フラれ公子、刺繍のハンカチに悩む
(ルシールは刺繍のハンカチを誰に贈るのだろう)
昨夜はルシールが指を怪我したことであやふやになったが、落ち着けばルシールが持っていた薄い青色の、男性もののハンカチが頭から離れなかった。
刺繍は「いつもあなたを想っている」という女性の告白。
顔も知らない男に微笑むルシールを想像して胸を掻きむしりたい気持ちになる。
ルシールの初恋について、母セラフィーナと約束している。
「ルシールの恋がうまくいったら文句を言わずに離縁をしなさい」といわれ、ティファニーに永遠の愛を誓ったなら誰が妻でも構わないでしょうと言われて頷かざるを得なかった。
(離縁……彼女が俺の妻ではなくなる?)
ルシールから刺繍のハンカチを差し出された男がどんな反応をするのか。
ロークの脳内では朝から何パターンも想像が繰り返される。
想像の終わりは全て同じ。
男は喜んで刺繍のハンカチを受けとり、その腕でルシールの華奢な体を抱きしめるのだった。
(誰だってルシールに恋をする―――俺だって、気づけば彼女に恋をしている)
「ソニック公子様」
呼び止める声に足をとめて振り返る。
そこには王宮侍女のお仕着せを着た三人の女性、過去の経験から彼女たちの目的は直ぐに分かる。
両側にいる侍女たちが中央の侍女の背中を押す。
二人に感謝の視線を送った中央の侍女は一歩前に進み出て、その手にもっていたハンカチを差し出した。
「受け取ってください」
薄い青色のハンカチに刺繍されている白いハト。
(ハト……)
こんなときだというのに、いや、こんなときだからだろうか。
思い出したのは三角形にしか見えないルシールの『ハトもどき』。
(母上に要練習だと言われたハトもどき、しょげた顔も可愛かったな)
セラフィーナから刺繍を習い始めたルシールの腕前はめきめきと上達した。
自分の刺繍の腕が下手だとバレてからは、ルシールは刺繍をする姿を隠すことをやめた。
最近では途中の刺繍をロークに見せることもある。
上達してきたことへの喜びと自慢だろうか、得意満面のその笑顔と少しだけ近くなった距離に喜んだ矢先に男物のハンカチに刺繍ときた。
(ルシールもこうやって刺繍のハンカチを渡すのだろうか)
「失礼、先を急いでいます。あなたたちも業務中では?」
震える女性の手がルシールの手と重なって、話を切り上げようとしたロークだったが、その侍女の積極性のほうが強かった。
「私は公子様をずっとお慕いしていました」
「おい」
「奥様がいらっしゃることも知っています、妾にして欲しいなどワガママも申しません。ただ可哀そうな女を今宵慰めてくださいませんか?」
そういう侍女の顔を見てロークは彼女に見覚えがあることに気づいた。
ロークが学院に入学したばかりの頃、「卒業まで」と関係を持とうとしてきた女生徒の一人だった。
王城も学院の延長線か。
当時とあまりかわらない肉欲的な体と嫣然とした微笑みにもため息しかでない。
「聞かなかったことにする」
思慕しているからと勝手に体に触れてくる女性には慣れている。
絶妙な力加減で女性の手を振り払い、足早に離れて一番近い角を曲がる。
本当はここで曲がるつもりはなかったため近くの空き部屋に入り、彼女たちが早々にいなくなるのを願う。
「あーあ、失敗」
先ほどの侍女の声。
寵愛を請う甘ったるさがない自然な声と、「失敗」という内容にロークは笑ってしまった。
(恋する相手に振り向いてもらえない悔やしさが『失敗』の一言で片付くとは実に羨ましい)
「私、あの男爵令嬢に雰囲気が似ているじゃない?」
「雰囲気が似ているからといって上手くいくと思うのは安直過ぎよ」
「だって『冷血のビスクドール』とは余り者同士の政略結婚で、奥様は美人だけれど大好きな男爵令嬢とは全く似ても似つかない。上手くいっていないって噂だし、ダメもとで誘ってみるくらいいいじゃない」
侍女がいう噂に心当たりがあった。
なぜだか分からないが、王城内では自分たち夫婦の不仲がまことしやかに噂されている。
一部の猛者がローク本人に噂の真偽を訊ね、彼らに対してロークは「いまの生活に満足している」「ルシールは立派な妻」と答えているのだが、彼らはこぞって「またまた」と信じない。
(ルシールもこの噂を知っているのだろうか)
「首尾よくいっても妾じゃない、一生日陰の身よ?」
「王都の日陰ならば十分明るいわよ。次期ソニック公爵の妾よ?人生を賭ける価値は十分あるわ。さらに子どもができれば、未来の公爵の母になることだってあるのよ?」
「そんなことをルシール様が許すはずないじゃない」
(母上たちの目が黒いうちにそんなことをしたら俺が追放される。ルシールは……ルシールは、どうだろう)
「ルシール様もさ、殿下に捨てられたあとに公爵家の嫁になったのは運がよかったわよね。ああいう強かな人が世の中を上手に渡るのよ、きっと。婚約破棄のあとに国外追放でも庶民落ちでもされればよかったのに」
「やっだぁ、あんたって可愛い顔して本当に残酷ね」
「失恋を引き摺ってカワイソーな人の妾を狙うあんたに言われたくないわ」
「恋に殉じるのは公子様の勝手だけどさ、もったいないよね。欲求不満にならないかな」
「そこは奥様が……意外とルシール様ってそっち方面も万能かもよ?」
キャアキャア騒ぐ女性の声にロークは頭痛を覚えながらその場を去る。
中央の侍女はともかく他の二人は健気に応援する雰囲気があったのに、女性は分からないとロークはため息を吐いた。
(ティファニーに似ていればチャンスがある、か)
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