フラれ公子、恋は実に混沌としている

―――そんなことは俺が許しません。ルシールの夫は俺です、誰にも渡す気はありません。


 自分の登場とその言葉にその場は水をうったように静かになり、一番前にきたロークは室内を見渡して父親を見つける。


 目線があっただけで父は息子が言いたいことが分かったらしい。


「陛下のほうは任せなさい。きっちりと、めり込むほど深く釘をさしておくから」

「よろしくお願いします」


「その代わり、陛下の息子は息子のお前に任せたよ。ついでに令嬢もね」

「お任せください」


 満足したように頷いた父が部屋を出ると、人垣の向こうにトリッシュ近衛騎士団長がいた。

 どうやら父と一緒に陛下のもとに行くようだが、王族を守る義務をもつ彼も今回ばかりは父の言葉の刃で滅多切りにされる陛下たちを傍観するだろうと思った。


「ロ、ローク」

「殿下、私はルシールと離縁しませんよ。彼女は私の恋しい妻であり、ソニック家の至宝です。側妃だなんてふざけたことはもちろん、どんな形であっても国の道具にすることはソニック家一門が決して許しません」


 母仕込みの論調、ノンブレスで言い切ればフレデリックがたじろぐ。

 そんなフレデリックとは対照的に、ティファニーが自信満々に前に進み出る。


「ローク」


 脳に甘くしみ込むティファニーの声を、握っていたペン先を手の平に食い込ませた痛みで散らす。

 自分に呼び掛けているのにさきほどより甘みが弱く感じるのは、竜の呪いが薄れつつあるからかもしれない。


「男爵令嬢」


 予想以上に冷たい声が出たことにホッとしながら、戸惑うティファニーの目を見る。


「私はあなたをひと目見たとき、あなたにはいつも笑っていて欲しいと思うようになりました。そのためなら何でも叶えてあげたいと思いました。あなたが殿下の手を選んだとき、それがあなたの願いなのだから祝福していました。あなたの幸せを願うこの気持ちが『恋』なのだと思っていました」


 その言葉にティファニーの顔が歓喜に輝き、ロークの心を冷たいものが横切る。


「でも恋じゃなかった。私も知りませんでしたが、私の恋はこんなキレイなものではなかったのですよ」


 それまで誰にも本気で恋をしたことがなかったから。

 竜の呪いによる恋はとてもきれいで、とても可愛らしいものだった。


「私がルシールに向ける恋はもっと暴力的です。もしルシールが私ではない他の男の手をとるなら、たとえそれが殿下であっても俺はその手を叩き切るでしょう」


 俺の言葉から本気を悟ったのだろう、フレデリックがヒッと声をのむのが聞こえた。

 ティファニーは唖然としていて……そして、ルシールを見ることはできなかった。


 自分でも、怖いのだ。


 ルシールにいつも笑っていて欲しいと思う本気で思っている。

 ルシールが望むことならなんでも叶えてあげたいと本気で思っている。


 でも、それと同じくらい強く彼女の笑顔も願いも自分だけに向けて欲しいと思う。


 ルシールを想うと心が感情でざわつく。

 様々な感情が爆発する、さながら混沌カオス状態の心を抱えてルシールを想っている。


 ルシールの全てが欲しい。

 心まで望まないなんてきれいごとは言えない、激情と渇望がグルグルと回る。


 美しさも優しさもない、とても醜く自分勝手なこれが『恋』だった。


 もし、ルシールが他の男に行きたいと願ったら?

 ルシールを浚い、どこにも逃げられない場所に閉じ込めるだろう。

 

 恋しい男どころか、自分以外の誰にも会わせない。


「だからそこの近衛の二人、ルシールに近づくな。騎士である君たちの手を切り落とす剣技が私にはないが、剣を使わずとも君たちの手を落とす方法くらいはある」


 ロークの言葉にルシールの傍にいた近衛騎士が顔をこわばらせて下がる。

 視界の隅でルシールの表情が少しだけ緩むのを確認はしたが、その目を見る勇気はなかった。



「ローク、その気持ちは間違っているわ。そんな怖いの、恋じゃないわ。恋ってすてきなものよ。キラキラしていて甘くってきゅんとする、あなたが私に抱いていた気持ちこそ『恋』なのよ」


 なるほど。

 恋を知らなかったからそんなままごとキレイな恋心を抱いたのだと思ったけれど、そんな恋をティファニーが望んだから男たちもそんな恋心を抱いたということかもしれない。


「それに、ふたりは政略結婚じゃない」

「政略結婚は愛がない結婚というわけではありませんよ。私は結婚してからルシールに恋をしました。結婚してから恋をしたという方も多いのではありませんか?」


 後半は集まっていた野次馬たちにかける。

 そこでは隣り合う男女が顔を合わせ、照れ臭そうに微笑み合う姿がちらほら見られた。


「男爵令嬢、わたしはあなたがいなくても生きていけます。実際に、あなたが殿下を選んだあとも、恥ずかしながら落ち込みはしましたが、いまはこうしてぴんぴん元気にしております」


「そうよ、だって私は私を好きでいてくれる人には幸せでいて欲しいもの」


 そう言うことは、ルシールとの結婚は竜の呪いの副産物?

 そう思うと、呪いも悪いものではなかったと思ってしまう。


 だって竜の呪いがなかったら、ルシールはフレデリックの妃となっていたのだから。


(ルシールを妃にというあの言葉は、竜の呪いの隙間を縫って発せられた殿下の本音?)


 思わずそこまで考えてハッとする。

 仮にあれがフレデリックの本音だとしても、忠義心で自分の幸せを疎かにしたくない。


 ルシールは自分の妻。

 次期ソニック公爵夫人として努力するルシールを裏切りたくない。



「男爵令嬢、わたしはあなたがいなくても生きていけますが、ルシールがいないと生きていけません。いや、一人で生きていきたくないのですよ。なにしろ私の周りには敵が多くて、常に私を転ばそうとしているから社交にも苦労するくらいなのですから」


 でもね、とティファニーから人垣に視線を移して笑ってみせる。


「実は妻に言われて、こう言うと社交どころか政治もスムーズに進むのですよ。誰もが私の足を引っかけようと出していた足を退けてくれて、奥様によろしくと言って去っていくのです。私にとっては美しく可愛い妻なのですが、私の妻は社交界では大層恐れられているようですね」


 このパスを受けとったのは、ソニック家の派閥でも中堅に位置する伯爵家の夫人だった。


「ほほほ、公子夫人は若かりし頃の公爵夫人を彷彿とさせる奥様ですわ。優し気なのに容赦のない剣をお持ちでねえ。うちの愚息にもこのように素晴らしいお嫁さんが来てくれたらと思っていますの」


「妻との縁を結んでくれた両親には深く感謝しています、またあんな素晴らしい女性に育ててくれた義理の両親にも。政略結婚という制度にすら感謝する日々です」


 結婚なんてしないなどと甘いことを言っていたのにねえ。

 何のことでしょう。


 伯爵夫人の苦笑込みの目線を何とかいなす。


 ルシールを愛することはないと言った自分のことを完全に棚に上げているが、いまとなっては政略結婚に感謝している。


 だって、あんなことを言ったロークのもとにルシールが嫁いできたのは政略結婚だからで。

 自分に恋することはないと言っていたルシールと結婚できたのも政略結婚だからだ。



「恋した女性を妻にできても、妻になった女性に恋しても結果は同じ。妻が好き、ただそれだけです。だから妻は決して国に渡しません、ルシールは一生俺の妻です」

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