傷モノ令嬢、友との時間を楽しむ

「ルシール様」


 最近は『ソニック公爵令息夫人』とか『ソニック公子夫人』と呼ばれている。

 ルシールと名前で呼ぶのは家族か友人で、


「セシリア様」


 少ないが気の置けない友人の一人であるセシリアと挨拶を交わす。

 総合学科のルシールと騎士科のセシリアは学部が違ったが、将来王妃となるルシールを守る女性騎士の一人として彼女の父親であるトリッシュ近衛隊長から紹介されて友だちになった。


 学院卒業後、セシリアはロークの友人でハーグ騎士団長の嫡男であるカイルの妻となった。


「お久しぶりです」


 久しぶりの理由はこれもあるだろう。

 胸のすぐ下で切り替えられた、下腹部をゆったりと包む妊婦が好むドレスを着ていても分かる腹部の膨らみ。


「せっかくですので、ゆっくりお話したいですわ。あちらのイスに座りませんか?」

「喜んで」


 ハーグ家の発表がまだないことから「おめでとう」というわけにもいかず、かといって妊婦を長くたたせるのはよくないと『おしゃべり』を口実に二人で並んでイスに座る。


 夜会で用意されるこういうイスは高齢や持病のある方向けの休憩用に用意されているのだが、そういう人がきたら譲ればいいだろう。


 まだ夜会は序盤、のんびり話ができるだろう。



「ソニック公子はどこに?」

「お義父様と挨拶周りをしていますわ、若輩者への洗礼で溺れそうだとぼやいていらっしゃいました」


「うちと一緒ですね……ルシール様、結婚式に出席できず申しわけありませんでした」

「そんな、気になさらないでください」


 セシリアは最高学年の後半から体調が優れず、学院を休むことが多かったと聞いている。

 必修科目をすませて卒業を待つばかりだったから欠席に問題はなかったそうだが、その体調不良の原因はカイルとティファニーの噂だった。


 ルシールとフレデリックほどではないが、セシリアとカイルも幼い頃から婚約していた。

 恋愛には疎いルシールから見ても二人は仲が良く、武門の名家ハーグ家とトリッシュ家が団結すれば国防も安心だと二人を見る者は誰もがそう思っていた。


 そんな二人の関係に亀裂をいれる存在がティファニーだった。

 カイルもフレデリックやロークのようにティファニーに夢中になり、フレデリックより前ではあるがカイルはティファニーと男女の仲にあった。


(幸いにも時期が違うから男爵令嬢のお腹の子がカイル様の御子ということはないでしょうけれど)


 出会ったときは快活な少女だったセシリアは、二人の仲を聞いて憔悴してしまったという。

 伝え聞いた話だが、セシリアは父親にカイルとの婚約の白紙を願い出てもいたらしい。


 フレデリックもティファニーと関係を持っていたが、ルシールに恋慕の情が一切なかったため心が痛むことはなかったが、「もしロークが」と思うとセシリアの胸の痛みや複雑な感情も一片は理解できる気がする。


 半ば無理矢理な結婚だったもかもしれない。

 国防をかけた政略結婚、夫になる側に瑕疵があったとしても簡単に白紙にできる内容ではなかった。



「お父上からお祝いとして素敵な食器セットをいただきましたの。トリッシュ領は磁器の産地として有名ですものね」


 自身の結婚についてセシリアが何をどう飲み込んだか分からなかったため、ハーグ家ではなく生家のトリッシュ家の話題を選ぶ。


「気に入っていただけたなら幸いです。父のあの大きな体であの繊細な食器を扱っていると聞くと驚かれる方も多いのです」

「まあ……でも、分かる気がしますわ」


 ルシールの言葉にセシリアが笑う。

 それにつられてルシールも笑うと、二人の笑い声に気づいた友人たちが集まってきた。


 彼女たちの中にはティファニーの被害者が数人。


 ティファニーによって大量の婚約が白紙化されたが、婚約者の裏切りとも言える行為に対してルシールのように平然としていた者もいれば、セシリアのようにショックを受けた者もいる。


 しかし平然と言ってもティファニーに良い感情をもってはいない。

 つまり、集まった全員がティファニーに好意的ではないというわけで、


「さきほどのソニック家のご挨拶を見ましたが、まるで観劇しているような気分でした」

「ええ、公爵夫人とルシール様の上品で楚々とした素晴らしくて」


 あの様子はまるで喜劇であり、ルシールたちに対峙していたソリアとティファニーは下品でけばけばしかったと暗に言っている。


 その皮肉に周囲のロマンス親衛隊、つまり側妃派たちの目が軽く吊り上がる。

 彼女たちは感情も隠せないのか、とルシールは扇子を拡げて口元を隠す。



「そういえば、なぜ男爵令嬢はルシール様を『悪役令嬢なのに』なんて言ったのでしょう」

「あの本の影響ではありませんか?何と言いましたっけ、物語と現実の区別がつかないほど幼い子どもの文字覚えに便利とまでは覚えているのですが」


「『悪役令嬢ルシア』ですわ、六歳の妹の愛読書ですの。なんでも内容が奇想天外の非現実的過ぎて、大笑いしたいときにちょうどいいとか」


 大きな声を立てて騒ぐなど淑女失格ですわ。

 そういう彼女の声に、先ほどまで大きな黄色い声をあげて恋愛自慢をしていた彼女たちの顔が周知で赤く染まる。


「笑い話にできるだけ、羨ましいですわ。私の十四になる異母妹など、この本を参考に意中の男性を攻略するのだと張り切っておりまして」


 恥ずかしい限りです、とため息を吐く彼女。

 その十四歳になる妹は彼女の父親が外で作った娘で、異母姉妹の仲はあまりよくない。


「それで、その成果は?」

「”かまってちゃん”として煩く思われ、その方の家から我が家に苦情がきて終わりでしたわ」


「まあ、実に正しい対処法ではありませんか」

「ええ、そうなのです。たかだか十四の子どもでも正しい対処法が分かっているというのに」


 成人間近の者がなぜ分からなかったのか。

 彼女が先を続けなかったのは、友人たちの間で婚約者がトレードしているケースもあるからである。


 つまり、ルシールやセシリアのように夫が攻略された妻もいるということ。

 友人たちとの歓談とはいえ、不要な発言を控えるのが吉であるというもの。



「皆様、過去はこのくらいにして未来に目を向けませんこと?」


 ルシールの言葉に「そうですわね」と同意の声が続き、何人かの目が『未来』を象徴するセシリアの膨らんだお腹に向かう。


「過去を消すことはできませんが、蒸し返すのは非生産的ですわ」

「過去の失敗は悔やんでもいいが、早く立ち直って周囲の期待に応えて将来のための行動をしなさいということですね」


 何十倍も丁寧な言葉で翻訳したセシリアにルシールは理解の微笑みを向けたとき、



きゃああっ


「悲鳴?」

「何かあったのかしら」


「誰かのドレスにうっかりワインがかかったとか?」

「例の本にありそうな、使い古された手ですわね」


 人が集まれば騒ぎのひとつやふたつは起きる。

 何でもないことだろうと思いながらも、何となくイヤな予感がする。


 そしてイヤな予感ほどあたる。


 遠くからのざわめきから、『ソニック公子』と『ケガ』という単語が聞こえてきて、


「ルシール様」

「ええ、ちょっと失礼いたしますわ」


 友人の輪から外れて、ざわめきの中心のほうに向かう。

 誰かが「夫人だ」と言ってくれたので、人垣が割れて先に進みやすくなったところで、


「ローク様っ!」


 頭を抑えるロークの姿に悲鳴じみた声があがる。

 感情をむき出しにした醜態を恥じる気持ちも、ロークの手を染める赤が押しとどめる。


「ルシール」


 あの赤いものがワインであればいい。

 そんな願いも虚しく、王城の侍従と思わしき男性に肩を借りて立つロークのしかめた顔から、それが血だとルシールは理解させられた。


「ローク様」

「大丈夫だ。派手に見えるが出血量は少ない、心配かけてすまない」


 ロークの『大丈夫』という言葉に少しだけ緊張がほどけるが、まだ顔が強張っていたのだろう。

 優しく笑ったロークは、血がついていないほうの手を伸ばして安心させるように自分の頬に触れる。


「公子夫人、処置をいたしますので公子様とご一緒に控室に」


 ロークの傍の侍従の言葉に、控室との距離を目ではかって頷く。

 頭部のケガなので不用意に動くのは心配だが、ロークを床の上に寝転がせるわけにはいかない。



 ロークのいう通り傷は浅かったらしく、セシリアの警護についていたハーグ家の騎士の応急処置で血は止まる。


「しばらく圧迫していてください」


 分かったと頷くロークに一体何があってこんなケガを負ったのかと聞けば、ギクッと体を強張らせて視線をそらした姿が答えになる。


「男爵令嬢ですね」


 ロークは黙っていたが、


「機嫌を悪くしたサフィア男爵令嬢が投げつけた皿があたったらしいな」

「父上!」


 やってきた公爵があっさりと教えてくれた。


「お前のその態度は“あらぬこと”を疑われても仕方がないぞ。お前が嫁に嫌われるのは勝手だが、私たちは義娘に嫌われたくない」


 教えてくれた理由もあっさりしていた。

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