フラれ公子、政略結婚の妻に片思い

「随分と部屋の中が焦げ臭いが、室内での焚火は褒められないぜ?」


 ノックなく扉が開くと同時に飛び込んできた呆れた声に顔を向ければ、騎士団の制服を着たカイルが戸口にもたれかかっていた。


「久しぶりだな、ハーグ団長はお元気か?」


 ハーグ騎士団長の息子であるカイルとは幼馴染で、明朗快活で人懐こいカイルとは水と油のように見えるがとても仲がいい。


「元気過ぎるくらい元気だ。俺の嫁を『愛娘』と呼んで、溺愛して可愛がり倒している」

「嫁至上主義はどこの家でも同じか」


「ソニック公爵の嫁溺愛も有名だからな、自身の嫁と息子の嫁の両方」


 カイルの言葉に肩をすくめることで同意する。


「親父たちにしてみれば家の評判を落とした息子より、義娘のほうが可愛いのだろう」

「婚約者の裏切りに健気に耐えて嫁いできたのだから尚更だ」


 カイルはそう言って笑っていたが、その顔には影がさしていた。


 カイルを憂い顔にする原因はひとつ。

 ため息をついてイスをすすめ、座ったカイルに訊ねた。


「セシリア夫人は、お前がその……男爵令嬢と関係をもったことを許してくれたのか?」


 カイルも自分と同じくティファニーにのぼせ上った令息たちの一人だが、自分との決定的な違いはカイルはティファニーと男女の関係をもったことだった。


「さあ、どうだろ……聞く意味がないから聞いていない」

「そうか」


 カイルの幼馴染で、十年以上の婚約期間の末に結婚したセシリアはトリッシュ伯爵の娘。


 騎士の家系に生まれた二人はとても仲がよく、軍事上の理由で政略的に結ばれた婚約ではあったが十歳を超えた頃には幼い恋心を二人で大事に育てていた。


 学院に入学しても、しばらくは二人の仲のよさは変わらなかった。

 総合学科のロークは騎士学科の二人と棟は違ったが、仲良く談笑する二人を時折見かけていた。


(トリッシュ伯が婚約白紙を願い出たと聞いていたが……)


 ティファニーに溺れた男たちのうちほぼ全員の家が婚約者の家に慰謝料を払い婚約を白紙にしているが、カイルだけは婚約を継続して結婚した。


 ロークも宰相補佐になって知ったことだが、トリッシュ伯爵に対して国王は王命という形で無理矢理カイルとセシリアを結婚させた。


「セシリア夫人は、結婚式では幸せそうだったが」

「それはセシリアの矜持だろう、あいつは俺を拒絶している。嫁いだ女の義務だからと俺を受けいれているが、全身ガチガチに体を固くして……コトが終わると一人で静かに泣いているんだ」


 まるで哭くように吐き出された言葉。

 カイルの表情も苦悩に満ちていたが何もいうことができなかった。


 こればかりは他人がなにかいっていい問題ではない。


「お前はセシリア夫人を」

「愛している。あいつを裏切って、傷つけて……軽蔑されて、王命で受け入れられた男だと分かっているけれど……どうして俺はあんなことを」


 カイルは体を蝕む激情をぐっと堪えた。

 自分が悪いと分かっているカイルに何も言うことはできなかった。


「俺はガキの頃からセシリアと結婚すると決めていた。初めて会ったとき、俺はすっげえ可愛かったセシリアに一目惚れした。あの瞬間からセシリアは俺の全てだった」

「そうだな」


「ティファニーに出会った瞬間、嘘みたいにセシリアに何も感じなくなった。いや、俺と男爵令嬢のジャマをするセシリアに煩わしさや苛立ちを感じた。あいつを裏切って他の女性を抱いたなんて、何であんなことができたのか……今ではもう分からない」


「一目惚れだったんだろう?」


 ロークの言葉にカイルは首をヨコに強く振った。


「何を言っても言い訳に聞こえるかもしれない、だけど、いま考えれば俺の中のセシリアがティファニーにすげ変わったような感じなんだ。セシリアに向けていた気持ちがまるっと対象を変えたような」


「男爵令嬢とセシリア夫人は似ても似つかないぞ」

「だから不思議なんだ。そんな、恋心が置換されるようなことはあり得ないだろう?あり得るのか?俺はあのとき狂っていたのか?」


 カイルの言葉で、頭の中に『なにか』が浮かんだ。

 手を伸ばせばつかめそうなのに、蠱惑的な香りがそれを邪魔して『なにか』を掴むことができなかった。


(なんだ?カイルの言う恋心の置換が最初に起きたのはティファニーに出会ってから、それじゃあ今の状態は?)


―――愛している。


 先ほどの熱烈なカイルの告白を思い出す。


「カイル、いつその気持ちがセシリア夫人本人に戻った?」

「いつって……パッと切り替わったのではなくぼんやりとだが、卒業パーティーの頃からかな。壇上で、殿下と男爵夫人の後ろにいたとき、セシリアを見て久しぶりに『きれいだ』と思ったんだ」


 フレデリックの子を孕んで王子妃になるというティファニーを応援した。

 「私をずっと見守ってね」というティファニーの言葉に頷いた。


「それからしばらく、男爵令嬢とセシリアへの想いにフラフラし続けたな。ははは、まるで二股男だ」


 カラ笑いするカイルに苦笑だけを返す。


「ただ確かなのは、トリッシュ伯から婚約の白紙が打診されたとき、俺は全身全霊でイヤだと思った。あのとき『セシリア』はセシリアだった」


「卒業パーティーからその日までの間に男爵令嬢に会ったか?」

「まさか。これ以上俺がバカなことをしでかさないように侯爵邸に軟禁されていたよ」


「いまのお前は男爵令嬢をどう思っている?」

「愛していないし、愛しくさえ思っていない。嘘みたいだけど、俺が愛しているのはセシリアただ一人だ」


「いや、そういうことではなくて……うまく言えないが、情のようなものはないのか?特にお前は彼女と関係をもっていただろう?」


 「ああ」と納得した顔をしたカイルは苦笑する。


「そんなに気を使ってくれるとは思わなかった。当時のお前ならばティファニーを抱いた俺に対してそんなに優しく接することはなかっただろうな。殴る、罵倒するなら想像がつくが、過ちを犯した男を慰めるように受け入れてくれるとは思わなかった」


「……当時はお前にも殿下にも嫉妬していた。でもいまは不思議なことに別に何も思わない。いまはお前に対して『大変だな』と同情する気持ちがわくほどだ」


「お優しい男になって」


「俺もお前と同じ、結婚した妻に恋をしているからな」

「男爵令嬢に対してそうだったように?」


「さあ……俺は薄情な男なのだと思う。当時は恋焦がれて仕方がなかったはずなのに、いまではガラス一枚を隔てたように何の感情もない。思慕も嫌悪も、本当に何も、だ」


 ふと、さっきのことを思い出す。


「ルシール以外の女に興味がないからかと思ったが、さっきの侍女には嫌悪を感じているから一応他の女にも何かしら感じはするらしい」


 自分でも驚くくらい、自分の中にはルシールへの恋心しかない。

 永遠だと思っていたティファニーへの恋心は影も形もない。


 ただ、その理由は自分がルシールに恋をしたからだと思っていた。

 特にルシールが誰かに恋したと聞いて、その焦燥感でティファニーへの恋心が薄れたのではないかと。


「嫁にゾッコンなのは親父たちだけじゃないってことか」

「そうだな」


「はは、お前が幸せそうで良かったよ」


 しばらく話したあと「訓練があるから」と言ったカイルが部屋を出ていくと、再び一人になった部屋で自嘲的に呟いた。



「幸せそう、か」

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