4月9日(水) 午前ー④

 広い敷地と長い歴史を持つこの学園は、その大きさに見合った様々な施設が用意されている。

 実習|区画≪エリア≫の広大な訓練場や教練|区画≪エリア≫にある、建国以前に執筆された本すら保存されている大図書館。魔導|区画≪エリア≫には、魔術の触媒や魔導薬品の素材も数多く育てている動植物園もあるらしい。単純に魔術士の端くれとしてどんなものなのか見てみたかったが、先ほどフェルト先生にも注意されていたし、今は諦めるとしよう。

 だが私が一番見たかったのは図書館だ。読書家としてここだけは見過ごせない。覗いた時には、一生をここで過ごしたとて読み切れない数の本が存在して、今日も殿下さえいなければ、門限までの時間をここで過ごそうと思ったほどであった。

 大食堂での昼食後、殿下と連れ歩きながらそれら施設の数々を見て回って、式典|区画≪エリア≫の中庭で、よく手入れされた花々を見ながら疲労した足を休ませる。

「やはり素晴らしいな。兄上から聞いてはいたが、国内最高の教育機関というのが間違いではないと、肌で理解できる」

「そうですわね。サミュエル様が為すべきことの助けにもなるでしょうし」

「ん?……そうだな!人の集まるところには必ず悪があるだろうしな!」

 休みに来たはずなのに疲れさせてくる殿下に頭痛を覚えながら、心の中で愚痴を言って、なんとか平静を保つ。単に勇者として戦う時の危険が減るという意味だったのに、こういうところだけ無駄に深読みしなくていいんだよ……。

 私の心情とは反対に、生徒の楽し気な声で満ちた中庭の中で、不意に声音の違う叫びが聞こえた。

 庭を見渡して音源を探すと、聖女が何名かの生徒に囲まれているのが見えた。あれは少しまずいかもしれない。集団の方が手が出そうなくらい興奮しているように見える。

 こういう時こそ殿下の出番だろうと視線を向けると、すでにこの場に彼の姿はなく、勢いよくその集団へ走りだしていた。

 走る殿下の姿は、全身から怒気が漏れ出ているように感じて、その集団も、周りの生徒たちも驚いて彼を注視していた。

 フォローのため後を追いかけたのだが、すでに殿下は集団とセシリアの間に割り込んで、彼なりの|正義の執行≪事情聴取≫を始めていた。

「貴様ら何をしている!ここは神聖なる学び舎であるぞ!」

 生まれ持った王族の覇気と天まで響く大声を正面から受けたただの貴族である彼女たちは、顔色が青を通り越して白くなってしまっていた。

 私の仕事量に意識が遠くなりながら一つ息を吐き、いつものようにサミュエルを宥めて、他の子たちも落ち着かせに入る。そしてある程度落ち着いたころ、人目を集めていることに言及する。

「皆様、ここでは人の目を集めます。どこか落ち着いて話せる所に移動いたしましょう?」

 私の提案に皆頷いて、何処か落ち着いて話せる場所がないかを学園の使用人に聞くと、中庭の北側に、林に隠された東屋があるという。

「サミュエル様、では場所を変えましょう。ここでは周りの迷惑となりますので」

「そうだな!では全員ついてこい!」

 何故か仕切っている殿下には、彼女らが逃げないように見張ってもらって、共に教えられた東屋に向かう。案内してもらっている間に、ユーティにも指示を出してお茶の準備を進めてもらった。

 皆が東屋に腰を下ろすと、ユーティが素早くお茶を淹れて我々の目の前に差し出していく。その味は、急かしたにもかかわらず普段と全く変わらない。殿下たちもその味をうけて落ち着いたようだ。やはりお茶は王国民の魂の味だ……。

「さて。では何があったのか、話していただけますね?」

 視線を集団の首魁らしき人物に向けて話を聞く体勢に入る。自慢ではないが、私の実家が侯爵家であることもあって、王都にいる貴族であればほとんどと会ったことがある。それでも彼女らには見覚えがないので、恐らく辺境の者か下級貴族のどちらかだろう。

 そんな彼女らがこの国の王子に詰め寄られ怒鳴られたとなれば、親や周囲から|どんな小言≪絶縁≫を言われるかもわからない。彼女の未来のためにも、ユーティと相談しアフターケアを準備しておく。この辺りの工作は殿下に付き添っている以上慣れたものだ。

「あ、その……。か、彼女が私の、は、母から預かったイヤリングを盗んで……。何とか取り返して、どういうつもりなのかと問いただしていたところでして‥‥‥」

 なるほど。一応は筋が通っているが、この慌てた様子から見るに、母から預かったというのも嘘だろう。預かったんじゃなくて、何も言わず持ってきたんじゃないかな。だがまあ、そこは私の関与することではないだろう。その点についてはご両親から叱られていただきたい。

 彼女の言い分は理解したので、今度はセシリアから事情を聞く。

「なるほど。では、セシリアさん。あなたからも話を聞かせていただけますか?」

 セシリアは慌てながらも、どもることはなく答える。

「あっ、はい!その、私は盗むなんてしていません。落ちていたイヤリングを拾って、どこに届ければいいのかと思っていたら彼女たちが来て……」

 それを聞いて、私は最近読んだサスペンス小説を思い出した。まあ、大事な物を他人が持っていればそう誤解しても仕方ないだろう。

「では、あなたはイヤリングを盗んだつもりはないと?」

「はい!もちろんです!」

 念押しして確認すると、セシリアはその白髪を激しく揺らしながら頷く。

 悪役令嬢としてはセシリアを悪にしたいが、彼女は嘘をついていない。であっても、彼女にも悪い点がいくつかあるので、それを指摘していくとしよう。

「なるほど。どうにも行き違いがあるようですが、互いに悪いところがあったように思います」

 前置きをを口にしてから、セシリアたちの顔を見渡す。彼女らは神妙な顔でこちらを見つめていた。

 そこでふと、殿下のことを思い出した。今私が先導してしまっているが、この形でよいのだろうか。

 そう思って殿下の方を見てみると、腕を組んで何も言わずに黙っている。おそらく私の沙汰を待っているのだろうが、自分が真っ先に首を突っ込んでおいて何も言わないとは。本当に世直し物語の公爵と同じ立場にいるつもりか。

 婚約破棄が決まってから更にひどく感じるようになった殿下への愚痴を何とか飲み込み、問題解決のため、まずは集団の方へ目を向けた。

「よろしいですか?まずそちらの。あなた方は淑女として落ち着くことを覚えなさい。親からの預かり物が無くなり焦るのもわかりますが、そこで焦ってはいけないのが貴族です。彼女へ真摯に質問をして事情を聞いていれば、こうはなっていないのですから」

「は、はい。肝に銘じます……」

 こちらはこれで良し。後で彼女の実家に侯爵家の名で書面でも送っておけば、実家に居づらいなどということもないだろう。

 一つ頷き、今度は固唾を飲んでこちらを見つめていたセシリアの方を向く。

「次に、セシリアさん。自分が悪いことをしていないのであれば、もっと堂々としていなさい。慌ててしまえば、何かやったのだと思われて仕方ありませんよ。これは貴族でなくとも教わるようなことでしょう」

「あっ、確かにそうですね!ありがとうございます、メグ様」

 おっと、追加で修正点。はっきりと返事をするのはよいことだが、愛称で呼ばれるにはまだ関係が浅い。重箱の隅をつつくようなものだが、嫌われるためにも指摘させてもらおう。

「今なんと?この学園では身分差はありませんが、あなたと私は、愛称で呼び合うような仲ではないでしょう」

「あ、すみません、つい……」

「さらに言うと、落ちているものを不用意に触るのもよくありません。ここは貴族の通う学園。落とし物なんて貴族のものがほとんどですし、平民であるあなたが拾ってしまえば今回のようなことも珍しくないでしょう」

「確かにそうですね……」

「危険物である可能性も考えましたか?もしこれに危険な魔術がかかけられていれば、命さえ危なかったかもしれないのですよ」

 私が今口にしたことは決して嘘ではない。先生が言っていたように魔導に関わるものは危険であることが基本だと思わなければならない。セシリアにしっかり伝わるよう、目を覗きながら告げる。セシリアの方も時折メモを取りながら、目を輝かせており、理解しようとしているのが伝わってきた。

 しかしなんというか、悪役令嬢じゃなくてお母さんにでもなっている気分になってきた。実際に殿下が何やら隣で頷いていて少々うざったい。

 せめての抵抗として一つ悪態でもついておこう。

「本当に……。この学園の特待生であるという自覚があるのですか?これ以上目に付くことがあるようなら、学園を去ってくれたほうがありがたいのですが」

「その、申し訳ございません。もっと頑張って学んでいきます!」

「努力するのは当たり前です。ただそれだけでなく、しっかり目に見えるようになってこそ努力と呼べるのですから。それを忘れぬように」

 本当に疲れたという風に、大げさに首を振り頭を抱える。これでなんとか相手方の子たちに、私は特待生を相手にしたくないと認識してもらえないだろうか?自分で自分の演技に嫌気がさしてきた。まあ、噂が広まれば儲けもの程度に思っておこう。

「うむ、丸く収まったようだな!これにて一件落着!」

 今まで何もせずに黙っていた殿下が急に口を開き、満足げに頷きながらそう言い放つ。それを見て令嬢たちが微妙な顔で称賛の拍手を送り、その様子に私は本心からのため息を吐いた。

 その後は茶を飲み干すまでの間、みんなと一緒に用意された茶菓子を楽しむ。休憩のための時間であったが、また殿下が私の心など知らずに笑顔で爆弾を落とした。

「なあメグよ。セシリアは平民なのだから、色々至らぬのは仕方なかろう。そう、むしろ退学など言わず、俺たちの手で育ててやればよいのだ!」

 私はそれを聞いてお茶を吹き出しかけ、使用人を含めた、セシリア以外の全員が殿下の顔を凝視して凍り付いてしまった。

 この男は今、自分が何を言ったのかわかっているのだろうか。いや、わかっているはずがない。この発言はセシリアのためにも絶対に撤回させる必要があった。

「サミュエル様。それではまるで、我々が彼女を囲っているように聞こえますよ? 王族の放つ言葉の影響力を本当に理解していない!」

「え?いや、それのどこが悪いのだ?」

「だから、囲っているということは、将来的に家系に取り込むか、家で雇うことが確定しているように思われるのです!」

 私の言葉に王子が初耳だという風に驚いた顔を見せるが、以前にも同じような出来事があった時に叱ったはずだ。前は貴族だったからなおさら面倒だったというのに、そんな大きな事件も忘れるこいつの頭はどうなっている!

「いや、俺にそんなつもりはないぞ!」

「あなたにそんなつもりがなくとも、周りはそう判断すると言っているのです!……流石に今回は見過ごせません。ルミネー様に報告させていただきます」

「な!いや、母上には……」

 すがりつく殿下を無視してユーティに指示を出し、瞬きの間にユーティが立ち去っていく。

 少し萎れた殿下に向かって私が苦情を叩き込んでいる間に、ユーティが殿下へ登城命令を持って戻ってきて、自然とその場は解散となった。

 聖女との繋がりや悪役令嬢的な噂の種の用意など、色々と収穫のあったと思うが、それ以上に疲労感が溜まる時間であった。

 やっと解放されたと、肩を回して解していると、横からまた私を疲れさせる言葉が飛んできた。

「あの、マーガレット様。良かったら学園を案内してくれませんか!」

 私の横に立つセシリアは、満面の笑みでそう告げた。

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