3.隣国編

私のことをすごく大切にしてくださいますよね、アドルファス王太子殿下……


 実家を出たあとの旅路はずっとにぎやかだった。同行者の大半が個性的なので、顔を合わせればいつも何かしら事件が起きていたし、互いに言いたいことを言って道中を楽しんだ。そうこうしながら長い距離を移動してきた。


 ――明日の午後にはアドルファス王太子殿下が生まれ育った王宮に着く。


 すでに国境は越えており、この宿が最後の宿泊場所だ。


 ああ、密度の濃い旅だった……私は感慨深い気持ちで眠りに落ちた。




   * * *




 ――翌朝。


 私が宿泊部屋を出ると、アドルファス王太子殿下が廊下で待っていた。


 宿屋の一階が食堂になっているので、朝七時に下へ行き、朝食をとる約束になっていたのだ。ノックをして呼んでくれてかまわないのに、行儀良く廊下で待っているところが、なんとなくアドルファス王太子殿下らしいと思った。


 向こう側の壁に寄りかかっていた彼が、私を見てニコリと微笑む。


「――アドルファス王太子殿下」


 私も笑みを浮かべ――……ふと違和感に襲われる。


 普段どおり穏やかな彼だけれど……何か変?


 婚約者を連れて実家に戻るというので、もしかして緊張している? だけど彼はそういうことを気にする性格かしら? 何かがおかしい……。


 それはなんともいえない奇妙な感覚だった。アドルファス王太子殿下はもしかすると『普段どおりにしよう』と気をつけすぎているのかもしれない。そのせいで表情がどこか空虚に感じられた。


 私は心配になり、早足にアドルファス王太子殿下のほうに歩み寄った。そっと彼の腕に触れる。


「何かありましたか?」


「おはようディーナ、今日も可愛いね」


「……アドルファス王太子殿下」


 じっと彼を見つめると、青い瞳が微かに揺らぐ。


「うーん……まいったな。君にはなんでも気づかれちゃう」


「私のことを気遣って隠していることがあるなら、なんでも話してくれて大丈夫ですよ?」


「君にも関係のあることだし、話すつもりではあったんだ。隠しごとはしない。だけど告げるタイミングが……」


「タイミング?」


「嫌なことは後回しにして、朝食のあとで話そうかなって思っていた。それまでは悟らせないつもりだったんだけど、すぐにバレちゃったか」


 深刻にしたくないのかアドルファス王太子殿下がふわりと笑んでくれるが、私は笑う気分になれない。


 アドルファス王太子殿下が切なそうにこちらを見つめる。


「ねぇ、笑ってディーナ――皆に気づかれて、朝食の席がお葬式みたいになるのは嫌だ。せめて食事のあいだくらいは楽しく過ごしたい」


 なるほど……私は納得して、彼の手を握った。ふたり、いたわるように見つめ合う。


 彼はマイペースに見えて、実は周囲のことをいつも考えている。愛情深い人なのだと思う。近しい人が笑顔でいられるよう気遣うのが、彼にとっては特別なことではなく『当たり前』のことなのだ。


 私もなんとか笑みを浮かべた。こうしてふたりで微笑んでいれば、ほかの人は気づかないかと思ったのだけれど……。


 私は弟と同室だったので、マイルズも部屋から出て来た。


 マイルズがこちらを見て、


「アドルファス王太子殿下、おはようございます」


 はにかんだように挨拶をした。ところが……。


「あれ……もしかして何かありましたか?」


 気遣うような視線がアドルファス王太子殿下に向けられる。


 アドルファス王太子殿下はこれに意表を突かれたようだった。


「ああ……マイリーくんにも普通に気づかれちゃうのか」


 彼が小さく呟きを漏らしてから、気を取り直したようにマイルズに話しかける。


「あのね、マイリーくん――」


 そこへルードヴィヒ王弟殿下と秘書のユリアがやって来た。


「お、皆揃っているな、じゃあ早速下へ……ってアドルファス、なんか変だぞ」


「まったくなんてこった、叔父上にまで気づかれるとは」アドルファス王太子殿下が困ったようにため息を吐く。「表情には出ないほうなんだけれど、おかしいな」


「何年の付き合いだと思っているんだよ」


「そうですね。いつも気にかけてくださり、ありがとうございます、叔父上」


 アドルファス王太子殿下が素直に可愛い態度で礼を言ったので、それを聞いたユリアが慌ててバタバタと窓辺に寄り、外を覗いた。


 婚約者の奇行を見たルードヴィヒ王弟殿下が眉根を寄せる。


「ユリア、どうした?」


「いえ――アドルファス王太子殿下があなたに対して敬意を払っているので、そんなことが現実に起こるわけないし、雪でも降るんじゃないかと」


 この中でユリアだけが平素どおりデリカシーがなく、それがかえって愉快に感じられて、全員が一斉に笑い出してしまった。


 これにより雨雲が蹴散らされたかのように、空気が変わった。




   * * *




 皆で食堂に行き、まず話をすることになった。こうなっては先に話を聞いてしまわないと、食事どころではない。


 とりあえず温かいお茶を頼み、それが給仕されてからアドルファス王太子殿下が口を開く。


「今朝方、不思議な夢を見ました。夢の中で僕はパスカリス塩湖にいて、そこへ一枚布の長衣(トーガ)を纏った長い黒髪の青年が近づいて来た。彼はアロイスという名前で、どうやら人ではないようでした」


 パスカリス塩湖……それはブルーソルトが採れる場所だ。国の重要拠点である。


 アドルファス王太子殿下の抱える悩みは、『彼が今朝方見た夢』に原因があるようで、これに私は意表を突かれた。


 彼は呪いを解く超常的な力を持っているので、普通の人とは見えている世界が違うのかもしれない。普通の人なら、夢の内容が現実世界に影響を及ぼすことはない。けれどアドルファス王太子殿下の場合は違うのだろう。


「アロイスは君のことを知っていた?」


 ルードヴィヒ王弟殿下が興味深げに尋ねる。


「はい」アドルファス王太子殿下が頷く。「夢の中の僕は十歳の姿で、彼は子供の僕に話しかけてきました」


「夢の中の君はなぜ十歳なのだろう?」


「それは僕が十歳の時、一度、彼に会っているからです」


 視線を交わすふたり。ルードヴィヒ王弟殿下の瞳に揺らぎが生じる。


「なぜその時、私に報告しなかった? その話は聞いていないぞ」


「本件に関しては、アロイスの力で記憶が封印されていたので」


「それなら仕方がないか……」


「とはいえ記憶が封印されていなかったとしても、叔父上には言わなかったと思いますが」


 まるで悪びれずに言うアドルファス王太子殿下を見て、ルードヴィヒ王弟殿下の顔色がどんどん悪くなる。


「というかアドルファス――こういうことが昔からちょくちょくあったのか?」


「ちょくちょく、とは?」


「つまり神のような、次元の違う存在からコンタクトされたことが、ほかにもあったのかと訊いている」


「……まぁ、たまに」


「え、たまに? あるの?」


 ルードヴィヒ王弟殿下が度肝を抜かれている。


「なんでそんなに驚くのですか、叔父上」


「いや、危ないから! そういうことがあったら、すぐに私に言いなさいよ! なんでこれまで一回も報告がなかったんだよ」


「だけど叔父上に言っても、何ひとつ解決しないじゃないですか」


 わりとひどいことをシレッと述べるアドルファス王太子殿下は鬼かもしれない。


 ルードヴィヒ王弟殿下はこれに「うっ」となりかけたが、すぐに態勢を立て直した。


「いやいやいや、そういうことじゃないから。君は都度きちんと報告すべきだった」


「えー……」


 アドルファス王太子殿下は納得していない様子である。


 見かねた私は声をかけた。


「アドルファス王太子殿下――だけど今回は話してくださるのですね」


 私のほうを見たアドルファス王太子殿下の瞳が物柔らかになる。


 彼のことがある程度分かってくると、いつもどおりポーカーフェイスのままであっても、私に話しかけられると空気がふわりと和むことに気づける。


 そして気づいてしまうがゆえに、私は少し照れてしまうのだった。


 ……私のことをすごく大切にしてくださいますよね、アドルファス王太子殿下……。


 皆も同様の感想を抱いたのか、場が妙にソワつくなか、アドルファス王太子殿下が穏やかに返事をした。


「今回の件は『ディーナが関係しているから話しておかないと』っていうのもあるけれど、僕は君に出会って変わったのかも」


「そうなのですか?」


 小首を傾げる私。


「うん。大好きなディーナに隠しごとはしないほうがいいなと思って」


 これを聞いたルードヴィヒ王弟殿下は「え」という仰天顔に。


「おい嘘だろ? 小っちゃい頃「叔父上、大好き!」ってあんなにキラキラしい笑顔で懐いてくれていたのに、私には平気で隠しごとをしてきたわけだよね? なのに出会ったばかりのディーナさんは別なの? なんでも話すの? ひどくない?」


 アドルファス王太子殿下は聞こえているはずなのに、あしらうように気まぐれに笑んで無言を貫いた。叔父上に対して安定のひどさである。


「あのぉ、ちょっといいですか?」


 とうとう我慢できなくなった秘書のユリアが挙手をした。


「どうかしましたか?」


 これには私が応じた――というのもユリアは私のことを見ていたからだ。


「いえ、なんか気になって……『隠しごとをしないほうがいい』というのは、カップルの共通認識ですか? ディーナさんも同意見でOK?」


「…………」


 私は瞬きしてからアドルファス王太子殿下のほうに視線を移した。ふたり、しばし無言で見つめ合う。


 やがて私はにこりと微笑んだ。


「アドルファス王太子殿下――私はあなたを信じています。今回の件は重要そうなのでお話しいただきたいですが、かといってこれから先、なんでもかんでもすべて打ち明けてくださらなくて大丈夫ですからね?」


 一拍置き、アドルファス王太子殿下が微かに口角を上げた。表面上は笑んでいるのに、不思議と朗らかさがない。


「ディーナ……なんだろう、あいだにスパッと境界線を引かれた気分」


「そんなことありません」


「ディーナは秘密を作る主義なの?」


「いえ」


「僕に寛容なようでいて、『私はたくさん隠しごとをしますからね、覚悟しておいて』と言ってない?」


「……いえ」


 微笑みながらスス……と視線をそらす私。


 アドルファス王太子殿下は綺麗に笑んだまま、体ごとこちらに向く。


「ディーナ?」


「……おっとお」関係ないのに固唾を呑むユリア。「ヤキモチを焼くアドルファス王太子殿下――私は今歴史的瞬間に立ち会っているんじゃ?」


 テーブル上をほふく前進するんじゃないかという勢いで身を乗り出すユリアの耳を、ルードヴィヒ王弟殿下が軽く摘まんだ。


「こら! 面白半分に波風を立てるんじゃない」


「でも気になるんですぅ」


「いい加減にしなさい」


「ていうか、なんかディーナさんてミステリアスですよねー。もう私メロメロですよ。いっそ愛人にしてくれないかなー、愛人枠の末席でいいからー」


「おい、君は私の婚約者だろ!」


 ふたりがそんなやり取りをワチャワチャしているので、私は流し目でユリアを眺めた。


「ユリアさん残念ですが――私、浮気はしない主義ですの」


 ユリアがハッと息を呑み、手のひらで胸を押さえる。


「そ、そうですか……ザンネンデス」


 ユリアはポーッと頬を赤らめ、なぜかカタコトで答えた。


 その様子を眺めていたアドルファス王太子殿下が微かに眉根を寄せ、さらに尋ねてくる。


「浮気はしない主義なら、なんで隠しごとをしたいの?」


「隠しごとをしたいわけじゃないのです。なんでもオープンに、という圧が嫌なだけで」


「うーん……どう違うのだろう? 僕には分からない」


 口喧嘩になりかけている……のかもしれないけれど。


 私はそっと指を彼のほうに伸ばし、アドルファス王太子殿下の襟元を整えた。


 伏し目がちにそうしてから、すっと顔を上げる。ふたりの視線が絡んだ。


「私は窮屈なのが嫌なだけ……ね? あなたのことは大好きだから、いいでしょう?」


 至近距離でにこりと微笑むと、アドルファス王太子殿下は、


「……いいよ、分かった~」


 と従順に返事をした。




   * * *




 あとで聞いたのだけれど。


 成り行きを見守っていたマイルズはこの時、ものすごく照れくさい思いをしたみたい。そしてこっそりこんなことを言われた。


「姉さんを前にすると子犬みたいになるアドルファス王太子殿下、素直で可愛いなぁと思いました。義兄になる人に、『可愛い』というのも失礼かもしれないけれど。アドルファス王太子殿下ってほかの人に対しては絶対にペースを乱さないのに、たったひとりにだけ弱弱なんだなぁ……。あと姉さん、ペイトン氏と別れられてよかったね! 絶対にアドルファス王太子殿下とのほうが相性良いですよ」


 ――そしてマイルズのほかにも感情を乱している者がひとりいて。


 秘書のユリアからも、あとでこっそりコメントをいただいた。


「私はずっとこう思っていたんです――アドルファス王太子殿下とディーナさんのカップルは、主導権はアドルファス王太子殿下が握るのだろうな、と。変人でマイペースなアドルファス王太子殿下は自分を一切曲げずに、常識人なディーナさんがそれに合わせる感じなのかなぁと予想していました。けれど違うんですね――アドルファス王太子殿下はあなたに骨抜きにされています」


 そう言われた私は『そうかしら?』と不思議に思ったの。自分のことは意外と分からないものね。




   * * *




 ――とにかく今はパスカリス塩湖の話だ。


 今朝方見た夢の内容を、アドルファス王太子殿下が説明してくれた。


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