【本編最終話】フラれ公子、俺の妻は世界一可愛い
想いを伝えあい、甘い空気で酸欠になりそうなところに城の侍従がソニック公爵夫妻の伝言をもってやってきた。
ピンク色の空気に顔を真っ赤にしながら部屋を出ていく侍従に申し訳ない気持ちになりながら簡易的な手紙をひらくと、
「父と母は国王陛下と大事な話があるということで、先に帰っていて欲しいそうだ」
「……そうですか」
罪を呑み込むと決めても、割り切るには少し時間がかかるだろう。
自分も同じ気持ちなので、それ以上ロークはルシールに何も言わずに帰る準備を整えた。
「お帰りなさいませ」
騎士の一人に先触れで帰ることを伝えていたため、二人の乗った馬車がソニック公爵家の
馬車から降りてきた若夫婦の様子に、先頭にいた執事長のセバスチャンが首を傾げる。
「若旦那様、何があったのですか?」
その疑問も最もだと、ロークは頭に巻かれたままの包帯に手を当てる。
しかもそんなケガ人の夫の隣でルシールはといえば、普段の怜悧な落ち着いた表情は見る影もなく、“ぽわぽわ”という効果音が聞こえそうなほど可愛らしい顔で佇んでいる。
ケガのことを言ったらこの雰囲気はなくなってしまうだろう。
それは残念だから「あとで説明するよ」と言ってロークはセバスチャンの質問をぼかした。
「侍女長、ルシールを頼む……少々、気がそぞろだから気を付けてやってくれ」
「畏まりました」
侍女長とルシールの専属侍女は見慣れるルシールの様子に驚いていたが、さすがプロ。
手際よくルシールの両側に立ち、フラフラしているルシールを支える。
「若奥様、足元にお気をつけ下さいませ」
侍女の言葉にルシールは頷いたものの、ハッとしてこちらを振り向く。
その表情は迷子の幼子のように途方に暮れていて、
(可愛過ぎ……いや、違う、違う)
「着替えたら一緒に食事をしよう」
「……はい」
ほっと安心したように表情を緩めるルシールを見送ると、残っていた使用人たちの視線が自分に集中した。
「若旦那様」
代表して声をかけてきたセバスチャンの生温かな目が気恥ずかしい。
「セバス、食事をとることができなかったから軽食の準備を頼む」
「分かりました、サンルームに準備いたしましょう」
「いや、別に普通に食堂で」
「いえいえ、雰囲気が大事ですからね。いつか必要になるからと準備してきた成果をお見せしましょう」
年に一回行くか行かないかのサンルーム。
そこで何がどんな風に準備されているのかロークは分からなかったが「任せる」としか言いようがない雰囲気に流された。
「それでは準備を、プランNだ」
“A”から“M”まで全て飛ばして突然“N”?
首を傾げるとセバスチャンは「NIGHT(夜)の“N”です」とパチッと片目をつぶってみせる。
「ナッ///!?」
「うちの若旦那様は初心でいらっしゃる、みなで代わりに応援しなくては」
「ちょっと待……」
ロークの制止も空しく、年齢に見合わない速さでセバスチャンは去っていく。
その後を使用人が早足どころか駆け足で追いかけ、セバスチャンはてきぱきと彼らに指示を出していく。
時折上がる侍女たちの黄色い浮き浮きした声に、
「……緊張してきた」
愚痴を溜め息と共に零しながらロークは自室に向かった。
「若旦那様。サンルームの、いえ、お食事の準備ができました」
セバスチャンが呼びに来たとき、ロークは入浴を終えて楽な格好に着替えていた。
「ルシールは?」
「若旦那様、女性の準備は男性の何倍もかかるのです。気を長く、悠然とした態度でお待ちください」
つまり、四の五の言わず黙って待てということだろう。
その言葉に従って黙ってサンルームに向かったが、
「ん?一体何の準備をしたんだ?」
仮にサンルーム中がハート型の風船だらけでも文句を言うまいと思ってここに来たのだが、サンルームの中は少し照明が落とされただけで最後に見たときと変わり映えがなかった。
「いやですなあ、食事だけですとも」
そうは思えないし、言い方が不審だから聞いているのだが。
ニヨニヨと聞こえてきそうな笑い方が気に入らない。
こういう答え方をするときのセバスチャンは絶対に答えを教えてはくれない。
「若奥様がいらしたら食事をお運びしますが、先に食前酒を飲まれますか?」
「そうだな、軽いものを頼む」
イスに座って、のんびりと姿勢を崩す。
しばらくすると見覚えのないラベルの貼られたビンをもってセバスチャンが戻ってくる。
「それは?」
「カールトン侯爵家から先日届けられたワインです。苺など数種のベリー系果物で作った果実酒だそうです」
グラスに注がれた液体から立ち上る苺の香りにルシールの顔が浮かぶ。
「もう少し待つべきだよな」
「もちろんでございます」
十分も待っていませんよ。
そんな言葉が聞こえてきそうな、呆れ切った視線を向けられる。
「どのくらい待つべきなんだ?」
「これだから恋愛初心者は」
本音が漏れているぞと注意がしたかったが、黙っていることにした。
セバスチャンに勝てたためしがないからだ。
代わりに懐中時計を取り出して眺める。
なんか、針が進むのが遅い気がする。
「坊ちゃまが睨みつけるから時計の針が委縮していますよ」
「そんなわけあるか、あと『坊ちゃま』と呼ぶな」
聞き分けのない子どものような扱いをされること三十分。
サンルームにルシールが現れると、席を立ってルシールのもとにいってテーブルまでエスコートする。
ルシールが座ったとき、揺れた髪から苺の香りがふわりと漂う。
「いい香りだな、香水?」
「兄が開発した洗髪剤だそうです。苺に似ていますが、人工的に作った香りだそうです」
そう言われてみれば、普通の苺よりも少し甘い感じがするか?
いや、それはルシールから香るからかもしれない。
「ルシールが気に入ったなら定期的に購入したらいいのではないか?まあ、いまはそれよりも先に食事を摂ろう。あっちでは碌に食べられなかったからな」
ルシールが頷いたのを合図にしたように、侍女たちが銀色のカバーを外す。
異様なほど赤とピンクが多く、あちこちにハートがある皿に思わず目が丸くなる。
「まあ///」
夜も遅いのだから変な気合は入れないで欲しい。
公爵邸の料理人の優秀さに感心しながら、ハート型に切られた赤カブをフォークで刺した。
ハート過剰な食事に神経がゴリゴリ削られながらも、会話を心がける。
面白みのない男。
元婚約者にそう言われたことを思い出してしまったのは、オムレツの上のハート型のケチャップをぐちゃぐちゃにしたからだろうか。
女心に疎く、まともに恋愛をしてこなかったことを悔やまれる。
間がもたない。
いつもの夜なら会話がなくても、静かな夜は居心地がよくて満足していたのに。
今日は沈黙が緊張をはらんでいて居心地が悪い。
「寒くはないか?」
「はい、ショールもあるので大丈夫です」
夜会用のドレスからルシールはワンピースに着替えていた。
いつもと変わらない姿なのに、ショールの前を合わせる姿が幼く見えて庇護欲をそそる。
しかも、目の前のルシールはどこか小動物を連想させる。
チラチラとこちらを見たかと思えば、急に中空を見てぽーっとしたり。
悪戯心が刺激されてルシールをジッと見ていれば、視線を感じたルシールと目があって、
(可愛い、俺の妻、幸せ)
ボボボボッと音がしそうな勢いで顔を赤くするルシール。
本当に、可愛いが過ぎる。
(え、マジ、可愛い、幸せ)
「若旦那様、言語能力が著しく低下しております。しっかりなさってくださいませ」
「何で分かる」
「初心者特有の甘酸っぱい空気に混じる感情など玄人にはお見通し。結婚して半年以上経つというのに初々しい」
うちの使用人たちは玄人の集まりらしい。
セバスチャンの言葉にコクコクと頷く使用人たちの向けてくる生温かい視線がやけに恥ずかしかった。
「食事が終わったなら散歩にで……」
「若旦那様、若奥様。どうぞ、こちらへ」
散歩にでもと誘おうとしたら、セバスチャンに先をこされた。
そしてサンルームの奥に行き、
「こんな扉はあったか?」
同じく不思議そうな顔をしているところを見ると、ルシールも知らなかったらしい。
「奥様の計らいで、親と同じ屋根の下では落ち着かないときもあるだろうと」
「……二人は今日は王城に泊りになると思うが」
今夜は親が帰ってこない。
使い古された誘い文句を思い浮かべて顔が熱くなったが、ニヨニヨ笑うセバスチャンとは対照的に言っている意味が解らなさそうなルシール。
本当に恋愛に慣れていないんだな。
そう思うと、大事にしたいという思いが一気に膨れ上がる。
「セバス、あとは任せた」
「畏まりました」
ガッツポーズは余計だ、と思いながらルシールを抱き上げる。
突然のことに驚いたのだろう。
「ローク様!?」
ルシールの普段より大きな声は扉のしまる音と重なる。
そしてセバスチャンの言う「準備」の意味をロークは深く理解した。
「ルシール」
この部屋を見れば、使用人の意気込みも分かるというもの。
何を期待されているか、聡いルシールに分からないはずはない。
「はぃ」
おかげで、妙に緊張感を刺激されたルシールが虫の鳴くような声で答える。
(可愛い)
「私、ロークは誠実であることと永遠の愛を誓います」
貴族によくある政略結婚だけど、愛し合う夫婦になれたことが嬉しい気持ちを伝えたくて。
「私、ルシールは誠実であることと永遠の愛を誓います」
同じ気持ちを返してくれる人がいる幸せを味わいたくて。
「大好きだよ」
「私もです」
気分が上がったロークが調子に乗って言葉を重ねると、ルシールの顔がまたポポポッと赤くなって。
(可愛過ぎる)
可愛過ぎる妻が照れ臭そうに自分の腕の中から自分を見上げている。
この姿をずっと見ていたいとも思うけど契約を結ぶためにも、
「誓いの口づけをしても?」
ルシールは驚いた顔を向けて、次の瞬間花がほころぶようにふわりと可愛らしく笑った。
「はい」
ルシールのその言葉を呑み込むように、ロークはルシールとの距離をゼロにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます