草に火を点け、揺らめく紫煙を何となく見つめていた。すると藤田は思いもよらぬと云うよりも、まるで俺の心の中を見透かしたのではないかと思わせる様な、質問を投げ掛けてきた。


「『怪力無双の辻斬り』――渡邉信之助についてベラミー殿は如何、思われます?」


 いきなり此処で、渡邉信之助の話になるとは予想がつかなかったな。藤田は既に怪力無双の辻斬り事件については、興味を失っていたと思っていたのだが。当然の如く何故に今、渡邉信之助の話が出るのか、其の真意を聞いてみた。勿論、彼は俺(達)が渡邉信之助に唯ならぬ興味を持っている事なぞは知る由も無い筈だ。すると彼は又、話が飛ぶような事を云いだした。


「処で、ベラミー殿は大久保卿の御者の遺体を検分しましたか?」

「イエ、卿ノ遺体ダケデスガ?」

「論より証拠、では行きましょうか」


 そう云うと、銜えていた煙草を揉み消してさっさと歩き出し、早く来いと俺に手招きをしている。俺の煙草は未だ、火を点けたばかりなのに……本当に勝手な男だな、此奴は。

 遺体安置所に着くと警備員達が眼を丸くして、こんな時刻に此処に入るのですか? と驚いていた。そう云われれば確かに非常識だな、幾ら捜査とはいえ。後は普通の感覚からすると、怖くはないのか? と云う事だろう。

 俺(達)は、こんな事は年がら年中やっているから何とも無いが、其れにしても藤田の肝の据わり方も相当だな。

 御者の遺体は検視が終わったばかりなので未だ、家族には引き渡されていなかった。しかし傷口は縫い合わされて、白粉も施されており、此の国での死者の葬送の為の白い着物も着させられていた。


「彼の死因は、島田達の斬撃によるモノではありません。御覧下さい、首の部分を……一応、報告書では馬車上から引き摺り落とされた時に、骨折したとの事ですがね……」


 成程、漸く藤田警部補の云わんとする事が理解出来た。御者の首の骨は骨折なんて生易しいモノでは無い。之は、とんでもない力によって捻り壊されているではないか。

 怪力無双の辻斬り事件の報告書にも、之と同様の状態の犠牲者が何人か居た筈である。其れに何よりも俺自身、怪力を活かした此の殺し方を、よくやるのである。

 藤田は続けて云う。大久保卿の御者には、何時如何なる時に不埒な輩が襲って来るとも限らぬので、少しでも妙な連中が路を塞いだ時には決して馬の速度を落とさずに、場合に依っては引き殺しても構わないと厳命されていたとの事である。ならば島田達は如何やって走る馬車を止めたというのだと?


「走ル馬車ニ飛乗ッテ、御者ヲ殺シテ馬ヲ止メタ者ガ居ルト云ウ事ニナリマスネ」

「其の身軽な者が島田達、六人の中に居ると思いますか?」

「イイエ。ダカラ、『シンノスケ・ワタナベ』ノ名ガ出ルノデショウ……」


 藤田警部補は少し照れた様に、「あくまで推測の域を出ない話――寧ろ、与太話と云っても良いでしょうね」と、自嘲気味に笑った。

 俺は少し逡巡するも之は案外、良い機会ではないか? 渡邉信之助の事を探るのに。ええい、流れの侭よ! 俺は意趣返しのつもりでは無いけれど、逆に貴方は渡邉信之助の生死について如何、考えているのか聞いてみた。すると意外にも素直に答えてくれた。


「私は考え方を改めねばならぬでしょうね、渡邉信之助は生きていると思います。そして信じられぬ事ですが、彼は尋常成らざる体力の上に、優れた回復力を持つ『物の怪』の様な存在なのかも知れないとさえ、今では思えてなりません」


 実は自分も予てから其の考えであったと告げると、藤田はニヤリと笑い、「其れでは一つ、島田達にを掛けて見ましょうか」と悪戯っぽく云った。俺は何故、自分を捜査の相棒に選んだのか尋ねると、棺桶の蓋に違和感を抱いていた様だったからだと云う。

 色々な処を観察している――やはり只者ではないな。まあ、しかし之で俺(達)の調査方針は固まったな、先ずは渡邉信之助の生存確認及び足取り調査にと。其れにしても雅か、此の男と一緒に『人魚』の秘密について共同調査を行うとは夢にも思わなかったな。多少の遣り難さや危険も当然有るのだが反面、何故か事態の進展の期待も感じさせる。藤田五郎という男の優秀さを知る毎に……。

 意見の一致を見た俺達は、握手等はせぬが奇妙に微笑み合った。之から行う共同戦線に置いても、完全には自分の腹は割らない処が御互いに有るのだという事を物語っている。


 きっと、同じ事を考えている筈だ。御互いに百戦錬磨だ――馴れ合いだけは止めておきましょうと……。




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