第6話 東京警視局警部補 藤田五郎
航海する事、約一ヶ月。一八七八年、二月。
幸いにも嵐に遭遇する事も無く、予定通りに日本国の横濱埠頭に船は接岸した。
近代文明から遠く遅れた国との噂を聞いていたが、中々如何して立派な港である。煉瓦造りの建築物が幾つも立っており、一寸した港湾都市の様相を呈している。
半年以上に渡っての、反抗勢力との内戦が終結したばかりと聞いていたので幾らか荒れ果てているかと思いきや、そんな様子は微塵も見当たらない。船上で知り合った日本人商人の話によると、今回の内戦は日本の南部地方で勃発したとの事で、首都東京府での戦闘行為は殆ど行われなかったそうである。
「まあ、今回の戦は旧勢力一掃の最後の大掃除っちゅう処ですわ。之で過去の特権に固執した喰い詰め侍共も身の程知って、大人しゅうなりまっしゃろ!」
日本人商人は、「カカカッ!」と愉快そうに笑いながら云った。
でも、之からは皇帝と貴族達が仕切って行くのでしょう。支配者が変わるだけではないのですかと尋ねると、「あんなモンは唯の飾りでんがな。勝手な事は何一つ出来まへん」と、キッパリ云い切っている。
「議会の承認が無ければ皇帝と云えど、兵士の一人も真面に動かせないんだべ。何せ此の国の後ろにゃあ、アメリカとイギリスが付いて彼是と口出し、してんだべからよ。事実上は民主国家と同じ様なもんだべ。其れに新政府は新興貴族共にも、其れ程の特権は与えて無ぇ様だしなぁ」
成程、前に此奴等が云ってた様に之からは何処の国も、昔みたいな王侯貴族の横暴な特権は通じない御時世に代わって行くのか。
「其れが近代化。好い事だよね!」
そう云えば、博士も云っていたな。自身が裕福な貴族であるにも関わらず、階級制度なぞ意味の無い物だと。こんな下らない制度を何時迄も続けている内は、人類に永遠の安寧は訪れないのだと、熱っぽく語っていたのを思い出す。
嘗ての支配階級に属した有力な騎士団は、今回の内戦で粗方叩きのめされた様だ。 此の国も何れ、アメリカの様に商人が幅を利かせる国になっていくのだろう。
グラントンとパーシバルの二人は、件の日本人商人との打ち合わせがあると云うので俺達は一旦、此処で別れる事にした。何だか直ぐにも商談を纏めたいとの事で、彼等は忙しなく船を降りていった。既に二人は滞在するホテルを予約済みなので、後で俺が尋ねる手筈であるが、其れにしても何処の国でも商人って奴は、慌ただしいモノだな……。
船のタラップを降りると、其処に此の国の警察官と思しき制服を着た人物が三人、辺りをキョロキョロとして誰かを探している様子が窺えた。多分、彼等の待ち人は俺だ。航海中に二人から、みっちりと教わった日本語で彼等に挨拶をしてみた。
「コニチハ、東京警視局ノ方々デスカ?」
話してみて自分でも思う。未だ未だ片言の域が抜けないのは仕様がないよね。
すると一人の男が、恐らく一番階級が上と思われる人物が待っていましたと云わんばかりに、満面の笑顔で語り掛けてきた。
「御待ちしておりました。貴方が米国の首都警察の――ミスター・ベラミー殿ですかな? 本当に話に伺った通りの七尺近い巨躯とは――驚きましたな……ハハッ……」
参ったな……航海中に二人から基本的な日本語を習い、其れなりに理解したつもりではいたが、いざ本番となると、「ミスター・ベラミー」以外は上手く聞き取れない。
そんな俺の機微を察したかの様に、後ろに控えていた一人の警察官が、拙いながらも英語で語り掛けてきてくれた。
「失礼。貴方は、米国首都警察の警部、ベラミー殿デスか?」
「はい、ワシントンD・C首都警察より参りました、ジェイムス・ベラミー警部であります。良かった、貴方は英語が喋れるのですね。私も少しだけ日本語を習ってきたのですが、中々に此の国の言語は難しくて、未だ上手く喋る事も聞き取る事も出来ませんので、暫くは補助を宜しく御願いします」
「自分モ英語ハ、未ダ上手く喋れマセン。御不便も掛けるデしょうガ、御容赦ヲ……」
片言ながらも、堂々と英語で挨拶してきた此の男――亜細亜人にしては随分と良い体格で背も高い。六フィート以上は有るから、白人や黒人と並んでも見劣りしないだろう。いや、其れ処か――威圧感が凄い。
まあ、其れは偏に面相に因るものだろう。初対面の人間に、こんな事を思っては失礼かも知れないが彼の貌は兇悪だ。警察官と云うよりも、寧ろ無頼漢といった感じである。まあ、人相の悪さについては俺も人の事は云えないが……。
太く厳つい眉と切れ長の眼――無理に作り笑いを心掛けている様だが、其の瞳の奥の眼光は鋭く、まるで静かに獲物を狙う獣の様だ。
此の男――唯者では無いな。俺の長身にも全く動じていないし、良い胆力だ。
全身から醸し出される雰囲気も、常人の其れとは明らかに違っている。人を殺めているな、其れも一人や二人といった人数ではない――途方もない数を。
間違いなく此の男は軍人上がりだ。其れも優秀な兵士だったと思われる。
俺は頭を使うのは苦手だが、こういう事は良く判る。人造人間に成る前から――餓鬼の頃から生きるか死ぬか、殺るか殺られるかの生活を送って来た俺には感じられる。
「自分ガ貴方の通訳を担当致しマス。東京警視局、警部補――ゴロウ・フジタと申しマス。ドウゾ宜しく御願イ致しマス」
藤田警部補は薄らと、作り笑いを浮かべながら俺を値踏みするかの様に挨拶をし、握手を求めてきた。慇懃無礼な男だとは思いつつも、手を差し出して握手に応じた其の瞬間――とんでもない悪寒が背筋を走った。
――此の野郎……。
実際行動は何も起こしてない。だが此奴は今、俺を『気』で殺しやがった。
顔色一つ変えずに――冷酷に躊躇なく……。
「随分と挑発的な挨拶だな……」
俺はつい、怒りに任せて呟くと藤田は嬉しそうに「貴方ハ良イ指導教官となりそうデスネ。御無礼ヲ御許し下サイ、ベラミー警部殿」と、言葉とは裏腹に全く悪びれぬ涼しげな顔で云い放った。
「大抵にしろ、藤田警部補‼」
最初に挨拶を交わした、一番階級の高いと思われる警察官が藤田を叱責した。一見するだけでは唯の小柄な兄ちゃんという感じであるのだが、此の男も並ではない様である。
「失礼、自分の悪い癖が出てしまった様ですね。反省致します」
「白々しいな――まあ良い……」そう云うと彼は、「大変に失礼しました」と丁重に頭を下げて詫びると今度は一転、明るい表情で「我が国の鉄道駅は直ぐ其処ですので、御案内致します。ベラミー警部殿」と、にこやかに駅舎に向かい歩き始めた。
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