フラれ公子、創世の竜の呪いを知る

 時は少し遡り、会場を出るルシールを追うために応急処置する護衛騎士と押し問答をしていると、


「大丈夫か?」


 カイルが来た。

 その隣には騎士団の詰め所に常駐している医師がいて、カイルが遅かったのは医師を呼んでくるためと感謝しつつもじれったい思いも募る。


「意識ははっきりしているので大丈夫でしょう」


 応急処置を褒めた医師の「大丈夫」のお墨付きをもらい、ルシールを追うために立ち上がろうとするとカイルが手を貸してくれた。


「心配だから一緒に行こう」

「カイル様」


 妻であるセシリアの呼び止める声にカイルがビクッと体を震わせる。


「……セシリア」

「……お気をつけて」


 歯切れの悪い挨拶に、セシリアも呼び止めるつもりはなかったのかもしれないと思った。


 そして反射的に呼び止めた理由は何なのか。

 視線の先、行こうとしているところにいるティファニーと、カイルとティファニーが過去に関係を持っていたことを思い出す。


「カイル、俺は一人でも」


 その言葉にカイルはハッとしてロークとセシリアを交互に見たあと、


「いや、俺も知りたいから……セシリア、行ってくる。心配しないで、ここで待っていてくれ」


 「はい」と少し目を伏せたセシリアを見たあと、男二人は会場の出口に向かう。

 すでに会場は夜会の態を成しておらず、好奇心混じりの探るような視線があちこちから突き刺さる。


「いいのか?」


 隣で顔を強張らせるカイルに小声で尋ねる。

 おそらく自分も似たような表情をしているのだろう、と思いながら。


「真実を知るなら、セシリア夫人も一緒に来たほうが」

「真実を知ったところでどうなる?俺がセシリアを裏切ったことには変わりはない。全員がティファニーと寝たわけではないのだから」


 ロークとティファニーの間には体の関係はない。

 おそらく、宰相家の影の護衛たちが両親から指示を受けて何かしていたのだろうと思っている。


「それに、童話やお伽噺に出てくる竜のせいだといわれて納得できるか?」

「……難しいだろうな」


 数日前、カイルが青い顔をして持ってきた本を思い出す。


 それは学術書や禁書ではなく、この国に住む者なら誰でも知っている有名な童話。

 初等科の子どもが読むような可愛い装丁の本が、体格のよいカイルには些か不似合いだった。


 創世の竜の物語。


 悠久の時を生きる竜は世界に変化を起こす人間が大好きで、その日も人間の世界を見ていてある少女に恋をした。


 長命な竜が恋した少女は病弱で、成人する少し前に死の床についた。

 嘆き悲しむ竜とは対照的に、少女は一日中寝て過ごすようになっても前向きで、少女は多くの夢物語を竜に語って聞かせたという。


 少女が死んでしまったあと、竜は彼女が語る夢物語の世界を作った。


 どこかの国の宝物庫にあるとされる喋る鏡、空飛ぶ絨毯、落としても割れないガラスの靴や百年間眠らせる糸車などの不思議な品々はその竜が少女の夢物語のアイテムとして作られたといわれている。


「ローク、例の手帳は?」

「父に渡したが、父もどうしたものかと頭を悩ませている。あれが事実なら、国王陛下も……だからな」


 あの日カイルは可愛らしい本と共に古ぼけた一冊の手帳も持ってきた。


 その手帳の、カイルが記しをつけていた箇所を読んでみると竜による不思議は物だけでないとあった。


 結婚適齢期の王子が乗った船だけ難破する海域。

 ある場所で育つ金色の野菜を妊婦が食べたときに荒野に現れる入口もない高い塔。


 このように、ある条件が満たされると発動する不思議もあるという。


 そして、国王の息子と宰相の息子と騎士団長の息子がいる学院に元庶民の貴族令嬢が入学または編入してくることを条件に起きる『呪い』があるという。


 ちなみにどこの国でも、それが学校ならば発動するらしい。


 手帳の持ち主がこの不思議を『呪い』と書き残したのは、彼が百年以上前にロークたちも卒業した学院でこの不思議を経験したからに他ならない。


 その男は当時国でも力のある大司教の息子だった。


 女ならば相手が幼い子どもでもいいという節操なしの女好きだった父親を反面教師にした彼は超がつくほどの潔癖症で、名前を元に調べてみるとわずか十歳のときに当時神殿に横行していた賄賂をネタに司教たちを脅して女性信者と淫行に耽る生臭い神官たちを追放した逸話の持ち主だった。


 幼い頃から潔癖症で、さらに年頃になって欲に駆られた女たちに群がられ襲われさえした経験のせいで女嫌いも患ったが彼が学院で一人の女生徒に恋をした。


 学院の中庭で噴水に落ちている教科書を見て涙を流す少女だったという。


 友人であるニコルソンが同じシチュエーションでティファニーに恋をしている。

 ちなみにカイルはドーソンだと思っていたが、ドーソンの出会いはバケツの水を被ったティファニーで、同じシチュエーションで百年以上前もこの手記の男の友人が同じ女生徒に恋をしている。


 そこから先に書かれていたことはめちゃくちゃだった。

 あるページでは恋のすばらしさを称える詩が綴られていたのに、隣のページには一切封じたはずの肉欲的な劣情を抱く自分への嫌悪感がページを黒くするほどつづられていた。


 自分が乗っ取られる感じがする、「魅了の魔力」か―――男の手記にはそう書かれていた。


 こんな葛藤の日々を過ごす中で、彼は竜に出会ったとあった。

 それは恋した女性と床を共にした翌日、己に科した戒律を破ってしまったと川に入って自殺を図ろうとしたときだったらしい。


 なぜ死を選ぶかと問うた竜に、彼は自殺の理由を話した。


 最も軽蔑していた父と同じところに堕ちるのは耐えられない。

 死にたい、死なせてくれ。


 そう涙して訴えた男の言葉に竜は深く項垂れたという。

 一人の女性が素敵な男性たちに愛される世界、夢のような世界であるが男たちにとっては恋心を操られることになり、場合によってはこの手記の男のように呪いのように感じてしまうこともあるのだ。


 恋は一方の幸せだけでは成り立たない。


 それを知った竜は世界の理に「少女が選んだ者を除き、その効力は学園を離れたら徐々に弱まる」と追加した。

 なぜそんな理を消さなかったといえば、この世界の神である竜が一度放った言葉は絶対で、追加はできるが訂正や消去ができなかったらしい。


 しかし、竜のこの手心も手記の男にとってはあとの祭り。


 少女に選ばれなかったことで男の呪いは解けはしたが、一度でも自分が女体に溺れたことを悔やみ続けて数年後に再び自殺を図った。


 そんなときに助けたのが偶然通りかかった武者修行中の騎士。

 この騎士がハーグ家の祖先でカイルの曽祖父、カイルがこの手記を手に入れられた理由である。



「ハーグ家がもう少し早く、できれば当時にこの手帳を国に献上してくれれば」

「無茶を言うな、いまの俺たちと同じだ。当時の王太子か国王が呪いにかかっている可能性があって、報告できなかったんだろう……その後は、こんな手記があることを忘れたんだろうが」


 ハーグ家は基本的に脳筋だからな、と苦笑するカイルに渋い顔をしてしまったが、



「それにしても、かなり人が集まっているな。どうする、道をあけさせるか?」

「いや、しばらく様子をみることにする」


 フレデリックとティファニーの大きな声に対し、淡々としたルシールの声には時折戸惑いはあれど平坦で余裕そうだったし、


「ルシール夫人は線が細くて妖精みたいな見た目なのに騎士も真っ青な胆力だな」

「その騎士たちはいま腹筋の限界に挑戦しているようだな」


 その言葉に同意してくれると思いきや、呆れた視線が向けられる。


「おい、顔がにやけているぞ」


 その指摘に慌てて口元を隠すものの


「前の婚約者に未練も欠片もないと言われれば夫としては嬉しいよな」

「……まあ」


「おめでとう。しかし殿下はルシール夫人に愛されていると思っていたのか」

「あの見た目だし、幼い頃から愛しているとすり寄ってくる女たちに慣れていたから」


 ため息を吐く間に室内の会話は『庶民令嬢による被害者の会』、通称『ルシア会』の話になっている。


「すごいな、ルシア会。正会員三十四名、セシリアも入っているんだろうか」

「入っていないほうがショックじゃないか?」


 「確かに」と頷き、会員かどうか調べようかと悩むカイルに苦笑したとき、


―――フレディ。


 自分に呼び掛けているわけではないのに。

 脳を甘く痺れさせるティファニーの声に脳がクラリと揺れる。


(これは……)


 ティファニーに負わされたケガの痛みで目が冴え、この状況を冷静に見れていた。


「カイル」

「……ああ、分かっている」


 そういったカイルが短剣を取り出し、何をするのかと理解できる前にカイルが利き腕じゃない側の腕を切りつける。


「おいっ!」

「正気を保つためだ、大したケガじゃない」

「馬鹿野郎、これだけ血が出れば大したケガだ」


 これだから脳筋は、と思いながらハンカチを取り出して止血する。


「竜の呪いは厄介だな」

「同じく……俺たちでこうなんだから、殿下は」


―――ソニック公子との離縁後、半年間カールトン侯爵家で過ごしたそなたを側妃として娶ろう。


 ルシールを側妃として娶る?


 聞こえてきたフレデリックの言葉に頭に血が上りつつも、フレデリックにそんなことまで言わせる竜の呪いにゾッとする。

 

 そしてもっと恐ろしいのが、この荒唐無稽とも言えるフレデリックの発言が国と王家にとっては最適解だということだ。


 人垣を分けて前に進む。

 そんなロークに気づいてカイルも人垣を崩すのを手伝う。



 後ろ盾となってくれるカールトン侯爵家のルシールをフレデリックが妃として娶る。

 卒業式にあんなことがあったことでその青写真は破かれたが、それを直す力を王家はもっている。


 もっているけれど、許せない。


「そうと決まれば妃の一人となるルシールが公爵邸に居座るのもよくない。ルシールを私の宮の客間に」

「そんなことは俺が許しません。ルシールの夫は俺です、誰にも渡す気はありません」



(でも、そんなことを認めるわけにはいかない!)

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