不思議な夢/パスカリス塩湖の神、アロイス


 アドルファス王太子殿下は今朝方、次のような夢を見たらしい。




   * * *




 眼前に広がるのはブルーソルトが採れるパスカリス塩湖。


 瞬きするあいだに、雨季、乾季、雨季、乾季、雨季、乾季――……目まぐるしく景色が移り変わって行く。


 隣に誰かが立った。


「アドルファス王太子殿下、ごきげんよう」


 声をかけて来たのは麗しい外見の青年で、二十代に見えた。長い黒髪を下ろし、前時代的な長衣を身に纏っている。


「……あなたは『人』?」


 そう尋ねた自分の声が少し高かったので、アドルファス王太子殿下は我が身に起きた異変に気づいた。


 隣に並んだ青年が微笑む。


「今ね、君は十歳の姿になっている」


「どうして十歳なんです?」


「憶えていないかい?」


 尋ねられ、アドルファス王太子殿下は思い出した。唐突に。


「ああ――あなたはアロイスだ――パスカリス塩湖の神だね」


「神か悪魔か、それは解釈によるだろう。十年前、すっかり同じ会話をしたよ」


「そうか……そうかもしれない」


 アドルファス王太子殿下は考えを巡らせる。段々と記憶がはっきりしてきた。


 そして違和感を覚え、眉根を寄せる。


「……なぜ僕はこんなに大切なことを忘れていたのだろう?」


「それは私が記憶を消したからさ」


「なぜ?」


「君を負けさせるため」


 綺麗に笑むアロイスと、ポーカーフェイスのアドルファス王太子殿下の視線が交わる。


 アロイスが続ける。


「十年前、ジニー王妃殿下――君の母がもうすぐ出産という時に、私と君はパスカリス塩湖で出会った。私は声をかけた――『もうすぐ妹ができるね』――あの時の君の瞳が忘れられない。晴れた日の空のようなきらめき――私は君の瞳の中に本物の幸福を見たよ」


「妹は無事生まれ、今、十歳だ。幸い、健康に暮らしている」


「そうだ。すべて君のおかげだね」


「……そうかな」


「君の妹は十年前、死産になるはずだった。けれど君が取引をして助けた」


「僕は……」


「君は私に大きな借りがあるわけだ。さあ――それでは溜まっていたツケを返してもらうよ、アドルファス王太子殿下」


「僕の命が欲しいの?」


「それはどうだろう、君次第だ」


 アロイスがこちらに手を伸ばしてきた。


「さて――もう少し思い出しておこうか?」


 アドルファス王太子殿下は瞳を細める。


「まだ僕はすべてを思い出してないのか……どうなっているんだ?」


「君の記憶、何層かに分けてロックをかけてあるから」


 アロイスがにっこり笑う。


「だって全部いっぺんに思い出しちゃったら、面白くないだろう?」


 アロイスがかざした手のひらから光が溢れる。その瞬間、封印されていた記憶がよみがえってきた。


『――賭けをするかい?』


 十年前。


 アロイスが十歳のアドルファス王太子殿下に問いかけた。


『いいですよ』


 アドルファス王太子殿下が熟考せずに頷いたので、アロイスは呆れたように片眉を上げた。


『ふうん……君はもっと利口な少年だと思っていたが、まさか即答で賭けに乗ってくるとはね』


『だってあなたは僕よりずっと魔力が強いから』


『おや』アロイスが微かに眉根を寄せてアドルファス王太子殿下を見おろす。『こうして対面しているだけで、力の差が分かるのかい?』


『なんとなく』


『ふむ……たいしたものだな』


『どうして?』


『レベルの差がありすぎると、自分が劣っていることに気づけないものなんだよ。君はすぐに力量の差に気づけたから才能がある……ほとんど神の領域だ。私が見込んだとおりだな』


 それを聞き、アドルファス王太子殿下は小首を傾げた。表情は変わっていないが、褒められても愉快ではなかった。


 アロイスがくすりと笑みを漏らす。


『正攻法では私に勝てそうにないから、とりあえず賭けに乗って様子を見ようというのかい?』


『だって僕が言うとおりにしないと、あなたは妹を黄泉の国に連れて行ってしまうでしょう?』


 ふたり、しばし黙して見つめ合う。


 アロイスが困ったように笑みを漏らした。


『そうだな……聡明な君にあと十年、時間をやろう』


『十年……』


『君が勝ち残れる条件はふたつだ――両方クリアできれば、君は二十歳をすぎても生き残ることができるよ』


『条件は何?』


『ひとつ目は、君が愛する女性を見つけること。そしてふたつ目は、君が心から愛したその人が、■■■■■■■■■■■■■■■■こと』


 ノイズが入り、後半は聞き取れなかった。


『――さぁゲームの始まりだ、起きなさい』




   * * *




 その後ハッと覚醒したアドルファス王太子殿下は気づいたらしい。左腕に奇妙な文様が浮き出ていることに。


 手首の上十センチくらいから肘にかけて、麻の葉を組み合わせたような青の文様が刻まれている。


 文様をそっと指の腹で撫でると、指先にピリッとした刺激――これは高度な呪いだ。


 掛布団を剥ぎベッドから出ようとして、ヒラリと紙片が落ちた。


 床に足を下ろし、落ちた紙片を拾い上げる。


 そこには古代文字でメッセージが記されていた。




   * * *




 そして朝アドルファス王太子殿下は私たちと合流し、今に至る。


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