第5話 あーちゃーと一緒に学校にいくの!


 さやさや。

 風に吹かれて、梢が揺れる。

 さらさら。

 あれは、笹の葉だろうか。

 柄にもなく、七夕の短冊に願いことを書いた。



 ――もう一度、君と話したい。


 ある意味で願いはかなった。

 でも。夢であって欲しいと思った。


 さらさら。

 笹の葉が揺れる。


 さらさら。

 髪を撫でられ――た?


 目を開けたら、気持ち良さそうに3歳児沙千帆が微睡んでいて、決して夢じゃないと知る。

 クーラーの微風を感じたのか、沙千帆が身を捩る。


(沙千帆って、クーラーの風苦手だったもんな)


 そう思い、タオルケットをかけようとした瞬間だった。


「歩君」

「へ?」


 耳元で囁かれる声が幻聴だったのだろうか。沙千帆がくっついてくる。


「暖かい……」


 気持ち良さそうに、俺の脇に顔をうずくめる。


「ちょっと、沙千帆?」


 身長差があるから仕方がないのだが、沙千帆の吐息が俺の脇をくすぐる。


「ちょっと、さち、沙千帆! やめ、やめて。ん。くす、ぐったい――」

「あーちゃー、暖かい。しゅき」


 俺の心からの叫びは、眠り姫にはまったく届いていなかった。







「〜🎶」


 3歳児が今、流行中のボカロを口ずさむのも不思議な感じがする。中身はやっぱり18歳沙千帆なのだろうか。沙千帆はボカロを聴いていたのとか。昨日今日という短い時間で、俺の知らない沙千帆を、これでもというくらい知るようになって。


 明け透けと言っても良い好意にしてもそうだ。


 これが3歳の時の沙千帆がそうだったのか。

 今の沙千帆がそうなのか。


 正直、よく分からない。

 考えれば考えるほど、ぐるんぐるんと思考は回る。


 ――アユ君に、お願いしても良い?

 師匠の言葉を思い返すと、気が重い。


「あーちゃーと一緒に学校♪」


 ルンルンで俺の手を引っ張っていく。


 ――ごめん、沙千帆。

 俺は、彼女に悟られないように気をつけながら、重いため息を漏らした。





■■■





「あーちゃー、イヤだ! いや! イヤなの! あーちゃーと一緒に学校にいくの!」

「ちょっと、沙千帆ちゃん?!」


 到着した場所は、保育園だった。


 近所の花園保育園。通常、保育園は行政に申し込みの後、許可を得て通園になる。それとは別で、一時預かりという利用法があった。文字通り一時的み病気やお母さんの育児疲れ等の理由で保育園を利用することができる。

 それを師匠から聞いた時は「へぇぇ」ってなった。


(そうなんだよな……)


 夢オチを期待していた俺は、見事に期待を打ち破られたわけで。

 でも、そうなると。この現実を受け入れて向き合うしかない。


 花園クラスメートの実家が運営している保育園が快く応じてくれて良かった。こんな突拍子も無い話を、素直に受け入れてくれたのだ、師匠の根回しには感謝しかない。


「色々聞きたいことはあるけれど、そこはまた教えてくださいね」


 そう花園が微笑んだのは、最初の三秒だけ。表情を強張らせた花園さんを尻目に、俺は唖然としてしまう。三歳児スーパー沙千帆のパワーを、俺は完全に見くびっていたのだ。


「た、高邑君っ! 今は保育士さん達に任せて、学校に行ってくださいっ!」

「あーちゃーっ!」


 全力で、俺に抱きついてこようとする沙千帆を、花園さんが抱きしめる。


「え? え?」

「大丈夫です。保育園に入ったら、意外とお友達と順応しますから! 今は、下手に刺激したら、かえって情緒不安定になります。どうしてもダメだったら、連絡してもらうようにします――」


 沙千帆の頭突きが決まって、花園さんが悶絶する。


「ヤダッ、ヤダッ! あーちゃー! 離れちゃ、いや! もっとたくさんお話しするの! いなくならないで!」


 悲痛な声に後ろ髪を引かれながら「ごめん」と、呟いて。俺は全力で、保育園から、駆け出した。









 花園さんが、教室に駆け込んできたのは、朝のホームルーム開始、直前だった。顎が赤く腫れていたのが痛々しくて、本当に申し訳ないって思う。


「花、おはよう。それ、大丈夫?」

「しゅー君、おはようございます。えへ、保育園の子のパワーに負けてしまいました」

「ほどほどにしなよ?」


 お互い、相手を気遣うそんな視線が交錯して。うちのクラスではすでに名物になっている二人の会話に、思わず唇が綻ぶ。いつも、この二人のようになれたら。そう思いながら、沙千帆に視線を送っていた。

 当たり前だけれど、その沙千帆の席に座る人はいない。


「あれ、今日は神薙さん、お休みなの?」

「歩、何か知ってる?」


 そんな声に、思わず口を開きかけて――。


「知ってるわけないでしょ。幼馴染みなんて、ラブコメの中だけだって」

「保育園から一緒ってダケで幼馴染みなら、ラブコメ大増殖でしょ」


 あとは他愛のない会話に流された。

 チャイムが鳴る。

 その音をかき消すくらいに、耳鳴りがして、チャイムの音に交じってじんじん響く。




――あーちゃーと一緒に学校にいくの!

 今この瞬間も、沙千帆の声に後ろ髪を引かれている俺がいた。

 

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