第22話 決闘、そしてささやかな疑惑

 当然ながら、一睡もできなかった……。

 仮面舞踏会から一夜明けた早朝。

 朝焼けに染まる庭園に、アシェラッド殿下とフィオナ様、そして山ほどの貴族および騎士たちが集まっている。

 その中心にいるのは、もちろんウェイン殿下とグレンさんだ。


 昨夜、グレンさんと官舎に戻ると、噂を聞きつけたらしい騎士たちが同情の眼差しで出迎えてくれた。みんなグレンさんの勝利を信じていないらしく、ウェイン殿下の勝利に嬉々として金貨を賭けていた。その姿を目にした私は、即座に思った。


 ――いいさ、みんなその金貨を失ってしまえ!


 バートさんと隊のみなさんだけがグレンさんを信じていて、どうにもならない状況に巻き込まれてしまったマックこと私にねぎらいの言葉までかけてくれ、正直なんだ泣きたくなってしまった……っていうか、実はちょっと泣いた。

 そんな賭けごとに発展するほどの状況にあってさえ、誰も私とグレンさんを責めたりはしなかった。

 それもそのはず。

 決闘の噂がどんなふうに伝わっているにせよ、ウェイン殿下が諸悪の根源だということが、この王宮にいる全員にとっては暗黙の了解みたいになっているからだ!


「心配しなくても、グレンが勝つさ」


 私の隣りにいるバートさんが言う。


「は、はい……」


 頭ではわかっているものの、東西にわかれて対峙しているグレンさんとウェイン殿下を見ていると、ハラハラしてきてどうしようもない。だいたい、相手は暴れん坊王子だ。どんな汚い手を使うかわかったものじゃない。


 ああ、どうかどうかグレンさんになにごともありませんように!


 祈る思いで両手を握りしめる。直後、アシェラッド殿下が輪の中に躍り出た。


「僕がこのたびの決闘の審判となる。相手を追い詰めたとみなした者を勝者とする。双方、いまここで、相手への要求を告げるがいい」 


 腰の鞘におさまる剣の柄に手をかけながら、ウェイン殿下は冷笑気味にグレンさんを見た。


「俺の下僕にしてこき使ってやる。飽きたら辺境のど田舎に異動させてやるから、農民を手伝って畑でも耕すんだな。そのほうがおまえにお似合いだ」


 お取り巻きたちがクスクスと笑う。残念なことに異世界の王宮にも大人のイジメがあるわけで……。イジメ、ほんと全宇宙から絶滅しろ!


「グレンの番だ」


 アシェラッド殿下にうながされ、グレンさんは冷静な声音を放った。


「バート隊および見習い騎士マックへの、不必要な干渉をやめていただく。ようするに、王宮内で出くわしても会釈程度の間柄を保つこと。もしもなんらかの接触が判明した場合、殿下には頭を丸め、それこそ辺境のど田舎にある修道院に入っていただく」


 ――おおお!


 どよめきが起きる。ウェイン殿下が目を吊り上げた。


「……この決闘がいにしえの規定じゃないことに感謝するんだな、グレン。そうでなければ、俺は確実におまえの息の根を止めているぞ」

「同じ言葉をお返ししましょう」


 鬼の形相と化したウェイン殿下が剣を抜く。アシェラッド殿下があとずさり、グレンさんも剣の柄を握りしめた――直後。


「――はじめよ!」


 アシェラッド殿下の合図とともに、ウェイン殿下は剣を掲げてグレンさんに駆け寄った。


 ――キンッ!


 剣のぶつかりあう音が、庭園にこだまする。

 ウェイン殿下の必死の攻撃を、グレンさんは涼しげな表情で弾いていく。

 やがて、ウェイン殿下の勝利を疑っていなかった西官舎の騎士たちは、あれよという間に笑顔を凍らせた。貴族たちも、動揺をあらわにしはじめる。


「……どういうことだ? ヴォネガット家の養子、強いじゃないか」

「彼が弱いなどと嘘をついたやつは誰だ。私は殿下に金貨を山ほど賭けたのだぞ」


 不穏な空気に焦ったらしいウェイン殿下は、肩で息をしながらいったんグレンさんから離れると身を低め、ふたたび攻撃の態勢をとった。


「……おまえ。いままでずっと強いことを隠していたのか」

「そうさせたのは、俺が強いと面白くないあなたのお取り巻きの騎士たちです。自業自得だと思って諦めていただきたい」


 ウェイン殿下がグレンさんを睨みつける。


「その口、二度と利けないようにしてやる」


 そうのたまうや右手で剣を握りしめ、グレンさんに向かっていく。その間のほんの一瞬の仕草を、私は見逃さなかった。

 あろうことかウェイン殿下は、左手で地面の土をすくい上げていたのだ。


 あれがグレンさんの目に入ったら、ヤバいどころの騒ぎじゃなくなる!

 

「気をつけてグレンさん! 殿下が土を持っ――!」


 思わず私が声をあげたのと、ウェイン殿下が卑怯な手を使ったのはほぼ同時だった。


 ――ザッ!


 グレンさんが腕で目をかばう。そのすきを逃すことなく、殿下の剣先がグレンさんの脇腹をかすった。

 あっ! と息をのんだのもつかの間、グレンさんは殿下の背後にまわり、その背中を剣の柄で強く打った。


「――――!」


 背中に走った鈍痛で、ウェイン殿下がくずおれる。グレンさんがその首に剣を突きつけたときだった。


「――も、もうおやめくださいませ!」

 

 そう叫びながら、栗色の髪を結い上げている女性が飛び出す。ミドル世代の痩せたご婦人――マーゴット・カッセル夫人だ。

 私がお菓子目当てでここを訪れたとき、圧が強めのビリンガム侯爵夫人にお説教をされていたお方であり、医務院でもちょこっと見かけたことがあるお方だ。


「み、見ていられません。お願いでございます、もうおやめくださいませ!」


 両手を胸で握りしめ、青ざめた顔でグレンさんに懇願する。と、アシェラッド殿下が言った。


「大丈夫です、カッセル夫人。もう終わりました。グレンの勝利です」


 ウェイン殿下は一言も発さず、うなだれたまま微動だにしない。

 そんな弟に、アシェラッド殿下が近づく。


「卑怯な真似をしたうえに負けたおまえを、ここにいる全員が見ていた。もしも僕がおまえなら、この羞恥には耐えられそうにない。いますぐに頭を丸めて、修道院に入る準備をはじめるだろうね」


 盛り上がるどころか、痛いほどの静寂に包まれる。

 剣を鞘におさめたグレンさんを、アシェラッド殿下が見た。


「正々堂々と戦わせてあげられず、申し訳ない。弟の代わりに僕が謝罪するよ」

「俺の勝ちに変わりはありませんから、どうぞ謝罪などなさらないでください」

 

 息をついたアシェラッド殿下は、場をおさめるために声を張り上げた。


「グレンの勝利であることは、誰の目にもあきらかだろう。以後ウェイン殿下については、グレンの要求が発動されることとなる。みなもこれを留意して、違反があれば僕に報告を」


 決闘が終わり、解散となった。

 勝ってほしくない相手が勝ってしまったのと、情けない手を使ったうえに負けてしまった第二王子への失望で、誰もが意気消沈したように去っていった。


 グレンさんの脇腹は上着をかすっただけらしく、ほころんだ生地を縫えばすむ程度の深さだった。

 グレンさんが怪我をすることなく勝って嬉しいし、心からホッとした。

 けれど、いまだに身動きひとつせず、その場にへたり込んだままのウェイン殿下が本気で不気味すぎる。

 そして、そんな彼を見つめるカッセル夫人にも、私はなんだか妙な違和感を覚えていた。


 あの、どこか不安げで、だけど優しい雰囲気の眼差し。

 なんだろう。私、知ってる。なんだっけ……って、あ、そっか!


 参観日で私を見守るお母さんの眼差しっぽい!――のは、いったいどうしてなのでしょうか……?

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