第24話 王子と騎士と見習い騎士

 むかしむかしのそのむかし、月桂樹は王冠の役割を果たした。

 だから、この国では統率者や勝者という意味があるらしく、その家紋となると格別な地位になる――と、書物にはあった。

 そんな月桂樹を模した家紋は、なんと! かつては十種類もあって、やがて一族の統廃合とともにその数も絞られていき、現在の主な家紋は一種類。

 スキリエ王国の現国王、ラジエル七世一族のものだけなのだった。

 私はグレンさんの指輪を思い出しながら、食い入るように書物を見つめた。


「……うーん。似てるけど微妙に違う気もする」

 

 はじめは国王陛下の家紋と同じかと思ったものの、十種類もある似たようなものを見ていたらわけがわからなくなってきた。だけど、ひとつだけ確実なことがある。


 グレンさんを養子にしたヴォネガット男爵家は庶民出身なので、貴族歴が浅い。

 家紋があるとしても、いにしえから連綿と続いてきたこれら月桂樹チームの属性じゃないってことだ。


 じゃあ、どうして王族属性らしき家紋の入ったエメラルドの指輪を、グレンさんは持っていたんだろう。名前だってちゃんと刻印されていたから、てっきり養父となったヴォネガット男爵が、グレンさんに贈ったものだと思っていたのに違うっぽい?……とまで考えて、はっとする。


 もしかして、教会に捨てられたときから持ってたとか?

 じゃあ、グレンさんは王族属性の誰かに捨てられたってこと?

 

 ええええ……そんなことってある?

 もしもその説がガチだったら、グレンさんの本当の両親はこの王宮内にいるってことになってしまう。


「……え。これはもしかして一大スキャンダルなのでは……?」


 ヤバい。めちゃくちゃドキドキしてきた。

 こんなおおごとな疑惑、グレンさん本人とヴォネガット男爵夫妻にとっては、すでに周知の事実だったりするのかな? 

 なにより、彼らにグレンさんを紹介したシエラさんのお父上――エブリン伯爵は知ってたんだろうか!?


 どちらにしても、これはこのままにしておけない。

 ぜひともグレンさんに、直接訊ねてみなくては――!


「――まばたきもせずになにを読んでる?」


 聞き覚えのある声にびっくりして顔を上げる。アシェラッド殿下だ。

 私がひろげていた書物をのぞき込むと、楽しそうに微笑んだ。


「ああ、これか。きみがこれを読んでいるということは、サイアム先生に鍵をもらったんだね?」

「は、はい。任務中なのに、書物にうつつをぬかしてしまってすみません!」

「暇そうなきみを不憫に思った先生の差し金であれば、しかたがない。見なかったことにしてあげるよ」


 殿下が冗談めかす。ありがとうございますと書物を閉じたものの、いまだ私の脳内はさまざまな月桂樹の葉の家紋でいっぱいだ。すると、殿下が言った。


「いいことを教えてあげようか」

「な、なんですか?」


 まさかグレンさんの出生についてですか!? と一瞬思ってしまったものの、殿下の返答はもちろん違った。


「これにしるされてある家紋の貴族は、僕の一族をのぞいてほとんど消えている。すでに没落しているんだ」

「そうなんですか!?」

「ああ。わざわざ読もうとする者がいないほど古いから、人の来ない第三書庫ここにおさまっているんだよ」

「なるほどですね……」


 ということは、ムシキング系家紋の貴族も全滅してるんですね……。いや、図柄を変えて現代の貴族に受け継がれているかも?

 殿下なら知っているかなと思い、口を開きかけたときだ。


「もうすぐ日が暮れる。時間がないのに、きみといるとどうでもいい話をしたくなってしまうから困るな」


 ふっと笑う。直後、熱い眼差しで見つめてきた――と、至近距離にもほどがある目前に迫り、おののいた私は書物を抱え持ったまま、扉に背中をくっつけた。

 いつになく殿下がめっちゃ近い!……っていうか、このままだと壁ドン態勢に移行しそう――!


「昨夜のきみには驚いたよ」


 ――移行した。うおお……お美しいお顔が近すぎて焦る!


「み、見習い騎士の〝男子〟としてはなんともお恥ずかしい限りではあったのですが、フィオナ様に頼まれまして……そ、それであのような格好になってしまいまして……!」


 〝男子〟と語気を強めてみたものの、殿下には関係がないことを忘れていた。っていうか、むしろそれでいいのかもしれない疑惑まであったんだった!

 視線を泳がせる私に構わず、アシェラッド殿下が言う。


「きみだと気づけなかった僕を許してほしい」

「ゆ、許すもなにも、仮面をつけていましたしね……!」

「それでも、きみだとすぐに気づくべきだった」


 うっかり殿下を見てしまう。案の定、目が合う。吸い込まれそうな瞳にとらえられて、視線をそらせなくなってしまった。

 

「きみは、僕の元婚約者にそっくりだ。でも、似ているのはやはり顔だけ。きみは僕にとって、とても興味深い存在だよ。もっと知りたくてたまらない」

「さ、さようでございますか……」

「うん。だからね――」


 殿下が、吐息混じりのイケボで私に耳打ちする。


「やはり――きみを僕付きの世話係に指名することにした」


 甘い声に窒息しそうになったのもつかの間、血の気が引いた。


「え」

「きみが僕のそばにいることを、未来の妻も賛成してくれている」

「フィ、フィオナ様も?」


 殿下がにっこりした。


「ああ。はにかんだように微笑んで、〝賛成ですわ〟と嬉しそうに言ってくれたよ」


 それはよかった……じゃないですよ、私!!

 私の考えが正しければ、おそらく私はフィオナ様にとって、図らずも〝彼女を口説いた見習い騎士〟という存在。そんな存在が未来の夫の世話係になるということは、つまり、公然と彼女のおそばにもいられてしまうわけで。


 いやいやいやいや、なにその状況。ドロドロにもほどがありすぎる!


 未来の夫婦を翻弄する魔性の見習い騎士(※セクシー系超絶美少年)という絵面が、とっさに脳裏に浮かんでしまった。そんな恋愛の達人みたいな方向性、絶対に全力で避けたい……っていうか避けないと!

 でも、第一王子様からのありがたいご提案を蹴る権利なんて、残念なことに庶民の私には装備されていないのだった。ええええ……そんなバカな。


 どうしよう、誰か教えて!

 この場ではなんて言って回避するのが正解なんだろ――!?


「――晩餐のお時間が迫っております、殿下」


 聞き覚えのある冷めた声色に、殿下が振り返る。彼の肩越しに、盛装のきらびやかな軍服姿のグレンさんが立っていた。

 グレンさんは困惑しまくりの表情で、同様を隠せない眼差しを私と殿下に交互に向けた……っていうか、普段の制服じゃないグレンさんが素敵すぎて眩しくて直視できない(してるけど)!


「ああ、グレン。迎えに来てくれたのか。どうして僕がここにいるってわかった?」


 殿下はにこやかに壁ドン態勢を解き、グレンさんに向きなおった。


「……俺がここの見張りをしていたころから、お姿を消すために使われておりましたので……?」

 

 殿下を迎えに来たわけじゃなく、私と極秘な会話をするために来てくれたグレンさんの戸惑いが、痛いほど伝わってくる。

 そんなグレンさんの内心が殿下に伝わるわけもなく、


「たしかに。きみにはバレていたか」


 そう言って朗らかに笑い、グレンさんの肩に手を添えた。


「じゃあ、一緒に行こう」

「……そうしたいのですが、申しわけありません殿下。ここへ来たついでに、今夜彼に頼みたい仕事について二、三話したいので、俺はしばし残ります」


 グレンさん、嘘がうまい。


「わかった。僕は先に行くとしよう」


 グレンさんが頭を下げる。そのとき、殿下が言った。


「実はね、グレン。まだ正式なことではないけれど、近々マックを僕付きの世話係にするつもりでいるんだ」

「――え」

 

 顔を上げたグレンさんに向かって、殿下は笑顔で言葉を続けた。


「だから、彼に頼みたい仕事があるならいまのうちだよ」


 グレンさんが固まる。そんな彼の肩に、殿下はふたたび手を置いた。


「じゃあ、晩餐会で会おう。――マックも、近々ここにまた来るよ」


 意味深な視線を私にそそいでから、背中を向けて去っていった。

 殿下のお姿が遠ざかり、やがて見えなくなったとき、


「……どういうことですか」


 眉根を寄せたグレンさんが振り返る。


「もしかして、殿下は何度もここを訪れていたんですか?」

「い、いえいえ! 二度だけです」

「二度? たったの二度でなにがどうなったら、お世話係に指名されるはめになるんですか」


 私も知りたいです。


「……私にとっても謎なんですけど、なぜかお気に召してくださったみたいでして……!」


 グレンさんが目頭をつまんだ。心底困惑したときの仕草だ。


「殿下があそこまで他人に近づいた場面を、俺ははじめて見ました」

「そうなんですか?」

「ええ。あれは恋人同士の距離ですから」


 冷めた半眼で睨んでくる。いや、ごもっともです。


「なんにせよ、殿下があなたをかなり気に入っているのは伝わりました。まあ、どうしてそんなはめになったのかは、なんとなく想像はつきます。俺も同じなので」


 ――ん?

 

 さらっと引っかかる台詞が聞こえたのもつかの間、それどころじゃないと言わんばかりにグレンさんは言葉を重ねた。


「とにかく、殿下のお世話係はなんとしても回避しなくては」


 お世話係に指名されると、その職務が解かれるまで婚姻できず、殿下の行くところすべてに同行するので、休みはおろか自由も剥奪されるらしい。


「そんなの、隣国に逃げる目的が遠ざかりまくりじゃないですか!」

「本来の目的をちゃんと覚えていらっしゃったんですね」

「覚えてますよ! 全然そっちの方向に進めてませんけど……」


 二人同時に息をつく。と、グレンさんが口を開く。


「……最悪なことは、ほかにもあります」


 私が女性だとバレたうえ、死んだはずのシエラさん本人だと知られてしまったら、その罪の重さは計り知れない。

 なにより、シエラさんを逃してくれたグレンさんまで、巻き込むはめになってしまう!


「……怖すぎて想像したくないです」

「俺もです」

「わ、私にできることならなんでもやるので、なにか抜け道がありそうなら教えてください!」


 グレンさんは腕を組み、しばし思案した。と、瞳をきらりと光らせる。


「……無謀な賭けですが、ひとつだけあります」

「なんですか!?」

「その地位にふさわしくない人物であると、知らしめる。いっそのこと、すべてを逆手に取るしかないでしょう」

「逆手?」

「ええ。あなたの正体を先に告げてしまうんです」

「えっ!?」

「もちろん、そうする前に必要なことがあります」


 深く嘆息したグレンさんは、私から目をそらさない。


「――断罪されたエブリン伯爵の汚名をそそぐ」


 他国の密偵だったとされるシエラさんの父上、エブリン伯爵。

 すでにこの世にいない伯爵だけれど、あらためてその身の潔白が証明できたら、死んだはずの令嬢が生きていたとしても罰せられることはないし、むしろたくさんのご褒美が賜われるらしい。

 そのご褒美には、自由という名の〝断る権利〟も含まれるのだそうだ。万歳!


「元婚約者は、お世話係の地位にふさわしくありません。結果、殿下のご指名から逃れられますし、ほかにどんな提案をされたとしても、あなたには断る権利が与えられます」

「そんなの最高じゃないですか!」

「ええ」


 伯爵の件に関しては私もなんとかしたかった。イベントが多すぎてそれどころじゃなかっただけで!


「そうとなったら、急がないとですね!」

「俺も協力します」


 そう言って、グレンさんは眼光を強めた。


「――俺も、あなたを殿下のお世話係にさせたくないので。絶対に」

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