フラれ公子、大人になりたいと思う

 夜会では宰相である父親の傍で社交を学ぶ。


 成人した身で父親のあとをくっついてまわるのは恥ずかしくもあるが、「言質をとられても困るから」といわれる自分は大人の社会ではまだ幼い若葉なのだろう。



「失礼いたします」


 宰相への挨拶の最中、城のお仕着せを着た侍女が静かに隣に立つ。


「フレデリック殿下がソニック公子様をお呼びです」


 その言葉に反射的に檀上を見る。

 国王とソリア妃はいるが、フレデリックとティファニーの姿は見えない。


(臨月の男爵令嬢を慮って退場したのだろうか)


「何か起きたのかもしれない。ルシールには言っておくから」


 『何かあったら直ぐに呼ぶように』と目で言う父親に軽く頭を下げて、侍女の案内についていく。


 自分たちの周りにできていた人垣から抜け出て、ほっと息を吐く。

 張りつめていた気がふと緩む。


(殿下が呼んでいるということもあるだろうが、父上は俺に気を使ってくれたんだろうな)


 ほんのわずかな時間でも、言質を取って己の有利を得ようとする丁々発止のやり取りはどっと疲れがたまる。


 軽く後ろを振り返り、人垣の中心に立つ父親に尊敬の念を覚える。


 いつか自分もあんな風になれるのだろうか。

 焦りのような気持ちが芽生えたとき、母親に刺繍のコツを教わったというルシールの言葉を思い出す。


(焦らずゆっくりと、ひとつひとつを丁寧に)


 焦って刺繍糸を強く引っ張り過ぎるのが下手な原因だったと、そう教えてくれたルシールは「人生も同じなんでしょうね」と言っていた。


 その通りだと思う。


 大人の社会に入れば、『卒業』のような区切りがあるわけではない。

 学生にありがちの、刹那にかられるような生き方では長くもたない。


 地道にコツコツと。

 しっかりと足元を確認しながら、責任のある身として十分なほどに注意して、


「本当にフレデリック殿下がここで待っていると?」


 だからこそ、違和感に気づいた。

 城のプライベートな場所でも、王族には常に近衛兵が付く。


 その近衛兵たちが立っていない部屋の中に本当にフレデリックが?


「おい」


 疑問と、軽い不安から険のある声が出た。

 しかし侍女はビクッと震えただけで、ロークに答えず黙って扉をあけた。



「ローク」


(まずい)


 笑顔で出迎えたティファニーに、最初に思ったのは失敗したということ。

 扉は開いているが中に入らず、狭くはない室内を見渡して侍女や侍従が数人いることを確認する。


「まあ」


 その確認を誤解したらしい。

 『何を期待しているの?』と婀娜っぽい視線をティファニーに投げかけられ、刺激された警戒心が一気に膨れ上がる。


「殿下はどこに?」


 いまのティファニーの立場は『フレデリック王太子の恋人』。

 この”恋人”という言葉には『深く思い合う二人』から『情人』まで幅広い意味があるため、この恋人の立場にティファニーが満足していないことは知っている。


―――子どもができたら奥さんになれると思ったのに。


 生憎と王族の”奥さん”にはそう簡単にはなれない。



「フレディなら少し遅れてくるわ」


 昔なら駆け寄ってきて、手をとって「お願いがあるの」といっただろうか。


 大きく膨らんだ腹のせいでそれはできないようで、中にいる使用人たちもロークの見覚えがあるフレデリックの専属の者たちだったから警戒しつつも中に入る。


「ロークに内緒のお願いがあったから、先に呼んじゃった」

「今後はこのような真似をしないでいただきたい」


 背後で扉が閉まる音を聞きながら、ロークはため息が出る。


 ロークはフレデリックの名前で呼ばれた。

 つまり、ティファニーの行動は王族を騙って貴族を呼び出したことに他ならない。


 不敬な態度に対する不快感が表情に出たのだろう。

 ティファニーがおもしろくなさそうに唇を尖らせる。


「あのさぁ、私たちは友だちじゃない。警戒されると楽しくないんだけど」

「男女が二人でいれば何かあったと勘繰るのが社交界ですし、令嬢を支持するロマンス親衛隊ならばことさら騒ぐでしょう。令嬢のこの行動は王家と公爵家の間に軋轢を生む可能性があります」


 ティファニーの瞳が潤む。


 泣かれても厄介なので「お願いとは?」と先を促した。

 他の者も部屋の中にいるが、長居をしてもいいことはない。


「私はいつになったらフレディと結婚できるの?」

「貴族議会では男爵令嬢が王子妃教育を終えたら婚約式を行うことに決まっています」


「お腹の子が産まれちゃうじゃない」


 視線を動かしてティファニーの大きなお腹を見る。

 産み月の近い妊婦を見る機会などなかったため、ここまでお腹が大きくなることに脅威は覚えるが、「子どもが生まれるから早く結婚をしよう」とはできない。


 貴族でもそうなのだ。

 王族ならなおさらである。


「王族の婚約や結婚は簡単なことではありません」


 今日の夜会で準王族扱いされたことがティファニーの現状に対する不満を刺激したらしい。

 そして、それを刺激したのは恐らく


「王妃陛下に何か言われたのですか?」

「……言われたけど、でも、ソリア様は気にすることないって」


 その『気にすることない』はティファニーのための言葉ではない。

 ソリアの正妃への対抗心が発した言葉に過ぎない。


「ローク」


 そして、ソリアの言葉にすがっているものの、ティファニーも頭のどこかで分かっている。

 ソリアの甘い言葉には実はない。


「お妃様にしてくれるってフレディは言ったのよ?」


 ティファニーの目に涙が浮かび、反射的にギクッと体が強張る。

 女性を泣かせたという一般的な反応なのだが、罪悪感に駆られたと勘違いしたのだろう。


 自分でも驚くほど冷静な自分が、ティファニーの口元が醜く歪んだことに気づく。


 きっと以前の自分なら気づかなかっただろう、それほどにわずかな変化。

 それに気づけた自分は、ティファニーの涙に胸を締めつけられ、彼女の願いを叶えなければと焦燥に駆られたかつての自分とは違うのだろう。


 庇護欲?


 そう思ったときまず浮かんだのはルシールだった。



「ローク、あなたどうしちゃったの?」

「何がですか?」


「だって、変じゃない。どうして私のお願いをきいてくれないの?」


(どうして、と言うこと自体が不思議なのだが)


 ここは学院ではないし、ティファニーの『お願い』は可愛いく甘えているすむレベルの話ではない。

 なぜ、その『お願い』を聞いてもらえると思ったのか?


 ぞわりと背筋に悪寒が走る。


「お願い。お願い、ローク」


 ティファニーの涙。

 甘えるように強請る声。


 鼻につく、蠱惑的な香り。


―――ローク様。


 ふわりと鼻先をかすめた苺の香り。


 ハッとして、頭が何かに浸食されるような気色悪さに、咄嗟に口の中の柔らかい肉を噛む。

 ブツッと切れる感触と血の味に、ぞわぞわっとした悪寒が遠ざかる。


「そう願われても困ります。王族の婚約を臣下でしかない私が決めることはできません。お願いならば私ではなく殿下にしてください」

「だって、フレディは最近私とあまりお話してくれないのですもの」


 拗ねたような声に、「そういえば」と思い出す。

 ティファニーの子どもが生まれるのも近いため、侍従長がフレデリックにお茶会と称したお見合いを数多く設定していると。


―――王家はルシールの三割のできで満足すべきね。


 『うちの嫁、最高』を隠さない母セラフィーナの自慢げな声を思い出し、ロークはまた冷静になれた。


「殿下の婚約については侍従長から説明がありましたよね?教育係から必要な知識と礼節を学ぶこと、失礼ですが私の見立てでもまだ足りないと分かるかと」

「だって、教育係って贔屓しているの。困っていても、ルシール様はできたって言って助けてくれないし。そうだ、教育係を変えてよ。ライ先生とか」


 ライ先生とは学院の生物の教師で、教師でありながらティファニーに心酔した一人である。


 ティファニーが城にあがる際、彼女の成績が国に徹底的に確認されたこと彼の不適切な評価が明るみになり、彼は自分たちが卒業したあとすぐに学院をクビになっている。


 そんな教師を王太子妃候補の教育係に推薦する者はいない。


「無理です、彼に王子妃教育はできません」


「でも、王妃様が選んだ去育係って意地悪婆ばかりなのよ。あの人たちも貴族なんでしょ?だからなのよ、お姫様に選ばれた私が妬ましいから苛めてくるの。ねえ、せめて教育係くらい変えてくれるようにロークから陛下たちに言ってよ」


「できません。令嬢の教育について王妃様に一任されています。これは公式な会議の場で決まったことだ」


 ロークの言葉にティファニーの顔が不満気に歪む。


「ローク……なんかつまらなくなった」

「え?」


「学校ではもっと、いろいろ助けてくれたし、優しかったじゃない」


(”優しい”、か)


 ティファニーはここで頑張らないと将来がなくなる。

 的外れな優しさは毒杯につながっているのだ。


 それが分かっているから王妃や彼女が選んだ教育係は一縷の望みと思っていても教育を施している。


「きっと奥さんのせいね。冷血のビスクドール、ルシールさんが悪いのよ」


 フレディは面白みのない婚約者だと言っていたもの。

 足りない王太子の完璧な婚約者となるべく努力してきたことも知らずにルシールを貶める発言に、自分でも思った以上の怒りがわく。


「男爵令嬢、その物言いは不敬です。ここは学院ではありません、冗談や間違えたではすまされないことが多いです。ご注意ください」


「ローク?」

「それと、申しわけありませんが私への呼び名も改めてください。妻以外の女性に名前を呼ばれてはあらぬことを勘繰られかねませんので」


「別にいいじゃない、友だちなんだし」

「先ほども申した通り、ここは平等を謳った学院ではありません。もう学生じゃないのですから変わらなくてはいけません、大人になるというのはこういうことなのでしょう」


 ルシールの隣に相応しい大人になりたい。

 そしていつか、ルシールが産んだ子がこの背中を誇らしくみてくれる父親になりたい。

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