第4話 幼馴染みの関係にラッキースケベを期待することは間違っている!



 ――なぁ、歩と神薙さんって、幼馴染みなんだろう?

 ――そうだけど?

 ――じゃぁ、ラッキースケベ的なことの一つや二つ……。

 ――あるわけないだろ。


 だいたい、一緒にいる時間そのものが少ないのだ。幼少期、過ごす時間が多かっただけの他人。そんな言葉が、今の沙千帆と俺にはピッタリだった。


 ――男子、またそういう話をして。

 ――本当にサイテー。


 最後の沙千帆の声が、やけに突き刺さった。そんなに耳まで真っ赤にして怒らなくても――。





■■■




 ちゃぷん。

 沙千帆が指で弄んで、お湯が跳ねた。

 ちゃぷん。

 ちゃ、ぷん。

 そんな音が、浴室に響く。



 ――最低。

 ――最低しゃいてー



 なぜか、18歳レディー沙千帆と3歳スーパー沙千帆の両方から、責め立てられる。そんな錯覚を憶えて。


 ぱしゃん。

 理性を保とうと、俺は自分の顔にお湯をかけた。

 



■■■




 時間をほんの少しだけ巻き戻す。


 ――夏草や兵どもが夢の跡


 思わず、そんな句を詠みたくなって、芭蕉大先生に失礼すぎると、口を噤む。むしろ酔っ払いどもの後の祭りである。


 いつものなら、ここから俺のお仕事タイム。現状復帰は当たり前。使用前より美しくがモットーだったワケなのだけれど――。


「あーちゃー」

「あゆ君」


 とろんと眠たそうな沙千帆。そして悩ましそうな師匠と視線が合う。


「……あゆ君にお願いしても良いかな?」

「え? 片付けならいつも俺が――」

「そっちじゃない」


 本当は分かっているんでしょう? そう言わんばかりに、師匠がニッと笑む。


「……へ?」

「沙千帆がべったりじゃない。この状況で、片付けなんて無理でしょう?」

「あーちゃー、お片付け? さっちゃんも手伝う!」


 欠伸をしながらも、ぐっと握り拳を作る姿が可愛い――じゃない。この状況に、流されている自分がいた。そして三歳児スーパー沙千帆を舐めちゃいけない。この短時間で、そのパワーに見事に翻弄されたのだ。


 精神攻撃をもろに受けた男性陣は、酒の力を借りて泥酔中。彼らは何の役にも立たない。


 今の沙千帆にお手伝いされるようものなら、皿が何枚も割られてしまうのは必至。むしろ、怪我をしないか、そちらの方が心配だ。


「あゆ君にしかできない任務を依頼したいの」

「へ?」


「沙千帆の、お願いね?」


「は?」

「だって、あゆ君もだけれど。沙千帆、ベタベタでしょ? 流石にこのままじゃ寝かせられないわ。そのために、あいつらにストロボゼロ、飲ませたワケだし」

 不穏なワードはあえて聞き流す。ただ、アルコール度数9%のストロボ零を煽るように飲んだら、それはもう……お察しである。


「あーちゃーとお風呂?」


 沙千帆が顔をあげる。それこそ、眠気なんか、すっ飛んでしまったかのような、満面の笑顔を浮かべて。


「やったーっ! あーちゃーとお風呂! おっふっろっ〜!」


 嬉しいの舞。名付けるとすれば沙千帆ダンス。クラスで凛として、クールな佇まいな沙千帆を思い出して――でも、そうだったと嘆息を漏らす。


 小学校の時は、むしろムードメーカーで。二人でバカをやっていた記憶がある。大きくなって、それぞれ変わったとそう思っていた。お互いのコミュニティーに埋没して。結局は一歩進んで、踏み込むことを躊躇って。迷ってばかり、結局はその距離感に留まって。


 俺は一番狡くて、一番安全な方法を選択してたんだ――。





 ちゃぷん。

 お湯が跳ねて。

 俺は現実に引き戻された。





■■■




 ぶくぶくぶくぶくぶく。

 これは妙案だ。


 潜っていれば、沙千帆を正視することはない。そして3歳児だ、熱めのお湯に耐えきれず、ギブアップするに違いない。


 体を洗うのは仕方がない。たかが3歳児を洗身するのみ、その程度。だからそこに、ヨコシマな感情が湧き上がる隙なんかなく……。


 ――歩君?


  Ohオー……どうして今、17歳レディー沙千帆の声が脳裏に再生されるのか。煩悩退散、煩悩退散。俺は心の中で必死に唱える。


 と、お湯が揺れた。

 沙千帆が俺の首に両腕を回し、抱きしめてきたのだ。


「んんっ――ぶぼぼっ」


 思わず、お湯を飲んでしまう。

 俺は油断していた。


 パーソナルスペース無視で、距離を埋めてくる3歳児スーパー沙千帆だ。どうしてお風呂でお行儀よく入浴してくれると思ってしまったのか。


 そして何より幼児体型で胸が断崖絶壁とは言え、俺からしてみたら、やっぱり沙千帆は沙千帆で。


 ――歩君?


 分かった、分かったから。17歳レディー沙千帆! 今、君は出てこなくて良いから。お願い、俺の理性をくじかないで!


「ゲホゲホゲホゲホっ――」


 慌てて顔を上げて俺は、つい飲み込んでしまったお湯でムセこんでしまう。


「あーちゃー、だいじょーぶ?」


 心配そうに覗きこむが、沙千帆の距離は近いやら、その肌の感触を意識してしまい、ドギマギしてしまう。


「あーちゃー、喉かわいたの?」

「ち、ちが――」

「お風呂のお湯は、めーよ? お腹痛くしちゃうよ」


 お腹をさすって。それから、優しく背中をさすってくる。


「あーちゃー、大きいね」

「はいっ?!」


 いきなり何を言い出すの、この子は。


「あーちゃーの背中、大きいよ?」

「あ、うん……」


 そういうことね。そりゃ、そうか。沙千帆から見れば、俺は大人に分類されるはずだ。いったい、今の沙千帆の目には、俺はどんな風に映っているんだろう。


「あーちゃー、パパよりおっきい」

「は?」


 釣りが趣味の碇さんは、一人称こそ【僕】だが、筋肉質で言うなれば熊。釣友同好会の強面こわもて代表である。ちなみにオヤジはガサツなクセに童顔なのだから、神様は何を思って、人に才能を分け与えているのか、意味不明だ。


(でも沙千帆は何を言って――)


「んがっ?!」


 むぎゅーっと、いきなり両手で掴まれる。何が、とは言いたくない。


「あーちゃーのゾウしゃん、おっきいねぇ。あ……もっと大きくなった?」

「さ、さ、さ、さ、沙千帆?!」


「どうして、さっちゃんにはないのかな?」

「さ、沙千帆! もう上がろう! のぼせる! 体に悪い! 精神的に悪い!」

「熱くないよ? お風呂、きもちいーね」


 そうだった。沙千帆は長風呂派で。俺はカラスの行水タイプ。両家で温泉に行っても、沙千帆の風呂上がりを待たされたことが、しばしばだった。


「あーちゃー? ちゃんと肩までつかって、10数えなきゃ、めーよ?」


 そう言いながら、沙千帆は俺の首に腕を回し、小さな顎を肩に乗せる。だから、近い! 近い! 近いんだって!


「いーち」


 10まで数えたらこの苦行は終わる。それまでの辛抱だ。何事にも終わりはあるものだ。だって明けない夜はないのだから――。


「にーぃ。さーん。しーぃ。ごーぉ。にー。にー。さん、しー、いーちっ、にぃ――」




 戻っている、戻ってる! カウントが振り出しに戻っているから! 明らかにソレ巻き戻し!




「あり?」


 沙千帆は指で数えながら、首をひねる。


「……んー。もういっかい、最初から!」

「マジかっ?!」



 ちゃぷん。

 お湯が跳ねて。



「あーちゃー?」

「……なに?」



















「だいしゅき」














 唐突なその声が、やけに浴室に反響して。鼓膜がじんじんするくらい、体の奥底に響いた。

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