4月9日(水) 午前ー別視点ー①

 サミュエル様とお茶会をして数週間後、セシリアは入学式に参加するために学園へと訪れていた。

 入学式までの地獄の日々はあまり記憶に残っていない。それでも動きは格段に良くなっているため、記憶を失うくらい密度の濃い指導を受けてきたのだろう。

 ともかく、早くサミュエル様に会いたいという、逸る気持ちを抑えて大ホールへと歩いていく。今日は周りにたくさんの生徒が歩いているので、道を間違える心配はない。

「ヘイ! そこの可憐なお嬢さん。この花を、貴方に」

 不意に、いつの間にか私の隣にいた男子生徒からバラの花を差し出される。

 突然の事に驚いて足を止めると、その男子生徒も同じように足を止めた。何が目的なのかわからずに戸惑っていると、その男子生徒がズイとさらに顔を寄せてくる。

「驚かせてしまい申し訳ない。あなたのように美しい女性を見ると居ても立ってもいられなくてね」

「えと、その……」

 故郷には居なかったタイプの男性に動揺している間にも、彼はひたすらに私を褒める言葉を投げかけてくる。

「こういうことには不慣れなのかな?ふふ、君に声をかけないなんて、僕以外の男は無能だね!……そう言えば君、どこかで見たことあるような」

 彼はそう言うと少しの間黙り込んで、数秒後何かに気付いたのか弾かれたように頭を上げた。

「君、教師に無礼を働いたって言う平民じゃないか!なんてこった、汚らわしい平民と言葉を交わすなんて!」

 先ほどまでと打って変わって怒りに満ちた表情で後ろに下がり、私を指さし、罪ありきと辺りへ叫び散らす。

「平民が伯爵家であるこの俺と話すなど、不敬にもほどがあるぞ!今すぐこの場で謝罪しろ!平民は土にまみれているのがお似合いだろう!」

 徹頭徹尾こちらに口を挟ませない男に対して、どうすればいいかという授業はなかった。何も言わずにいる私に痺れを切らしたのか、男子生徒が怒りのままに、こちらに掴みかかってきた。

「謝罪のやり方すら知らないのか!こうするんだよ!」

 何か痛い目に会う。その未来が見えてしまい、思わず目を閉じてしまった。

 地面に引き倒され、化け物と罵られながら殴られる。あるいは、木に吊るされて、的当ての的になる。あるいは、あるいは……。

 だが、いつまでたっても創造した痛みは訪れない。恐る恐る目を開けると、私と彼の間に小さな背中が割り込んで、男子生徒の腕を捻り上げていた。

 その女子生徒はどういう技なのか、片腕のみで男子生徒の動きを完璧に抑えつけ、余裕そうな表情で私に距離を取るよう、ヒラヒラと手を振っていた。

「やめなさいよ、みっともない。自分から話しかけておいて難癖つけるなんて、あなたのほうこそ無能に見えるわ」

「くそっ、放せ!俺はネグロコラン伯爵家の次男。ソドム・ネグロコランだぞ!」

「知らないわよ。例え王様だろうと、貴族としてみっともない真似はさせないわ。先生も呼んだから、しばらく大人しくしてなさい」

 男子生徒はさらに暴れて逃れようとするが、その女子生徒から逃れることはできず、遅れてやって来た先生にそのまま連行されていった。

 お礼を言おうと改めて彼女の姿を見ると、男性を、それも片腕で抑えていたとは思えないくらい、小柄にして華奢な、黒髪の可愛らしい少女であった。

 気になる点は多々あるが、

「その、助けてくれてありがとう。こういう時どうすればいいかわからなくって……」

「いいのよ。あんなのを同じ貴族だと思われたくないし。あなただって、やろうと思えばあんな奴イチコロでしょ?なんせセブルスおじさんを吹っ飛ばしたんだから」

 そう言いながら気持ちのいい笑顔を浮かべた彼女に、私は勝手ながら友人のような印象を持ってしまった。追加して、聞き覚えのある名前が彼女の口から発せられたのもあり、入学式の会場まで彼女と一緒に向かう流れになった。

「私、セシリアって言います。それで、セブルス……おじさんって、あのセブルス先生のこと、ですか?」

「そ。あなたの言う先生で合ってるわ。私はメイ・ユダローレル。メイって呼んで。あ、敬語はいらないわよ。これから同じ学校で過ごすんだし」

 早口で話す彼女に気圧され、その内容にも少し驚く。貴族には妾だったり、色々と事情があるというのは知っているが、あんな強面な先生にこんなきれいな姪がいるということが、私にはあまりにも衝撃的であった。

「おじさん褒めてたわよー。あれは成長すれば、新しい戦略に組み込める!って」

 それを聞いてまた驚く。試験には合格したものの、セブルスにはあれだけ迷惑をかけたのだ。にもかかわらず褒められるなんて、想像も、信じることもできなかった。それでも彼女に嘘をついている様子はなく、ただ否定を返すしかなかった。

「そんな、私なんて……。試験の時も怒られてばっかりで、いっぱい迷惑もかけたのに」

「あの人も一端の教育者だからね。家族の前だと色々うるさいんだから」

 笑顔の先生を想像して、我ながら似合わぬそれに少しだけ笑いが漏れてしまう。メイもそれに反応して同じように笑い出す。そうして顔を合わせて、しばらくの間笑いあった。

 彼女がいればこの先の学園生活も楽しく過ごせそうな予感がして、私は少しだけ学園に通うのが楽しみになった。


 

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