中編
隣の帝国からのお客様の帰国前、帰国予定日に最も近い吉日。
両国の貿易条約が結ばれたことを祝う夜会が開かれ、ソニック公爵家は朝からその準備で上から下への大騒ぎ。
そして出立時刻が近づいて、
「ルシール、とてもキレイだ」
玄関ホールに現れたドレス姿の妻ルシールにロークは目を細めた。
「感動と衝撃を伝える語彙が少なすぎて、どうしたら君の素晴らしさが表現できるか困ってしまうよ」
「まあ、ありがとうございます」
初々しく頬を染めたルシールの姿に、だらしないと自覚できるほど顔が緩むが抑えられない。
「あら、ここには母たちもいるのだけど?」
「妻しか目に入らないなんて、ソニック公子は情熱的だわ」
ルシールの可愛いらしさ、美しいのに可愛いという神秘に浸っていたいのに。
ルシールの後ろで凄む、もとい、微笑む貴婦人たちが怖過ぎた。
「母上、ルチアナ皇后陛下、お二人ともとてもお美しいです」
美しいというのは本当だが迫力のほうがすごい。
母セラフィーナとルチアナはデザインは違うが二人とも黒を基調としたドレスを着ていて、セラフィーナは闇夜を舞う面妖な蝶を思わせ、ルチアナは大量の毒をはらむ黒百合を思わせる。
二人とも必要以上に禍々しいのだ。
「わあ、ルシール姉様、本当におきれいです」
そう言うのは隣国の第三皇子、八歳のトイ殿下。
皇帝陛下自らが他国の貴族家にくるのはよくないと、彼は城まで母親であるルチアナ皇后のエスコート役に立候補したらしい。
(それならルシールではなく母親を褒め讃えろ)
「ルシール姉様の夫となる人、間違えた、夫であるソニック公子様は三国一の幸せ者ですね。僕もルシール姉様をお嫁さん、間違えた、ルシール姉様のようなお嫁さんを欲しいなあ」
どう聞いてもわざとだろう。
トイの言葉に思わず顔が引きつるのは許して欲しい。
「トイ、いい加減になさい。昨日のお茶会、公子様に甘えたことを忘れたの?最後にルシールと二人でお茶会ができたら諦めると言ったのはあなたでしょう」
そういって微笑むルチアナ皇后の目はなかなか厳しい。
「分かっていますよ。そもそも昨日の茶会でちゃんとフラれましたから。ルシール姉様は公子様が大好きで、公子様の傍にいるときが何よりも幸福なんだそうです」
『そこまで言われたら』とトイが不貞腐れるその傍で、「殿下、それは内緒だと」とルシールが慌てている。
根掘り葉掘り聞くのは格好悪い。
めちゃくちゃ気になるけれど、男としての器の大きさをルシールに見せたいとやせ我慢していたため、思いがけない朗報だった。
「フレデリック殿下になら勝てたのに。あの天才肌ゆえに偏屈のラシャ―ル兄上が認めて、末永く切磋琢磨していきたいとまで言われたソニック公子に僕が勝てるわけないんですよ」
「ラシャ―ル殿下がそんなことを」
末永く切磋琢磨していきたい。
ラシャ―ルの言葉に思わず、フレデリックではなくそちらに忠誠を誓いたくなった。
そして先日、城の廊下で自分を呼び止めた幼い王子の聡明な瞳を思い出す。
「トイ殿下、我が国の王子をよろしくお願いします」
その言葉に、『それを僕に言うんだ』とトイの瞳がきらりと光る。
やはり隣国の皇子たちは優秀である。
***
両国の友好関係を表す夜会会場は、両国のかけ橋となったルチアナ皇后をどこか彷彿とさせる雰囲気に飾られていた。
会場にならぶ両国の料理に、飾られた花たち。
一分の隙もない演出に、その経験の深さと長年国王陛下をサポートしてきた王妃の高い能力が垣間見えて、ルシールと共に感嘆の吐息を漏らす。
今日の夜会は始まるのが早い。
帝国から来訪した皇族の中には未成年のトイがいるため、彼も参加できるように早めの時間から開始することになったのだが、
「ローク様」
筆頭貴族であるソニック公爵家が最後の入場。
この次に入ってくるのは王族となるのだが、フレデリックではなく彼の弟で第三王子であるセーブルが登壇したことにルシールがロークの袖をつまむ。
「フレデリック王太子殿下に何かあったのでしょうか」
騒めき出した周囲の声に紛れさせてルシールが小声でささやく。
その瞳は不安げに揺れている。
何しろ今日の夜会、主催は王太子であるフレデリックとなっている。
本来ならば国王主催となるのだが、今後の国交を鑑みてフレデリックにしてはどうかと王妃が議会で進言したのだった。
三ヶ月ほど前の議会での王妃の様子を思い出してロークの背筋に冷や汗が流れる。
このシナリオはいつからできていたのか。
第三王子のセーブルは王妃の唯一生んだ王子。
フレデリックが不在ならば、亡国の姫君である第一側妃は第二王子であるレイシェルの王位継承権を放棄しているので彼を飛ばして第三王子のセーブルが主賓となるのは分かるが、
「ローク様」
注意を促すようにルシールに袖を二回ひかれてルシールを見ると、その視線を追わされて会場の入口のほうを見る。
そこにいたのはロークの部下。
今日彼は緊急事態に備えて連絡役として城で待機していたはずだが、
「行ってくる」
「はい、お気をつけて」
イヤな予感がする。
良好な仲とはいえ他国の客が大勢いる中でよもや王家のお家騒動など……
「宰相補佐」
「何があった」
ロークが自分のほうに向かってきていることに気づいたのだろう。
人の少ない壁際で待っていた優秀な部下は軽く頭を下げると、ロークの耳元に口を寄せて、
「フレデリック王太子殿下が行方不明です」
「っ、……いつから」
「最後に殿下をお見かけしたのは使用人で、時刻は昼を少し過ぎたところだと」
「ソリア側妃様と男爵令嬢は」
フレデリックが害されたとなれば、ソリアとティファニーも無事ではないだろう。
(場合によっては三人ともすでにこの世に……)
「ソリア側妃様と男爵令嬢でしたら、どちらがラシャ―ル殿下にエスコートされるか揉めていらっしゃいまして」
……ん?
「どうしてエスコート、しかもなぜラシャ―ル殿下?」
「それが……行方不明なのはフレデリック殿下だけでなく、ラシャ―ル殿下のご婚約者の姫君も行方不明で」
……え?
「二人一緒に行方不明」
「いえ、二人一緒かどうかまでは…………はい、限りなく可能性は高いです」
彼もロークと共に会談の場に参加している。
フレデリックとナディアの間に流れる熱を感知していただろう。
「それで、婚約者不在でラシャ―ル殿下が男爵令嬢のエスコートを名乗り出たというのなら分かる。そこでどうしてソリア側妃も?国王陛下は?」
「それが、シャデラン側妃様が急遽夜会に参加なさることになって、国王陛下のエスコートは王妃陛下と第一側妃様となって」
「それなら男爵令嬢に引かせろ。彼女はまだ殿下の婚約者でもないのだから、第二側妃様を優先して」
「それができないからこうしてご相談に……」
ざわっ
一際会場が大きく騒めく。
その騒めきは第三王子が王太子の代わりに登壇したときの比ではなくて、
「……嘘だろう」
視線の先、ラシャ―ルを間にしてソリアとティファニーが威嚇し合っている。
その光景に、「あああ」と隣で頭を抱えてしゃがみ込んだ部下に倣いたい気持ちになった。
「きゃあっ」
そんな甘えは許さないとばかりにティファニーが甘えた悲鳴をあげる。
舞台女優のように優雅によろけるティファニーを、ラシャ―ルはソリアから手を放して両手で支える。
「大丈夫ですか?」
「は、はい。申しわけありません、緊張してしまって」
気遣う(素振りを見せる)ラシャールにティファニーは嬉しそうに微笑む。
そんなティファニーの両肩に置かれたラシャ―ルの手のひとつをソリアが自分のほうに引っ張る。
「ティフ、先ほどのでケガをしたのではなくて?近衛、ティフを医者のもとに……」
「ソリア様、ご心配ありがとうございます。でも、こうしてラシャ―ル様のお手をお借りできれば」
「隣国の皇族にそんな侍従のような真似をさせてはいけません。さあ、手を離しなさい」
「まあ、私に両手を差し出して下さったのはラシャ―ル様ご本人ですわ」
ラシャ―ルの腕の一本をソリアが抱き、もう一本をティファニーが抱く。
夜会なのである程度の露出は必要かもしれないが、二人とも必要以上に露出度が高いので乳房がこぼれ出そうである。
全方位どこから見ても非常識な立ち振る舞いに周囲がヒソヒソ声で話し始めるのだが、
(やけに女性の声が大きいし、全然ヒソヒソじゃないし)
どういうテクニックか分からないが、大きな囁き声である。
ルシールもこんなことができるのかな、なんて妻のことを考えて現実逃避したくなる。
「まあ、あれが側妃様の仰っていた娼婦服、いえ、勝負服なのね」
「浪費が過ぎると財務のカールトン侯爵が注意なさったからかしら、胸元やスカートの布地をあんなに少なくして」
「まあ、ご存知ありませんの?こういう大きな夜会ではああいった娼婦服、いえ、勝負服を着るのが最近のロマンス親衛隊の流行なのですよ」
「そうでしたのね、てっきり財政が苦しい家が多いのかと」
「財政が厳しいのは確かだと思いますわ。男爵家や子爵家のご令嬢は本来必須の夜会と政略的に必要な夜会に数回出るものでしたのに、どこにロマンスが落ちているか分からないとばかりに大きな夜会にたくさん参加なさって」
妻や娘のドレス代が天井知らずだと嘆いていた子爵家の当主を思い出す。
「私はソリア側妃様と同じ年代ですが、おばさんだからどうしても女性が脚を見せる姿には抵抗があって」
「私もですわ。でも、ほら、ソリア側妃様は幼子のようにお若いから」
幼子は「若い」というのだろうか。
「あのようなドレスを着ていれば、最近授かり婚が多いのも分かる気がしますわ」
「私たちの時代など滅多になくって、おかげでソリア側妃様が大きなお腹で入宮したことも二十年近く前のことですのにしっかりと覚えておりますわ」
噂話を楽しむご夫人の年齢層が高めだからか。
ティファニーよりもソリアへの風当たりが強く、
「あらあら、まあまあ。油断大敵、大炎上ね」
「……母上」
楽しそうな母セラフィーナの声に、この事態の収拾をどうつけるか想像もつかない今は睨みたくなったのも仕方がないだろう。
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