第16話 八百比丘尼伝説

 其れにしても、渡邉信之助は本当に俺達の求める、『不老長寿』の秘事に携わっているのだろうか? 其れよりも奴を、『不老長寿』に仕立てたのは何者なのか? 人魚の肉を食らった者? 『オリエントの不死尼僧』?

 いや、下手な考察はよそう――未だ未だ情報が足りていない。

 渡邉信之助が本当に蘇ったか否かも定かではないのに、答を求めるのは早計であろう……俺はグラントンやパーシバルの様な天才的な頭脳も無ければ高度な計算等も出来ない。もう少し材料が集まる迄、答は保留としておこう。




 今日は射撃訓練も無く、大多数の隊員達が休暇日の為に俺は朝から書類との格闘となったが、秘書官の笹川三等巡査も随分と翻訳作業が板に付いてきた様であり、業務は思いの外、順調に進んでいった。


「ササガワさん。後ハ此ノ項ヲ仕上ゲレバ大体ハ落チ着クデショウ。残リハ来週以降デモ充分間ニ合イマスネ。此処等デ一息、吐キマショウカ」


 そう云って俺は、書斎の戸棚から貰い物の羊羹を取り出すと笹川巡査の顔が綻んだ。


「良いですね、疲れた頭に甘い物は最高ですからね。私、御茶を淹れて参ります」


 笹川巡査は嬉しそうに、急ぎ足で給仕場へと向かった。彼は甘い物には眼が無いのだ。

 グラントンの話によると、此の国では酒を余り嗜まないと云うよりも、全く酒を呑めない者達が儘、居るのである。『下戸』と呼ばれる、其の者達は酒精を受け付けない特異体質者であるそうで、主に日本を始め亜細亜の一部地域とロシアの一部地域にのみ存在するそうだ。

 特に日本には下戸が多く居る様で、笹川も其の一人なのである。例外も居るが大抵の下戸の者達は甘味を嗜好するらしく、笹川も大の甘党なのだ。


 緑茶を啜りながら美味そうに羊羹を頬張る笹川巡査は、まるで子供の様に見える。彼は頭も良く、外国人とも堂々と渡り合える度胸と技量を持ち合わせており、後十年もすれば一廉の人物に成れるだろうが、未だ二十代始めの彼では十年経とうとも、其の幼顔に重みは中々出ないであろうな。

 日本人男性が男の顔は早くに老けた方が得であると、よく云っているのが判る。

 そんな事を考えながら、まじまじと彼の顔を見ていた俺の視線に気が付いた様で、少しオロオロとしながら訪ねてきた。


「あの――私の顔に何か付いていますか?」


 笹川巡査は忙しなく、左手で自分の顔を探っている。俺は笑いながら云った。


「イエ、何モ付イテイマセンヨ。唯、君ノ顔ガ余リニモ若々シイト思イマシテネ」


 そう云うと笹川巡査は少しむくれた様子で「其れを云わないで下さいよ。自分でも気にしておるのですから」と、やはり己が童顔に自覚は有った様である。

 いや、彼だけに限らず大抵の日本人男性は多かれ少なかれ、童顔を気にしているのだろう。西洋人が此の土地に来る前迄は然程、気にしてもいなかったのだろうが、西洋人に見た目が幼すぎると子供扱いされた事が、彼等の自尊心を傷付けた様で、劣等感となったのだろう。

 其れ故に今、日本人男性の間では少しでも威厳ある顔つきに見せ様と、鬚を生やすのが流行りとなっているのだが、幼い顔つきで鬚を生やされると依り一層、幼さが際立ってしまい、時に失笑を誘ってしまう。之は口には出せぬが、川路大警視が雅に其れである。


 もし日本人で二十代中頃の『不老長寿』の者が居れば、十代半ばから四十代始め位迄の年齢詐称が出来るだろうな。俺の顔では、何とか無理しても二十代始めから四十代始めが精々なのだが。でも、パーシバルは年増を演じられず、グラントンは若造を演じられずだから、案外俺の顔造りは便利な方なのだな。


「欧米の方々からの眼から見ると我々日本人――亜細亜人の顔って、そんなに幼く映るモノなのでありますか?」


 此の質問に対して、逆に君達から見た我々西洋人は如何、映るのかと尋ねると、やはり老けて見えるとの事だった。


「前に、とあるイギリス商人の家で開かれた宴に招待された事がありましてね。其処で知り合った娘さんが余りにも御奇麗だったので、若い連中が挙って声を掛けていたのですが――何と其の娘さん、未だ十一歳の童女だったのですよ。あれには参りました……そして向こうも又、我々の事を十四~十五歳位の少年達だと思っていたと云われましてね……」


 面白いけれど当人達にとっては、悲しい話だな。笹川巡査は照れ臭そうに、そして一寸悔しそうに語った。


「でも、ベラミー警部殿は御若く見えますよ。四十代と聞いた時は私ばかりではなく、皆が驚きましたよ。もっと、若く見えると」


 不味い! やっぱり四十代は無理が有るか?

 俺は取り繕う様に、老けて見える西洋人の中で若く見られるのは嬉しいですねと、微笑を携えて、此の話を軽く流して終わりにしようとしたら、思わぬ形で興味深い話を聞ける事となった。

「雅か、人魚の肉でも食べられたのではないでしょうね」と笹川は笑いながら云った。恐らく冗談のつもりで云ったのだろうが、何とも面白い偶然だ。日本では若作りの者に対して、人魚伝説を絡めるのは一般的な冗句なのであろう。兎に角、俺は素知らぬ振りで尋ねる事にしてみた。


「『人魚ノ肉』デスカ――ソレハ、如何イウ事ナノデスカ?」


「ああ、いや……其れは此の国に古くからある伝説の事なのですが……」と笹川巡査は、かなり詳しく日本の人魚伝説を話してくれた。

 要約すると次の様な御伽噺である。



 昔々、若狭のとある地にて漁師達が人魚を捕まえた。既に人魚は事切れていたが、其の肉を喰えば千年の時をも生きられる『不老長寿』に成れると古くからの言伝えがあり、幾人かの者が試してみる事となった。

 しかし肉を貰い受けた一人の男は、其の肉は食べずに密かに家に持ち帰り、捨ててしまおうと思っていた。

 何故かと云えば、人魚の肉は『不老長寿』の妙薬であると同時に、食気に当たれば猛毒となり、喰った者は息絶えるとも伝えられていたからである。

 此の時は後者の伝承が当てはまった。人魚の肉を喰った者達は、尽く死んでしまったのである。肉を喰わず安堵した男であったが、捨てたと思っていた筈の人魚の肉を誤って食べてしまった者が居たのである。其れは男の十五歳になる娘であった。

 しかし娘は死ななかった。其れ処か、娘は言伝え通りに若々しい姿の侭、全く歳を取らずに五十年の時を過ごした。

 されど何時までも歳を取らぬ娘に対して、亭主や周りの者達からは次第に気味悪がれる様になり、居た堪れなくなった娘は出家して尼僧となるのだが、歳を取れない呪われた身の為に一所に長くは居られぬので、全国津々浦々を放浪する事となるのであった。

 そして放浪する事、八百余年。娘は再び生国である若狭に舞い戻った。そして此の地を治める武将に、千年生きる自分の寿命の内二百年を差し上げる代わりに、自分を此の地にて手厚く葬って頂きたいと願い出る。もう生きる事に疲れたのだと云う。

 武将は其の願いを聞き入れ、二百年には届かぬものの、百三十年の時を生きた。

そして娘は八百年の人生に終止符を打ち、若狭の地にて永久の眠りに付いたと云う。

 八百余年の時を生きた娘は、やがて伝説となり、『八百比丘尼やおびくに』と呼ばれる様になる。



「地域や書き手によって多少の違いは有りますが、話の粗筋は大体同じです。面白いのは書物により娘の名も様々ですが、多くの本に共通して『白』の字が入いる点ですかね。話の大元になった人が居るのかなぁ? 名前が『おはくさん』とか云ったりして……」


 八百年の時を生きた少女か――永遠ではなく八百年で終っている処が異なるものの、此の御伽噺が欧州に伝わり、東洋の果てで永遠の時を生きるという、『オリエントの不死尼僧』のモデルとなったのだろうか。


「他にも人魚が関わっている話として、『西行法師』の土人形なんて云うのもありますね。矢張り、地域や書き手によって細部は異なりますが……」



 西行という法師が旅の途中――野晒しにされていた女の遺体を哀れに思い、『反魂はんごん』という秘術を用いて生き返らせた。

 しかし、生き返った女は『人』としての記憶は無く、直ぐに土へと返ってしまうという、少々物悲しい話である。

 其の秘術に使われた秘薬の中に、『人魚の肝』という呪物が使われていたと伝えられているそうだ。西行法師の土人形以外にも似た様な話が幾つか有るが、此方も粗筋は大同小異との事。




「あと、人魚では無いですが食べれば不老長寿になれるという、『ぬっぺほう』なんて云う話も有りますよ」



 其れは『肉人』とも云われ、ブヨブヨとして手足は有るも、顔も目も口も無い、肉の塊の様な異形の姿であると云う。やはり人魚と同じ様に、其の肉を喰えば『不老長寿』を手に入れる事が叶うと云われているそうだ。



「ササガワさんハ、御伽噺ヤ伝承ニ詳シイデスネ」と素直な感想を述べると、彼は少し照れた様に云う。

「祖父が此の手の怪談話が好きでありましてね。自分も小さい時からよく聞かされていたので、自然と覚えただけであります」と、謙遜しながらも一寸、得意気な様子である。

『ぬっぺほう』の話は如何やら、前に志那で聞いた『太歳』や『封』の伝承に類似している。恐らくは志那大陸経由で入ってきた話なのかも知れないな。日本では志那が文化の母と呼ばれている程に、彼の国からの影響が大きい様であるからな。

 何にしても、亜細亜圏では『不老長寿』と云えば、怪異な生物の肉を喰うというのが定番の様である。

 そんな事をつらつらと考えながら、何気無い御茶飲み話で穏やかに流れていた空気が突如、破られた。伊東巡査がノックも忘れて、慌ただしく部屋に飛び込んで来たのである。

 ……嫌な予感がするな……彼がこうゆう風に現れる時は大抵、騒ぎが起きる前兆なのだ。


「た、た、た、大変であります! さ、笹川さん、べ、ベラミー教官殿! お、大久保きょ、卿が……あ、あの、其の、あれで其の……」


 こりゃイカン、呂律が回っていない。如何やら相当の大事件が起きた様であるな。


「ど、如何した伊東君! 落ち着きたまえ」


 笹川巡査の声かけにも、一向に落ち着けない伊東巡査の報告は全く要領を得ず、仕方なしに俺と笹川巡査は、伊東巡査に引き摺られる侭、庁舎玄関前まで移動した。

其処では凄い人だかりが出来ており、俺達と同着位に川路大警視達も蒼白な顔で人だかりを掻き分けて、中心に入り込んで行った。

 人垣の全面には、如何にも浪人然とした若者が六人立っていた。挑戦的な眼差しで警官達と対峙している。よく見ると皆、着衣の裾が血に塗れている。

 彼等と対面した川路大警視が、やや震える声で語りかけた。


「今、部下達から報告を受けた――が、信じられん。き、貴様等、何をしたと……」

「ほう、貴殿が悪名高き大久保の犬――川路殿であるか。丁度良い、耳の穴をかっぽじって聞くがよい! 我々、同志六人はたった今、『奸賊』‼」


 主犯格と思しき男が同間声で叫ぶと、他の男達も其れに続いて高笑いや咆哮を始めた。


 警視局庁舎内は、蜂の巣を突ついた様な大騒ぎとなる……。


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