番外編

ルチアナ叔母様がやってきた(ざまあ展開あり)

前編

「ローク、今度お友だちが我が家に滞在することになったから」


 交友関係の広い母セラフィーナがこんなことを言うのは珍しくない。

 ただこのセリフを聞いたとき、背を悪寒が二往復するほどイヤな予感がした。


「どなたがいらっしゃるのですか?」


 こう聞いた自分をロークはのちに褒めたたえることになる。


「ルチアナよ。私と旦那様の友人であり、カールトン侯爵の妹だからルシールの叔母様でもあるわ」


 あの女性か!

 

「隣国の皇后様なのですから、城に滞在していただくべきでは?」

「警備を考えると城にある迎賓館がいいのだけれど、ソリア側妃がやらかしちゃったのよね」

 

 なにをやって訪問前の隣国の皇后を怒らせたのか。


「最初は迎賓館に滞在する予定だったのだけれど、『お待ちしてま~す。昔話をい~っぱいしましょうね』という感じの手紙が届いてブチッと」


「誰です、隣国の皇后へのそんな大事な手紙をソリア側妃様に書かせたポンコツは」


 隣国の皇后、元カールトン侯爵令嬢であるルチアナ皇后はこの国の国王の元婚約者。

 その男を婚約者から奪って側妃の座についたのがソリア側妃なのだ。


「皇帝陛下も一緒にうちに滞在するのですか?」


 ルチアナ皇后と隣国の皇帝は仲睦まじく、三日も離れていられないらしい。

 皇太子が成人してからは大体どこに行くのも一緒なのである。


 彼の国の皇太子殿下は実に優秀で政務代行はお手のもの。

 実に羨ましい。


「皇帝陛下と一緒に来る皇子殿下は城に滞在するわ。他国の一貴族の屋敷に皇帝夫婦がそろって滞在するのはあまりよくないですからね。うちの王族が彼らを怒らせなければ大丈夫でしょう」


「それ、うちに来る可能性が高いじゃありませんか」


 実情はどうであれ形を整えることが大切である。

 母の公爵夫人らしい美しいアルカイックスマイルに答えを察した。


「どの皇子殿下がいらっしゃるのですか?」

「二番目のラシャール殿下と三番目のトイ殿下が来るわ、困ったことに」


「何で困るのです?あの国の皇子殿下たちはどなたも聡明で良識的ではありませんか」


 首を傾げるロークにセラフィーナがため息を吐く。


「トイ殿下はね、この国にお嫁さんを迎えに来るのよ」

「優秀なトイ殿下のお妃様にこの国の令嬢が選ばれるなど光栄ではありませんか」


 彼と年齢の合う令嬢たちの中にめぼしい令嬢がいただろうか。

 脳内でリストをめくっていると、


「その“お嫁さん”がルシールでも?」


 は?


「あの子、うちのルシールをお嫁さんとして自国に連れていこうとしているの」

「八歳のトイ殿下に結婚はまだ早いですよ」


 清々しいほどの手の平返し?

 なにを言われようと構わない、ルシールは渡さない。


「それにルシールは既婚者です、私の妻です。他国の高官の妻を略奪するなんて蛮行が許さるとでも」

「ルチアナも三回くらいお尻叩きをしながら説得したみたいだけど、ルシールには愛される価値があると言われてぐうの音も出なかったみたい」


「いや、そこは出しましょうよ」


 ロークはため息をついたが、隣国の皇族の教育に感心する。


「尻叩きとは、皇后様はご自分で皇子殿下を厳しくしつけをなさるのですね」

「真実の愛を夢見るワガママ王子に痛い目にあわされたのだもの、自分の息子は地に足がつくよう厳しく躾けるって昔から言っていたわ」


 他国の王族教育にまで影響を与える自国の王族の迷惑加減にため息が止まらない。


「トイ殿下も自分の目でルシールが幸せだと分かれば、きちんと己の想いにケリをつけるでしょう。だから、絶対に、絶ーっ対にミスをするんじゃないわよ?」

「分かっています」


 厄介なことになったとロークはもう何度目が分からない深いため息をついたが、「そういえば」と第二皇子のラシャールが来る理由を問う。


「彼が来る理由はよく分からないのよね、あの方も婚約者探しかしら」

「トイ殿下以外には婚約者がいると記憶していますが?」


 確か同じ頃に婚約したはずだ。

 皇族としては遅い婚約だと思うが、


「いまの婚約者、ナディア嬢との結婚にラシャール殿下は乗り気じゃないのよ、若気の至りで婚約した方だから」

「若気の至り……耳が痛いですね」


「その件は大いに反省して頂戴。あとね、自棄っぱちでラシャール殿下がナディア嬢と一夜を共にしちゃった原因はうちなの。ルシールは渡せないけれど、友人として協力するつもりよ」


 彼もまたルシールか。


 聞けばルシールはラシャールの初恋の君。

 フレデリックとの婚約が白紙になったと聞いた彼はカールトン侯爵家にルシールとの婚約を打診する手紙を送ったというのだが、


「帝都からこの王都までは一カ月以上かかるでしょう?ラシャール殿下の手紙が届く前にうちがルシールとの婚約を成立させたってわけ。こういうのって早い者勝ちだから、あのときは旦那様が頑張ったわ」


 頑張った、とは?


「旦那様はずっと婚約の申し出る手紙をずっと持ち歩いていて、カールトン侯爵を見つけ出しては追い回して渡そうとしていたのよ」


 侯爵が降参する形で婚約成立、知りたくなかった裏話だ。

 感謝しているけれど、感謝しているけれど……義父に申しわけない気持ちになった。


「なにか文句があるのですか?」

「いいえ。お二人のおかげでとても幸せですから、あるわけがありません」


 彼らを歓迎する夜会にはルシールに似た雰囲気の令嬢をたんまりと集めることを誓った。



 ***



「ルチアナ皇后陛下、お久しぶりです」

「ルシール、元気そうでよかったわ」


 ルチアナ皇后は姪であるルシールの髪にギリギリ隠れていた首の赤い痕を親し気に扇子で叩き、優しさと茶目っ気のこもる瞳で微笑む。


「旦那様にとても愛されているようね」


 そう言いながら向けられたルチアナ皇后の目は柔らかい。

 結婚式のときに向けられた殺意はもちろん、敵意もほぼ消えていることに心の底から安堵する。


「瀕死のケガを負いながらも膝をつき、政略結婚の妻に愛していると告げた公子様の話は我が国うちの貴族女性たちの憧れなの。そこまで熱愛されるルシールを帝国に連れていったら彼女たちに怒られてしまうわ」


 ずいぶん話を盛られたなー、とロークは思ったが黙っていることにした。

 ルチアナ皇后は敵に回したら厄介だが、味方であればこれほど頼もしい存在はない。


(明日からは家に帰るのもままならなくなるだろうからな)



 その予想通り、隣国との貿易に関する会談が始まるとソニック家の父子は一気に忙しくなった。

 父のウィリアムと共に城に泊まり込み続けている。


 それもこれも交渉の席についているフレデリックが頼りにならないから。


 最初は国王とあちらの皇帝で話し合いをしていたのだが、あちらの皇帝があれやこれやと語るうちに話し合いの主導権はフレデリックとラシャールに渡った。


 「あとは若いもので」という皇帝の音頭でこちらの国王と宰相である父は会談の席から追い出され、フレデリックのお粗末な交渉をロークがフォローし、ロークからの報告に父が頭を抱え込む日々が続いている。


(しかも、やや不利でおさまっているのは向こうの向こうが手心を加えているからなんだよな)


 ロークや他の数人、ぶっちゃけ言えばフレデリック以外は全員がラシャールの温情、ルチアナ皇后の母国への気遣いに気づいている。


 だからこそ、あちらの思惑が分からない。

 有利な条件を結ぼうとしているわけでもないし、


(しかも、なぜか向こうはサフィア男爵令嬢ティファニーの同席を受けいれた)


 ティファニーの妃教育は依然進んでいないため外交の場に出せるわけではないのだが、ティファニーの同席にはのっぴきならない事情があった。


 理由はあちらのラシャールが同席させている婚約者のナディア嬢。


 そのナディア嬢とフレデリックの交わし合う視線に妙な熱があるのだ。

 これについて城の侍女や侍従に話を聞けば、ラシャールが忙しいときは代わりにフレデリックがナディア嬢の散歩相手を務めているとか。


 ラシャールが忙しいときは交渉相手であるフレデリックも忙しいはずなのに、だ。

 それも喜んで散歩相手を務めているというから頭痛がとまらない。


 このようなフレデリックの不適切な対応が問題になる前に、フレデリックの抑止力のために婚約者ですらない令嬢を同席させるという未曽有の許可を帝国側は受け入れた。


(彼は何を考えているのだ)


 これでフレデリックが大人しくなると思えば、意外な事態が発生した。

 ラシャールが予想以上の愛想のよさ、少しばかり「ん?」と思う程度の熱でティファニーの相手をし始めたのだ。


 こうして不思議な四角関係が形成。

 特に「自分は二人の王子様に愛されているのよ」という女同士のマウント合戦には頭の痛みは激しくなる。


 確かにラシャールはイケメンだ。

 男のロークから見ても頼りになる男らしい格好良さがあり、フレデリックと比べるとその逞しさが際立つからティファニーが逆上せあがるのは仕方がないかなと思ってしまったりもする。


(だめだ、自分の判断力に自信がなくなってきた)



「ソニック公子」


 城の医務室で痛み止めをもらおうと思っていたら、不意に呼び止められた。


 呼び止めたのは幼いながらも聡明な目をしたこの国の、王妃が産んだ王子だった。

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