第8話 疑惑
数馬に爽香の調査を頼んでから一週間が過ぎて途中経過を聞く日になった、いつもの居酒屋で、いつもの時間で待っていた。
―― どんな報告でも冷静さを失わないように自分に言い聞かせてきたが、いざ、その時がくるとどうしようもなく浮ついてしまう……。落ち着け! 駿太! ――
そして少し早めに着くように家を出て、ジョッキーと枝豆を頼む。
駿太がジョッキーを口に運ぼうとしたとき数馬が姿を見せた。
先にやってるのをみた数馬はジョッキーと焼鳥を頼んで席に着いたのだが、報告内容があまり良くないのか、数馬にいつもの元気が無いように見える。―― 喉がカラカラに乾く。
「どうだった?」駿が問う。
ビールが運ばれて来てジョッキーを合わせてから数馬が重そうな口を開く。
「あくまで途中経過だけどよ、……爽香さんが土曜の夜八時中年男性と会っていた」
駿はやっぱり……そうかと血が引いてゆく。
数馬が鞄から写真を数枚テーブルに置いて目顔で見なという、怖々手に取って見ると爽香も男性も凄く嬉しそうに談笑しているようだ。もう一枚には駿と二人の時には食べないような料理を啄んでいる様子が写されている。
最後の一枚は、ホテルの部屋に正に入ろうとするところだ。
駿太は思わず写真を握りしめた。怒り、落胆、断腸の思い……色んな言葉が頭を過った。―― 浮気だっ!
「駿! 大丈夫か?」
「……あぁ」
最悪の結果だ。爽香に裏切られていた……。 ―― 心がずたずたに切り裂かれてしまった。
「あくまで途中経過だからな。写真の男に会ってくるつもりだ。それではっきりする」
数馬がホローしてくれるが、
裏切られたという思いが強くて
「こんなの、訊かなくてもはっきりしてる!」自棄になった。
「いや、待て、母さんから身内じゃないか? って言われた」
駿太は思ってもいない言葉に一瞬「えっ」と数馬を見詰める。
「子供のころから親しい親戚なら遠くから来たら泊ることもあり得るってさ。……可能性だけどよ。だから結論はもう少し待ってくれ。それに部屋の中に男の妻が居たかもしれないとも言われたんだ」
「そうか……分かった」とは言ったが、
年頃の娘が一人で親戚の男と泊るか? 夫婦で居たというなら分かるが……。
「報告はそれだけだ、近いうちにその男の所在突き止めて話訊くから、な」
数馬が諭すように言ってくれる。
駿太の気持ちを気遣ってくれてのことだろうが、このショックは拭いきれない。
「悪いな」とだけしか言えなかった。
「爽香さんを信じて待ってろ」
―― 数馬の言葉通りに駿太もしたかった。だが、そうは言っても……
*
午後九時を過ぎていたが数馬はめぐに電話を入れ夜の町に誘った。
冷ややかな風が吹き抜ける――数馬の心にも――飲食街を歩いて界隈で有名なビルの前でめぐを待った。程無くタクシーから降りてくるめぐの姿を見つけ駆け寄る。
「……ごめんな、夜に」
めぐの存在を近くで感じるだけで気持ちが温められ落ち着く。
「ううん、駿太さんと爽香のこと気になるから。で?」
手を繋ぎネオン街を歩きながら駿太に報告した内容を話す。
話し終えるとめぐはにこりとして
「きっと、理由が確りとあるから大丈夫。私は爽香を信じているから」
明るいめぐらしい返事が返ってきた。
「男と女の違いかなぁ……俺も、ああは言ったが疑いの方が強い。駿もだと思う。あいつ、がっくりと肩を落としていた。早くはっきりさせてあげたい」
「そうよ、それが一番」
空腹で数馬の腹がグーと鳴った。
ちょっと恥ずかしくって誤魔化そうと咳ばらいをしてめぐに話かける。
「んんっ、めぐ、夕飯食べた?」
「ふふっ、いや、電話くると思ったからちょこっとだけ」めぐはにっこりとして答える。
「そうか、俺も居酒屋ではあんまり食べてなくって、腹減ってるからファミレスでも行こうか?」
めぐが頷き、近くに良く行くファミレスがあると言うので肩を寄せ合い確り手を繋いで向かう。
数馬には駿太の話とは別にめぐに言おうと心に決めていた事があるので少し緊張していた。
「どうしたの? 手に汗掻いてる」
「えっ、あっ、いや……」その決心をめぐに気付かれてしまったようだ。
「ふふふ、数馬って嘘つけない人ね。私、そういう数馬嫌いじゃないわよ」そう言って小笑する。
そう言われて数馬は天にも昇る気持ちになって
「俺も、めぐ好きだよ」
と、言ってしまった。
めぐは一瞬立ち止まって数馬の顔を見詰め
「ありがと、わたしも」とにこりと微笑んでくれた。
ほっとした。 ―― それを言うために緊張していたのだ。
手から汗が引いてゆく。
「あら? 数馬、汗引いた。もしかして……」
それだけ言ってくすくす笑いその後の言葉を言わない。
「もしかして……、何?」
「いや、言わない。中に入ったら私に何か言う事あるんでしょ?」
めぐはにこにこしながらいたずらっぽく数馬を見上げるように顔を近づける。
もうファミレスの前まで来ていて人通りもあったが、はた目も構わず数馬はその顔を両手で挟んで唇を重ねた。
*
駿太は数馬と別れてすぐに爽香に会いたいと電話をいれた。
―― 俺は爽香を信じる。俺は爽香を信じる。…… 何度も繰り返し自分に言い聞かせる。 ――
爽香の住むアパートの近くのコンビニで待ち合わせた。数馬から聞いた事への反発心なのか、タクシーの中で熱く激しい爽香への思いを何とか押さえつけていたが、爽香の姿が視野に入った瞬間、その熱い思いが駿太の身体の中を駆け巡り脳内で迸る。
「俺は、爽香を信じてるし、どんなことがあっても爽香が好きだ!」
爽香を前にいきなり告白した。ほかの客のことは意識から消えていた。
そしてじっと爽香を見詰める。元々そんなに口数が多くない爽香は無言で駿太を見詰め返し、頷いてぽろりと涙を零した。
そして微かに「ありがとう。私も駿が大好きよ」と聞こえた。
駿太は爽香の手を握り締めて外へ出て少し歩く。――まだ、あの事を話そうか迷いがあった。
「ねぇ、駿……何悩んでるの? まだ、言ってくれないの?」
爽香が駿太の前に回り込んで立ち止まり見詰める。
駿太は爽香の目を見ているうちに話さないと、と……。
「……実は、親父と飲んだ時、親父が今の妻律子と別れたいと言ったんだ」と、言った。
「え~っ、だって三回目の結婚でしょ? 何でまた」
「そうなんだけど、宝飾店が上手く行ってないのに奥さんの金遣いが荒くって、店の金庫の隠し金まで使い込んでるようなんだって、それでその金庫の金盗んで来いって言うんだ」
「え~、それって泥棒ってこと?」
爽香は信じられないという顔をする。
「だから、嫌だって言ったんだけど、飲んでる間中しつこくその話でさ、あまりに五月蠅いからつい『うん』って言っちゃって。そしたら『頼むぞ』って言われてさ困ってた」
「そう……でも、良かった」
俯き加減の爽香が顔を上げ、強張りが少しばかり解れ優しい笑みが浮かんだ。
「何が?」
「駿がほかの女の人好きになった、とか言うのかと思ってビビってた」
苦笑いする爽香の目からまたぽろりと涙が一粒零れた。
―― 駿太にはまったく予想だにしていなかった爽香の言葉だった。俺がほかの女を……あり得ない。こんなに爽香の事だけを思ってるのに……。
「ごめん、心配かけた」
爽香は首を振って駿太の腕を両の腕で確り抱きしめた。そして歩みを始めた。
それを駿太は感じながら、そうか、もしかして、爽香も俺と同じくらい思っていてくれているんだ……。
だけど……
――ごめん、殺人の事まではとても言えない。許してくれ! 駿太は心の中で手を合わせる。
爽香の手を確り握り直して、そしてこんな爽香が浮気するはずないよな、そう思えてきた。
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