第15話 甦った死体

 今夜の飯も美味かった。川魚は下手な奴が調理すると泥臭くて食えたモノではないが、吉平の作る料理には、そういった失敗は一切無い。本当に料理上手の使用人を得たという事は僥倖である。

 さて、時間も未だ早い事だし、明日からの困難な仕事に備えて命の洗濯と洒落込む為に吉原に出掛けようと思った矢先、パーシバルの馬鹿が勢いよく我が家に飛び込んで来た。


「こんばんはー! おや、ジンペイ君。相変わらず可愛いねぇ……あっ、キッペイさん。今日も良い男だねぇ……之、御土産ね!」


 最悪だ。嫌な予感がプンプンとする。


「何時もすみやせんね、パーシバルさん――おや、クッキイですかい。其れじゃあ、豆茶コーヒーでも御淹れしやしょうか」

「よろしくね、キッペイさん。おや――又、綺麗な花が活けて有るねぇ。之は何て花なの?」

「へえ、そいつぁ芍薬って花でやす。今の時期が見頃でしてね」


 吉平は毎度、季節の花を飾ってくれる洒落た感性を持った粋人だ。其れとは逆に、花より団子の仁平は御土産のクッキーに眼を輝かせている。パーシバルは一緒に食べようねと、仁平をソファの隣に招き寄せた。

 社交性の高いパーシバルは誰とでも直ぐに打ち解けるのが得意であり、既に我が家の使用人達とも仲良くなっているのだが、仁平に付いては別の目的が有りそうだ。

 仁平は顔立ちが可愛い上に、食べ物に釣られやすい。残念だが一寸、御馬鹿な子なのである。其れ故にパーシバルの様な変態には、絶好の獲物と映る事だろう。余り、パーシバルには懐かぬ様に眼を光らせて置かないと、取り返しの付かない事態になってしまう。


「パーシバル君。改めて釘をさすが、我が家の使用人に妙な気を起すなよ」


 パーシバルは仁平の肩に手を回しながら、不敵に微笑んだ。


「えぇ~でもぉ――彼の方から望んで来たら、それは拒めないよぉ……」

「手前ぇが唆さなきゃあ、そんな事にゃぁならねぇよ。第一、ジンペイが男好きとは限らねぇだろうが――と云うより、普通に考えて同性愛者の方が圧倒的に少ねぇだろうが‼」

「其れは判らないよ。ひょっとしたら、彼も僕と同じ様に両刀使いかも知れないし……」


 之以上の議論を続けるのなら俺は暴力に訴えるぞと云うと、パーシバルは御免なさいと素直に謝った。


「へへ、南蛮語はさっぱりでさぁ。御二人で何の内緒話してんですかい?」

「何、大した事じゃないよ。ベラミー警部が色街に遊びに行きたいって云ってるんだ」


 此奴は何時も突拍子も無い嘘ばかり付く奴なのだが、今日ばかりは当たっていたので何と無く気恥ずかしい。


「パーシバルさん、仁平の前で下品な話はよしてくだせぇよ。此奴は未だ未だ、童なんでやすから」


 吉平がコーヒーを淹れて来てくれた。芳ばしい香りが鼻腔の奥を擽る、豆の挽き方が上手いのである。皿に乗せられた御茶請けのクッキーの盛付け方も、何処か小洒落ている。此の男は本当にセンスが良い。


「何だよ、お父。おいら、もう童じゃ無ぇよ! もうじき元服なんだぜ、一丁前さ!」

「おきゃあがれ、すっとこどっこいが! 板前の倅が元服も蜂の頭も有るもんけぇ、一丁前気取るにやぁ十年早ぇや‼」


 此の国では嘗て、武家と呼ばれた特権階級の家柄に生まれた男児は、一五歳で成人と見なされていた。其れに倣って、庶民の間でも十四~十五歳で一丁前だと自負する者も多いらしいが、吉平や大多数の大人達に云わせれば随分と笑わせる話らしい。

 確かに、欧州や其の他の地域――世界的な感覚でも十四~十五歳で大人の仲間入りではあるが、先ずは其処からなのである。十五でいきなり一人前を気取るのは片腹痛い、自惚れもいい処である。之は俺の生まれた時代でも同様だった。

 日本人は顔つきも幼いし、身体も小さいから猶の事、此の元服という制度は旧時代の悪習の代表例なのかもしれないな。

 其の他にも此の国には未だ、旧時代の悪習は幾つも残っているのだが、嘗ての西洋諸国の様に何れ時の流れが解消してくれるだろう。文明開化の波は確実に世界規模で広がっているのだから……いや、西洋にも未だ未だ淘汰されるべき悪習は一杯あるけどな。


「さてと――冗談は此の辺で止して、そろそろ本題に入ろうか。ベラミー警部殿」

「何を今更、気取ってんだ阿呆。コッチは手前ぇの話とやらを散々、待ってんだよ!」

「君は何時もキビシイ物言いだねぇ、まあいいや。前にさ、皆で行った『おたふく屋』覚えてる? 魚の照り焼きが美味しかった食堂……」


 覚えていると云うよりも俺は昼食を食いに、しょっちゅう行っているが。


「其の『おたふく屋』に今日の朝方、泥棒が入ったのよ、未だ開店前にね。炊いたばかりの御米が一升、御釜ごと盗まれちゃったそうだよ。序に、沢庵二本と梅干しも壺ごと持って行かれちゃったって」


 何の話をしているのだ、此奴は?


「其の泥棒って奴がさ、まるで猿の様な身軽さで御釜と壺を持った儘、屋根伝いに飛び跳ねながら逃げて行ったらしいよ。とても人とは思えぬ動きだったってさ」

「――成程、御前ぇの云いたい事が分かってきた。其の飯泥棒の容姿はどんなんだった?」


 見た者の話によれば、着古した汚い着物にボサボサの髪を雑多に結んだ、十五~十六歳位の若者だとの事という。


「如何思う、ベラミー警部?」


 余り考えたくはないが、其の猿の様な飯泥棒というのは渡邉信之助――つまり、『怪力無双の辻斬り』である可能性が極めて高いと云うしかないだろうな。

 甦った死体か――何やら昔を思い出す。

 おたふく屋の主人は一応、警察に訴えたそうだが、飯泥棒と怪力無双の辻斬りとは結び付かなかった様だな。

 パーシバルは、奴は故郷の若狭に向かったのだと主張するが、俺はそうとは思えない。奴の両親と親類縁者は既に他界しており、同志も殆どいない土地に今更行って、何の利が有るというのだ。


「寧ろワタナベが向う処は、今の此の国の恩恵に与れなかった、不平士族が多く集まる土地へ行くんじゃないか?」

「ふへーしぞくねぇ……そうなると、南方かな? サイゴウ軍の残党ってのが居たりして」


 大規模な内戦、西南戦争が終結したばかりの此の国では、未だ未だ不穏な空気が漂っている事は確かである。しかし先の内戦の首謀者、西郷隆盛が斃れて以降は、大掛かりな不穏分子の行動は見られていない。


「警察は未だ、危な気な連中が結構居ると見ているの?」

「大掛かりな組織は、今の処は存在しないとの見方だけどな。其れでも、少人数で政府要人を狙いそうなテロリスト達は、未だ幾らでも居そうだとの事だぜ」


 でも俺の見解としては、暫くの間は何も起こらないと踏んでいる。此の国に長く駐留している欧米人達の話を聞くと、西郷という男は相当なカリスマ性を持った人物だとの評判であり、欧米随一の日本通で知られるイギリス大使館員のアーネスト・サトウが、方々に惜しい人物を亡くしたと嘆いたそうだ。  

 彼曰く、西郷は義理人情に厚すぎた為に、破滅すると知りながらも蜂起したと云う。

 其れ程のカリスマ指導者が起ち、屈強な侍達が集い従いながらも僅か七ヶ月間しか戦闘は持たなかったのである。之から先、どの様な連中が幾ら集まろうとも、現政府の敵と成り得る様な強大な組織は暫くと云うより、もう二度と作れないだろうと俺は思う。


「日本各地に、現政権に反抗する思想を持った私塾や、名の有る思想家達を警察は既にピックアップしている。先ずは地道に其処等辺から当たるのが賢明だと思うぜ」

「う~ん、時間が掛りそう。でも先ずは、ワカサから調べたいなぁ」

「いやに拘るな、勘で云ってんのか?」

「科学者が勘になんて頼るもんか! 僕の独自計算に依って、導き出した答なのさ‼」


 どんな計算なのだか――でも此奴の云う事は偶に当たるからな。


「ねえ、旦那方……『サイゴウ』って言葉が聞こえるんでやすが、ひょっとして大西郷の事を仰ってんですかい?」


 仁平が俺達の会話から、『西郷』の言葉を聞き取った様で、興味有り気に訊ねてきた。


「やあ、そうだよ。タカモリ・サイゴウについて話してたのさ。ジンペイ君もサイゴウは知っているかい?」

「あったりめぇでやすよ! 大西郷知らねぇとあっちゃあ、江戸っ子――いやいや、日本人たぁ云えやせんよぉ!」


 仁平が気色ばんで叫ぶと、其れに続いて吉平も西郷を褒め称える様に云う。


「何せ、あの御方は真の侍にして、男の中の男でやすからねぇ」


 仁平も吉平も、かなり西郷について好意的な感情を持っている様だ。いや、此の二人に限らず大抵の日本人は、西郷に対して好意的というか同情的な感情を抱いているのだ。

 此の国の人々は敗者を持ち上げる気風なのである。言葉の意味は良く判らぬが『判官贔屓』と云うらしい。其れ故に、敗軍の将にも関わらず西郷の人気は高いのである。

 勿論、全ての日本人がそうと云う訳では無く、当然の如く政府依りの者達は西郷憎しと大々的な宣伝を打ったのだが、反して彼の人気は日を負う毎に高まり、今では『浮世絵』や『講談』等に迄、成っていて庶民の人気を博しているのである。

 そう云えば前に、藤田警部補にも西郷の人物論等の感想を聞いた事があったが、其の時の彼は苦虫を噛み潰した様な顔で、「侍を滅ぼした男が、最後の侍として滅ぼされるとは――何とも皮肉な話だ……」と、かなり辛辣に酷評していたな。まあ、彼も先の西南戦争に従軍して負傷したと云うから、怨み言の一つ二つが有るのだろう。


 其れに対して可哀想なのは、勝者の代表である大久保利通卿であろう。

 現在の日本政府内務局長官、事実上の日本国大統領にも関わらず、彼の人気はかなり低い様である。

 大久保と西郷は共に、日本の革命に置いて多大な業績を上げた功労者である。そして同郷の幼馴染でもあり、盟友であった。しかし、意見の食い違いから政争に敗れた西郷は下野し、其の後に武装蜂起する事となるのだが、嘗ての朋輩を情け容赦無く叩きのめした大久保卿は、すっかり悪役とされてしまったのである。

 現実的に見れば、大久保卿のした事こそが近代国家樹立の為の正道と成るのだろうが、例の判官贔屓というヤツが其れを許さなかった様である。庶民感情の中では大久保=悪人、西郷=悲劇の英雄という図式が出来上がってしまっている様だ。

 吉平も仁平も、やたらと西郷を褒めちぎり大久保を扱き下ろしている。俺は大久保卿承認の元で日本政府に雇われているのだよと呟いたら、二人揃って大慌てで大久保卿は実は凄い御仁ですよと、おべんちゃらを云い始めた。此の親子は一寸、間の抜けた処が有って面白い。


「取り敢えず、再来週には取引の方も一段落するから、其の後でグラントン社長と一緒にシガ県方面を散策して来るよ」

「あの辺りは今、分割問題でゴチャゴチャとしているらしいから、地元の役人共に疑われる様な騒ぎは起こすなよ。面倒臭いのは御免だぜ」

「僕等が、そんな下手打った事がある? 心配御無用だよ!」


 どの口が云ってんだか――何時もトンデモない馬鹿騒ぎ起こして来るじゃねぇかよ。尻拭いするコッチの身にもなりやがれ。

 結局、此の日の晩はパーシバルが我が家に居座った御蔭で出掛ける事は叶わず、おまけに秘蔵のワインを一本開ける羽目となった。




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