傷モノ令嬢、妃の心得を教える

「ローク様、行って参ります」

「行くって、ちょっと待って」


「ご安心くださいませ、私は負けませんわ」

「いや、君が負けるのを心配しているわけではなくって、こら、待ちなさい!」 


 頭と心に灯った怒りのせいで「男は母親に似た女性に惚れると聞くが、本当だなあ」と面白がるウィリアムの言葉も聞き流して立ち上がる。


「夫をよろしくお願いします」

「お任せください」


 ルシールがロークのケガをみる騎士に頭をさげ、「そうじゃない」とロークが割り込む。


「任せられなくていい、ちょっと手を退けて」

「いけません、まだ止血の途中です。頭部のケガを甘くみてはいけません」

「いや、それは分かっているが」


 ハーグ騎士団長が愛嫁セシリアにつけた護衛は愚直なくらい真面目に職務の遂行に励むし、


「大丈夫ですわ、ルシール様が負けるわけがありません」


「泣いて土下座するのは男爵令嬢のほうですわ」

「なんでルシールも貴女たちもそんなに好戦的なのです!?」


「頑張ってくださいませ、ルシール様」

「いえ、ルシールを激励するのではなくそこは止めて」


 友の励ましに遮られて制止の声が聞こえなかったことにしよう。

 そんなズルい考えを抱きながら控え室を出て、廊下を十メートルくらい歩いたところで義父ウィリアムとソニック家の騎士たちに追いつかれる。


「男爵令嬢と殿下だけなら黙っているよ。わたしの義娘としてしっかり躾けておいで。でも、ソリア様が出てきたら私がでる。彼女の『客』が私の息子にやり過ぎたからね」

「はい」


 どこにティファニーがいるか聞かずにここまで来たが、休憩室から聞こえる癇癪の混じる声は直ぐに分かる。


 それにしても下町訛りの悪態はなかなかなバリエーションだ。


「まったく、なんの教育を受けたのやら……なかなか興味深い語彙だが」


 義父も同じ意見らしい。

 そう思うと怒りの中でもポンッと面白い気分が浮かび上って、ノックしたあとに開いた扉から聞こえてきた金切り声にも面白い気持ちしか浮かばない。


「入ってもよろしいかしら?」

「え……いや、しかし……その、いまは……」


 オロオロする騎士の向こう、髪を振り乱して喚いているティファニーと目があった。


 途端に目が吊り上がる。

 フレデリックは庇護欲がわき上がると言っていたが、こうしてみる限り庇護など一切不要なようだ。


「何しにきたのですか?」

「お分かりではありませんか?」


 視線を動かして、絨毯の上の割れた皿を片付けている侍女と目があう。

 侍女がぎくりと体を強張らせたところを見ると、あれがロークに投げつけられたものらしい。


「夫のケガの原因はあれですね」


 その言葉にティファニーが意地わるい笑みを浮かべる。

 やはりこの女性に庇護など必要ないようだ。


「私とロークのことなのだから、あなたには関係ないでしょう?」

「ローク様は王家の血をお持ちです。その御身を傷つけたとあって、ただですむとお思いですか?」


 にじり寄ったところで


「ティフィ!」


(このタイミングでお出ましですか)


「フレディ!」


 タイミングよく戸口に現れたフレデリックが室内の惨状に驚きの声をあげると、ティファニーは最大の武器のひとつであるフレデリックの登場にパッと笑顔になる。


「ティフィ……そんなに泣いて何があったんだ?」


 言葉ではなく涙で答えたティファニーの態度に、


「ルシール!貴様、ティファニーに何をした!」


 ティファニーの思惑通りにフレデリックが勘違いをする。


「殿下、私を名前で呼ぶのはお控えください。私はもう殿下の婚約者ではありません、ソニック公子夫人です」


「それはいま問題ではない!」

「問題ですからそう言っておりますの。フレデリック、王太子、殿下」


 静かな声が室内の空気を急速に冷やし、ずしりと重い威圧感にフレデリックも黙る。


「殿下、男爵令嬢は私は夫であるソニック公子に皿を投げつけケガをさせました。夫の頭部に凶器を投げつけたのです、殺人未遂として訴えさせていただきます」


 あれが凶器で、この周りにいる者たちが証人だと指し示す。


「さ、殺人未遂?」


 反射的に縋りついてきたティファニーに「大丈夫だ」とフレデリックは宥める。


「殺人未遂とは大げさな。ケガといっても大したことはないだろう、ルシールが」

「―――殿下」


 静かな声で呼べば、フレデリックがビクッと体を震わせる。

 王族として蝶よ花よと育てられたフレデリックがこんな威圧を受けたことは初めてだろう。


「し、失礼した。ソニック公子夫人がここにいるのは腹いせなのではないか?」

「腹いせ、ですか」


 声から威圧をなくせば、ほっとしたフレデリックは言葉を続ける。


「俺が愛したのはそなたではなくティファニーだったから嫉妬して」

「嫉妬などなさいませんよ」


 バカバカしいと言わんばかりにため息を吐いてみせれば、フレデリックはカッと頭に血がのぼる。


「ならばこんなに騒ぎ立てるな、どうせケガだって大したことではないのだろう」

「大したことではない、殿下はそう判断なさるのですね」

「わかってい」


 そうくるなら、言わせてもらう。

 表情筋を思った通りに動かして見せれば、フレデリックの喉からヒュッと空気が漏れる音がした。


「そうですわねよ。殿下の婚約者だったとき、毒を盛られて三日間死線をさまよって目覚めた私にかけた最初の言葉が『大したことなくてよかったな』ですものね」


 ティファニーのノートが破られたことでは上から下への大騒ぎで犯人捜しをしたくせに。

 大した婚約者だと、改めて思う。


「王城の階段から何者かに突き落とされて足を骨折したとき、見舞いに来られない理由も『大したケガではないんだろう』でしたわね」


 その嫁候補であるティファニーに目を移す。


「内臓を焼かれる苦しみも、骨を折る痛みも、殿下の言う通り大したことではありません。日常茶飯事でしたし、騒ぐ前に殺されそうになった理由を把握しなくては。殿下のおやりになったように、沈黙も何もしないことも時には必要でございます」


「こ、殺される?」


 唖然としてるティファニーに首を傾げる。


「それは、国のトップを狙う権力争いですから。恋心によるいじめ、移動教室を報せなかったり噴水に突き落とすなんて幼女のおままごと。まあ、私も殿下の正妃候補だっただけなので可愛い意地悪ですみましたが」


「毒や階段から突き落とされたことが、可愛い?」

「ええ。あ、男爵令嬢は私と違って妃候補ではありませんから、もっと注意が必要ですわね。僭越ながら経験者としてアドバイスさせていただきます」


 ティファニーの膨らんだ腹部を見て、自分のほうがもっと命を狙われる危険が高いことをティファニーに教える。


「今夜はフレデリック殿下とお過ごしですか?」

「え?」


「城に泊るときは今まで通り殿下とお過ごしください、近衛兵が守ってくださるでしょう。もしお一人でお過ごしならば信頼できる護衛を三人以上つけること、一人はベッドの傍にいられるように女性騎士がよいですね」


「ご、護衛なんていないわ」

「それはいけません、死にたいんですか?」


 純然たる疑問の声にティファニーはヒッと声をのむ。


「一度だけちょっとしたトラブルで予定にない泊りをしたときは大変でしたわ。刺客がそれなりに……あら?あの日は予定外のことなのにどうやって刺客の都合をつけたのかしら。あの侍女なんて毒を持っていたけれど、いつも毒を持ち歩いていたのでしょうか」


「い、いや、気にすることはそこではなくて」

「殿下?どうなさったのです、大したことない・・・・・・・ではありませんか」


 フレデリックが言葉に窮すると、ティファニーが代わりに口を開く。


「どうしてそんなにあなたが狙われたの?それに、どうして平然としているのよ」

「狙われたのはではありませんもの。狙われたのは王太子妃候補で、ソニック公子夫人となった私には関係ありませんわ」


 ソニック家はソニック家で狙われるだろうが、今回とは関係ないので伏せておく。


「どうして妃が狙われるのよ、殿下が狙われればいいじゃない」


(私もそう思ったことは一度や二度ではありませんが……それは言ってはいけないことなのですよ?)


「……ティフィ、君は……」


 ハッとしたティファニーは顔をあげ、


「違うの!違う……そう!!ルシール様が私を脅すから、ビックリして思ってもいないことを!本当よ!!本当なんだから!!私、フレディのためなら死んでも」

「まあ、それは最後の手段ですよ?」


「「……は?」」


 フレデリックとティファニーが揃って顔を向けるので、仕方がないから説明をする。

 こんなことは妃教育の基礎の基礎なのだが。


「なぜエスコートのときにあなたが殿下の左腕側に立つか知っていますか?」

「そういう決まりだから、じゃないの?」


「妃教育どころか、貴族令嬢としても教育不足なのですね。何事にも理由があるのですよ?エスコートのとき私たちが男性の利き腕ではない側に立つのは、利き腕で剣を振るうのを邪魔しないためです。万が一のとき、殿下は自分の身を自分で守らなければいけません」


「え、女性を守るのではないの?」

「どこの物語ですか、王族に限ってそれはあり得ません。王族が一番大事。そして殿下が身を守れない状態だったら、隣にいるあなたがその身を挺して殿下をお守りしなければいけません」


 ティファニーがギョッとする。


「死ぬかもしれないじゃない!」

「当然ですし、それに殿下を守れなければその咎で処刑されますから同じですよ」

「嫌よ!あんた、なにをそんなに平然と……あんた、変よ!」


 激高するティファニーに対してルシールは平然としていた。


「あんたとは、貴族令嬢どころか人として無礼極まりありませんが、まあ、ショックを受けていたということで許しましょう、次はありませんよ?それで、私が『変』とは?」


 首を傾げるとティファニーは唖然としている。


(何か変なことを言ったかしら。お義父様も周りも特に変わった様子はないから、常識的なことを言っただけだと思うのだけど)

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