海上貿易編

第24話 交渉決裂

 長い長い無職の生活。それに俺はいつの日か慣れ切って、全てを諦めるようになってしまっていた。

 もはや何も望めない。世の中が悪い、社会が悪い、そう思って外にすら一歩も出られず親に面倒を見てもらう毎日。

 全てが終わっていた。将来の不安で押し潰されそうになることもあった。孤独感で気が狂いそうになることもあった。その度に、酒で誤魔化した。

 中年無職は詰んでいた。


 それが、今は、異世界で、何とかやっている。


 朝日をちゃんと浴びられるようになっている。



「おはようございます、ご主人様」


 リンは黒いマイクロビキニを着て、俺に朝の挨拶をした。それ以外は何も身に着けていない。奴隷印が丸見えである。というか、いつも土下座なのはどうしてだろうか。


 黒髪の美しいキューティクルが太陽光を反射している。まつ毛は長く、切れ長の目。そしてその肌の白さは彼女が異国人であることを物語っていた。


「ああ、おはよう。すぐにここを出よう」


 俺は身支度をして、リンは黒い布を胸と腰にまとってマントを羽織った。


「ご主人様はどうしていつも仮面なのでしょうか」


「素顔だと目立つからな」


 そう言ってはぐらかす。まさか自分がエリーシェをさらった誘拐犯だとは言えない。


 そういえばエリーシェは戻っているだろうか。不安に思った俺はまず、ルーナの家に赴いた。


「んー、どうしたのー?」


 朝の眠そうなネグリジェ姿でルーナが出迎える。


「そっちの子は?」


「リン。俺の奴隷だ」」


「あー、君もそこまで堕ちちゃったか」


 とか何とか言いながらルーナは部屋のソファに通してくれた。


「それで、君はその子を連れて何をするつもりなの?」


「リンの故郷の島に行って魔晶石を売り込もうと思う」


「魔晶石ね、商人のマルコーって奴が買い込んで値段を釣り上げてるよ」


 マルコー。この前に奴隷市場で会った男か。蛇みたいな目をしていて仲良くはできなさそうだったが。


「それでも、島国イスラでは魔晶石1個につき金貨10枚の値が付く。輸送経路さえ確保できれば、商売になる」


「船もないのに、どうやって島まで行くの?」


「そこは、何とかする」


「何とかって……」


 あきれ顔のルーナに次の話題を切り出す。


「エリーシェはあの後帰って来た?」


「来ないね。行方知れずだ。君がさらった手前、衛兵に大っぴらに捜査してもらう訳にもいかないしね」


「そうか……」


 エリーシェ、今どこで何をしているのだろう。心配だ。


「盗賊にでも襲われてなきゃいいけど」


「不吉なことを言うなよ」


「ごめんごめん」


 ルーナの家に長居する気も無かったので、早々に俺たちは退散することにした。


「ああそうそう、これこれ」


 別れ際に、ルーナが緋色の液体の入った瓶を渡してきた。


「魔法攻撃力を上げる効果がある液体だよ。魔攻瓶。エリーシェが作ったものだから、良ければあげるよ」


「ありがとう。もらっておくよ」


 いなくなってしまったエリーシェから置き土産をもらうなんて不思議な気分だ。


「ご主人様、次はどこへ行きましょうか」


「気は進まないがな、行くしかないだろう」


 そう言って俺はマルコーの屋敷へと重い足取りで向かう。


 そこは高級住宅街にある巨大な屋敷で、メイドが何人も控えていた。マルコーがいかに大商人かということを思い知らされる。まあ裏で汚いこともやっていそうだが。


「俺は少し交渉をしてくる。リンはここで待っていてくれ」


「かしこまりました」


 リンを門のところで待たせ、庭から屋敷に入っていく。刈り込まれた芝生に、白い石像が放出する噴水。どこまでも贅を尽くしている。こんな邸宅に住みたいものだ。


 シャンデリアが輝き、高そうな絵画が飾られた大広間でしばらく待っていると、マルコーが階段から降りてきた。


「ひょっひょっひょ、どうしましたかな? 仮面のクレドさん」


「今日はお願いがあって来た。船を貸してほしい。それから、魔晶石を島国イスラに売り込みたい。その貿易を俺に任せてほしい」


「魔晶石? ああ、魔晶石は大変、貴重なものでして」


 マルコーは細い目で俺を見下ろしつつ、髭を撫でている。


「大量に売るなんてことは、考えていないんですよ。ほら、将来的に枯渇する恐れもあるでしょう」


「だから、買い込んでいるっていうのか?」


「何ですと?」


「それとも、自分の利益のために魔晶石を買い占め、値段を釣り上げているのか?」


「ひょっひょっひょ、私のやることに文句があるとしても、今のあなたは何を持っていますかな?」


 確かに、今の俺は全てを失っている。マルコーのように物も金も人脈もない。


「あなたは冒険者として名を上げるのでは? 素人が商売に首を突っ込んでも失敗しますし、イスラまでの輸送となるとリスクも高すぎる」


 確かに、その通りだ。船の転覆の危険性もあれば、海賊に襲われるかもしれない。それでも、俺はこの貿易で一山当てたい。

 復讐のためには、もっと金と権力が必要だ。


「頼む、マルコーさん。この通りだ」


 俺は絨毯の上に土下座をした。マルコーに頼み込む格好だ。


「おやおや、やめてくださいよ、クレドさん」


 のっしのっしと太ったマルコーが近づいてくるのが分かる。


「頼む。一世一代のチャンスなんだ」


「そこまで言うなら、考えないこともありません」


「本当か?」


「あなたの奴隷。そう、この前私が落札できなかったあの黒髪の子。あの子を私に貸して頂けるなら考えなくもないですぞ。ほら、その指輪があるでしょう」


 マルコーは俺の左手の指輪のことを言っているようだ。これはリンを奴隷として扱うことのできる唯一の指輪。渡すことはできない。


「無理だ。これだけは、譲れない」


「では、交渉決裂ですな」


「待ってくれ、お願いだ!」


「それだけ言うなら、奴隷など買わず自分で稼いで船でも何でもそろえればいいでしょう。私は忙しいんだ。これ以上無様な真似を晒すようなら……」


 そこで、言葉を切ったマルコーが視線を移した。茶髪のツインテールに民族風のドレスを着た少女が現れたからだ。豊満な胸にすらりとした体躯。プロポーションは抜群で、器量もいい。


「おお、アメリア。すまないね、見苦しいところを見せて」


「その男、誰ですの?」


 コルセットに両手を当て、不機嫌そうにこちらを睥睨する少女。アメリア、と呼ばれた少女はおそらくマルコーの娘だろう。


「ああ、こいつは、文無しの野良犬だ。私の財産を狙ってきたんだ」


「だったら、さっさと追い出せばいいでしょう。そんな薄汚い、得体の知らない、仮面の男なんて」


「ああ、今すぐ追い出させるとも」


 マルコーの護衛が俺の両手を掴んで外に引きずり出そうとする。


「待ってくれ、もう少し話を……」


「気持ち悪い!」


 アメリアが軽蔑するように俺に言い放つ。


 何だ、こいつらも、俺をゴミか何かのように扱いやがって。


 許さない。この借りは、必ず返すからな――。

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