後編
「身の程をわきまえなさい、ティフ。この方は隣国の第二皇子なのよ?」
そういうソリア妃の肩紐は大きくずれて、華やかな下着が大きく露出している。
ティファニーも似た格好で、未婚の男爵令嬢と既婚のお妃様のどちらの醜聞のほうが大きいか考えてしまった。
「いまのヒロインは私ですわ。王子、宰相と騎士団長の息子、この主要三人しか攻略できなかったソリア側妃様と違って預言の手紙に書かれた全員を攻略したから秘匿されていた彼、まさか隣国の皇子様だったなんて」
(預言の手紙に従って攻略、か)
どうやら自分はゲーム感覚で攻略されたらしい。
そう思った瞬間、心の奥に小さく残っていたらしい『ティファニーへの愛』が砕け散り、ルシールへの想いがぱくりと飲み込んだ。
「ほほほ、そろそろ幕を下ろす時間ね」
母セラフィーナの声に顔をあげると、近衛兵が走ってくるのが見えた。
幕を下ろす、つまりフレデリックが見つかったということだろう。
「殿下が見つかりました」
「……聞かなきゃダメか?」
え?と困った顔をする近衛騎士に詫びて報告を続けさせる。
「フレデリック殿下は『ロゼッタ』にいらっしゃいました……賓客のナディア嬢と御一緒です」
「仲良くお茶を飲んでいた、とかでは……ないよなあ」
ロゼッタは表向きは高級レストランだが、バラが咲き誇る庭園のあちこちにある小さな別棟には宿泊できるようになっている。
それなりの料金を取られるので利用者は貴族がほとんど。
夫婦で泊まったりすることもあるが、客の大半は愛人を招いて甘い時間を過ごす。
どうしてそんなところにフレデリックがいるのか。
ナディア嬢の警護は隣国の騎士だからさておき、フレデリックの護衛の騎士は何をしていたのか。
いや、これも全てシナリオか。
騎士たちはただ不運だっただけで、彼らに責任はないに違いない。
「なんとっ」
ロークの物思いを打ち切るように、幼い少年の驚く声がした。
声のしたほうをみればセーブルが侍従から何か報告を受けているようで、こくりと頷いたセーブルは息を吸って小さな体には不似合いの威圧感のある声をあげてみせる。
「ソリア側妃と男爵令嬢が控室で飲んだ飲み物に異物が入っていたと報告があった。近衛兵、二人を速やかに医師のところへ。第二皇子殿下、調査が入るので一度退場していただいてよろしいでしょうか」
異物混入の報に騒めき始めた会場を一瞥したセーブルは優雅に一礼すると、
「申しわけないが、陛下たちは今宵の会に参加できなくなってしまった。みな、このあとも楽しんでくれ。王族がいないほうが羽を伸ばして楽しむこともできるであろう。ただし、呑み過ぎには要注意で」
セーブルの言葉にそこかしこで笑い声があがる。
そして彼は音楽隊に音楽を流すように言うと退場した。
***
「ラシャ―ル殿下、少しよろしいでしょうか」
短い聴取を終えて部屋を出てきたラシャ―ルを捕まえて、近くの部屋に連れていく。
「先ほどは大変申しわけありませんでした」
「いえ、薬のせいでは仕方がありませんよ」
薬のせいなど微塵も思っていないのに、薬のせいで流してくれるらしい。
いや、流すのではないな。
彼も計画を立てた側の人間だ。
「それで、聴取の続きですか?」
「いえ、もしかしたら私どもに聞きたい話があるのではと思いまして」
ニコリと笑うと、ラシャ―ルもにこりと笑う。
余裕のある笑顔、自分もあのくらいの笑顔をできてればいいのだが。
「聞きたいこと……特にありませんが、強いて言えば私の婚約者の様子でしょうか。体調が思わしくないといって、部屋で休んでいるのですが彼女にも薬のことを聞いたのでは?」
「いえ、彼女はいまこちらに向かっているところです」
「まさか、拐わされたとか!?」
本気で驚いているように見える。
演技派だと感心してしまう。
「隠さず申し上げます、ナディア嬢はロゼッタでフレデリック殿下と一緒にいたところを発見いたしました」
演技派なラシャ―ルは美しい所作でよろめいてみせる。
(知っていやがったな、この野郎)
なにが目的か。
フレデリックに自国の令嬢を娶らせようというのか。
(いや、もっと単純なものな気がする)
「ナディアに会わせて欲しい」
「しばしお待ちください」
先に報告にきた騎士によれば、乱れた髪に隠せない場所のキスマークなど、誰がどう見ても二人はイタした雰囲気が消せていないとのこと。
これから侍女を呼んで身支度を整えさせて『何もなかった』と装えるかどうか、
「待ってなどいられない、私はナディアのところに行かなくては」
「皇子殿下!」
脱兎のごとく駆けだしたラシャ―ルを追うが追いつけない。
(足が速い!)
忙しさにかまけて運動不足の我が身を悔やんだが、毎日厳しい訓練をしている騎士たちも追いつけないのだからラシャ―ルの足が速いのだろう。
「ナディア!」
バアーンッと大きな音を立ててラシャ―ルがナディアに割り当てられた部屋の扉をあけたが、
「フレデリック王太子殿下!?なぜ、貴殿がここに!?」
……は?
五秒ほど遅れてナディアの部屋の前に立つと……いた、ここにいないはずのフレデリックが。
ここにいてはいけないはずの、フレデリックが。
二人は申しわけ程度に衣類をまとった状態で抱き合っていた。
全裸じゃないだけマシと思うべきか、ロークの痛む頭の中でゴンゴンと大きな音が鳴る。
「……ナディア」
「隣国の王子様、ナディアはずっとお逢いしたかったのです。ラシャール殿下と婚約しちゃったから会えないと思っていた最推し、いえ、運命の相手だったんです」
(“しちゃった”って、一国の皇子との婚約をそんな風に言うなど)
「運命の相手、だと?」
「はい。一目で、恋してしまったんです。分かっています、私は国に帰って殿下と結婚しなきゃいけないって。分かっています……でも、それならせめて思い出が欲しくて」
ラシャールの言葉に、ナディアはほろほろと涙を流す。
見る者によっては庇護欲を誘う、かもしれない。
「どうか彼女の心痛もご察しください」
(やっぱりいたよ、見事に庇護欲を誘われたやつ)
随行者の一人、皇都にある神殿の長の息子だと紹介された男がよく分からない発言をする。
彼の発言に対して「そうだ、仕方がない」と同意しているのは同じく随行者である騎士団長の息子だと紹介された男だけで他のみんなは白け切っている。
(皇子、神殿長と騎士団長の息子、あときっと宰相の息子も攻略済みなんだろうな。隣国でも流行っているんだなあ)
どうとでもなればいい。
こう思ったロークはバチがあたった。
「フレディ!!何しているのよ!!」
ティファニーの登場に、一気に場が騒がしくなったのだ。
「フレディから離れなさいよ、この阿婆擦れ女!」
「フレディは私のほうがいいって仰ったわ!!隣国の王子様も私のものよ」
「それじゃあラシャ―ル殿下は私がもらうわ!フレディよりよっぽどイケメンで大人だし」
「むーりーでーすー、ラシャ―ルも私のことが大好きなんだから!」
(ずっと聞いていないとダメかな……娼婦のようなドレスにほぼ全裸の二人は衆人環視のこの状況が恥ずかしくないのかな。ああ、うちの奥さんに会いたい)
メスの縄張り争いに入り込むことができず、とりあえず傍観者になって現実逃避をしていたが、
パシンッ
風を切るような鋭い音に、ぎゃあぎゃあ騒いでいた女二人が黙る。
扇を叩いたのは王妃で、両側に国王と隣国の皇帝を携えて登場した。
「全くみっともない、陛下」
「はい!」
国王が元気のよい返事をする。
絶対服従するその姿に威厳は微塵もなかった。
(王妃様は教育としつけをきちんとなさる方だから)
「速やかに事態の収拾を」
王妃が一歩下がることで、国王が前に出る形になった。
ほんの少し後ろをすがるような目で見たが、王妃はパッと扇子を拡げて国王を突き放した。
仕方がないとばかりに肩を落とした国王は、ため息をついて隣国の皇帝に向き直る。
「陛下、愚息が大変もうしわけない」
「いえ、うちのほうにも責任があります。教育と躾のなっていない娘を外交の場に連れてきてしまったのですから」
国のトップ同士が頭を下げ合って互いに譲歩する姿勢を見せたあと、国王はフレデリックに向き合う。
「フレデリック、そなたの王位継承権を剥奪する」
「父上!?」
「そなたには一代限りの公爵位を与えよう。我が民のことを思えば領地を下賜することはできない、そなたたち家族の生活費くらいは私の私費から渡そう」
一般的に見れば、親は子よりも先に死ぬ。
父王が死んだら生活の支援はなくなる、つまりそれまでには生計を立てるようにしておけという意味だろう。
「父上!」
フレデリックは悲痛な声をあげたが、これ以上は何もしてやれないと分かっている国王は目を反らして部屋を出ていこうとしたが、
「陛下!」
ソリアの登場が国王の足をとめさせる。
誰監修のシナリオか分からないが、国王に容赦がないとロークは思った。
「ソリア、お前は北にある王家が管理している修道院に送る」
「何を!?陛下、愛する私に本当にそんなところに」
王家が管理している修道院は全国各地にあるが、極寒の地にある北の修道院は気候も戒律も厳しい修道院だ。
ロークの記憶では住み込みの修道女は一人だけで、彼女は十何年前に何かしらの罪を犯してその地に贈られた高位貴族の女性。
「ソリアよ、そなたが部屋に男たちを招き入れていることを私が知らないとでも思ったか?」
国王の静かな声にソリアは息をのむ。
妃の蛮行を知らないはずはなかったが、見て見ぬふりをしていただけだったか。
「姦通罪で処刑するよう進言もあった。これは一度は愛したそなたに与えられる私の最後の温情だ」
王位継承権のはく奪に、一代限りの公爵位。
唯一の後ろ盾といえる側妃の母はその立場を失い、遠く離れた北の修道院に送られる。
理解が追いつかないのだろう。
フレデリックは呆然としている。
「サフィア男爵令嬢」
婚約者であるフレデリックを見捨てるようにラシャ―ルに近づきかけたティファニーに王妃が冷たい目を向ける。
「そなたはこのまま城に滞在し、子を無事に産んでもらう。王家の血をひく子どもはのちに争いの種になる、子は私が責任をもって養子に出そう」
「あ、ありがとうございます」
「礼にはおよばぬ、子どもから母親を奪う詫びでもある。ティファニー、城では好きに過ごしてくれ。そなたの自由な振る舞いを周囲はいろいろ言うかもしれないが、それは私が責任をもって抑えよう。余命いくばくもない娘にかけられる、私からの最後の温情だ」
城で好きに過ごせると聞いたティファニーは嬉しそうに顔を輝かせたが、「余命いくばくもない」というところで首を傾げる。
出産で命を落とす女性は少なくないが、そういう意味に聞こえなかったのだろう。
その理解は間違っていない。
子を産んだら、ティファニーは毒杯を仰ぐことになるだろう。
万が一にも、子を王子として王冠を抱かせようなどと欲を持たさないために。
たとえ万が一でも、その可能性があるならばその芽は摘んでおかなければならない。
「近衛兵、男爵令嬢を部屋に。丁重にな」
「いやよ、いやあああ!!」
引きずりだされるティファニーから目を逸らしかけたが、グッと堪えて最後までティファニーを見ることを自分に科す。
「ローク様」
過去の清算と呵責に気づいてくれたのだろう、そっと名を呼んでくれたルシールが隣に並ぶ。
それでもロークはティファニーから目をそらさなかったが、手でルシールの手を探りだして、その小さくても温かい手をぎゅっと握る。
「嫌よ……誰か助けて!誰か……これじゃ私が悪役令嬢じゃない!私は悪役令嬢じゃない!!私はヒロイン、この物語のヒロインなのよ!!」
「ヒロイン、か」
ロークの耳に届いたルチアナの呟きは、小さかったがやけに大きく聞こえた。
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