傷モノ令嬢、恋なんてするものではない

「サフィア男爵令嬢は王子妃になれるのでしょうか」


 兄ジョンの結婚のためにカールトン侯爵邸にきたルシール。

 マリッジブルーの婚約者エレオノーラの相手をして欲しいとすでに準備された茶席に座らされる。



「どうしたのですか?」

「次期侯爵夫人になるために学ぶことに行き詰っていて……上ばかり見ているからかもしれないから、下を見て自分を奮い立たせようかと」


 なるほど……なるほど?

 ポジティブだかネガティブだか分からない理由付けに内心首を傾げてしまう。



「なれないでしょうね」

「フレデリック殿下の御子がいても?」


 王家はフレデリックがティファニーに逆上せているという情報を受けとって直ぐにティファニーについて調べただろう。


 ルシールの父であるカールトン侯爵もティファニーについて調べている。

 その結果、王家と両親が出した結論は『殺す価値もないほど無知である』だった。


「王家はひっそりと男爵令嬢を殿下から遠ざける計画だったと思います、でも、それより先に」

「殿下が婚約を破棄し、男爵令嬢を妃に迎えると言ってしまったのですね。しかも、男爵令嬢には殿下の御子がいることさえも、堂々と」


 その結果、王家はカールトン侯爵が申し出たフレデリックとの婚約白紙の要求を呑まなければいけなかった。



 ルシールの予想では、フレデリックとティファニーの結婚は認められない。


 真実の愛で有力貴族令嬢との婚約を破棄し、下位貴族の令嬢を妃に迎える。

 これはすでに現国王が実行しており、いまの国の揺れやゆがみを考えると二代連続で同じことをする体力がいまの王家にはない。


 いまの王家なら、フレデリックの新たな婚約者を探しながら、王家はティファニーの腹が空になるまでなあなあな状態を維持するだろう。


 ティファニーの腹の子が王家の子どもだと認められるかどうか。

 それは、フレデリックの新たな婚約者、正妃となる女性とその家の意向次第だろう。


 どちらにせよティファニーの先は見えている。

 無知であることには変わりがないが、『殺す価値もないほど』という冠は消えてしまった。


 ティファニーはいき過ぎてしまったのだ。


 ティファニーは父親の生家であるティティス男爵家の生活、衣食住の心配がないその生活で満足するべきだった。


 ここで満足しておけば。

 おそらくティティス男爵はティファニーの身の丈にあった縁談を、相手が貴族なのか商人なのかは分からないがティファニーが幸せになれるだろう将来をティティス男爵は姪のために用意しただろう。



 しかし、ティファニーは貴族になりたいと願った。

 貴族の何たるか、その責務を知らないくせに。


 貴族の外見だけ、末端の貴族の悪い例だけを見て。

 『貴族』を知っている気になって、安易に『貴族』になりたいと願った。



 学院を選んだのはいい手だったと思う。


 学院にいる貴族の子息、それも高位の貴族の子息となればほとんどが婚約者もち。

 しかし昔から「卒業までだから」といって羽目を外す者が少なからずいる。


 全寮制でそういうことがしやすい環境であることに加えて、初めて親元を離れて自由を手に入れた反動ともいえる。


 この「卒業までだから」は関係が露見して醜聞スキャンダルになったり、女性が妊娠したなどの理由により無効になり、彼女たちは期間限定の恋人から妻や愛人へとのぼり詰める。



「ご令嬢本人は外国のスパイでないかと疑われたなどと思ってもいないのでしょうね」

「エレオノーラ様」


「分かっています、シーッですわよね」


 茶目っ気を出してウインクするエレオノーラにルシールは小さく笑う。



 大した素養もないのに王子の側近を手際よく落として行く手腕。

 貴族たちはこぞって彼女の素性を疑った。


 調査の結果、ティファニーの行動は全て運によるもの。

 ティファニーを操る糸を見つけることはできなかった。



「『悪役令嬢ルシア』の結末は“めでたし、めでたし”なのでしょうか」

「さあ、どうでしょうか」


 王子に見初められた元庶民の男爵令嬢。


 大衆受けのよい話だけれど、フレデリックが婚約を破棄したことで彼女は自分の死刑執行書にサインしてしまった。


(殿下を愛していなかったのですから、私なら王家の子として認めてあげられましたのに)


 何も学ばず、ここまで無知できた男、それがフレデリックだ。

 王族の特権を振りかざすだけでその重責を何も知らず、結果的には最愛の少女を殺すのだ。




 いまの王には三人の息子がいる。


 第一王子であるフレデリックの母は男爵家出身の側妃、現国王の『真実の愛』である。

 第二王子の母は侯爵家出身の正妃、第三皇子の母はいまは亡国だがある小国の姫君だった側妃。


 抜きんでて生母の身分が低いフレデリックが王太子となれたのは、ルシールが王子妃になってカールトン侯爵家がフレデリック王の御代を支える予定だったからだ。


 ルシールを失ったフレデリックが王太子でいるには、第二王子が幼いうちに新たな後ろ盾を得なければいけないが、カールトン侯爵家が見限り、ソニック公爵家が支持しないフレデリックを支える貴族家がいるかどうか。

 



「ルシール様、私はジョン様を昔からお慕いしていました」

「存じております」


「ジョン様との結婚をずっと夢みていました。無礼を承知でお聞きしたいのですが、ルシール様は婚約者を奪った男爵令嬢が、婚約者を裏切った殿下が憎らしくないのですか?」


 ティファニーを憎らしく思っていないか。


 憎んでいなかった、あのときまでは。

 ロークへの恋心を自覚する瞬間までは憎んでいなかった。


 でも、いまは憎らしくて堪らない。


 近いうちにティファニーは姿を消すだろう。

 ティファニーが消えてもロークはずっとティファニーを想うのだろうか。


 白いバラの刺繍。


 後生大事に他の女性が刺繍したハンカチをもつロークをなじりたい。

 でも、それを承知で結婚した。



―――ロークゥ、お願いがあるのぉ。


 学院時代、サロンで見た光景が浮かぶ。

 あのときティファニーがしな垂れかかっていたのはロークではなくフレデリックだったが。


 いまこの瞬間、ロークは何をしているのか。


 ティファニーは城にいる。

 もしかしたら二人はあっているかも。


 

 王子妃教育の一環で演劇を見たとき。

 夫の不貞を疑う女のどろどろした愛憎に「醜い」と思った記憶がある。


 いまの自分はあの女性と変わらない。



(恋なんてするのではないわね)

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