第17話 大久保利通卿暗殺

 此の日、東京市中は上へ下への大騒動となった。何せ、白昼堂々と事実上の日本国大統領、大久保利通卿が殺されたのである。

 馬車で議会場へ向かう途中――島田一良を主格とする石川県士族、六人の手により襲撃を受け、御者と共に斬殺されたのだ。

 町中には号外が溢れ飛びかい、日本政府は対応に大わらわである。勿論、政府御用達の御雇い外国人達も例外では無く、其の一人である俺も例に漏れずに右往左往とする事となった。


 奴等の他にも別動隊の過激派志士達が居ないか、又は此の期に乗じて不埒な考えを起こす不平士族達が出て来ぬとも限らないので、何時でも拳銃隊の出撃が出来る様に隊員達を収集させたり、アメリカ大使館、各省庁、俺達外国人が情報交換に使っているクラブやサロンを何度も往復したりと、てんてこ舞いの忙しさで飯を食う暇も無い程だ。

 大久保卿の損失は、各方面に多大な影響を与えている。日本政府には勿論の事、各国外相達も大久保は手強い面も有り、扱い難い人物でもあったが、裏を返せば優秀な政治家である事も否めない事実なのである。そんな彼の急逝は――暗殺されたという事実は、関係各国にも衝撃的な事件なのであった。

 度重なる理不尽な叱責、無理な警護の要請、増え続ける報告書の山――夕刻前には既に疲労困憊となった俺と笹川巡査は、何度目かの警視局庁舎への帰路の途中、此方も疲労困憊気味の伊東巡査と遭遇した。


「あっ、丁度良かった……ベラミー教官殿。拳銃隊全隊員、休暇中の者も含め、集結完了致しました……何時でも出撃可能な様、待機中であります……」


 息をハアハアと切らしながら、伊東巡査は報告をした。未だ新米の彼は、使い走りで相当に彼方此方を奔らされたのであろう。膝が小刻みに震えている。


「御苦労様、イトウさん。疲レテイル処ニ申シ訳有リマセンガ、後デ我ガ家ニモ私ハ暫ク帰レマセント、伝エテキテ頂ケマセンカ」


 俺は労う様に伊東巡査の手に幾ばくかの金を握らせて、帰りに何処かで何か食べて少し休んで来いと云ってやると、感動した様に眼に涙を浮かべて、「有難う御座います」と何度も繰り返し御辞儀をしていた。きっと今日は一日中、伝書鳩の如きに扱われていたのだろうな。新人の勤めとはいえ、酷な事である。伊東巡査は空元気を振り絞り、勢いよく走り出した。

 そんな遣り取りをした後に俺は何時もとは一寸、違う町の感じに気付かされた。もう既に西の空が茜色に染まり始めたというのに何だか、何処も彼処も騒がしいのである。

 町中、到る所に色々な出店が立ち並び、往来には人々が溢れ返っている。まるで御祭の様に賑わっているではないか。


「ササガワさん。何故ニ町中ガ、コンナニ賑ワッテイルノデスカ?」


 奇しくも、自国の大統領が暗殺された日に戒厳令も布かれず、御祭を催す事なぞは有り得ぬ事とは思うが――此の賑わいは如何いう事なのか?


「ああ、いや其の……戒厳令は発動された筈なのでありますが、何と云うか江戸の――いや、東京の連中は何でも、御祭騒ぎにしてしまうのが好きでありまして……」


 成程、『火事と喧嘩は江戸の華』というヤツか。要するに野次馬根性が逞しい訳だ。

 笹川巡査の言に依ると、怪力無双の辻斬り事件の時の様に、未だ犯人が捕まっていなければ水を打った様に静まり返るのだが、(現在犯人は死んだと報道済み)今回の様に既に犯人が捕まっているとなれば、『江戸』市民達は怖い物無しにハシャギまくるらしい。

 そして一度こうなってしまったら、商売人達を幾ら取り締まった処で場所を変え変え、商いを始めるだけであり、雅に鼬ごっこと成ってしまうので、半ば諦めて見過ごしているとの事である。

 日本のみならず、如何して都会に住む連中は、こうも秩序を欠いた真似をするのだろう――まあ、欧米諸国の様に暴力的な行為が無い分、幾らかマシではあるが……。


「野次馬ヤら屋台程度デ済ンデイルナら、其レ程、目クジラを立テる迄モ無イト云う事デすヨ。ベラミー警部殿」


 不意に藤田警部補が声を掛けて来た。

 笹川三等巡査は「御苦労様であります!」と、緊張した面持ちで敬礼を翳した。部下達から見ると藤田は怖い上司というよりも、存在自体が恐ろしい様である。


「吞気デスネ、フジタ警部補。今ハ、国家ノ重大事デハナイノデスカ?」


 俺からの皮肉交じりの問い掛けに、今度は日本語で「為ればこそ、取り乱す事は避けるのですよ」と、相も変わらず落ち着き払った様子で受け答えた。


「其れにしても此の一年余りの内に、が揃って逝ってしまうとはな――之も運命というヤツなのか……」


 彼の独り言の様な呟きに、笹川巡査も反応して呟いた。


「そうでありますね……之で、『維新三傑』全員が亡くなってしまったのですね」


 此の国に革命を齎した英傑達の中でも、特に優れた働きをした三人の漢達――木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通の三人が『維新三傑』と呼ばれており、人々から称賛されていた。

 しかし木戸孝允は病床で、内乱に揺れる国の将来を憂いながら憤死――西郷隆盛は内乱の首謀者として戦死――そして大久保利通は暗殺されてしまった……。

 大いなる改革を起こした英雄達は、総じて短命なのは世界共通だな。秀逸な頭を失った今、残念だが此の国は暫くの間、迷走状態に陥る事だろう。


 グラントンとパーシバルの言に依ると今の日本政府の政治家達は、大久保卿を除いて総てが二流~三流との見解である。俺は奴等程の情報分析は出来ないが、そんな自分の見立てでも、やはり同じ意見である。

 宴席や仕事で出会った日本の政治家達は皆揃いも揃って、我欲に塗れた王侯貴族の貌をしていた。嘗ての俺が散々殺しまくっていた――あの薄汚ぇ、欲呆けした豚野郎共と全く同じ貌付きだったのである。

 大抵の人間は富と権力を手にした途端に其れ迄抱いていた、清廉潔白な大志を簡単に捨ててしまうモノなのだ。しかし大久保卿は、其の埒外に居る稀有な存在であった。大久保卿とは仕事の関係上、何度か謁見した事があるが大層な人物と見受けられた。

 賄賂等には興味も示さず、私腹を肥やす事ばかりに奔走する嘗ての同志達を尻目に見ながら、一人黙々と難解な国際政治交渉に心血を注ぎ、奮闘している様であった。

 日本人の判官贔屓の為に悪役としての影が付き纏う彼だが、俺の眼から見れば寧ろ西郷よりも余程、大久保の方が悲劇の英雄という感じがするのだが。


「之からの日本政府は先行き不安だ――八咫の烏が居なくなったのだからな……」

「大久保卿の代わりに為る御方は思いつかないでありますね……」


 如何やら此の二人も、俺と同じ事を思っているらしい。いや、俺達に限らず、政治に近しい立場に居る者であれば皆、同じ思いであろうな。日本にとって、大久保卿の突然の死は深い痛手となるだろう。

 往来でしんみりと物思いに耽っている事は出来ない。直ぐにも賑やかな街中特融の騒々しさに巻き込まれる。「どいた、どいたー」と、威勢の良い掛け声と共に、ガラガラと手押し車を引く音が目抜き通りに響き渡った。


「おお~い、藤田さん、ベラミーさん」


 其処には経理課の横山警部が居り、積荷を満載した数台の大八車を引き連れていた。

 

「物々シイデスネ。何デスカ、コノ荷物?」

「いや~、皆さん暫くは帰れんでしょう。だから、炊き出しやら何やらせねば成らんのですがねぇ……局の倉庫に有る備蓄糧食だけでは、チョイと足らんものでして、追加の買い出しをしとる訳でありますわ」


 成程、之から夕食ないし、夜食用の炊き出しを始めるのか。そう云えば大分、腹が減ってきたな……俺達は未だ、昼飯すら食っていないのである。横山警部は後小一時間程もすれば、食事の用意が整いますから食いに戻って下さいと云い残し、大八車のキャラバン隊を引き連れて警視局へと走っていった。


「炊き出しか……楽しみですが、未だ時間が掛かりそうでありますね」


 食事に有り付ける事を聞いて気が緩んだのか、笹川巡査の腹の虫がキュルルと鳴った。失礼しましたと、顔を赤らめ照れている。

 俺も腹が減っているから、我々は先に食事を済ませて帰ろうかと提案すると、初めは皆に悪いからと云ってはいたが、俺達外回り組は昼飯すら食っていないのだから良いだろうと諭すと、漸くに賛同をした。

 藤田警部補は、未だ二~三件の用事が残っているから遠慮すると云って、早々に何処かへ行ってしまった。相も変わらず人付き合いの悪い男である。


 疲れた身体には滋養を付けねば――という事で鰻屋に入った。日本の鰻料理の定番である、蒲焼きは最高に美味だ。割いた身を串に刺して、甘ダレに何度も潜らせながら、何度も焼き返す。其れを丼に盛った温かい白米の上にのせ、更に白米にも味が浸みる様に甘ダレを少量かければ、鰻丼の出来上がりである。最後に薬味の山椒を少し振りかければ風味も伴い、文句無しの美味さである。

 初めて之を食べた時には、余りの美味さに感激したものだ。あの食には無頓着で小食のグラントンでさえも「美味い、美味い!」と二人前をペロリと平らげていた。俺も、其の気になれば五~六人前位食えるけれど、そんなに食ったら周りから呆れられそうなので我慢するが、当然の如く大盛りで注文する。

 笹川巡査も「美味しいですね」と終始、顔を綻ばせている。之は当然の如く、日本人も鰻が大好物なのである。


 食事を終えて警視局に戻ると、其処は宛ら戦場の野営地の様であった。大量の鍋、釜で炊事番に当たる者達は食事の用意に彼方此方駆け回り、腹を空かせた者達が飢えた貌で、次から次へと御結びと味噌汁の配給先に並んでいた。俺と笹川巡査は少し気まずい思いで、そそくさと俺の私室に駆け戻った。

 粗方の書類整理を済ませると、後は笹川巡査に翻訳作業を任せて、俺は帰庁の報告も兼ねて川路大警視の執務室を訪れた。


「失礼シマス。ジェイムス・ベラミー警部、入室イタシマス」


「どうぞ」と少し、くぐもった声が聞こえてきた。俺は一寸、心配になりながら扉を開くと、其処には予想通りに憔悴しきった川路大警視の姿が在った。アメリカ大使からの御悔みや、其の他の報告をしている最中も川路大警視は心此処にあらず、という感じで聞き流している。


「カワジ殿、大丈夫デアリマスカ?」

「あぁ――す、すまない、ベラミー殿。私は大丈夫だよ……米国大使殿にも御気を煩わせた様だね。何れ、御礼に伺わねばな……」


 テーブルの上に置かれた食事は手付かずの侭、既に冷めている様だ。やはり相当、気落ちしているな。俺は川路大警視に一旦、身体を休める為に帰宅する事を提案してみたが、彼は虚勢を張って云う。


「皆が頑張っている中で、自分だけ怠ける訳にはいかぬだろう。なぁに、幕末から此方に至るまで奔り回って来た私だ! 此れしきの事では参らんよ」


 無理に明るく振舞う姿が余計に憐憫を誘う――。

 俺は之以上、何も云えなくなってしまい……執務室を後にした。




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