第3話 エーデルワイス

 

 私はその女性を呆然と見つめながら電話で尋ねた。

「なんで、私がここにいるってわかったんですか?」

「私は本当にさっきまで家にいたんだよ。でも、電話の向こうから聞こえるかすかな海の波の音がいつも聞くあの海の音に似てた。それを機に凛ちゃんの顔を見たくて捜しに外に出てきたの。確証といえばさっきの五時を知らせる『帰りたくなったよ』が電話と実際の音と二重に聞こえたから。まさかとは思ったけどね」

「じゃあ、私に向かって手を振ってたあなたは本当にナミさんなんですか?」

「そうだよ。分かってもらえないかもだけど」

 手を振ってたその女性はニッコリと微笑んで私に一礼をした。私もならって一礼をする。


 私は電話を切って女性の方へ走り出す。彼女も私の方へ近づいてくる。

「改めて初めまして、こんばんは。ナミです」

「こ、こちらこそ初めまして。凛です」

「よろしくね」

「よろしくお願いします!」

 私たちは無言でハグをした。ナミさんは涙を隠した状態で。

 このときはまだ、ナミさんが撒いた種――真実の愛情――勿忘草の双葉が出てきたのを私は気付けなかった。



 帰る場所がないと言う私をナミさんは快く家へ入れてくれた。

 彼女の住むアパートはチョコレートブラウンの外壁でナミさんが借りている部屋を含め六部屋しかない、築二十年くらいの洋風の建物だ。ナミさんの部屋は二階の左。玄関のドアを開いたらシトラスの匂いが心地よい。柔軟剤の匂いかもしれない。ナミさんと初めて対面した時と同じ匂いがした。その爽やかさを模範したようなナミさんの部屋は、白で統一されている。そして、ものが少なくて生活感をあまり感じさせないワンルームだった。

 

 ナミさんは冷蔵庫から麦茶のペットボトルを出すと二つのコップに注いで一つを私に差し出してくれた。ありがとうございますと言うと、おかわりOKだからねと笑顔で返してくれた。


「あの……ブルーリックの台本はありますか?」

「あぁー……あるけど、関係者以外には見せられないの。ごめんね」

「そう……なんですね。すみません、勝手に」

「いいよ、いいよ!言い出したのは私だし。それにまだまだ台詞も覚えたばかりで感情がこもってない。楽器だってさ――」

 ナミさんの目にはウソをついているようには見えなかった。でも、虚しさとある秘密が入り混じっているようだ。私はこれ以上深入りしてはいけないと思い、頭の中で話題を探りながらお茶を一気に飲み干した。


「リックって、定番のフレーズという意味があるの」

 ナミさんは沈黙を嫌うかのように作り笑顔でそう呟いた。私の反応をよそに彼女は続ける。

 

「音楽用語ではリックは定番のギターフレーズだけど、このドラマでは群像劇とは違い、主役目線のストーリー仕立て。一話ごとに物語が進んでいくから、毎話その時のテーマに合わせた花言葉を持つ花の名前を話の題名に、劇中の歌詞の中には花言葉を潜めるの。花の名前は違うけど、メロディはそのままで。ちなみに、主人公たちがバンドを組むまではのちに彼女たちに影響を与える架空のバンドの歌詞に使われるんだ」

「それって教えてもらえることは、できますか?」

「うーん。ネタバレはご法度だけど、出てくる花の名前くらいなら」

 そう言ってナミさんは気まずそうに笑みを浮かべた。

 

「教えてください!気になります!」

「わかった。えっと、一話はエリカ。花言葉は孤独。二話、アヤメで良い便り。三話でエーデルワイス……花言葉……」

「大切な思い出!(凛)」

「なんで知ってるの?」

「実は、昔の母の好きな花がエーデルワイスだったから……」

「昔?」

「そう。でももう、会いたくてもあの人には会えない。あの花の思い出も宝ものみたいな思い出のひとつだったな……」

「じゃあ、創ろうよ!」

「へ?」

「私たちで新たな大切な思い出を――」

 

 

 ―――私たちは朝まで語り合った。行くところがない私にナミさんは言った――ここにいていいよ……と。


 あの日から私たちは小さなダイヤモンドの原石を二人で丁寧に磨くように友情を作り上げていった。

 そんな日々を壊す覚悟を抱えながら私は、琴線に触れてしまった。

 ずっと、ずっとお互いに秘密にしていたあのこと――二人の出会いのキッカケ――ボトルメールを流した理由と『私の映画の相手役を募ってます』の文章の意味を――


 

「ナミさんに聞きたいことがあります」

「私も凛ちゃんから聞きたいことあるよ?」

「えっ?じゃあ……ナミさんからどうぞ!」

 いいの?と驚くナミさんに私は黙って頷いた。すると、ナミさんの口から意外な質問が返ってきた。

 

「あのさ、凛ちゃんの本当の名前って『日下佳澄くさかかすみ』ちゃんだよね?」

「……!」

「分かってたの、なんとなく声とあの顔文字で」

「ま、まさか……!」

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