いらーん


「話をまとめようか」


 そう促したルードヴィヒ王弟殿下は少々お疲れモードだ。


 アドルファス王太子殿下が語った夢の話が神経をすり減らしたというよりは、別の要因がありそうだった。


 朝一番、甥っ子が珍しく可愛い態度だと思ったら全然幻だったし、婚約者のユリアは敏腕秘書の見た目はただの擬態で中身はハチャメチャだし、関わっていると精神力がゴリゴリ削られていくのかもしれない。


 叔父の心、甥っ子知らずというやつで、深刻そうなルードヴィヒ王弟殿下と違って、


「OK~」


 ゆる~、なアドルファス王太子殿下の返事。


 朝一では物思う様子であったアドルファス王太子殿だが、皆に秘密を話したことで開き直れたのか、気づけばいつもの物腰に戻っている。


「アドルファス、夢の中のお前はパスカリス塩湖にいたと言ったな?」


 とルードヴィヒ王弟殿下が尋ねる。


「ええ」


「登場したアロイスとやらは、パスカリス塩湖と関係があるんだな?」


「僕のほうはアロイスがパスカリス塩湖の神だと認識していました」


「しかし本人ははぐらかした……」


「アロイス曰く、神か悪魔か、それは解釈による、と」


「なるほど」


 腕組みをしてルードヴィヒ王弟殿下が考え込む。一拍置き、彼はハッとして眉根を寄せた。


「あーまさか……ブルーソルトが有害なのは、アロイスの仕業か?」


「え?」


 ふたり、見つめ合う。


 驚きが去ったあとで、アドルファス王太子殿下の瞳に『そうかもしれない』と納得するような光が宿った。


 ルードヴィヒ王弟殿下が続ける。


「ブルーソルトを浄化できる聖女が定期的に誕生するだろう――仕組み的に良くできすぎていて、ずっとおかしいと思っていたんだ」


「確かに」アドルファス王太子殿下が瞳を細める。「闇と光は対になるものだから、パスカリス塩湖にアロイスという悪魔が棲みついたことで、自然の摂理で聖女が誕生したのでしょうか?」


「かもしれないし、まるで違うのかも」


「叔父上、何か考えがあるのですか?」


「まだ仮説の段階だ……王宮に戻ったら詳しく調べてみるから、もう少し時間をくれ」


 ルードヴィヒ王弟殿下は浮かない顔でそう言ってから、甥っ子を促す。


「ええと、それで――十年前にアロイスと交わした会話が問題だな」


「もうすぐ母が出産という時にアロイスが現れて、生まれてくる妹のことで脅されました」


 アドルファス王太子殿下は私のほうに視線を転じた。


「まだ家族のことをちゃんと説明してなかったね――僕は四人家族で、父、母、そして十歳下に妹がいる。名前はフレデリカ。ほんわかしていて、とっても可愛いんだ」


 自由気ままな印象が強いアドルファス王太子殿下であるが、妹の話をしていると、不思議と『兄』の顔になる。


 そして王家の人たちにとってフレデリカ王女殿下は幸せの象徴なのかもしれない。ルードヴィヒ王弟殿下も柔らかな笑みを浮かべている。


「フレデリカは確かに可愛い――顔は善良な母親似、性格は細やかな父親似だからなぁ。アドルファスとは正反対だよな。お前は、顔は父親似で、性格は母親似……でもないか。性格が母親似なら、もっとおっとりしているはず。ていうか、そのぶっ飛んだふてぶてしい性格、誰に似たんだ?」


 その場にいた当事者以外の全員が『ルードヴィヒ王弟殿下、あなたに似たのでは?』と思ったに違いない。


 タイプは少し違うが変人同士――ものすごく共通項がある。


 おそらくだが、元々アドルファス王太子殿下の気質は母親似でおっとりしていたのではないだろうか? ところが振り切れた叔父と過ごすうちに、後天的にド変人になっていったのでは……? 私はそのような考察をした。


「僕はぶっ飛んでもいないし、ふてぶてしくもありません」


 アドルファス王太子殿下がシレッと返す。


「おい嘘だろう、自覚がないのか?」


 恐れおののく叔父上。


 ふたりが揉めだすと、大抵私が仲裁に入ることになる。


「アドルファス王太子殿下――可愛い妹さんとお会いできるのが楽しみです」


「うん」アドルファス王太子殿下が天使のように微笑んだ。「ありがとう、ディーナ」


 これで場の空気が温まった。


 ルードヴィヒ王弟殿下がいたわるように甥っ子を眺める。


「十年前アドルファスは、弟か妹ができるのをすごく楽しみにしていたものな」


「はい」


「それなのに生まれてくる赤ん坊のことで脅すなんて……アロイスは残酷なことをする」


 ルードヴィヒ王弟殿下の声音には怒りが滲んでいた。


 一方、当時のことを思い出したのか、アドルファス王太子殿下の顔が曇った。


「妹は死産になるとアロイスが言いました。僕はそれを『未来視』ではなく、『脅迫』と受け取ったんです。僕が遊びに付き合ってやらなければ、アロイスは妹を黄泉の国に連れて行ってしまうに違いない――……だから言うとおりにするしかないと思いました」


「君の妹はまだ生まれていなかったわけだが、アロイスには性別が分かっていたんだな」


「そうですね、当時はまだ誰も性別を知らなかった。けれどアロイスが会話の中で『妹』と限定した瞬間、当時十歳だった僕も『生まれてくるのは妹だ』と確信しました。なぜかは分からないが、そう感じたんです。たぶん……そのことがアロイスに対する畏怖の念に変わり、僕は首輪をつけられたも同然になった」


「そしてアロイスはお前に持ちかけた」


「賭けをしようと言われました。僕がその賭けに乗れば、妹は助けてやると」


「賭けの内容はふたつだったな?」


「ええ、条件をふたつつける――僕が十年以内にその条件をふたつともクリアできれば、二十歳以降も生かしてやる――そういう賭けでした」


「十年か、ではもうすぐリミットだ」


「あと二週間」


「達成不能な難しい条件を提示して、お前の魂を奪う気だな。しかも相手はお前の記憶を十年間ロックしていたから、実際のところ、猶予は与えられていないも同然だし」


「そうですね」


 アドルファス王太子殿下が静かに頷く。


 聞いていた私は胸を痛めた。


 少し前から心が重く、アドルファス王太子殿下の気持ちを思うとつらかった。


 私にもマイルズという弟がいる。私の場合は弟と年齢がそんなに離れていないけれど、アドルファス王太子殿下のところは十も違う。それだけ年の差があると、『妹のことは自分が守ってやらねば』という気持ちが強くなるかもしれない。


 妹が生まれてくるのを楽しみにしていた純粋な少年が、悪魔から『死産になる』と脅されて、どんなに不安だったか。妊婦である母の身を案じもしただろう。


 そして優しいアドルファス王太子殿下は自己犠牲を選んだ。


 ……どうしてこんなに優しい人が、試されなければならないの?


 彼を死なせはしない。絶対に。


 私はアドルファス王太子殿下の手を取り、きゅっと握りしめた。気持ちを込めて。


 アドルファス王太子殿下がこちらを見つめ、瞳を和ませる。


「大丈夫だよ、ディーナ。僕は負けない」


「全員で乗り越えましょう。皆が付いているわ」


「そうだね」


「アドルファス王太子殿下」マイルズが身を乗り出す。「僕、なんでもしますから! 大好きなお義兄さんが死んでしまうのは絶対に嫌です」


 私はまだ結婚していないけれど、マイルズはあえて「お義兄さん」と口にした。


 アドルファス王太子殿下は『義弟』の気遣いを悟ったようで、にこりと微笑んだ。


「ありがとう、マイリーくん。とっても嬉しいよ」


 ふふ、と花がほころぶように笑うアドルファス王太子殿下。


 マイルズも頬を赤らめてひたむきにアドルファス王太子殿下を見つめていて、このふたりはこのふたりで耽美というか、なぜか良い雰囲気に……。


「アドルファス」とルードヴィヒ王弟殿下も身を乗り出す。「いざとなったら私の命を代わりにやる」


「えー……いらーん」


 アドルファス王太子殿下が安定の塩対応をかまし、ルードヴィヒ王弟殿下が少し悲しげな顔になった。


 ユリアがポンポン、とルードヴィヒ王弟殿下の肩を叩いた。


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